斬魔尉仙石編

第21話 派遣さるるは

 ピーヒョロロ、鳶がくるりと輪を描く程の晴天直下。

 時は葉月となって早2日、蝉の声ジーワジワと喧しく大合唱な時節である。巷ではそろそろ涼を求めだすような汗ばむ気候だが、幸いなことにこの上州から諏訪へと至る山道は木々がつくる木陰の御蔭で大層歩きやすく、寧ろ肌寒く感じる程である。

 しかし同時にそんな山道であるからにして足元の整備は十分とは言い難い。辛うじて道として切り開いてはあるものの、ごつごつとした岩がそこかしこにニョッキニョキと顔を出しており、その中にはよもすれば草履を下から打ち破る程に鋭いものもあった。

「ふ~ん、ふんふ~ん。ふふふ~ん」

 そんな道を、さも平地かの軽快に歩く1つの影。鎧袋のようなものを肩からぶら下げ、お世辞にも通り心地が良いとは言えない道にもかかわらず鼻歌交じりでさも気楽そうにひょいひょいと歩を進めていた。

「ふ~ん、と・・・・・・さて」

 どうやら、一人旅で無し、連れがいるらしい。立ち止まりチラリと後ろを振り返るが、余程歩調か体力に差があったのか、その者の姿はおろか息吐く声すら聞こえてこない。

 少し困ったように形の良い柳眉を顰め、「仕方なし」と独り言ちたその影は良い塩梅の岩を見付け、そこにひょいと腰を掛けた。

「一服するか」

 一見して、変わった装束である。紅色の着物に麻木色の袴といった着こなしは、未だ倹約令は出てはいない御世ではあれど普段着と言うには余りに目を引く。袋の中から取り出したる螺鈿細工の煙管に刻み煙草を詰めてさも旨そうに燻らせる、その仕草も手慣れたもの。天正、慶長、元和の世も過ぎ、前田の慶次郎や佐々木の導誉も過去の人となった慶安の世においてはなんとも立派な傾奇振りではある。

 しかし、この人物の装束についてはそれ以前の問題であった。

 黒々とうねる癖の強い長髪を後頭部で一括り、腰に佩くのは漆塗りの鞘に納められた手入れの良い大小が1振りずつ。それだけで見れば武芸者か最近流行りの浪人と見えなくも無い。しかし、首より下、その胸元には明らかに男性には無い膨らみが2つ、丘と成っている。先の独り言を呟いた高い声音からも、この人物が女性であることは明らかであった。

「ええっと」

 そして、名残惜しそうに煙管を置きその双丘の脇、即ち懐から1通の書状を取り出した。それを広げて検めると忌々し気に表情を歪め、されどそれを大事そうに折りたたむと再び懐へとしまい込み、気分転換にと煙管を再びプカプカと燻らせた。

 そう、その書状こそ彼女がこのような格好でこんな山道に居る原因。物語は、彼女がそれを受け取った、数日前に遡る。


「面を上げよ」

「はは」

 そう言って、面を上げた彼女は数年ぶりに出会う義弟に「ほう」と息をのんだ。

 そう、上州は御本城、上田城は謁見の間にて高らかに述べるは上田国主3代目、仙石越前守政俊が長子、仙石主税助である。初めは元服前の彼の変わらぬあどけない顔に頬を緩ませた彼女であったが、そう堂々と告げる様は正しく、跡取りに相応しいと言えよう。

(男子三日会わずんば・・・とは、よく言ったものね)

 彼女が数年前、美濃へと旅立つ際には時折夜尿を叱られる幼童にしか見えなかったものだが。

「ふむ、幾年ぶりになろうか・・・。お久しゅうござるな、おきゅう姉上」

「左様にて」

 しかし、その立派ぶりと、記憶と同じ声変わり前の甲高い声音が何とも頭の中で噛み合わず、不思議なおかしさが胸中より溢れ出す。

「ふふ」

「ははは」

「「ははははは」」

 そして、相手の変貌した様子と記憶が噛み合わぬのは主税助も同じだったのだろう、両名さも堪えきれぬとばかりに笑い合った。

「あー・・・ゴホン、ゴホン」

しかしその笑い声は唯一傍に控えていた付家老にて久が祖父、森石見守村重が空咳を打ったことで止み、再びお目見え前の如く静まりかえった。

「ふう。すまぬ、石見。どうしてもおかしくてな。あの荒々しい男勝りだった姉上が、なんという女ぶりかと思えばこそよ」

 そう朗らかな笑顔で詫びを述べる主税助であったが、村重は半白の顎鬚を扱きながらも、ぶすりとした表情を崩さない。

「されど若様、貴殿はいずれ国主となるべき御方であります。締めるべき所は締めて頂きませんと。それに・・・」

 と、今度はジロリ、と主君の猶子であり愛孫である久へと視線を移す。

「久も久よ。この方は未だ元服前とは言え、既に上様へのお目見えも済んだ正式なるお世継ぎ。次世の国主様にあられられるのだ。斯様な不作法は、義姉とは言え家臣である以上は控えねばならぬぞ」

 クドクドと頭の上を通り過ぎる説教に、「また始まった」と久は心の中で舌を出した。尊敬する長老ではあるのだが、こうも説教臭いのは御免被りたい。

「・・・である。聞いておるか?」

「はい、石見守様。申し訳御座いませんぬ」

 久が形ばかり言葉を改め頭を下げると、村重は「ふん」と鼻を鳴らす。どうやら、形ばかりなのはお見通しのようだ。

「まあ良い。・・・では若様、お続けを」

「分かった。では・・・コホン。森家長女にしてわが尊父仙石越前守政俊が猶子、森久よ。此度の参勤、真に大儀であった」

 「は」と頭を下げる久に対し、「はあ」と安堵半分の息を吐くわが祖父を傍目に見遣りつつ、スイと頭を上げた久はそこで義弟としっかと目線が合った。

「・・・主税助?」

「そのな、義理とは言え姉上の無事な帰国は弟としては大変嬉しい。嬉しいのだが・・・」

 その割には何とも歯切れの悪い義弟の口ぶりと、説教が終わったにもかかわらず顔が暗いままの祖父。その様子を見て「ははあ」と納得した久は、

「主税助様、これを」

 と、ワザと堅苦しい言い方で名前を呼び、懐から取り出したソレを放り投げた。

「これ?」

 スッと、畳の間を滑るように久が放ったのは1通の書状だ。不思議そうにそれを手に取った主税助だったが、その表書きに『南光の古僧』との文字を発見し、忽ち眉の顰みを解いた。

「・・・成程、江戸詰めの父にあと一年は従う予定の姉上が戻って来れたのは」

 意味ありげにニヤリと笑う義弟に、久も「左様にて」と頭を下げる。隈本加藤家や高井野福島家の改易の記憶もまだ新しく、譜代の大名以外は常に改易という些細な瑕疵からの領地取り上げに戦々恐々としている、そんな時代である。で、あるから、約に違って帰国した久に主税助が「何事か」と気を揉んでいたのはむしろ当然の沙汰だ。

「これは・・・読んでも?」

「は。どうぞ」

 そのぶっきらぼうな言い方に、主税助はぞわと嫌な予感がした。しかし、表書きもそうだが、何より姉上が読めと言うのだ。か弱い義弟としては黙って読むしかない。

「ふむ・・・あの御仁にしては、ひどく読み難い文字だな」

 だが、それほどの文量のある書状では無かったため、読むこと自体は苦も無く終わらせられた。その内容も、素直に読むとすれば、或いは南光坊天海という人を知らなければ、特段に問題を感じるようなものでは無い。が、それを読む主税助の顔は見る間に曇り、眉間へ皺が刻まれていく。

「これは・・・姉上?」

「・・・・・・はい」

 そして、確認を込めて久を見遣れば、そこには眉間の皺こそ無いものの主税助と同じように曇っている。

 それで主税助は確信した、「間違い無い」と。

「成程な。甲斐と江戸で同時期に発生した不可思議事、それへの対策のために甲斐へと赴け、と・・・間違い無いな」

 は、とギクシャクとした動きで久は頭を下げる。

「一つ、聞いておきたい。その江戸での不可思議事と言えば」

「はい。恐らくは酒井大老の屋敷にて発した光のことかと」

「うむ。それはそれがしも聞いては、いる。が・・・あれはつい先日のことでは無かったか?」

 黙って頷く久。そして、甲斐での変事というのも恐らくは先日の話だろう。素養の無い彼にはとんと分からなかったが、お抱えの軍配者の1人が「空気がおかしい」と注進してきたのだ。

「そして、江戸からここまでは・・・いや、芝居は止めよう。書状を受け取り、江戸から出立し、上田に参る。三日はかかるな」

 再び、久は黙って頭を下げる。それは同意であると同時に恐らくは『降参』なのだろう。つまり、この書状は起こったことに対するもので無し、これから起こる、否『起こす』ことについて書かれたものということだ。それを理解した主税助は力なく天井を仰いだ。

「あの御仁が一枚噛んだ、不可思議事・・・か」

 状況を考えるに、「一枚」で済めば良いくらいだ。

「恐らく、江戸から直に甲斐へと向かわせなかったのも・・・」

「『御役目』のため、と。父や祖父から聞いてはいたが、何とも末恐ろしい御仁だな」

 そのやり用が、久の目の前に待ち構える事態の重さを想起させる。思わず静まりかえる2人の若人を見かねてか、それまで無言であった父が重い口を開く。

「しかし久よ、儂としても先は短かろう。身許へ召される前にお主の無事を見られたのは、その書状があればこそ」

「祖父上・・・」

「無論、上野に寄るのは御役目の為。されど、どんな理由があろうと儂にとってお主に会えたのは法外の喜びよ。後は・・・早く殿が御役目を引き継いで、お主が嫁に行くこと。望むのはそれだけ」

 思わぬところに転がった話に、思わず久はガタリと座を崩した。

「い、石見守様!その話は後で!」

「しかしな、久。お主ももう十八になるのだぞ。いくら才あれど行き遅れてしまっては、儂こそ祖先に顔が立たぬ」

「ふ、風説には、織田の市姫が嫁がれたのは二十を超えてからとか・・・」

「ほう・・・お主、自身が戦国一の美女とでも?」

 うっ、と言葉に詰まる久の代わりに、

「まあ、『仙石』一なのは間違い無いか」

 そう、主税助が混ぜっ返したから堪らない。久は吹き出し、村重は「若様!」と脇息を力任せに叩く。その彼女が美濃へ立つ前と同じ、日常を感じさせるやり取りに重く沈みかけた空気は忽ちに弛緩した。

「まあ姉上、石見がまた馬鹿なことを言うと悪い。さっさと御役目を果たして帰って来てくれ」

「そう、そうですね・・・まあ、少々ややこしいだけでやること自体はいつもと変わわりません。物見の結果、只の空騒ぎならそれまで。万一の事あれば現場で対処、と」

 無論、只の空騒ぎなどで無いことは久が一番知っている。しかし、だからと言って現地に赴かぬ内から重く沈むことも無い。それだけの話だ。

「まあ・・・うむ、そうだな久。お主も成長したと言うことか」

「三日会わずんば、は男子だけじゃないということだな、石見。して姉上、こたびの御役目に赴かれるにあたり、これを」

 パンと柏手1つ、すると少しの暇の後スウと襖が開き、数名の用人が何やら抱えて入って来た。あれと久が思う間もなく、久と主税助の丁度真ん中に並べられたのは、1振の穂先と大肩鎧、それに畳まれた陣羽織。乱れない所作で静かに置かれたが、陣羽織が置かれた際にリンと縫い付けられた鈴が、軽やかに鳴った。

 それらが何を指すのか、それは少なくとも彼女にとっては1つだ。

「・・・分かり申した。ではこの『久』の名、ここに預けさせて頂きます」

 つまり、ここからは久は家老の娘では無く、事実上の仙石家猶子、斬魔尉ざんまのじょうの継承者だ。

「ふむ、それでよい。では石見、お前から何か言っておくことは無いか?」

「いえ、ありませぬ。言える立場にありませぬ」

 恐らくは彼女以上に立場、と言うものを理解しているのであろう。村重も、そうぶっきらぼうにそう言い放つ。

「では主税助様、急ぎ出立しとう御座います。ここから甲斐へは・・・」

「それも書状にあったな。ここから一旦諏訪に入り、そこから南下すると。関を通るための免状は・・・」

「書状に添えてありました。では、すぐさま家に戻り支度を整えます故、これにて失礼を。これらの心づくしは弥吉に取りに向かわせますので」

 ならば、彼女のやることは決まった。一礼しスッと立ち上がると、何か言おうと腰を浮かしかけた義弟を尻目にのしのしと謁見の間を後にした。

 襖が閉まる直前に投げかけられた「息災にな」という親心を背に受けて。

 

「はあ」

 そう意気込んで出てきたのは間違いない。しかし、考えれば考える程に気が重くなるのも、また人情である。煙と共に吐いた溜息は疲れによるものだけでは無かろう。

「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」

 そうこう、彼女が一服していると同じような息を吐き吐き1人の男が現れた。しかしその息はずっしりとした行李を背負っているからであろうか。吐く息も荒く、いかにもしんどそうである。

 あとひと踏ん張りと顔を上げた所で座っている彼女を見咎めたその男は、力を振り絞り足の回転を速め、彼女の脇の地べたへどっかと腰を下ろした。

「ふうふう、はあはあ・・・あのう旦那、あと如何程でしょうか?」

「お疲れさま。もう大方は過ぎたでしょう。もう諏訪湖まで下るのみ、あと一息くらい、ね」

 そう言って彼に向けられる笑顔は、それこそ花も恥じ入るほどの爽やかさ、美麗さだ。だが、それを見て尚弥吉はブスリと頬杖をついたまま、ヒュウと口を尖らす。

「しかし旦那。さっきもそんな風に―」

「さて!じゃあ弥吉、行きましょう!」

 追いついたからヨシ!とばかりにひょいと立ち上がり先へ行く主へ、弥吉の「あっしの話を聞いて下せえ」などと言う抗議が入る耳は無い。

「ああ・・・もう」

 いつもの事に弥吉が頭を抱えつつ、何とか息を整えて追いつくと、

「ほおう!」

 そこには、大きく広がる湖が見えた。上野の山奥ではとても見る事の無い光景に、弥吉の疲れも吹き飛んだ。しかし、ちらと視線を横に向けると、そこには「どうだ」と言わんばかりの主の喜色ばった顔。久方ぶりの日の光の元で見れば、元々の造形の良さも相まって不覚にも見惚れてしまいそうになる。

 なってはいけない。今まで幾星霜・・・は言いすぎだが、お仕えしてから数多の数、この笑顔に絆されて騙されてきたのだ。

「えへんおほん。しかし旦那、この日の傾きから考えるに今日はこの地で一泊ですか」

 血が上りそうになる頬を大仰な咳払いで誤魔化す。これもいつものことだ。

「まあ・・・そうなるわね。それに書状が確かなら、この地に待ち人が居るそうよ」

「左様で。しかしまあ、大層な人の賑わいじゃあありませんか」

「それはそう。何せ、名にし負う諏訪大社の御膝元よ」

 もうひと月もすれば収穫の季節。そのため多くの人が五穀豊穣を祈りにか訪れているようで、大層な賑わいである。

「ならば旦那・・・ここいらで身支度を整えては?」

「そんなに変?」

 そう言ってパタパタと着物を軽く叩くと埃などは少しは散るが、着物には聊かのほつれかぎ切れも無い。不思議そうな顔をする主に対して、弥吉は半ば呆れたような口調で申し出る。

「旦那・・・あっしも国元じゃあ時折忘れそうになりますが、旦那は御役目上は兎も角れっきとした女御なんですぜ」

「兎も角も何も、女御に違いは無いけれど。それがどうして?」

「いや、どうして?じゃあ無くてですねえ」

 確かに遠目から見れば問題は無い。御役目の関係上、上背はそこらの男衆に並ぶほどはあるし、しなやかながらも鍛えられた四肢によって姿勢は堂々としている。しかし、しかしだ。

(それだからこそ、違いが目立つんですよねえ)

 男には無い部位、15を超えたあたりから目立つようになってきた胸部のふくらみは、さらしを巻いてはいるのだろうが袴を履いているからこそだろうか、他がしゃんとしているだけに余計に目立つ。

「ですから、せめて小袖姿に・・・て、お待ち下せえ!」

 しかし、そんな弥介の心配もどこ吹く風とばかりに、たっと下り道を走り降りていく。

「消えた!」

 かと思えば、不意に姿を消した主。慌てて前へと走っていくと、

「なあんだ、ただの崖か」

 どうやら曲がりくねった山道はまどろっこしいと感じたのだろう。崖から下を見れば「お前も来いよ」と言わんばかりに手を振る、満面の笑みが目に入る。だが、こんな所を飛び降りるなどという九郎判官もかくもやの行いは弥吉にはとても出来ない。

 と言うより、この行いを「なあんだ」で済ます弥介の感覚も、大概おかしい。

「あっしは無理です。くれぐれもゆっくり進んで下せえ!」

 そう崖下の主へと呼びかけるが「無理だろうな」と思いつつ、それでも一刻も早く追いつくべく弥吉は山道を下るのであった。


「へえへえ・・・うん?」

 案の定と言おうか、彼の主はさっきの崖の下で待っているような人では無かった。そのため息せきつつも遅れじと足を急がせた弥介であったが、主の足の速さから考えると予想よりもずっと早くにその背後を捉えた。一瞬人違いかとも考えたが特徴的な髪型にけばけばしい装束とくれば、まず間違いは無かろう。

「旦那あ!」

 と声を掛ければ違い無く、少し困ったような表情でこちらへ振り向くのは彼の主に相違無い。

 では「はて?」と心の中で首を傾げつつ合流したところで、その疑問はたちまちに氷解した。

「へっへへ、御仲間かい?」

 そこには下卑た顔つきのごろつきが数名、道を阻むかのように立ち塞がっていたのだ。

「ああ、弥介。これ、どうしよう?まさか、これは『御役目』と関係は・・・無いわよ、ねえ?」

 流石の主の顔にも困惑の色が浮かぶ。

「ええ、まあ・・・そりゃあ。ですが・・・主家とのお約束は、よもやお忘れではありませんでしょうな?」

 うん、と主は頷くが、

「しかしねえ・・・望み薄よ?」

「何をごちゃごちゃ言ってやがる!でかいくせに女言葉で、気持ちわりい奴だな!助けなんぞ来やしねえんだ、大人しく出すもん出しな!」

 どうやら、こいつらはこの辺りの百姓崩れか、浪人衆の成れの果てらしい。前に出て威嚇してくるのが頭目で、後でゲタゲタと笑いながら終わった後の相談事をしているのはその部下、といったモンだろう。さっき弥吉が述べたように、間違い無く『御役目』に絡む集団では無さそうだ。

 しかし、だからこそ困った。あからさまな素人相手に、どう手を出して良いものか。

「なんだ手前、ニヤニヤ笑いやがって!ふざけてっとこうこれだぞよ」

 どうやら、相手は彼女たちの苦笑が勘に触ったらしい。あるいは馬鹿にされていると感じたのだろうか。そういって頭目はすらりと腰のものを抜き放つ。

 それを見て弥介は「あちゃあ」と独り言ちて頭を抱えた。どうしてこういった奴らは自分から死を招くのだろう。

「弥吉」

 抱えた頭の上から呼ばわれ、視線を上げれば真顔の主が「仕方ないよね?」と目で語って来る。諦めた弥吉は「はあ」と息を吐くと、せめて刃傷沙汰にならぬようにと杖代わりに使っていた竹竿を手渡した。

「手前、何を渡ドュヘェア!」

 その頭目はしかし、最後まで台詞を述べることは出来なかった。受け取った勢いのまま振り上げられた竹竿は狙い過たず頭目の顎を直撃し、その勢いで舌を噛みちぎったのだろうか口から鮮血を吐き出した頭目は「フシー」と息か悲鳴か分からぬ声をあげてドウと倒れ込む。

「「親方あ!?」」

 練習替わりの一閃で撃沈とは、思ったとおりの見掛け倒しだったようだ。

「・・・どっちが野盗か分かったもんじゃ無い」

 これから起こるであろう惨劇に、弥吉は反射的に目を瞑り逃避を図る。しかし不思議なことに、その後に続いて訪れるはずの悲鳴の連鎖はいつまで経っても聞こえてこなかった。あなやと思い恐る恐る頭を上げると、そこには先ほどの頭目以外に人は無く、バラバラと武器が散らばるばかり。

「旦那、どうされたんで?」

 その問いに。スイと伸ばされた形の良い指先の指す方を見て、弥介も合点がいった。向こう、即ち人里の方より土ぼこりが巻き上がり、こちらへと向かっていたのだ。

「助け・・・ですかねえ?」

「ええ。・・・ちなみに弥吉、それはどっちへの?」

「・・・・・・・・・それは勿論、旦那へでさあ」

 ただ、逃げ去る口実を作ってくれたと考えるなら、夜盗連中にとっても土埃の主は救いの神だったろう。それを直接伝えるほど、弥吉は勇敢では無かったが。

「貴様ら、何をしておるか!」

 予想通り、向かってきていたのは騎乗した武士が数名。キチンと纏った裃といいそこへ綺麗に染め抜かれた紋といい、少なくとも中流以上の家格の武士だろうと予想はつく。

 そして、その身分の武士ならばその問い掛けも当然だろう。口から鼻から血を垂れ流して気絶している胴丸姿の百姓に、血まみれの棒を持ち立ち竦んでいる男装した女御とあれば、それは詰問では無い。極めて一般的な質問だ。

「答えよ。貴様らいった・・・おお、それは!」

 しかし、先頭に居た武士が弥吉の背負う行李に記された『無』の旗印を見付けるやいなや、たちまちの内に馬から降りるとションと姿勢を正した。更にそれを見た残りの武士も皆同じようにそれに倣う。

「これは失礼致した。江戸より報せのあった仙石家の使いの方でしたか」

 されど、その武士の視線は主に、では無く弥吉にだった。

「使い?・・・ええ、まあ、そうです」

「おお!その紋所、正しく。で、此度の御役目を仕るご継承者殿は何処へ?」

 その問いの意味が初めは分からなかった弥吉だが、前から立ち上る主の怒気に理解させられた。見れば、表情こそ笑顔のままだが引き攣ったような口角は見る者が見れば分かろうと言うものだ。しかし、彼の後ろへと視線を伸ばすその武士は、幸か不幸か、いや不幸だろう、一切気がついておらぬ様子。自分たちを先触とでも思ったか、「何処に?」と無邪気な表情で主を無視して彼へと問いかけて来るものだから堪らない。

「え・・・と・・・」

 泳ぐ目線に過るのはもう直ぐ爆発してしまいそうな、怖い怖い笑顔の主。

(ええい、南無三!)

 どうにでもなれ、気づかないコイツらが悪い。そんな自己弁護と共に弥吉は恐る恐るに人差し指を伸ばし、チョイチョイと前方の主を指さす。それに従い、「何か?」とその方向を見た武士たちこそ、傍から見る分には大層な見ものだったろう。当事者としては堪ったものでは無いが。

「このお方が?」

 忽ち全員顔を月代まで真っ青にして、そう消え入りそうな声で問うので、弥吉はコクンと小さく頷いた。

「「は、ははあ!」」

 瞬間、その武士たちは一糸乱れぬ早業で地に伏し頭を下げた。無論、道理で言えば旗本であろう彼等が他家の武士に頭を下げる必要など無いのだが、そんな道理は生存本能も前には消し飛ぶらしい。無理も無い、このはち切れんばかりの怒気なら熊だって逃げるだろうさ。

「お、おおおおおおおお待ち申しておりました!!そろそろ山道を抜けるだろうと思い、お迎えに上がる所存でえええええ!」

「結構!大儀である!!」

 その山をも震わせんばかりの大音声に、山の木々からは鳥がバサバサと一斉に飛び立つ。

「で、では。貴女様が?」

 ゆっくりと頭を上げる武士たちに、彼女は腰に手をあてて仁王立ちすると、高らかに告げた。

「うむ。私が美濃斬魔尉第7代目、仙石権兵衛である!!」

 再び「ははあ」と頭を下げる武士たちと、少し溜飲が下がったらしい主殿。

「・・・少し、やり過ぎじゃあ無いでしょうかねえ」

 そして、思わずポツリと呟く弥吉であった。

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