第3話 モグタロウとキクちゃん
干からびたモグタロウは、重い荷物をアリの引っ越し屋さんと一緒に、お花のおうちまで運ぶ。
「そのダンボール割れ物だから注意して」
「は、はい」
われながら情けない、蚊の鳴くような声は、プッとばかにするように笑い飛ばされた。
モグタロウは恥ずかしくて、地面にもぐりたかった。
結局、キャベツ大学に入れなかった。
芋虫親はヒステリーを起こし、手がつけられなかった。
『キャベツ大はあたしの夢だったのにーーーっ!!!! 蝶々になりたかったのにーーーーーーっっ!!!!!』
ずんぐり身体がのたうちまわり、お花のおうちはポキリと折れた。
怖くなり、家を出ていった。
生きるためにバイトもする。人付き合いが苦手なモグタロウは、どこの職場もつづかず、バイトを転々とした。
お花のお部屋に荷物を運びこむと、丸くみずみずしい芋虫が、本をかじっていた。
「あれ? もしかしてモグタロウ?」
顔をあげた芋虫はキクちゃん。
「あ……え……」
「ひさしぶり」
どうしてこんなところに。
「えっと。キクちゃん、ひっこしたの……?」
「うん。キャベツ大に通うからさー」
「え?」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
「このへんキャベツ大学近いじゃん」
「へ、へえ。すごいね」
頭は真っ白なまま、のどが勝手にそう音を発した。
キクちゃんは頭をかいて照れていた。
「なんか塾でみんなの話聞いてたら自分もがんばらなきゃな〜って思い始めて。模試で順位あげるのゲームみたいで楽しかったし。面白いって思える分野もあったし」
キクちゃんはかじっていた本を見せてくれた。
『マンガでわかる昆虫生理学』
やわらかい、モグタロウにも飲みこみやすそうな本。
「ふ、ふぅん」
「モグタロウもキャベツ大? 小学校のころからがんばってたよね。もうバイトしてんの?」
「う、うん。ごめん仕事あるから」
急いで部屋から出た。アリさんにはなにも言わず、勝手に帰った。
そういえば漫画のこと、結局言い出せなかった。
無断退勤をしたモグタロウは、アリの引っ越し屋さんをクビにされた。
また新しい職を探さねば。
そんな矢先、芋虫親がモグタロウのアパートに飛びこんできた。
「お父さんが死んじゃったの。どうして私ばっかりこんな目に遭わなきゃならないの?」
大泣きだった。
モグタロウは正直いやだ。が、芋虫親に逆らうなど、想像しただけで、子どものころの感覚がくっきり身体に襲ってくる。
水に顔を突っ込まれたときの苦しさ。
ベランダの葉っぱの縁から吊るされ、気色悪い蜘蛛の巣を見たときの恐怖。
ビンタされたときの痛みや、ベランダに放り出されたときの寒さ。
それに親を捨てたら、世間様から薄情者と責められるだろう。一番仲のよかったキクちゃんですら、わかってくれなかった。
恐怖とあきらめは、モグタロウを麻痺させ、心の抵抗力を根こそぎうばった。
心の弱さは身体に現れる。モグタロウは、身体のほとんど水分を失った。
カスカスですっかり小さくなったモグタロウは、泣いてばかりのずんぐり芋虫親の食べ物を買ってやらねばならない。
電気代。ガス代。水道代。ひまをもてあました芋虫親のパチンコ代も稼がねばならない。
何度も何度も面接に落ち、ようやく、キャベツ畑の警備員のバイトに落ち着いた。虫手不足でモグタロウでも入れた。
交通整理をして、タチの悪いアブラムシやてんとう虫、カマキリを追いかえすのが仕事だ。暴言も吐かれたし、命の危機もたびたび感じた。
弱い弱いモグタロウには、命が削られるような仕事だった。
そのキャベツ畑には、全国から身体がぷりぷりの芋虫たちが群がった。菜の花そっくりの黄色いキャベツの花の茎に、彼らははりつき、そのままかたまる。
「モグタロウ!」
夕焼けのまぶしさがつらいと思っていたら、声をかけられた。
プリプリの身体のキクちゃんが、知らない芋虫と手を繋いでやってきている。
そのつれの芋虫は、値踏みするようにモグタロウをじろじろ見た。
「だれこの人?」
「友達」
「キャベツ大の? それともあなたの会社の研究所の?」
「小中の」
「ふーん」
すれちがったら思わずふりむいてしまうような、プリプリのきれいで派手な芋虫。
モグタロウは緊張で目を白黒させた。
「キ、キクちゃん」
「ん?」
「あのとき漫画返せなくて、ごめんね」
言わねばと思い、思い切って言った。
今まで胸につかえていたこと。やっと吐き出せた。
「漫画って?」
キクちゃんはキョトンとしている。キレイさっぱりわすれてるようだ。
モグタロウはずっとずっととらわれていたのに。
「なんでもない」
モグタロウは自分が守ってきた黄色の花をながめた。
キクちゃんは、キクちゃんの恋人(多分)と並んで茎に登り、はりつくと、じっととどまり身体をかたくさせた。
カスカスのモグタロウと一緒だ。モグタロウは少し安心した。
勝手に持ち場を離れたモグタロウは、雇い主のアブラムシに解雇された。
職はない。芋虫親も育てられない。行くあてもない。
夜の花畑をさまよった。
月明かりの下。モグタロウは例のキャベツの花の前を通りすがる。
茎にはりついた、芋虫たちのかたい塊。キクちゃんとキクちゃんの恋人のもある。
むらむらと、憎しみにとらわれる。
自分の人生はなんだったのだ。なぜ自分だけこんな目に遭わねばならないのだ。
どうしてだれも助けてくれないの?
なんでみんなはのうのうと生きてるの?
なぜ自分の親は芋虫親なの?
なぜ自分ばかり。
にくい。
にくいにくい。
にくいにくいにくい。
だれもかれも。
今ならあいつらは動かない。
あいつらに火をつけて、燃やしてやったらどうなるだろう。
モグタロウは決心した。
今からコンビニとガソリンスタンドに行こう。
ライターと灯油を買おう。
ばらまいたガソリンに火をつけて、大勢が苦しむのを見ながら、自分も死のう。
足を動かしたそのとき、キクちゃんの塊が、ぴくっと動いた。
「……!」
ぴく、ぴくっと、左右に揺れている。
芋虫親が悶えているように。
キクちゃんはもしかして、今苦しいのか?
ひょっとして、今モグタロウがいやな考えを起こしたせい?
まさかキクちゃん、死んじゃうの?
「キクちゃん!」
モグタロウは走った。
アブラムシの警備員に止められる。
「こら。立ち入り禁止だ」
「放して。友達が大変なんです」
押し返されても進もうとする。
すべてをわかってくれたわけじゃない。けど、どんなことがあっても、キクちゃんはモグタロウを友達だと思ってくれていた。
そのたったひとりの友達が苦しんでる。
自分が変なことを考えたせいで。
「ごめん! キクちゃん!」
ポロポロ涙が止まらない。
キクちゃんが死んじゃうなんていやだ。
モゾモゾと、キクちゃんの塊の動きが大きくふくれた。
塊の背中がパックリ割れ、湿った淡い色の羽が飛び出す。
モグタロウはあっけに取られた。
あれは、蝶々ではないか。芋虫親が憧れていた。
キクちゃんは、まだ弱い羽をパタつかせる。となりのキクちゃんの恋人の塊も、モゾモゾ動き、パックリ割れた背中から白い羽を飛び出たせる。
羽を広げた二人は手を取り合い、月に向かってはばたいていった。
どうやって家に帰ったのか、モグタロウは覚えていない。
玄関を開けたら、泣きわめいている芋虫親がいたところまでの記憶はある。
「モグタロウ?」
玄関でモグタロウは倒れた。
芋虫親は震え、モグタロウを抱き起こす。
「あ……ああ……」
モグタロウの緑の身体はカサカサだった。パリパリだった。カチカチだった。
「……あは。あはは。うちの子がサナギになったよ。ははは。やっと蝶々になれる。やっと夢が叶った。あはははは。あははははははははは」
芋虫親はモグタロウの死骸を抱え、頬ずりをし、大笑いで踊り狂った。
蝶々になれなかったモグタロウ Meg @MegMiki34
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