第2話 キャベツ高校

 夜風がふきすさぶなか、モグタロウはベランダの葉っぱに放り出さた。

 シトシト、シトシト。雨が降ってくる。

 雨は容赦がない。凍ってしまいそうなほど冷たい。

 寒くて丸まった。

 ブンブンと、屈強なスズメバチたちが通りすがった。


「おい、芋虫がいるぜ」

「マッサージしてやるよ」


 スズメバチたちは、するどい毒の尾をモグタロウに向ける。


「ひぃ。ひぃ。ごめんなさい」


 一晩中情けなく這いまわり、逃げ惑った。

 


 

 朝になると、地中の芋虫の中学校に行く。

 モグタロウは、クラスではおとなしいほうだ。芋虫親が買ってきた、かたくてマズくてむずかしすぎる本を、だまってカジカジかじり、身につかない知識を吸収する。

 机の前に、キクちゃんがやって来た。


「モグタロウ、昨日ゲームどうしたの?」

「え、あ、うんごめん。ちょっと勉強があって……」

「ふーん。モグタロウ、いっつもテスト100点だもんな」


 自分の机を見ると、自分で並べたテスト用紙がずらり。

 全教科100点。

 キクちゃんの持っているテストは60点か70点。

 少しホッとした。こんな自分でも、ちょっとだけ優越感を持てた。


「あのね。うちは親がひどくてね……」


 言いかける。


「モグタロウ。親御さんのこと、『ひどい』なんて言うもんじゃないよ」

「え?」

「そりゃ厳しくあたることもあるかもだけど、なんだかんだで心配してくれるからそうなんだよ。うちもそうだし。親が生きてるうちに親孝行はしないとね」

「で、でもほんとにうちは……」

「どんな親だって子どもに愛情があるもんなんだって。な」


 キクちゃんはニコニコして言った。


「う、うん……」


 100点のテストに目を落とした。

 わかってもらえない。誰に言っても。


「あ! そういえばモグタロウが読みたいって言ってた漫画の新刊買ったよ。読む?」


 キクちゃんは、思いついたように漫画を見せてくれた。

 さっき言ったことを忘れてもらいたくて、モグタロウは元気にふるまった。


「読む読む! キクちゃんありがとう」

 



 家に帰ったら、芋虫親にキクちゃんの漫画をビリビリ破かれた。


「漫画禁止っつったろ!」


 モグタロウは泣くしかなかった。


「泣くな!」


 口いっぱいに、くしゃくしゃの葉っぱを詰められる。雑草のネバネバが口をふさぎ、言葉が封じられる。

 息が苦しいまま、ベランダに放り出された。


「二度とあのバカ虫と遊ぶんじゃないぞ。キャベツ高校の受験も近いんだ。いいな!」



 

 どんよりしたモグタロウは、学校の廊下をフラフラと歩く。

 数人の友達としゃべりながら歩くキクちゃんと、すれちがう。


「あ、モグタロウ。この前の漫画……」


 こちらに気づいたキクちゃんが、何気ない調子で話しかけてきた。

 漫画をビリビリに破いた芋虫親のことを考え、モグタロウは恐怖で身がすくむ。

 キクちゃんを無視し、小走りでその場を去った。

 キクちゃんの友達が陰口を言っている。


「なにあいつ。感じ悪」

「キクちゃんの漫画も返さないし、クズじゃん」


 モグタロウはさらに足を速めた。

 もうキクちゃんと話すことは許されない。

 



 モグタロウには、勉強しか残ってない。

 机にかじりついて、ガリガリガリガリ、何枚もの葉っぱのドリルをかじった。

 うしろでは、腕組みした芋虫親が見張っている。

 暴言を吐きまくっている。


「100点取れなかったら家入れないからな!」

「キャベツ高校受からなかったらぶっ殺してやる」

「今泣いただろ。ポイントカァードオォ〜」

「どうしてこんな問題まちがえた! このできそこないが!」


 モグタロウはがんばった。

 がんばってがんばってがんばった。



 

 キャベツ高校の合格発表日。

 モグタロウの受験番号を見つけ、芋虫親は大喜びだった。

 よその芋虫親や蝶々親に囲まれている。


「いいわあ。芋虫さん家はお子さんが優秀で」

「うちの子なんて遊んでばかりで」

「芋虫さんのお家は地域の模範ね」

「おほほ」


 芋虫親はこの上なく上機嫌だ。緑の肌つやもよかった。

 モグタロウの身体は、正反対に水分が抜け、カサカサだった。




 キャベツ高校に入ると、まず言われた。


「キャベツ大学に入れなければ死ぬと思って勉強しろ!」


 担任は、スパルタのミミズ先生。

 まわりの子たちはみんな、机にしがみついてガリガリやっている。

 モグタロウもついていこうと必死だった。最初のうちは。




 歯が折れてしまいそうなほどかたい教科書をかじりながら、帰路についていた。

 たまたまキクちゃんを見かけた。同じ高校の友達らしき虫たちと、ワイワイ言いながら歩いている。


「今度の文化祭のカフェのフロア係、キクちゃんに任せていい?」

「おっけー」

「買い出しはいつにしようか? 打ち上げの日も決めたいよね」

「打ち上げでスパブラやろうぜ」


 キクちゃんがモグタロウに気づいた。


「モグタロウ!」


 うれしそうにあいさつされ、ギクリとする。

 モグタロウは怖かった。キクちゃんは漫画のこと怒っているにちがいない。

 キクちゃんにまで責められたら、蜘蛛の巣に飛びこむしかない。


「ひさしぶり。最近どう?」

「う、うん。勉強が忙しいかな……。キャベツ大学に行きたいから」

「へえ。おたがいがんばろうね」


 キクちゃんは友達と塾に入っていった。楽しそうだった。

 モグタロウとは大ちがい、

 休み時間も、昼休みも、登校しても下校しても、モグタロウは誰とも話さないのに。

 勉強が忙しいから。

 いいや。それはモグタロウがモグタロウをごまかすためのうそだ。

 本当は、他人が怖いから。

 自分はできそこないだから。

 勉強以外、自分に生きてる価値ないから。愛される価値はないから。

 キクちゃんみたいに漫画をちゃんと返せなくて、誰かを傷つけてしまうから。

 なら、ひとりぼっちでいたほうがいい。

 


 



 キャベツ高校では、みんな当然のように、過酷なほどガリガリ勉強する。


「こんな問題もわかんないのかなあ。きみのIQじゃ、キャベツ大学は絶望的だよ」


 ミミズ先生にため息をつかれるモグタロウ。

 授業についていこうと必死になった。

 教科書を見ても、ぼぉっと字がにじむ。

 ミミズ先生の話も、ぼぉっと頭をすり抜けてしまう。

 楽しくない。

 つらい。

 苦しい。




 モグタロウのテストの点数に、芋虫親は毎回ヒステリーを起こした。


「こんな点数でキャベツ大に行けると思ってるのか! 蝶々になれると思ってるのか!」


 モグタロウは何時間も正座させられ、つんざくようなヒステリーを延々聞かされた。

 モグタロウは放心していた。

 カサカサの身体はさらにしぼみ、どんどん乾燥していっている。



 

 あるときから、モグタロウの部屋に、外から鍵がかけられた。そこでモグタロウは朝から晩まで勉強づけ。

 同じ部屋にいる芋虫親が、常に監視している。

 一問でもまちがえると、ビンタが飛んできた。

 頭を押さえつけられ、お風呂の水に顔をしずめられた。

 ベランダに放り出された。

 モグタロウは芋虫親の期待に応えるため、がんばった。がんばってがんばってがんばった。

 そして、がんばれなくなった。

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