蝶々になれなかったモグタロウ

Meg

第1話 スパルタ教育モグタロウ

 タンポポの下で、仲のいい緑の芋虫二匹が遊ぶ。

 モグタロウとキクちゃん。

 かくれんぼをしたり追いかけっこをしたり。

 つかれたら緑の葉っぱをカジカジかじる。


「モグタロウ、明日うちでゲームしよう」

「やったあ! うちゲーム禁止でさあ」


 のっそのっそとタンポポの葉が揺れた。

 ずんぐり大きな芋虫が、重たげに身を引きずりやってきている。モグタロウをおそろしい目で見すえながら。

 モグタロウの身体は、勝手にキュッと縮んだ。

 あれはモグタロウの芋虫親。

 黄色の花の上に、ふわりと鮮やかな羽の蝶々が降りた。


「キクちゃん、夕飯の時間だよ」

「あ。うん」


 蝶々の羽を見て、芋虫親は歯ぎしりした。モグタロウの目には、ずんぐり身体がまとう、炎のような黒いオーラが見えた。

 芋虫親はモグタロウの首筋に、小さな牙をつきたてる。


「痛!」


 しびれるようなするどい痛み。

 モグタロウをくわえ、芋虫親はズルズルと家の方角へ向かう。


「モグタロウ。明日ゲームな」


 キクちゃんは短い手をブンブンふった。



 

 モグタロウの家は花畑の一等地の、若い花の上階にある。

 親戚や知人の目を気にする芋虫親が、無理してハチノス不動産から買った家。

 お風呂は葉っぱについた朝露あさつゆ

 芋虫親は、モグタロウの頭をその水滴につっこんだ。


「なんでシサンジュウニくらい間違えるの!」


 のどに水がつっかえ、モグタロウはゲホゲホむせた。


「ごめんなさい」

「シチハは?」

「ご、ごじゅう、さん?」


 しこたま水に頭を突っ込っこまれる。

 息ができなくて苦しい。死んでしまうかもという恐怖が、カミソリのようにモグタロウの心をそいだ。

 新聞を読むお父さんは、見て見ぬふり。

 芋虫親はヒステリックに怒鳴る。


「なんで昼間はあんなバカと遊んだ? おまえは蝶々になりたくないのか! キャベツ大学に行きたくないのか!」

「あ……、うぅ……」


 モグタロウとしては、どうでもよい。蝶々になるとか、キャベツ大学とか、どんな意味があるかもわからない。

 けれど、否定すれば芋虫親が爆発してしまう。

 芋虫親はモグタロウが蝶々になること、名門キャベツ大学に入学することに、異様な執念を燃やしていた。

 いわく、いい葉っぱ大学に行き、いい葉っぱを食べ続ければ、一流蝶々になれるとか。

 自分の叶えられなかった夢を、モグタロウに叶えてほしいんだそうだ。


「二度とあんなバカと遊ぶんじゃないぞ!」

「キクちゃんはバカじゃ……」

「親に向かって口答えするのか!」


 すくんでしまう。

 友だちの悪口も止められない。自分が情けない、ダメなヤツに思えて、死んでしまいたかった。



 

 モグタロウの部屋は茎の中にある。

 壁に貼られた時間割には、勉強のスケジュールがビッシリ。習い事のスケジュールがビッシリ。

 そのほか、『一日30時間勉強』、『一流蝶々』、『年収一千万葉以下はミジンコ以下』、『キャベツ大学一発合格』などの標語がビッシリ。

 一生懸命作文を書くモグタロウ。まわりには、くしゃくしゃに丸めた紙が散らばっている。


「僕は将来パイロットになりたいです。理由はかっこいいから……。あ! 『かっこ』じゃなくて『かっこう』だった。また間違えちゃった。書き直し」


 紙をくしゃくしゃにして即座に捨てた。まちがえたら芋虫親に怒られる。叩かれる。つねられる。

 絶対にまちがいは許されない。

 すべて完璧に書き終わるまで、どれだけかかるだろう。

 考えたら気力がなえていく。机につっぷした。


「キクちゃんとゲームしたかったなあ」


 キクちゃんとゲームしたり、漫画読んだり、葉っぱを食べたり。

 想像するだけで楽しい。

 ぐいっと首を強い力で引っ張りあげられ、現実に帰った。


「このできそこないがぁ」


 芋虫親が目を血走らせている。


「ごめんなさい……」


 芋虫親はモグタロウを引きずり、ズルズルと這う。

 ゆらゆらゆれる、外の葉っぱまで。



 葉っぱの縁に来ると、モグタロウは吊るされた。

 下は蜘蛛の巣。六つのギラギラした気色悪い目が、モグタロウを見上ている。


「ひっ」

「ほーらほらサボり魔モグタロウ。ほーらほら」


 吊るされながらブラブラゆらされた。


「ひっ。ひっ」


 恐怖で呼吸が浅くなる。


「もう二度とサボりません。ごめんなさい」


 モグタロウが泣きだすと、近くを近所の蝶々がふわふわと通りかかった。

 ちらりと戸惑ったような目を、芋虫親に向けている。

 芋虫親はすぐさまモグタロウを引っ込め、部屋にもどった。



「泣いた。スタンプカードに1ポイントな」


 もどったらもどったで、スタンプカードに悪魔の刻印がスタンプされる。


「や、やめ……」


 芋虫親は、捨てられているくしゃくしゃの紙を広げ、これみよがしに読みはじめた。

 さもおかしそうに、クスクスと笑う。


「おまえごときがパイロットだ?」


 屈辱で泣きたかったが、がんばってこらえた。

 泣くとあの恐ろしいスタンプがたまってしまうから。


「じゃあ質問。昆虫類史上初のパイロットの名前は? 5秒以内に答えろ。5、4、3……」

「え? えっと……」


 急に言われ、頭が真っ白だ。


「……2、1。ブッブー」


 芋虫親のずんぐりした尾っぽが、ぴしゃりとモグタロウの頬をぶった。

 痛みの熱さが肉に食いこむ。


「5秒以内に答えられるようにしろって言ってるだろ!」

「ごめんなさい」

「おまえみたいなできそこないを一流蝶々にするために何百万かけてると思ってる? キャベツ大学に入れるためにどれだけ苦労してると思ってる? どうしてこんなできそこないが生まれてきちゃったんだろう」


 唐突にオイオイと、芋虫親はあわれっぽく泣きだした。

 舞台の上の悲劇のヒロインのよう。

 もうしわけなかった。親をこんなに悲しませるなんて。

 自分がこんな役立たずなのが悪いんだ。モグタロウは価値がない虫なんだ。

 生まれてきちゃだめだったんだ。生きていてはいけないんだ。

 消えてしまいたい。


「……うっ……えっ……」


 さっきまで我慢していた涙が、もうこらえられない。

 すかさずビンタと怒号が飛ぶ。


「泣くなっていつも言ってるだろ! スタンプカード1ポイント。これで10ポイントな」


 芋虫親は一転、ケラケラ笑いながら、スタンプカードを見せびらかした。


「待って。お願いです。やめてください」


 モグタロウは泣いて、ずんぐりの身体にすがった。


「ワ〜ン〜ポイン〜ト〜!」


 モグタロウをバカにするように、芋虫親はペタンとスタンプを押す。

 これから起こるであろうことに、ワンワン泣いた。 

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