第15話 ミチエーリ家の顛末

 シエルとライアンが席についた。そこでヴィクトルは改めて口を開いた。

「ヴィクトル=ベンダバールだ。ライアンくん。キミの話はシエルから聞かせてもらったが、改めてキミの口から聞きたい。キミは私たちに何を望む?」

 その言葉と視線に、ライアンは息を飲む。シエルと同じ色の瞳は、しかし長年の経験により深みを得たのだろう。威厳を孕んだその輝きに圧倒されて、思考がまとまらない。

 言葉に詰まっていると、膝の上に置いた手に温かい温もりが被さる。それが誰のものかなんて、考えるまでもなかった。

「……侯爵様にお願いするのはお門違いだということは承知しています。でもお願いします! 父を止めてください!」

「え?」

 半ば叫ぶように告げられた言葉に、シエルは訝しげに首を傾げた。

 父親から、家から助けてもらう。そういう意図には聞こえなかったからだ。

「父は今追い込まれています」

「それは先月の魔獣討伐失敗の件かな?」

「はい。父は国王陛下より挽回の機会を与えられましたが、そこでおぞましい計画を企てているのです。外交官であらせられる侯爵様にお頼みするのはお門違いだとわかっています。でもどうか、父を止めてください! このままでは陛下にも危険が及んでしまいます……!」

 緊張で声を震わせながら、ライアンは知っていることを全て話した。

 曰く、挽回の機会として開かれる御前試合で魔獣を召喚し、それを見事討伐せしめるという計画をライアンの父――王立騎士団の副団長は謀っているらしい。

 王都の、しかも王宮の敷地内に魔獣を召喚するなど、決して許されるものではない。そんなことは齢10歳のシエルやライアンにも容易に理解できる。だからライアンは父の暴挙を阻止しようと諫言し、大怪我を負ったのだ。

 談話室に重苦しい空気が満ちる。

「……ミチエーリが、そうか……」

 刻まれた眉間のシワを揉み解しながら、ヴィクトルは深く深く息を吐いた。明らかな動揺と困惑の表情に、シエルは少しでも父の手助けになりたいと考えを巡らせた。しかしアイデアなど浮かびもしない。

 それもそのはずである。

 これはもう子どもの出る幕ではなかった。

 目覚めてすぐにここに来たライアンはまだ朝食を摂っていない。それを理由に退室を促された2人は、落ち込んだ様子で食堂へと向かった。

「……ごめんね、シエル」

「なにが?」

「侯爵様を巻き込んじゃって」

 隣を歩くライアンは足元に視線を落として申し訳無さそうに項垂れている。そんな彼の手をシエルは優しく握った。

「ライアンが謝ることじゃないよ。それに大丈夫。父様がきっとなんとかしてくれる」

 元気を分け与えるように握る手に力を込めれば、ようやくライアンが顔を上げた。そんな彼に向かってシエルはニッと口角を上げる。 

「王家の忠臣、叡智のベンダバールの異名をご存知かな? だから心配しないで」

 まるで自分のことのように――いや、自分もその一員だからこそ自信たっぷりに、シエルは胸を張った。


◆  ◇  ◆


 あれから二週間。

 シエルは普段とあまり変わらない日々を過ごしていた。いつもと違うことと言えば無断早退と欠席を怒られたことと、ライアンが家にいること、そして自分の従者であるイザークが側にいないことぐらいだった。

 イザークは兄エルヴィンの従者として魔法研究所に赴いている。エルヴィンから頼まれ、シエルは二つ返事でそれに応じた。本人は嫌がっていたが、逆らうことはできなかった。

 ミチエーリ伯爵の企てを未然に防ぐためには、魔獣を召喚するという方法を見極める必要がある。一体それがどんなものかも判らないが、それでも一つだけハッキリしていることがある。

 魔法が使われる、ということだ。

 だからこそ、イザークに白羽の矢が立ったのだ。

 イザークが不在の間、シエルは日課のトレーニングにライアンを誘い、体力づくりや剣技の鍛錬、魔法の修練をライアンに手ほどきした。

 シエルが行う鍛錬は、筋肉の少ないライアンに合っていたようで、前日よりも一振り二振りと着実に素振りの回数が増えていくことに喜びを感じると、ラインはシエルに語った。

 それからさらに数日が経ったとある休日。シエルとライアンはヴィクトルに呼ばれて談話室を訪れた。ミチエーリの策略を阻止すべく忙しくしていた父と顔を合わせるのは久しぶりだった。

 久方ぶりに見る父の顔は疲れを残していたが、その表情に曇りはない。それだけで、シエルは状況を正しく理解した。

 そして慣れたソファに腰掛けることなく、深々と頭を下げる。

「ご尽力いただき、ありがとうございます」

「――頭を上げなさい、シエル。そんな他人行儀はやめてくれ」

 本当に困っている声音に、シエルは顔を上げてちょっと悪戯っぽく笑った。そしてライアンを伴って父の前に腰掛ける。その瞳は好奇心で輝いていた。

「それでどうなったんですか?」

「その前にまずはライアンくん。君は全てを聞く権利があるが、君の意思を確認したい。……全てを知る覚悟はあるかい?」

 ヴィクトルの優しい眼差しの先には、緊張した面持ちのライアンがいる。シエルにとっては、父や兄たちの活躍の話だが、彼にとっては生まれ育った家の、家族の末路の話だ。シエルは自分の配慮のなさを恥じ、そしてきつく握りしめられたライアンの拳をそっと握った。

 長い沈黙のあと、ライアンは固く結んだ拳を開き、顔を上げた。縋るようにシエルの手を握り返しながら、それでも毅然と前を向いて。

「教えてください。ミチエーリ家の……僕たちの顛末を」

 澄んだ菜の花色の瞳をまっすぐに見つめ、ヴィクトルはその覚悟に応えるように一つ頷いた。


 それは長く、そして予想通り重い話だった。その話の間、ライアンはシエルの手を一度も離さなかったし、シエルも振り払うことはしなかった。

「ミチエーリ家は爵位剝奪の上、西方辺境伯預かりとなる。ミチエーリ元伯爵及び長男次男は西方辺境騎士団に所属し、西方守護の一翼を担うこととなった」

 その処遇にライアンの手から少しだけ力が抜けた。王都で、しかも国王の御前で魔獣を召喚するということは、ともすれば国家反逆罪に相当してもおかしくない暴挙である。未然に防がれたとはいえ、本来であれば処刑待ったなしだ。それを覚悟していたのだろうライアンが安堵したのが伝わってきて、シエルも小さく息を吐いた。

「……あの、父様。ライアンはどうなるのですか?」

 何よりも重要なことを、シエルが改めて問いかけたのは、ミチエーリ家の処遇の話に、ライアンについては触れられなかったからだ。

 長く語って喉が渇いたのか、それとも空気を変えたかったのか、まるで余韻を持たせるようにゆっくりとカップを傾ける父は、シエルの疑問にニッと笑った。今日会って初めて見る父の笑顔に、しかし彼の意図が判らずシエルは首を傾げる。

 すると狙いすましたかのようなタイミングで、談話室の扉からノックの音が転がり込んできた。

 困惑するシエルたちをよそに、応じるヴィクトルの声は明るく高らかに響いた。そしてゆっくりと開かれた扉から現れたのは、兄エルヴィンだった。

「話は済みましたか?」

「あぁ。ちょうどミチエーリ家のその後を伝えたところだ」

「それは良かった。……どうぞ、お入りください」

 イザークが廊下にいる誰かに話しかけている。しかしその見当もつかないシエルは、兄に招き入れられた人物を見て驚愕に目を見開いた。

「トルメンタ伯爵⁉ どうしてこちらに?」

 今回の一件は魔法研究所が一役を買ったことは先ほど父から説明を受けた。そしてトルメンタ伯爵は魔法研究所の所長である。つまり今回の功労者の一人であることは間違いないのだが、そんな彼が家を訪ねてくる理由が判らない。

 シエルの問いかけに、クロード=トルメンタはニヤリと笑った。それは先ほどの父の表情を彷彿とさせる笑みで、シエルの中に一つの予想が芽生える。

「そちらの少年が、今回の件の告発者かな? 私はクロード=トルメンタだ。君の勇気に敬意を表する。君のおかげで王国の安寧が保たれたよ。本当にありがとう」

 トルメンタ伯爵はまっすぐにライアンの前に歩み寄り、そして優しい声音で丁寧に礼を述べた。シエルはどこか期待めいた表情で伯爵を見、そして彼の視線の先にいるライアンを見た。

 ライアンはまるで転がり落ちてしまいそうなほどに目を見開き固まっている。困惑が限度を超えたのだろう。

 この二週間と少しの間、ライアンはずっと思い悩んでいた。だってこれは自分の生まれ育った家が原因で、自分がもっと強く賢ければ、シエルやヴィクトルに頼ることなく解決できたかもしれないのだ。

 それに何より、自分だってミチエーリの血筋である。罵られることはあっても、こんな礼を言われるなんて思ってもいなかった。

 そんな彼の苦悩をシエルは知っていた。そして今まさにそれが彼の心をさいなんでいることも理解できた。だからシエルはそっと彼の手を握る。大丈夫だよと安心させるように、受け入れていいんだよと勇気づけるように。

「……ミチエーリのために、ご尽力いただき……っ、本当にありがとうございますっ!」

 シエルの手を一度ぎゅっと握り返し、ライアンは深く深く頭を下げた。嗚咽に震える肩にそっと触れたクロードは彼の目線に合わせるようにしゃがみ、涙に潤む瞳をまっすぐに見つめた。

「……君はシェリーによく似ている。堪え性なところもそっくりだ」

「母をご存じなのですか?」

 ライアンの母が床に臥すようになったのはまだライアンが幼かった頃だ。そして父は息子を騎士にすることだけに関心を注いだ。そのせいなのか他に要因があるかはわからないが、ライアンは親戚を知らない。自身の祖父母にすら会ったことがなかった。

「私と君の母シェリーは従兄妹なんだ。まるで兄妹のように毎日を過ごしていた時期もある。……穏やかで思いやりのある子だった。君はそんなシェリーの気質をしっかりと受け継いだようだね」

 クロードの語る真実に、シエルは自分の予想が確信に変わる瞬間を確かに感じた。自分と同じようにライアンたちを静かに見守る父へと視線を向ければ、一つしっかりと首肯される。

 ライアンをずっと家に置いておくわけにはいかない。それくらいシエルにだって判っていた。自分の秘密を守るため、そして彼を巻き込まないためにも別の居場所を見つける必要があった。

 実はシエルはアマリアに頼んで、寄宿舎の資料をいくつか集めていた。王都には労働や学業のために地方から来る人を迎え入れる施設がいくつか存在しているのを知っていたのだ。

 でもどうやらそれは必要ないらしい。もっと素敵な場所を、父はしっかりと見つけてくれていた。

「君さえよければ、家の養子にならないか? 我が家も妻を亡くし、私と娘と使用人たちしかいない静かな家だが、その分穏やかに暮らせるだろう。それに家の料理人は腕利きだ。君もきっと気に入ってくれるはずだし、たくさん食べてくれると料理人たちが喜ぶ」

 夏休みの最後の方でシエルはライアンを誘った。

 あの時とは、誘い文句も、誘う場所も、自分たちを取り巻く状況も何もかもが違う。

 ライアンは涙を溜めながら大きく頷いた。そしてまるで縋るように、希うようにクロードの大きな手を取った。

「……っ。ありがっ……っ。ありがとう……っ、ございます……っ!」

 もうすぐ秋の二月目。

 大人たちからしてみれば目を瞠るようなスピード解決だったが、シエルや何よりライアンにとってとても長い戦いがようやく幕を閉じたのだった。


◆  ◇  ◆


 仄暗い空間に舌打ちの音が響く。

 計画は失敗した。

 あの忌まわしい結界を内側から破ることは叶わなかった。

 ならば次だ。次は如何様に食い破ろうか。


「待ってイロ。必ず手に入レル」


 耳障りな哄笑が仄暗い空間をいつまでもいつまでも満たしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

男装令嬢と魔眼の王子 流依 @rui_1214

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ