7


セレモニーの楽しげな音が遠くなるまで、北の空を二人で走った。カシオペア座のそばを通り過ぎるとき、彼女がこちらに向かってウィンクした。ソウタはなんとか手を振った。ほんとうは、あなたとてんびん座を信じてよかったとお礼を伝えたかったけど、走るのをやめることはできなかった。カシオペア座は軽やかに手を振り返して見送ってくれた。

それから打楽器の音が聞こえなくなるまで走って、やっと腰を下ろしたのだった。

「つかれた、つかれた」と呟いて、ケイスケは息をついた。

彼はズボンのポケットからなにか取り出して、ソウタに渡した。それは手のひらと同じサイズの銀色のパウチで、表のラベルにapple juiceと書かれていた。

「ジュース?」

「船の備品のやつ」

「宇宙食のジュース初めて見る」

「ふつうのジュースよ」

平たいパウチの上のほうにストローをさす場所の目印があり、ストローはパウチに沿うように付けられている。ケイスケはすでにストローをくわえている。ソウタもケイスケの真似をして、硬めのストローを思ったより柔らかい飲み口にさして、飲む。ケイスケの言ったとおりふつうのジュース、学校帰りのスーパーで買う紙パックのりんごジュースと同じ味がする。

「星座、けっこうみんなおしゃべり」

 ケイスケが言った。ソウタは、いて座、しし座、うお座……と出会った星座たちを順に思い出していった。ほとんどの星座が、明るく、はきはきと喋り、みんなソウタを歓迎してくれた。

「さそり座はあんまり喋らないんだね」ソウタが言った。

「確かに無口やったな。でも、なんでも教えてくれるしめっちゃ親切にしてくれた」

「てんびん座はほんとうに喋らないみたい」

「建物やもんな、あんな神殿みたいな」

「ああでも、かみのけ座はすごい喋ってたよ」

「僕も会ったけどあれびっくりしたな」

「ふさふさが喋ってたもんね」

「そうふさふさが、あ、流れ星」

「ほんとだ!彗星かな」

「あっちにずっといったらオールトの雲がある、ってさそり座が言ってた」

「オールトの雲?」

「彗星の生まれるところらしい」

「そうなんだ。……彗星とぼくって似てるのかな」

「そうなん?」

「星座に会うたびに『彗星の子?』ってきかれたから、似てるのかなって」

「へえ、気になるなそれ。なんやろ、星からしたら、地球生まれの僕らも若い彗星も生まれて間もないエネルギーやから、もしかしたらおんなじに見えるんちゃう?」

「ぼく生まれたてって思われてたのかな」

「まあ星の寿命からしたら僕らなんて赤ん坊やろうな」

「ケイスケくんも生まれたて?」

「そう、星空では僕ら生まれたての幼子よ」

 また遠いところを、尾を引く光の粒が走り去った。

 ケイスケはさっき走ってきた方を眺めている。どれがどの星かわからないけど、北極星だけはよくわかる。

「さっきの、こぐま座となにしてたの?」

 ソウタが訊くと、ケイスケは「んー」とうなった。目を細めて、軽く眉間にしわが寄っている。笑ったときもそうだけど、考えているときもケイスケの眉は八の字に傾く。少し間があいて、八の字眉のまま、ケイスケは「わからん」と言った。

「え?」

「あのー。クマの親子が降りたって、どうもーって挨拶して、こぐま座の目ぇ見たらきらきらで、なんかすごい、きらきらしてんなーって見つめてたら、二匹とも帰ってしまって、急にみんな盛り上がり始めて、いて座がよかったーって肩組んできて、だから、まあ、その、僕はこぐま座の目ぇきらきらーって思ってただけで儀式が終わってたというか、まあ、そういう……」

「……目がきらきら」

「そう、目ぇきらきらで、毛並みふわふわ」

「ふわふわ」

「きらきらでふわふわ」

「きらきらでふわふわ?」

ふたりは顔を見合わせて笑った。きらきらでふわふわだったら、そっち見ちゃうね。そう、そっちばっかり見てしまったなあ。

満天の星空のさなかに並んで座って、ふたりはジュースを飲んだ。星空に音はなく、風もなく、ただ星の光があり、りんごジュースの味がする。

ソウタはぼんやりとした。ケイスケと並んでただぼんやり星を眺めていて、ときどき言葉を交わした。ソウタは静かな気分で、でもそこらじゅうを転げまわりたいほど楽しかった。この感覚を幸せとか呼ぶこともあるのだというのを、ソウタはまだ考えたりしない。そんなこと思いつかなくても、それが素敵な気分であることに変わりはないのだ。

 ソウタはふとあくびをした。

「眠たかったら寝てええよ」

「えー、寝ないよ」

「無理したらあかんよ、ほら、ここ頭乗せなさい」

 ケイスケはソウタの肩を抱えて、自分の太もものあたりにソウタの頭を乗せた。横になっても、星空の見え方は変わらなかった。横になると、ソウタはほんとうに眠たくなってきた。

「寝てもええからね」

「寝ないってば」

「地球の子は夜になったら寝なあかんから、ほんまは」

「なにそれ」

「まあ、星空はずっと夜みたいなもんやけど」

「じゃあ、ケイスケくんも寝ないと。夜だよ」

「僕はもう、ええのよ」

「なんで?」

「僕は、星になったから」

「……そっか」

「うん」

 ソウタとケイスケは、黙ったまま星空を眺めていた。星空には、たくさんの星が浮かんでいて、そのどれもがちがう色、ちがう光、ちがう大きさ、ちがう動きをしていた。近づいたり、遠ざかったり、自分のいる場所を変えたりすれば、そのぶん見え方が変わる。ソウタは、近くで見た木星は甘くておいしそうだったなと思い出していた。時おり彗星が走り去り、ソウタの目に光の尾の残像を残していった。

「ねえ」ソウタは気になっていることを訊くことにした。

「ケイスケくん、星になったらどうなるの。星になるって、なに?」

「んー、星になったら、星空で、北の空がええかな、カシオペア座とかと並んで、で、そうやなあ、地球でも眺めとこうかなあ」

「ケイスケくんは北の空にいるの?」

「たぶんね。きっとヒマやし、地球のソウタのことでも眺めとくわ、なにしてんのかなーって」

「え、なんか恥ずかしいそれ。じゃあぼくも、ケイスケくんがちゃんと星やってるか毎日見ようかな」

「おお、プレッシャーかけるなあ。ええよ、晴れた夜はちゃんと北の空チェックしといて」

「曇ってても見るよ」

「見えへんて」

「見るよ、北の空に視線ビーム飛ばすから」

「視線ビーム?」

「なんか、カシオペア座が言ってたよ、視線がまっすぐ飛んでくるの、感じてる、わかるって」

「へえー。じゃあ、ソウタ律儀やから、ソウタの視線ビームは一発でわかりそうやな」

「律儀なの?ぼく」

「うん。律儀というか、真面目というか、素直でええ子というか」

「なんか、恥ずかしい感じする」

「恥ずかしないよ、ええことよ」

 ソウタはまたあくびをした。

「ほらもう、ソウタくんはおねむやから」

「そんなことない」

「夜遅くに来てもらったからなあ、ありがとうね」

「ううん、楽しいよ、ずっとここに居たい」

 ソウタは寝返りを打って、ちょうど真上を向いた。ケイスケの顎から首にかけての輪郭はすっきりとしていて、その背景はやはり満天の星空だった。遥か遠くで光の線が一瞬現れ、じわりと消えていく。ソウタのまぶたがとろとろ落ちていくさなか、ケイスケがソウタの顔をのぞき込んだ。ケイスケの目から淡い光がこぼれて、長いまつ毛がやけにはっきりと見える。ケイスケはソウタの目を見て、困ったように微笑む。

そうか、ほんとうに、ケイスケくんは星になるんだね。

「おやすみ、ソウタ」

 ケイスケはソウタの頭にやさしく手を置いた。手も、声も、あたたかい。

「おやすみ、ケイスケくん」

ソウタが眠りに落ちるまでのほんの一瞬、まぶたの裏に星の光が輝いてやまない。





 カーテンが少し開いていて、そこから差す光が室内を仄明るく照らしている。ソウタは鼻先の冷たさで、今朝も寒いことを知った。布団から出たくなくてじっとしていると、さっきまで見ていた夢のことが思い出された。

 ケイスケくんと会った。その前にはこの部屋までいて座が迎えに来たし、ふたご座と手を繋いで歩いたり、木星を間近で眺めたりした。星空は静かで鮮やかで、すごくいい夢を見ていた、夢じゃないみたいな、素敵な夢。ずっとあの星空に居たかった、ぼくも南十字星を見に行きたかった、ケイスケくんと。夢の中のケイスケくんはいつも通りで、夢だったけど本当に会えたみたいだ。

 ソウタは軽く息を吸い込んで、布団から抜け出した。上着を急いで羽織り、カーテンを勢いよく開いた。朝日は部屋を迷いなく照らした。ソウタは眩しくて思わず目を閉じる。次の映像電話は二か月後、春ではないが、冬の出口にさしかかる頃だ。次は何の話をするだろう。さっきの夢の話をしてみようか、再来月まで覚えていられるかわからないけど。ケイスケくんはなんて言うだろう、困ったような顔で笑ってくれるだろうか。

部屋の中でも吐く息が白くなる。薄く開けた目が、朝の空を見ている。朝の空は透けた水色にうっすらオレンジ色が差していて、この空の向こうには見えないだけで星空が広がっていることをソウタは知っている。





 星空の夢をみることは、それから一度もなかった。

 しばらく経って、知らせが届いた。ケイスケの乗っていた宇宙船と連絡が取れなくなったということだった。宇宙船が行方不明になったことは大きなニュースになり、連日報じられた。ケイスケの家にはカメラやマイクを持った人が押しかけたが、ケイスケの家族は宇宙センターの本部に向かっていたので留守だった。





この話は、ぼくが子どもだったときのできごとだ。すっかり大人になったぼくはいま、天文学の研究者として、北半球にある観測所で働いている。

 あの不思議で楽しい星空の夢をみてから今日まで、ぼくは毎晩北の空を見上げて、視線ビームを送っている。雲がかかっている夜もあるけど、まあなんとかなるでしょと思って、せめて晴れている夜より長めにビームを飛ばしている。

 出張や研究の一環で南半球の観測所に行ったときは、南半球でしか観測できない星に視線ビームを送ることにしている。こうしておけば、ケイスケくんが南の空に出かけたとき、カメレオン座や南十字星がぼくの熱心なビームの話をケイスケくんにしてくれるかもしれないから……。カメレオン座がお喋りする星座だったらいいのだけれど。

 どんな一日にも、律儀に夜はやってくる。地球の子であるぼくは夜になったら眠らないといけない。研究者になったらもっとたくさん夜更かしできるかなと思っていたけど、星を見るとき以外は、なんだかんだ夜はちゃんと眠っていることが多い。きっとぼくは眠気に対しても律儀で素直なのだろう。

ぼくが北の空にビームを飛ばすのは、眠る前が多い。

「おやすみなさい。ケイスケくんが素敵な夜を過ごせますように」



◆ おしまい

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Good Night 杉本蓮 @SetoY

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