【雑記】量子力学

 生まれてから今までいろいろなことを学んできたが、「おお、そんな概念があるのか!」という素朴な驚きを得られた経験というのは意外とないのでは。先日ふと、そんなことを思い、記憶をたぐってみた。ひとつ思い当たった。それは、学部一年生か二年生のころの、量子力学入門の講義だった。

 それまでは、いわゆる古典的実在論の世界観しか知らないわけである。物理量というのは数、あるいはいくつかの数の組で、それらが時間発展している。確率的な事象も当然考えるが、その場合は単に、数や数の組が確率的に混ざっているということだ。

 いっぽうで、量子力学の世界では事象は本質的に確率的であるだの、生きた猫と死んだ猫が重なっているだの、というのは、お話としては聞き齧っていた。ただ、それが実際のところどういうことなのか、どういうふうにして記述されるのか、ということまでは知らなかった。

 そういう状態で、量子力学の講義を受けた。物理量は演算子なのだという。演算子には固有値と固有状態があり、物理量を観測すると固有値の値が得られるのだという。あらゆる状態は係数のかかった固有状態の重ね合わせで、それぞれの固有状態の係数の大きさが、対応する固有値が観測される確率なのだという。そんな枠組みは考えたこともなかった。しかし、非常に綺麗につじつまがあっていて、聞き齧っていたお話とも整合していた。


 昨今、巷で「量子力学」と言えば、波動であり、引き寄せの法則であるようだ。怖いもの見たさで覗いてみれば、そこで語られているのは、幸福をイメージすると実際に幸福になりやすいだの、感謝をすることが大切だの、なんのおもしろみもない、ありきたりな人生論でしかなく、それを誤用だらけの「科学用語」で飾り立てるだけで商売が成立してしまう現実に嫌気がさす。

 広くひとびとが学ぶには、「ちゃんとした」量子力学は難し過ぎる、というのは重々承知している。ただ、「ちゃんとした」科学の世界には、似非科学などよりもはるかに広い世界が広がっている。その世界の片隅をほんの少し垣間見るひとよりも、ありきたりな似非科学の世界にずぶずぶとはまりこむのひとのほうがずっと多いであろうということは、たびたび、悲しくなる。


追記。

 量子力学関連の一般書としては、渡辺慧『時』がおすすめです。本書中で述べられる「観測がエントロピー増大則と時間の不可逆性の起源である」という仮説は現代的にはおそらく間違っているので、本書に書かれていることが科学的に正しいわけではないという点には注意が必要です。ですが、科学的思索と日常レベルの思索がどう接続し得るかの実例としては、非常におもしろいと思います。

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現代アートとかについての雑文 オキタクミ @takumiOKI

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