迷子のご令嬢と幼なじみの青年

彩瀬あいり

迷子のご令嬢と幼なじみの青年

 狭い路地の片隅で、スカートの裾が汚れるのも厭わず、アンジェラはしゃがみこんでいた。背の高い建物に挟まれた小路はやや薄暗く、まるで自分のこころを反映しているようだと感じる。


(人生の袋小路って、きっとこういうことを言うんだわ)


 十八歳になったばかりの少女は大きくため息を落とした。

 ゆるく波打ったブロンドの髪が頬を流れ、表情を覆い隠す。サファイアのような美しい瞳も、今日ばかりは陰鬱な気持ちを反映した暗い輝きを宿している。


 生きていれば悩みはあるもので、ここ王都でも五本の指に入るといわれるボルガッティ商会のご令嬢であるアンジェラとて例外ではない。

 使用人を多く抱えるお邸に生まれ、衣食住に困ったことはないし、初等科から通う王立学院の勉強だって平均値を維持。優秀な兄との仲はべつに悪くないし、女友達にも恵まれている。順風満帆。このままなんとなく生きていくのだろうと思っていたのに、学院卒業を間近に控えて急転直下の事態に陥ることになろうとは、アンジェラは想定していなかったのだ。


(婚約者とか、なんで急に? たしかに同じクラスの女の子たちにそういう話が出ているのは聞いたりしていたけど、わたしはそういうの関係ないって思っていたし)


 白い肌に薔薇色の頬、天使のようだと褒めそやされ、それはもう可愛がられた。

 兄とは七つほど年が離れているうえ、唯一の女の子。家族のなかではずっと「子ども」の立ち位置にいた。

 アンジェラ自身、結婚というものに対する実感も薄く、現実的なものとして捉えていなかった。

 だというのに今朝、唐突に父が言ったのだ。「アンジー、卒業したら正式に婚約をして、そろそろ花嫁修業をしようか」と。


 同じ食卓についている母親はにこやかに笑っているだけだし、部屋の隅で控えている父の側近護衛は、太い眉をキリリと寄せたまま、いつものようにどっしりと構えている。門衛にも心配されるほど蒼白な顔色で馬車に乗って学院へ向かい、その帰り道、ベテラン御者に頼んでこうして町に立ち寄ってもらった。


 元気のなさから気分転換が必要だろうと考えてくれたのだろう。とくになにも訊かず応じてくれた。

 城下町は治安も整っており、若い娘のひとり歩きが咎められることもない。

 また、ボルガッティ商会の本店もあるので、幼いころから彼女を見知っているひとも多い。人の目が行き届いているため、箱入り娘がひとりでいても容認されているのだ。


 問題があるとすれば、アンジェラ・ボルガッティが極度の方向音痴ということである。


 馬車を降りて目的地まで歩いていたつもりが、いつのまにか路地に迷い込んでいた。いったいどこで間違えたのかさっぱりわからない。すこし休憩しようと路地に入ったはいいけれど、婚約者問題を思い出して憂鬱になってしまったという状態だ。

 最悪だ。もうこのまま知らない場所へ行ってしまおうか。

 石畳を見つめて何度目かのため息を落としたとき、路地の入口をふさぐように影が差した。


「やっと見つけた」

「ルイス……」


 短めの黒髪を乱し、肩で息をしながらこちらを覗き込んでいるのは、ルイス・アスタル。アンジェラが会いに行こうとしていた青年である。


「今日はまた随分と遠くまで歩きましたね」

「そうなの?」

「そうなんですよ」

「どうりで見覚えがない道だと思ったわ」


 ぼんやりと答えを返すと、ルイスは柳眉を寄せる。濃紺色の瞳はこちらを咎めているように思えて、アンジェラは哀しくなる。

 哀しくはなったが、自分のくちから出てくるのは悪態だった。完全な八つ当たりだとわかっているが、止められない。せっかく会いに行こうと思っていたのに、なんて冷たい対応。


「ルイスはわたしのことなんて、どうでもいいのね」

「何を言っているんですか」

「ほら、またそういう言い方をする。もっと普通に話してって言ってるのに」

「ですがお嬢さま――」

「たしかにルイスのお父さまやお兄さまは我が家の使用人だけど、ルイスは違うじゃない」


 ルイス・アスタルの家族は、ボルガッティ家の使用人として仕えている。

 彼の父親はアンジェラの父親の友人であり、側近かつ護衛として傍に付き従っている仲だ。二人いるルイスの兄たちもそれぞれ用心棒としてお邸や店の治安を護っており、アンジェラにとっては幼いころから知っている家族のような存在だった。

 当然ルイスも同じような職務に就くと思っていたのに、十六歳になったとたん、彼はお邸を出て城下町の治安部隊へ入隊してしまったのだ。


「ルイスはうちの使用人じゃないから、わたしもお嬢さまじゃないの!」


 主家の娘ではないけれど、アンジェラは都では名の知れた商会のお嬢さまではある。それなりに丁寧にされる立場にいることは自覚しているけれど、それでもルイスにそうやって距離を置かれるのは嫌なのだ。

 ふくれっ面で睨みつけていると、ややあってルイスは嘆息する。


「……ほんと強情なお嬢さまだよ」


 今度の『お嬢さま』は、言葉は同じでもそこに含まれている意味や感情は異なっていることがわかった。小さなころはいつも一緒にいて、ともに成長してきた仲である。ちょっとした表情や声色で感情を読み取ることなど造作もない。


「それで、なんだってこんな場所にまで来たんだよ」

「来たくて来たわけじゃないわよ。ルイスのところに行こうと思っていたら、なぜかここにいるだけで」

「アンは筋金入りの方向音痴なんだから、素直に引率してもらえばいいのに。心配してたぞ」


 少女の姿を見失った御者は、すぐに警備隊の詰所を訪ねた。ボルガッティ家の御者の姿は知られており、彼が訪れたとたんルイスが呼ばれる。アンジェラの迷子癖は隊では有名で、ルイスは『アンジェラ係』と呼ばれているらしい。


「こ、このあたりは知らない場所じゃないもの。ひとりでも平気よ」

「お邸の敷地内で迷子になってたやつがよく言うよ」

「う、うるさいわね。そんなちっちゃいころのことを持ち出さないで!」


 頬が熱くなる。侵入者対策として作られた園庭で迷子になったのは確かだけれど、そんなものはもっと幼いころの話。成人を迎えんとする年齢にもなって、さすがに自宅で迷うことなんてないはず。

 言い返すとルイスが笑う。その笑顔を見て、アンジェラの胸がずきんと痛くなった。

 いつもはもっと楽しいドキドキを覚えるのに、今日はぎゅうっと苦しい気持ちに襲われてしまったのは、婚約者の話を聞いたせいだろう。


(お父さまのばか)

 どうして婚約者なんて決めたのだ。

 アンジェラはルイスがいいのに。誰とも知らない男のひとと結婚なんて絶対にしたくない。


 俯き、唇を噛む。

 いつもと様子がちがうことに気づいたか、ルイスが心配そうに声をかけてきた。


「どうした。さすがに疲れたのか?」

「……うん、つかれた」

「もうすこし歩いたところにベンチがあるんだ。そこまで行けるか?」


 言ってルイスの手が差し出される。その手を取って立ち上がり、導かれるままに歩き出した。歩調はいつもよりかなりゆっくりとしており、さきほどアンジェラがもらした「疲れた」のひとことを重んじてのことだろうと知れる。


 ルイスはいつもこうだ。

 アンジェラが迷子になりうずくまっていると必ず迎えに来て、こうして手を引いて歩いてくれる。

 幼い子どもの足では広すぎる庭も、お邸内も、買い物に出かけた町の中も。

 いつだって手をつないで一緒に歩いた。

 年はひとつしか違わないのに、いつのまにか見上げるほどの背丈になり、アンジェラの手をすっぽり包んでしまうぐらいに手のひらが大きくなったけれど、その距離は変わらずにいた。それだけは変わらないと思っていた。ルイスが家を出るまでは。



 アンジェラにとってアスタル家は、一緒にいるのが当たり前の存在だった。

 曾祖父が興したボルガッティ商会。祖父の代になって業績を伸ばすにつれ、店だけではなく自宅への侵入者対策も必要となり、父が友人夫婦を雇い入れたのだと聞いている。アンジェラが生まれるよりもずっと前のことだ。


 ルイスの兄たちはアンジェラを妹のように可愛がってくれたし、アンジェラもまた彼らを兄のように慕っている。

 長じるにつれ、彼らは使用人としての振る舞いをするようにはなったけれど、第三者の目が届かないような場所では、いままでどおり妹扱いをしてくれることが嬉しい。

 なのにルイスときたら、気づけば距離を置くようになった。そのうえボルガッティ家の仕事ではなく、外へ出ることを望んだのだ。とんだ裏切りである。


 アンジェラの兄の護衛を、同年齢のアスタル家の長男が勤めているように、アンジェラの護衛はルイスが担ってくれると思っていた。

 周囲の者もそういう認識であったし、だからアスタル家の次男は門衛を志願し、侵入者対策に専念していたのだろう。

 町に出かけるときはルイスが付いていたし、とにかく迷子になるアンジェラを見つけるのはルイスの仕事だった。どこへ向かえばいいのかさっぱりわからないアンジェラにとって、迷いなく進むルイスの姿は頼もしくて、ずっと一緒にいてくれるのだと信じていたのだ。


「だって俺は兄貴たちとは違うし」と本人が言うとおり、彼の兄たちと比べると体つきは小さい。アルタル家の男子は筋骨隆々で、いかにも腕っぷしが強そうな体格をしているのだが、ルイスは亡くなった母親に似たらしく、筋肉がつきにくいようだ。同じようにトレーニングに励んでも腕は太くならず、差は開く一方だった。


(用心棒にはなれなかったとしても、お邸で他の仕事をすればいいじゃない)

 アンジェラはそう思うのだけれど、本人はそれをよしとしなかったようだ。知らないあいだに話がついていて、ルイスは町の警備隊へ行ってしまった。


 警備隊は国営組織ではなく、城下町の商業組合が後援している民間の団体である。

 はじまりはちいさなものだったが規模が広がり、いまとなっては国からの補助金が出るほどの組織に成長している。当然厳しい訓練もあるし、町の治安維持のために暴力沙汰・揉め事、さまざまなトラブルに対処する能力も必要となる。一般人の就職先として考えるとかなり良い部類に入るだろう。

 商業組合の二大巨頭であるボルガッティ家も懇意にしており、今の隊長はルイスの母方の伯父。迷子の常連だったアンジェラを探すルイスの姿は知られており、ルイスもまた警備隊を頼りにしていたらしい。自然と地理に詳しくなり、裏路地も近道も把握するまでにいたったルイスは、むしろ乞われて入隊している。


 まあようするに、ルイスが隊員になる土台を作り上げたのは、他ならぬアンジェラ自身なのであった。

 そこはかとなく自覚はあるのだけれど、だからといって諸手をあげて歓迎するかといえばそうではない。今はダメでもいずれは隣に戻ってきてくれたらいいかなあと己に言い聞かせていたところ、浮上したのが婚約者。


 ――そんなの絶対ダメなんだから!


 断固拒否。家に戻ったら父に直談判するつもりで、そのまえにルイスに会いにきたのは、彼がどう思っているのかを知りたかったからだった。

 ルイスは優しい。だからアンジェラは彼にとって特別な存在なのだと思っていたけど、ルイスがボルガッティ家を出て隊の寮で暮らし始め、物理的に距離が離れてから気づいた事実は、彼はみんなに優しいということだった。

 学院の友達が言うには、警備隊にいる黒髪の若い隊員は人気があるらしい。通学の最中、馬車の窓からは、ルイスが知らない女の子と話している姿を何度も見かけている。


 王都の城下町は人気のお店が立ち並び、貴族街からの買い物客も多い。若者は外商ではなく直接店舗を訪れる場合が多く、それらをあてこんだカフェや軽食屋も増えているのが現状だ。

 荒っぽい隊員も多い中、物腰は柔らかく礼儀正しい年若い青年に道案内をされたいご令嬢は多いことだろう。なんだったらそのままお茶に誘いをかけるかもしれない。

 そんな話を警備隊のひとから聞いたこともある。アンジェラがルイスにご執心なのはやはり周知の事実なので、おせっかい、あるいはおもしろがって、ルイスのあれこれを教えてくれるお兄さんたちが多かった。

 とぼとぼと歩いていると、余計に気落ちしてくる。

 しかし同時に怒りも蓄積されてきた。浮き沈みの激しい胸の内は態度に出ているのか、隣を歩くルイスが問いかけてくる。


「なあ、何かあったのか?」

「あったっていうか、あるのはたぶんこれからなんだけど」

「まったく意味がわからんのだが、突拍子もないことをやらかすんだろうなってことはわかった」

「なによそれ。そんな変なことはしないもの。ただお父さまに喧嘩を売るだけ」

「じゅうぶん突拍子もないじゃないか。旦那さまの何が不満なんだよ、娘にはいつだって甘いだろ」


 呆れたように言われたので、アンジェラはついにそれをくちにする。


「だって、学院を卒業したら知らない誰かと結婚しろって言うのよ」


 正確には「婚約して花嫁修業を始めよう」なのだが、アンジェラにとってそれはもはや『即結婚』と同義。

 ルイスはどう思う? と続けて訊いてみようと決意したとき、ルイスの歩みが止まった。アンジェラは問う。


「ルイス?」

「…………は? けっ、こん? 嘘だろ?」

「な、なんでうそなの。わたしだって女の子だし、十八歳だし、学院の友達にもそういう子はたくさんいるし、だからわたしにだってそんな話があってもべつにおかしくはないし」


 アンみたいなお子ちゃまに結婚話なんてあるわけねえだろ、という声なき声を勝手にキャッチして、反論がこぼれる。

 嘘であってほしいのはアンジェラだって同じなのに、ルイスに『女性』として認識されていないのは腹が立つ。乙女心は複雑なのだ。


「今から何かあるっていうのは、家に帰ればその相手がいるってことなのか? どこのどいつだよ」

「知らないわよ。聞いたの今朝だし、どんなひとか知っていたら殴りに行ってるわ、グーで」


 握りこぶしを突き出すと、ルイスがため息をつく。


「アンのグーパンにどれほどの威力もないと思うけど」

「ルイスのお兄さまもお父さまも痛がってるわよ」

「……親父も兄貴もゲロ甘だな」


 そこで大きく肩を落として、ルイスはついにうずくまった。

 こんな姿は見たことがない。アンジェラの知るかぎり、ルイスはいつでも前を向いて突き進み、我が道を行くひとだ。自分で決めて、町の警備隊に入って、アンジェラのことなんてただの幼なじみとして扱って、もっと遠くに行ってしまうに違いないと思っていたのに、とてもめずらしい弱った態度である。


「ルイスのそんな弱々しい姿、ひさしぶりに見たわ。いつもゴーイングマイウェイなのに」

「それはアンだろ。方向音痴のくせに妙に自信もって進んでいく。だから俺はどこにいても見つけられるように、町の地理を頭に叩き込んだんだ」

「町に詳しくなったから警備隊に入ったの?」


 努力が将来の道につながったことは、本来であれば喜ばしい。

 アンジェラのためにおこなったことが、アンジェラから距離を生むことになっているのは哀しいけれど。

 するとルイスは静かに首を振った。


「違うよ。警備隊に入ったのは、そうすればすぐにアンを見つけられるし、町歩きのときに俺じゃない誰かがアンの道案内をすることはない。この先、他の誰かがその役を担って隣を歩いたり手を引いたりするのを見る心配はなくなるぞ――って伯父さんに唆されたんだ」


 ボルガッティ家の用心棒としては体格に恵まれていなかった甥を不憫に思ったのか、母方の伯父は将来の道に悩む少年に囁いたらしい。

 アンジェラの役に立つ仕事は、なにも内側にだけあるものではない。むしろ邸の外側に在ることで守護の幅は広がるはずだ。

 大きくなれば行動範囲が広がってゆく。名家の子どもとなれば、それは自然の流れ。

 商会とつながりが深い町の治安を守る警備隊にいれば、大人になったアンジェラのサポートができるようになる。要人警護も仕事のひとつだからだ。


 ルイスが訥々と語り、アンジェラはただぼんやりとそれを聞いていた。

 なんだそれは。いろいろと初めて知る事実に頭がついていかない。


「ルイスはわたしの傍にいるより、町のお仕事のほうが好きなんだと思ってた……」

「むしろ傍にいるために、あの家を出たんだよ。実績を積んで、旦那さまに認めてもらうつもりだったのに」

「……べつに出ていかなくてもいいじゃない。うちから通えば」

「独り立ちもできない男に、大事な娘をくれるとは思えない。俺が同じ立場なら、そんな中途半端な野郎にアンは渡さないし。――なあ、いまから旦那さまに喧嘩を売りにいくって言ったよな」

「え、あ、うん」

「それ、俺も同行する。というより俺が・・行くから」


 さっきまで萎れた海藻みたいになっていたのに、ルイスは急に元気になって立ち上がった。そしてふたたびアンジェラに手を差し出す。

 乞われるままに手を伸ばすと握り返され、邸の方角へ歩き出した。


「詰所で馬車が待ってるんじゃないの?」

「いや、隊長が先に戻らせてた。帰りは俺に送らせるからって言って。くそう、今にして思えば知ってやがったな。ボルガッティ家の娘の縁談なんて、上の人間なら把握してても不思議じゃない」

「ルイス、なんだかくちが悪いわよ」

「俺はもともとこうなんだよ、知ってるだろ」


 たしかに子どものころは乱暴な口調だったけれど、お兄さま方に『使用人としての立場』を物理的に諭されてからは、努めて丁寧な物言いを心がけるようになっていった。元来の優しげな風貌と相まって、それはとても素敵に感じたけれど、困ったことに、今の荒っぽいルイスもとても魅力的なのだ。


(やっぱりルイスがいい。ルイスじゃないひとはイヤだわ)


 握った手にぎゅっと力をこめると、斜め上から見下ろされる。だからアンジェラもちらりと視線をやる。そうして目が合うと、不愉快そうに寄っていた眉間の皺が緩んでルイスが笑顔になった。アンジェラの頬も緩み、体全体があたたかくなる。

 下から見上げるこの角度のルイスもたいそう素敵だ。ううん、ずるい。もうなんだって許せてしまう。最強だ。


「ずっと不満だったのよ。ルイスってばうちを出ていって楽しそうにやっているし、でも顔を見れば嬉しいし、こうやって隣にいられると、イヤだったことぜんぶ忘れちゃうのよね、ずるいわルイスって」

「……その言葉、ぜんぶそっくりそのままアンに返すよ」


 それはつまり、アンジェラがルイスを大好きであるように、ルイスも自分を大好きでいてくれているということだろうか。もしもそうなら最強だと思う。


「ねえルイス。お父さまにわたしの結婚相手を教えてもらったら、一緒に殴りにいきましょうね」


 繋がれた手をそっと放して、アンジェラは握り拳を掲げる。

 およそシフォンケーキぐらいしか殴れなさそうな小さな拳を見て、ルイスは嘆息。


「なんで殴るって発想になるんだよ。お嬢さまのくせに物騒すぎるだろ」

「ルイスのお兄さまがよく言ってるわ。拳で語るって」

「兄貴は何を教えてるんだよ」

「おじさまも言ってるわよ」

「脳筋クソ親父」


 お邸までの道のりは、ルイスと話をしているとあっという間だ。これからはきっと、こんな時間が長く続くはず。そのための直談判。

 そこでふとルイスが足を止め、アンジェラを見つめた。その強い眼差しにドキリとしていると、ルイスがくちを開く。


「アンジェラ」

「な、なあに」

「道はそっちじゃない。ボルガッティのお邸はこっち。真逆だよ。ほんと懲りないよな」

「……し、知ってるわよ。ちょっとわざと間違えてみただけなんだから!」


 示された方向へ歩き始めたアンジェラの腕をルイスが引く。

 まだ意地悪が言い足りないのだろうか。くちの悪いルイスもたしかに好きだし、距離を置いたような丁寧口調をやめろと言ったのも自分だけど、からかわれるのは好きではない。


「なによう」

「よし、こっちの道から行こう」

「真逆だって言ったのルイスじゃない」

「すこしぐらい遠回りしたっていいだろ。道はひとつじゃないんだ。この町のどんな細い道だって俺は知ってる。作戦会議しながら帰ろう」


 迷っても、惑っても。自分が定めたゴールに辿りつければ、それでいい。

 方向音痴を嘆くアンジェラにそう言ったのは両親だった。

 アンジェラが欲しい未来を知らない父ではないはずだから、きちんと話せば婚約だってなかったことにしてくれると信じよう。

 進むべき道はきっと広く明るい。ルイスがいれば迷うことはないのだから。


 彼と彼女は歩いていく。

 これからふたりで殴りにいく予定の、まだ見ぬアンジェラ・ボルガッティの婚約者が、他ならぬルイス・アスタルであることが判明するまで。



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