第二十九章

 そこには、女の子がいた。


「え」


 体を少し震わせながら女の子に近づく。


「あ……」


 女の子が私に気づき、顔を上げた。


「こ、こんにちは……」


 彼女が小さく会釈をする。


「あ、こんにちは……」


「私、一年A組の中村なかむら陽菜ひなです」


 中村陽菜。

 いい名前だと思った。


「あ、私は霞瑞千雪、一年B組です。千雪でいいよ、よろしく」


 彼女に握手を求めると、彼女が私の手を握った。


「よろしくお願いします、千雪さん」


「じゃあ私は陽菜……ちゃんとさん、どっちがいい?」


 うーん、と彼女が首を傾げる。


「さんはちょっと……ちゃんか、あと別に呼び捨てでもいいです」


「じゃあ、陽菜ちゃんで。あと、敬語はなしでいいよ」


「あ、わかった……」


 私は近くのパイプ椅子に腰を下ろす。


「陽菜ちゃんはなんでここに?」


 なんとなく、気になったことを訊ねてみる。


「……いえ、大したことは……」


 彼女が顔を歪め、俯く。


「そっか」


 小さく頷き、「私はただの頭痛とめまい」と少し笑う。


「そうなんだ」


 ふっと彼女が頬を緩ませる。


「陽菜ちゃんって……可愛いね」


「ええ!?」


 陽菜ちゃんが驚いたように目を見開く。


 可愛いよ、と言って彼女に笑いかけると、陽菜ちゃんは顔を真っ赤にして「ありがとう……」と小さな声で答えた。


「陽菜ちゃん」


「ん?」


 陽菜ちゃんが首を傾げた。


「陽菜ちゃん……なんか顔が暗いから、悩みがあるんだろうけど……」


 彼女が「え」と動揺している。紫色の綺麗な瞳が不安そうにゆらゆらと揺れていた。


「もしも辛いなら。話す気になったら、話してもいいよ。私に思いを、悩みを、溜めていたものを、ぶつけてもいいよ」


 すっと息を吸う。


「——人間は無理しすぎると壊れるから、その前に誰かに相談して、助けを求めていいんだよ。頼っていいんだよ」


 ずっと前、零夜に屋上で言われた言葉。


 その優しい言葉を、彼女に言ってあげたかった。


「あ、」


 彼女が顔を上げた。


「ありがとう」


 陽菜ちゃんは優しい笑みを浮かべていた。


 そして彼女は話し始める。


「実は私、ふ、……不登校で……」


 弱々しい声で彼女が言った。


 うん、と頷く。


「私、勉強もできて、運動もできて、優等生だった」


「うん」


「それで、私を憎く思ったクラスメイトが私をいじめて……」


 陽菜ちゃんはその時のことを思い出しているのか、彼女の手が小刻みに震えていた。私は彼女の手をぎゅっと握る。


「それから、保健室に通い始めて。望月先生にお世話になってるの」


 彼女がこちらを向く。今にも涙が溢れそうなほど、涙が溜まっていた。


「そっか……」


 陽菜ちゃんが嗚咽を漏らしながら泣き始めた。

 私はそんな彼女の背中を優しくさする。


 すごく辛かったんだろう。


 彼女はずっと、暗い暗い闇の中に独りでいたんだ、と思った。


「——大丈夫」


 私が、いるから。

 私が、陽菜ちゃんの味方になる。


 私は彼女の背中をさすり、「大丈夫、大丈夫だよ」と繰り返していた。

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