第二十一章

「千雪、どこ行くの?」


 玄関のドアを開けると、後ろからお母さんに声をかけられた。


「高芽公園に行ってくる」


「高芽……公園」


 お母さんが考え込むような仕草をした。


「どうしたの……?」


「そういえば、私と真織が出会ったのも高芽公園だったなー、って」


 彼女がふふ、と笑う。


「そうなんだ……」


「うん。気を付けて」


「わかった。いってきます」


「いってらっしゃい」


 スニーカーを履いて、家を出た。


 すこし冷たい風が頬を撫でる。

 もう十月だ。


 ちなみに今日の服装はクリーム色のワンピース。丈は膝まであり、少し長い。


 ぼーっと周りを見ながらただただ足を動かす。五分ほどで高芽公園に着いた。


 公園の入り口を入ると緩やかな坂になっていて、ゆっくりと上る。するとそこには鉄の柵が立っていて、そこから町が見渡せた。


「綺麗……」


 私はスマホを取り出し、景色の写真を撮る。


 そしてすぐそばにあったベンチに座った。


「澄川さん」


「うわぁっ!?」


 飛び跳ねて後ろを見る。


「な、なんだ……零夜か……」


「あはは、ごめん、ごめん」


 全然反省していない顔で言った。


「驚かすのやめてよ、びっくりするじゃん」


「いや、澄川さんの反応が面白くて」


 彼はおかしそうに笑っている。


 むすっとした顔で彼を見る。


「それで、話ってなに?」


「あ、うん」


 二人で景色を見ながらベンチに座る。


「実は……」


 彼に、これまでのことを話した。


 学校に行かなくなったのは本当の母親らしき人を見つけたため、と少し嘘をついたが。そして、今日その人が本当の母親だと分かり、その人と暮らすことにした、と話した。


「そうだったんだ」


「うん。……それで、私の本当の名前は、霞瑞千雪。千の雪って書く」


「かみず、ちゆき……」


 彼が「いい名前だね」と笑った。


「ありがとう。……それで、あの……」


「うん?」


 私は顔を赤くしながら口を開いた。


「な、名前呼び……してほしい」


 緊張しながら言った言葉は、ロボットみたいにかくかくとしていたと思う。


 彼は優しく笑って、「いいよ」と言ってくれた。


「——千雪」


 どく、と胸が高鳴る。そしてどくどくどく、と早くなった。


「あ、ありがと……」


 私は彼から視線を逸らしてお礼を言う。


 そして、どちらからともなく景色を眺めた。


 そういえば、この町の名前って……。


葵月町あおいづきちょう。いい名前だよね」


 まるで思考を読んだかのようなタイミングで言われたため、「あっ、え、うん」と変な返事をしてしまう。


 沈黙が訪れた。何か話した方がいいのだろうか、と思い、零夜の方を向く。


 相変わらず綺麗な横顔だった。


「ん?」


 彼が優しいまなざしでこちらを向いた。


「ううん」


 私は首を横に振り、前を向く。


 最近日が短くなってきて、もう日が暮れてきていた。

 少し肌寒い。生地の薄いワンピースを着てきた数十分前の自分を少し恨んだ。


「っくしゅ」


 小さくくしゃみをする。


「あ、寒い?」


 零夜が慌てたように言った。


「ううん、大丈夫」


 首を横に振る。


「コート貸すよ」


 そう言って、彼がコートを脱いで、私に被せてくれた。


「え、で、でも、零夜、寒くない……?」


 彼の匂いに包まれてどきどきしていると、「寒くないよ」と彼は微笑んだ。


「でも……」


「大丈夫」


「うん……」


「じゃあ、二人でコート入ろうか」


「えっ!?」


 あっという間に零夜がコートに入ってきた。


 彼が「これなら暖かいね」と優しく笑う。


——こういう時、零夜は私のことが好きなんじゃないか、と錯覚してしまう。

 でもすぐにそんなわけないじゃん、と頭を冷静にさせる。


 はあ、と思わずため息をついていると、零夜が「どうした?」と不思議そうに首を傾げた。


「ううん」


「そう。なんかあったら言っていいから」


「うん……」


 小さく頷く。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」


 名残惜しさを胸の奥に押し付けて、うん、と頷く。


「またね、千雪」


「うん、またね。零夜」


 さりげなく名前を呼んでくれたことに、私は浮かれながら帰路に着いた。




「ただいま」


 家に帰ると、カレーのいい匂いがした。


「あ、おかえり。ちょうど夜ご飯……って、そのコートどうしたの?」


「え?」


 愛彩さんの視線の先には、零夜と一緒に入ったコート。


「こ、これ……さ、さっき会った友達に貸してもらったの! と、友達がコート持ってたから……」


 焦った頭で言い訳する。


「そうだったの? 友達に返さないとね。あ、カレーできたから、手を洗ったらきてね」


「うん、わかった」


 私はコートを胸に抱き、自室へ向かった。今度会ったときには、コートを返そう。そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る