第九章

 一時間ほど経ったのだろうか。


 霞瑞さんと雑談をしていたため、そんなに時間が経ったように思わなかった。


「ここだよ」


 そう言って彼はバイクを止めた。

 そこは小さな一軒家だった。


「俺、父さんと母さんと三人暮らしなんだ」


「そうなんですか……」


 彼は鞄から鍵を取り出し、ドアを開ける。


「ただいまー」


「お、お邪魔します……」


 恐る恐る彼に続いて中に入る。


「おかえりー」


 ドアの向こう側から声が聞こえた。女性の声だ。


「今のは母さん」


 霞瑞さんが振り向いて、小さく笑った。


「はるはとりあえず、そこにいて。はい、これスリッパ」


「わかりました」


 彼に差し出された白いふわふわのスリッパを履いてからドアの横に立つ。


「母さーん、ただいま」


 彼がドアを開けて中に入った。そこは、リビングなのだろう。


「おかえり」


 声が聞こえる。


「実はさ、女の子拾ってきて」


「えっ?」


 直球だな、と思った。まあ、彼はそういう人柄なのだろう。

 なぜかそのことはわかる。


「ど、どういうこと? 冗談……?」


 霞瑞さんの母が明らかに動揺している。


「え、冗談じゃないよ。入っていいよー」


 そう言われたので、ドアを開けて中に入った。


 そこはリビングだった。

 奥にキッチンがある。

 真ん中にローテーブルが置いてあり、手前にテレビ。

 彼の母だと思える女性がクッションの上に座って、お茶を飲んでいた。


「えっ」


 彼の母の目が見開かれる。


「この子、家出したんだって」


「こ、こここんにちは。す、澄川はる、こ、高校一年生です……」


 あー、やばい、最悪だ、と思った。


 私って間抜けだな。もうちょっとすらすらと「こんにちは、澄川はるです」って言いたかった。


「よろしくね、はるちゃん」


 でも彼の母は気にすることなくにっこりと笑った。


「よ、よろしくお願いします……」


「はるちゃん、今日はとりあえず、寝泊りしていいよ」


「えっ」


 驚いて声を出す。さすがに「いいよ」だなんて言われるとは思っていなかった。思ったよりも、霞瑞さんの母は優しい。普通は「出て行って」などと言われるところだろう。


「あっ、め、迷惑じゃないですか……?」


 私が訊ねると、霞瑞さんの母は「ふふっ」と小さく笑った。


「ここに来て言うの? 迷惑じゃないから、寝泊りしていいって言ってるの」


 彼の母はにっこりと笑った。

 心が温かくなった。


「ありがとう、ございます……」


 私も頬が自然と緩んだ。


「部屋、案内するね」


 彼の母は立ち上がった。


「ついてきて」


「はい」


 リビングを出る。


「一階はリビングやトイレ、あとキッチンだけで、部屋は二階にあるの」


「えっ、でも、見た感じ階段は見当たらないんですけど……?」


「ふふっ、この扉の奥に、階段があるの」


 霞瑞さんの母がコンコン、と一つのドアをノックする。


「あっ、ちなみに横の鍵の付いてる扉はトイレだから。まあ基本、みんな鍵を閉めるから」


「へぇ……」


「じゃあ、ついてきて」


「はい」


 彼の母は扉を開ける。奥には階段があった。


「わ、階段だ……」


「ここに電気のスイッチがあるから、つけてから上ってね」


「わかりました」


 私が小さく頷くと、彼の母も頷いてくれた。


 電気をつけてから階段を上る。


「この一番手前の部屋が私の夫の部屋」


「もう寝ているんですか?」


「うん、寝てる」


 なら静かにしないとな、と思った。


「で、隣の部屋が真夏の部屋。その隣が私の部屋。その隣の部屋が……空き部屋」


「私はこの奥の部屋で寝ていいんですか?」


「うん。ベッドならあるから……あ、でも他に家具とかも置いてあるんだけど、いい?」


「はい、全然大丈夫です。寝泊りさせてもらえる、ってだけで感謝してます」


「よかった。じゃあ、部屋に入っていいよ。もう寝る?」


「そうですね、寝ます」


「じゃあ、おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 二人で小さく手を振りあって、ドアを開けた。


「わぁ……」


 中は清楚な部屋だった。


 木のベッドに、白いシーツとベージュの布団。白の枕が二つ。

 くまのぬいぐるみも置いてある。


 ベージュの丸いラグの上に、白いクッションと、白い木で作られたローテーブル。


 物の入っていない木の棚。


 白いクローゼットと、フェイクの観葉植物が置いてある。


 針と数字、ふちがベージュ、文字盤が白の壁掛け時計。


 そして小さい窓があり、ベージュのカーテンが付けられている。


 いたってシンプルな部屋。

 好みすぎてびっくりする。


「すご……」


 恐る恐る部屋に入る。


 ふわりとなぜか懐かしい匂いがする。


 なんで懐かしく感じるのか、よくわからない。


 疲れてるのかな。


 そう思いながら、ベッドのそばにリュックを置き、ベッドに寝っ転がる。


 落ち着く。


 自宅のベッドでさえあまり落ち着いて寝られなかったのに、赤の他人の家のベッドに安心感を覚えた。


 突然睡魔が襲ってくる。


 私は起き上がり、部屋の電気を消して、ベッドの横に置いてある小さなランプをつけてからベッドに入った。

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