非AIはそんなこと言わない

和田島イサキ

◯◯しないと出られない部屋

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。

「そうなんだ」とても悲しげにりんちゃんは言った。つらい。胸の奥がきゅうっと締め付けられるみたいな心地がする。りんちゃんに代わって「そこをなんとか」とお願いするぼくに、でも声は「だめです」とにべもない。

 正確にはその「だめです」の直前、まさか食い下がられるとは思っていなかったのか、


「……えっ? いや、急にそんなこと言われても……えっ? あれっ?」


 と、しばらく慌てふためく様子を見せて、それからやっとのことで絞り出した「だめです」だった。「だめなんだ」と寂しげなりんちゃん。苦しい。彼女の痛みはぼくの痛みだ。

 ぼくは睨む。声の主を直接——は無理でも、壁の大型スクリーンを思い切り。投射された画面の中、なんかへんてこなお面を被った〝彼女〟が、ばつの悪そうな様子で俯くのが見えた。


 ——それから、数秒。


「ごめん」


 かちゃり、と部屋のドアが開錠される音。

 こうしてぼくとりんちゃんは、この密室から無事解放されたのだった。




 それは二年前、ぼくらがまだ十二歳だった遠き日の思い出。

 あの夏の終わりの一日から、ぼくらはどれだけ成長できただろう——。


「チャンスは残り二回です」

 どこか楽しげに、そしてちょっぴり自信ありげに声は告げた。

 なんだろう。なんか、少し、こなれてきている。その感想はでも実のところ、この声の主に限った話じゃない。

「そうなんだ」

 りんちゃん。ぼくの隣、小声で囁くみたいにそう言って、それからちらっとこちらを見上げてみせる。八の字に垂れ下がったと、でもそれとは裏腹のふわっとした笑顔。唇の動きだけの「どうしようね」は、とても二年前の彼女からは考えられない仕草だとぼくは思った。


 彼女、みなみりんはぼくの幼なじみだ。彼女は昔から臆病で、怖がりで弱虫で気が小さくて、だから守ってあげなきゃって思っていた人もいるけど別にそんなことはなかった。りんちゃんはただおとなしいだけで度胸は人一倍あるし、それは物心ついた時から一緒にいるぼくが誰より知っていること、つまりさっきの「思っていた」はぼくの話じゃない。

 この頃、ぼくはまだ知らなかった。きっとりんちゃんも同じだと思う。世の中にはぼくらの想像力ではまるで及びもつかない、お人好しのお節介焼きの善性の塊みたいな人間がいて、そしてそういう人に限ってそれに見合うだけの行動力と、あと人望と財力と天命のようなものを持っているのだと。


 いちみやづるは生まれながらのお嬢様で、あとぼくとりんちゃんの大事な友達、ていうかきみだって幼なじみだよね実際って思う。


「違います。一ノ宮千鶴は死にました。彼女にはチャンスがなかったので」


 あと幼なじみではありません、と画面の中の彼女。きっと保育園から一緒だったぼくとりんちゃんに対して、彼女は自分のことを「私は所詮小学校からの新参」って考えているんだと思うけれど、でもそんなこと今はどうだっていい。

 やっぱり、ちょっと堂に入ってきている。二年前ならきっとおろおろしていたであろうところ、即座に死亡報告を返してきたばかりか、それによって「チャンスを使い果たすと死ぬ」というルールの提示まで済ませてしまった。

 かしこい。たった二年でこの成長ぶり、昨今の人工知能の進歩はなかなか馬鹿にできない。背も髪も伸びてぐっと大人っぽくなったし、なによりおしゃれになったよねというのがぼくとりんちゃんの共通見解だ。「え、そっかな」と照れくさそうに後れ毛をいじるその仕草なんかは、もう本当にぼくらのよく知る千鶴ちゃんそのものなのだけれど、でも彼女はもういない。死んだ。少なくともスクリーンの中の彼女、「実はAIだったの」という新設定の追加された、へんてこお面ガールの言を信じるならそうだ。嘘だそんなの、そう啖呵を切ってやるのはきっと簡単だけれど、でもそれで誰が救われるっていうんだろう。


 二年前のあの夏の日と、そっくりそのまま同じ状況。

 千鶴ちゃんのおうちの三階、シアタールームに突然幽閉された、ぼくとりんちゃん。


 開かない。施錠されたドアはあの日と同じくびくともしなくて、だってあの頃はまだ小さな子供だった。普通の家ではまず見ることのない、特別仕様の大きな防音の扉。鍵がどこにどうついているのかも判然としなくて、でも今はもうあの頃とは違うのだから——と、そのはずがでもどうしてかまるで開く気配がない。あれっ変だなここをこう回せばいいと思うんだけど、と、ぼくのその言葉に後ろから被さるかのような「そうなんだ」の声。つらい。


「無駄です。現在、この家の管理権限はすべて、この私の支配下にありますので」


 なんか急にそれっぽいことを言い出す千鶴ちゃん。もとい、AI。さっきも言った通り一ノ宮家は結構な名家で、となれば畢竟その邸宅だって結構な豪邸、最新式のハウスセキュリティAIくらいはそりゃあって当然だ。筋は通る、というぼくの推論に、「そうなんだ」とりんちゃん。うれしい。普通に感心したような声音が耳に心地よくって、でもそこに「そっか。なるほど」と当のAIまで被せてくるのはどうかと思う。


 夏休みの真ん中くらい、一緒に宿題やろうって集まった午後のこと。高度に発達した科学技術の結晶が、いよいよ人類に牙を剥いたこの瞬間を、でも、

「いや、千鶴ちゃんだよね? 何してんの。ふざけてないで開けて」

 なんて、そんなことはもう絶対に言わないってぼくらは決めた。約束だ。二年前、この部屋から解放されたその帰り道、ぼくとりんちゃんがどちらともなく言い出したことで、その事実がぼくにはなにより嬉しかった。単に大好きなりんちゃんと意見が合ったってこともあるけど、でもそれ以上に「ぼくらふたりとも同じくらい千鶴ちゃんのことを大事に思ってたんだ」っていう、その事実がぼくの心を震わせたのだ。


 だから、二度としない。

 ぼくらの大事な友達に、もしそれがAIであろうと生身の人間だろうと、でもあんな寂しそうな「ごめん」を言わせるような真似は、絶対に。


 だから、AIだ。スクリーンの中の仮面少女はいわばアバターで、そしてそのAIの目的のために千鶴ちゃんは犠牲になった。あれっ大事な友達死んじゃってたら本末転倒じゃんと、そう思ったところでそれをこの場で相談するわけにはいかない。彼女は見守ってくれている。カメラを通して別室から、あるいは雲の上の天国から、ぼくらのこの先の決断を。「そうなんだ」と小首を傾げるりんちゃんは、この二年でずっと可愛くなったと思う。だから、受け容れる。運命は時に残酷なもの、ぼくとりんちゃんには友の屍を超えてでも進むべき道があるのだと、その覚悟はきっと千鶴ちゃんだって同じだ。


 人の世話を焼くのを己の天命としている彼女が、ぼくらに残したあと二回の猶予。


 必要なのは「開けゴマ」だ。ドアを開くための秘密のパスワードは、三回間違うとロックされるっていうか死ぬ。「そうなんだ」とソファに腰掛けるりんちゃんに、「たぶんね」と周囲を見回すぼく。

 わかっている。二年前はともかく今回は、さすがにノーヒントのはずはない。かしこく成長した千鶴ちゃん、彼女が命と引き換えに残してくれたヒントは、ちょっと探せばすぐに見つかる位置にしっかり用意されていた。


 折り畳まれたメモ用紙。以前はなかった。二年前、今よりずっとドジで粗忽でうっかり者だった千鶴ちゃんは、この肝心のメモをなんと部屋の外に持ち出していた。悲しい事故だ。だってこれがなければまったく意味不明の状況、急に千鶴ちゃんがいじわるし始めたのと同じで、だからその先の展開はもう仕方のないことだ。りんちゃんが悲しげな顔をするのは当然で、そしてそれにぼくが本気で憤るのも、それこそ千鶴ちゃんが一番よく知ってたんじゃないかって思う。だからこその半べそ半泣きの「ごめん」だ。絞り出すようなその謝罪を聞いて、結局彼女の行動の真意まではわからなくとも、でもきっと悪気じゃなかったはずだよと、そう理解するだけの知性は十二歳のぼくらにもあった。


 はたして、二年越しのその謎の答えは、なるほどある意味では千鶴ちゃんらしい。


 ——〝ちゃんと目を見てはっきり言わないと絶対出してなんかあげない部屋〟。


 そうなんだ、と、もしここでそう響いていたなら、それはどんな声だったろう。ぼくの後ろ、大人しく、きっとソファに腰掛けたままのりんちゃん。当然だ。メモに書かれていたその解法を、ぼくはさすがに読み上げることができない。

 ぼくは知った。きっと、りんちゃんもそうなると思う。世の中にはぼくらの想像力では及びもつかない、お人好しのお節介焼きの善性の塊みたいな人間がいて、そしてそういう人に限ってなんというか、他人の美点を百パーセント信用してそこに有り金全部賭けちゃうようなところがある。このわたしがこんなに好きになったふたりなのだから、そこが仲良くくっついてくれたら絶対毎日ハッピーで最高——と、どうやらこのお嬢様は真剣にそう考えているっぽいぞと、そんな予感は実のところ常日頃からしていた。


 AIは望む。ちゃんと言え、彼女の目を見てはっきりと、と。誰に、何を、なんてのはもう考えるまでもなくて、なんならぼくとしては結構そうしてきているつもりだったんだけどなあと、そんな自己認識は今更なんの意味もない。足りない。少なくとも、AIの判定ではそうらしい。たったひとこと、素直な気持ちを伝えることの、いかに難しいことだろう。現に今、この正解の書かれたメモを手にして、でもその内容を告げられずにいること自体がその証左だ。


 振り返る。メモの内容はまだ伏せたまま、ひとまずりんちゃんの様子を伺うべく。目が合った。ソファの上、真っ直ぐぼくの方を見つめたままの彼女は——でも、あの日の彼女とはまるで正反対に、なんだか楽しげに相好を崩して囁く。


「……ね。どうしようね? コウくん」


 ぼくの名前。その響きに優しい余裕が含まれていることに気づいて、ぼくはやっと理解した。


 ——ああ、これ。

 もしかして、最初から全部知ってた、って顔?


 驚く。やっぱり二年前ではとても考えられない。りんちゃんは別に臆病でも、怖がりでも弱虫でも気が小さくもないけど、でもあの瞬間の困惑は本物だった。許せない。ぼくのりんちゃんにこんな顔をさせるなんて——と、その一心だけで千鶴ちゃんのことを一瞬本気で憎んで、そしてその瞬間にぼくは知ったわけだ。

 これが、人を好きになるっていうこと。

 ぼくには好きな女の子がいるんだ、と。


 それから、二年。芽生えたての好意を隠していたのはせいぜい最初の半年くらいで、その先はもう随分あけっぴろげにしてきたつもりが、でも全然そんなことないぞヘタレといまAIに言われた。はっきり言明されたわけじゃないけど状況を違約すればそうだ。高度に発達した科学技術は、直接言っちゃったら野暮にしかなんないことを茶番にして伝えるのに大変都合がよくて、だからこれはとどのつまり、いい加減いろいろはっきりさせろってことなのだと思う。


 チャンスは残り二回です。二年前よりも一回分減ってるってことは、前回のは失敗として計上されていたみたいだ。そう思うと少し緊張する。もし、今回もまた失敗したら? だいたいあんなおっきなスクリーンの中、千鶴ちゃんもといAIが普通にこっちを見ているのもどうかと思う。この空気。肩にのしかかる何か、きっと「いつもなら特になんてことのない普通のひとこと」を、でも「全然なんてことのあるものすごい告白」に変えてしまう不思議な空気が、ぼくの心臓をバクバク跳ねさせて息ができない。


 結論から言ってしまうのなら、ぼくはこの瞬間に知ったのだ。

 これが、人を本当に好きになる、っていうこと。

 ぼくにはもう、ぼく自身じゃまったくどうにもできないくらい、本当に好きで好きで大好きな女の子がいるんだ。


「コウくん」


 ソファから立ち上がるりんちゃんの、その様子にぼくは内心「あれっ、なんだろ」って思う。

 最初は、もう待ちきれなくなったのかと思った。さすがに痺れを切らして、ぼくが一歩を踏み出しやすいようにしてくれたのかと、そう思ったけどでも全然そんな感じの「コウくん」じゃない。一歩一歩、ゆっくり踏み締めるみたいに歩いてぼくのすぐ目の前まで来て、ぼくのちょうど肩くらいの高さにある可愛い顔の、そのびっくりするほどの赤さについ呼吸が止まる。何。どうしたの。そう声をかけたつもりが、でもどうしてか全然声にすらなっていなくて、ただ真っ直ぐ、直接、じっと真剣にぼくの目を見つめる、その大好きな女の子のキラキラ一番星みたいな瞳の、そのあまりの綺麗さ美しさにぼくはただ飲まれた。


 ——それから、数秒。



「    」



 かちゃり、と、部屋のドアが開く音が聞こえて、遠くから蝉の声が戻って来るまでの間。

 防音の部屋。きっと、彼女の人生で一番大きかったであろうその声と勇気を、ただひとり直接独占したのが、ぼくのこの身だったんだなってぼんやり思った。




 今は昔、ぼくらが子供から大人に変わろうとしていた、あの遠い夏の日の出来事。

 今でもはっきりと思い出せる、ぼくとりんちゃんの始まりの日の思い出だ。


 ——〝ちゃんと目を見てはっきり言わないと絶対出してなんかあげない部屋〟。


 なるほど、確かにその通り。一応条件は満たしたはずで、だから鍵が開いたんだというのはわかる。ただ問題は、というかぼくの中でもう何年もずっと引っ掛かっているのは、「それで本当に成功って言えるの?」って部分だ。

 実際、正直、やっちゃったと思った。なんなら最低って言ってもいい。あれは完全にぼくの方から行くべき流れで、だから今現在のこの幸せな日々に不満はないし全部きみのおかげでもあるけど、でもちょっぴり後悔があるとすればまあそこだよねって話はした。

 話すまでもなかった。だってそんなの、当の千鶴ちゃんからすれば、わざわざぼくから言われなくってもって話だろう。だから、要は、とどのつまり、こないだぼくがそんな後悔を漏らした、そのせいでってわけじゃないんだと思う。


 定番だ。話題のチョイスとして、いわゆる馴れ初めの話は確かに手堅い選択で、でもそれをこんな一から十まで全部事細かに語ってしまうんだから、まったく最近のAIは怖い。

 高度に発達した科学技術の結晶は、あるいは人類全体に牙を剥くことはなくとも、でも二回も失敗したヘタレに対しては容赦がない。ひどい。わりと恥ずかしいこと真顔で全部バラしてくれる。それもこんな衆目の中、知人友人はもとより親類縁者一同、加えて職場の上司同僚まで揃った、ある種のお披露目っていうかお祝いの席で。


 ひとしきり、本当に全部語り終えたその後。背も髪もさらに伸びてすっかり大人になったぼくらの幼なじみ、お人好しのお節介焼きの善性の塊みたいなぼくらの大事な友人は——ここにいる全員にいくら自慢しても全然し足りない、ぼくとりんちゃんの最高の幼なじみは——でもいま、用意されたマイクスタンドの前、無言でじっと佇んだままだ。

 代わりに、その後ろの大型スクリーン。堂々大写しになった〝彼女〟——もう何年かぶりのへんてこなお面の人の、でもこれから告げるであろうその言葉を、ぼくは過たず予測することができる。


 はたして、ぼくらの思った通りに声は告げる。


 ——〝チャンスは残り一回です〟。


 どこか楽しげに、とても誇らしげに、友人代表スピーチの締めくくりとして。




〈非AIはそんなこと言わない 了〉



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