上空一万メートルの航跡雲

通信機から友軍の動揺の声が聞こえる。


低空で飛行していた機体が幾つか、土の柱に巻き込まれたようだ。

友軍機だけでは無く、敵軍機も同様だ。


つまり、連携を取ったうえでの攻撃ではない。


「ヴァンスさん、あれ!」

「なんだ、ありゃ?」


雲の隙間、その向こう。

黒い点が見える。


風防の汚れではない、確実にそこにいる。


「雲の上を飛んでいやがるのか!」


驚愕だ。


現行の機体が到達できる最高高度は、七千メートルから八千米。

だが、あの機体は高積雲こうせきうんより遥かに上にいる。


今日の高積雲は高い、高度はおそらく七千。

それを優に超えるという事は、既存機の限界高度以上を飛んでいる事になる。


「はーっはっはっは!遥か下を行く諸君!元気かね?」


全機開放通信オープンチャンネルで何者かの声が響く。


自己紹介が先だったな、と男は続ける。

彼こそがボルヴ社の社長であるというのだ。


「あの高さから全機開放通信オープンチャンネル、相当の通信機積んでんな、ありゃ。」


上を見ながらヴァンスは予測する。


通信機が巨大という事は、それを搭載する機体も巨大という事。

遥かな高度を飛ぶのは、間違いなく鉄の巨鳥だ。


友軍たちも巨鳥がいる場所高度に気付く。

自分達が絶対に手を出せない場所だ。


今回の戦い、目的は空戦ショーではない。

都市への侵攻だ。


それ即ち、都市を陥落させれば彼らボルヴ社の勝利である。


誰も手を出せない高度からの一方的な爆撃。

空戦の勝敗など些事さじと言えてしまう。


それほどの存在が現れたのだ。


「他の連中じゃ、あの高度まで到達できねぇだろうな。」


ヴァンスは頭を掻く。

首を鳴らし、背筋を伸ばした。


「俺が行く。」


短く、それだけ。

その言葉にメアリーが反応した。


「ヴァンスさん、私も一緒に行きます。私の機体なら高高度こうこうどまで到達できます。」

「駄目だ。お前はここにいろ。」

「何故ですか!」


食らいついてくるメアリー。

ヴァンスは短く、息を吐いた。


「危険すぎる。もしやられたら高高度から真っ逆さま、死ぬ可能性が高い。」

墜落ちなければ良いのなら大丈夫です!」

「いいわけあるか!大人しく、ここにいろ!」


あくまで子供に言いつけるように、ヴァンスは指示を出す。

だが、メアリーは引かない。


「私の事を子供扱いしないで下さい!十分戦えます!」

「あくまでここ通常高度でなら、の話だ。万が一がある場所高高度に連れて行けるか。」


どちらも引かない。


ヴァンスが自身の半分の歳の彼女を、死地に連れて行けないと考えるのは当然だ。

しかし、メアリーにとってはそんな考えはどうでもいい事である。


「短い間でしたけどヴァンスさんから多くを学びました、お返しさせて下さい!」

「いや、それは今じゃなくても良いだろう、別の事で。」

「駄目です!空で学んだ事のお返しは、空で返します!」


頑固だな、とヴァンスは溜め息を吐く。


「ヴァンスさんにとっては教え子、従業員、もしかしたら子供だと思います。」

「まぁな。」


軽く言われた事で、メアリーは文句を言いたくなる。

だが、ぐっ、とこらえて、言葉を続けた。


「でも、違います!」

「違う、って何がだよ。」

「それは。」


すぅっ、とメアリーは深く息を吸う。

そして。


「私は貴方の相棒です!隣に居させて下さい!」

「あ、相棒だと?」


まさかの言葉にヴァンスは困惑する。


「これも、駄目、ですか?」

「あー、いや、うん。」


何とも歯切れの悪いヴァンス。

先程までの絶対の拒否とは違うが、何とも不可解な感じだ。


「ヴァンスさん?」

「まぁ、相棒でも良いんだけどな?」


メアリーは喜ぶ。

だが、ヴァンスが続けた言葉で彼女は急降下する事になる。


友軍通信フレンドチャンネルで言う事じゃ、ねぇなぁ。」

「えっ。」


その言葉に弾かれるように通信機を見る。

通信機に設定されている周波数チャンネルは。


友軍フレンド


それはつまり。


この戦場にいる友軍機すべてに、メアリーの言葉が届いていたという事だ。

少し前に敵機フルムエールへの対応方法を助言した時のままになっていたのだ。


メアリーの顔から火が出た。


通信機からは、祝福とも揶揄からかいとも取れる友軍の言葉が聞こえる。


耳まで真っ赤になりながら、メアリーは通信機を僚機通信プライベートチャンネルに切り替えた。


「ううう。」

「まだまだ未熟だな。ま、こういう失敗はよくある事だ、気にすんな。」

「知ってたなら教えて下さいよ!!」


くっくっく、とヴァンスは含み笑いした。

隣にいたならば、思いっきり引っ叩いてやりたいとメアリーは思う。


「で、一緒に行くのか?。」

「え?」


ヴァンスの言葉。

何と言った?


相棒。


そう言ったのか。


メアリーはそれを、しっかりと、ゆっくりと理解する。


そして、続ける言葉は一つしかない。


「はいっ!!」




四桁の高度計が、その数字を瞬く間に大きくしていく。


三千。

四千。


友軍機と敵軍機が熾烈な戦いを繰り広げる場から抜け出して。


五千。

六千。


彼方の地を目指す渡り鳥たちを追い抜いて。


七千。


雲の中へと飛び込んで。


八千。


白の綿を貫いて。


九千。


されど巨鳥はまだ上に。


近付いていくにつれて、その巨鳥がいかに巨大かがよく分かる。


ヴァンスとメアリーの機体の十倍以上。

巨体を浮かべる長く太い主翼、その下の六基のエンジンが唸りを上げている。


胴体下部の前方、中ほど、後方の三か所に防衛機銃が設置され、下方を警戒する。

巨体ゆえに左と右、合計六基の十ミリ連装機銃だ。


上がってくる相手がいないからこその悠々とした飛行。

決して落ちぬ、高高空を支配する重爆撃機。


ボルヴ社『BoLV D-00 スティユジュメ』


過去に同様の機体が無いからこその二つのゼロ。

既存の常識を覆す機体である。


「おいおい、冗談だろ。なんちゅうデカさだ。」


さしものヴァンスも驚愕する。


二人は巨鳥の飛ぶ高度へと到達した。


〇〇〇〇ゼロゼロゼロゼロ


墜落した時以外表示されない、空中に浮かぶ都市に住む者にとっては不吉な数字。

高度計はそれを指していた。


上空一万メートル

高度計はその限界を振り切ったのだ。


大鷲と雛鳥は遂に辿り着いた。


「なんだと!?馬鹿な、この高度まで到達する機体など無いはずっ!」


操縦席のガラスにへばり付くようにして、ボルヴ社社長はヴァンス達を見る。


「んん?あの機体は。そうか、アルドメレの最新鋭か!あの狸社長め!」


長い機首と各側一本の排気配管を見て、彼は理解した。


「で、あっちは何だ?あんな機体は知らんぞ!」


ヴァンスの機体を見て、社長は吠える。

どの会社の機体でもないのだから、知らなくて当然である。


ヴァンス達は警戒しつつ、巨鳥の防衛機銃の射界しゃかいに入らないように旋回を続ける。


「前方と上方に武装は無いみたいです!」

「おう、仕掛けるぞ!」


確認を完了し、二人は左右から同時に攻撃を仕掛ける。


機銃ではとてもではないが豆鉄砲にしかならないだろう。

巨鳥のどてっぱらに機関砲をお見舞いする。


確実に当たった。

黒薔薇のエレ=シュヴァン、新鋭機のフルムエールを破壊する一撃だ。


だが。


「ウッソだろ!?」


巨鳥の腹に風穴は空かなかった。


「あり得ない、どれだけ重防御なんですか!」


機関砲を受けてへこむだけなど、航空機においてはあり得ない。

途轍とてつもない厚みの装甲を持っているという事だ。


ヴァンス達は攻めあぐね、再び巨鳥から距離を取る。


「このスティユジュメ、そんな豆鉄砲なんぞ効かんわ!わーっはっはっは!!!」


高笑いが通信機から響く。


「さてさて、撃たれっぱなしはしゃくだ。反撃と行こうか。」


社長の言葉と同時に、巨鳥の胴体上部に変化が生じる。

がごん、という音と共に蓋が開き、内部から何かがせり上がってきた。


二つの長い砲身と大口径の砲口ほうこう、風では決して動かない銃架じゅうか


四二ミリ連装機関砲。


「おいおいおいっ、ふざけんな!メアリー急降下だ!!」

「は、はいっ!」


ヴァンスとメアリーは、操縦桿を命一杯押し下げ急降下する。


二機がいた場所に、轟音と共に銃弾が飛んだ。


「ちっくしょう、陸上兵器じゃねぇか!」

「下からも上からも攻められず胴体も駄目。ど、どうしましょう!?」


ぎりっ、とヴァンスは歯ぎしりする。

メアリーは考える、この状況を打開するすべは無いかと。


そして、二人は同時にある一つの結論に至った。


「「エンジン。」」


二人の声が重なった。


ならばやる事は決まっている。

大きく旋回し、巨鳥の真正面に出た。


上から迫れば、機関砲に狙われる。

下から近づけば、防衛機銃にはばまれる。


二つの死角は一つだけだ。


正面衝突する勢いで巨鳥へと迫る。


「ななな、突っ込む気か!?ひいぃっ!!」


社長は思わず、顔を背けた。


だが、そんな無謀な事をするはずがない。


ばがん、と主翼から音がした。


「何!?エ、エンジンがッッッッ!!!!」


一番内側のエンジンが白煙を吐き、その機能を停止していた。


重防御と重武装。

一見するとそれは無双である。


だが、欠点は存在する。

急旋回と急増速が出来ないのだ。


それはつまり、狙われたら逃げられないという事。


となれば。


「はっ、もう墜落ちるしか、ねぇよなぁ?」


ニヤリと笑い、ヴァンスは全機開放通信で巨鳥に告げる。


「覚悟して下さい。」


一言、メアリーはそれだけを伝えた。


「ななな、馬鹿な馬鹿な馬鹿なァァァァッ!!!!」


社長の嘆きが空に響く。

巨鳥は翼から煙を吐きながら、ゆっくりと墜落ちていった。




二人の機体は並んで一万メートルの空を行く。


戦闘は終了し、気ままな空の旅だ。


「お疲れ、メアリー。」

「お疲れ様でした、ヴァンスさん。」


互いに労いの言葉を掛ける。


「中々良い動きだったぜ、相棒。」

「流石の動きでした、相棒さん。」


互いに笑う。


「こりゃ、もう教える事はねぇな。卒業だ。」


軽く笑ってヴァンスは言う。


「いいえ、まだまだ知りたい事、教えてもらいたい事は沢山ありますから。」


メアリーは静かに言った。

そして、通信機の送信スイッチを切る。


「私、個人的にも。」


自分で言った言葉に、メアリーは苦笑した。


ヴァンスが彼女の事を呼んでいる。

通信機の送信スイッチを元に戻した。


「おおい、どうしたー?」

「通信機が少し不調だったみたいです、もう直ったみたいですが。」

「ははは、まず教える事が決まったな。その辺の修理方法教えてやるよ。」


ヴァンスは笑う。


「ふふ。はい、よろしくお願いします。」


メアリーも笑った。


上空一万メートルに、真っすぐな航跡雲コントレイルが並んで描かれた。

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上空一万メートルの航跡雲(コントレイル) 和扇 @wasen

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