・・

 



 二度目の生。今にして思えば、とても貴重で幸いな、ありふれた退屈な人生だった。

 とは言っても前が女王だったのに、田舎村の名も無き農家の子として生まれたのだから、あらゆる落差に衝撃を受けた。住む家、食べるもの、身に着ける服。こんなにも違うのか、これを当たり前として生きる人々が世の大半なのか、と絶望的になりさえした。戦乱も飢饉もなく、虐待も迫害も受けず生きられることがまず恵まれているのだとは、知る由もなくて。本当に、笑ってしまうほど世間知らずだったのだ。

 覚醒の経験も初めてで、他人の魂と人生を奪ってしまったことを、しばらく受け入れられなかった。わたしも彼も、この術を決して世に出すまい、誰にも伝えまいと決めて、『路』に刻まれた標の螺旋の奥底へ沈めた。

 彼。そう、二度目の生では目覚めと共に彼の存在に気付けるほど近くにいた。同じ村の幼馴染みだ。これも幸いのひとつ。

 ふたたび彼と出会えた喜びは、『器』の人生を奪った罪悪感をも上回った。本当に、もう決して独り置き去りにされることはないのだと、別れてもまた会えるのだという確証が、どれほどの安心と温もりを与えてくれたことか! これからは何もかもが上手くいく、そんな気持ちにさえなれた。

 時は彩紀二百年の手前。ウルヴェーユというものが知れ渡り、ほとんど誰もが色と音の感覚を得ていたけれど、便利な術や技は発展途上で、田舎村の暮らしはいまだ厳しいものだった。

 かつてお父様シェイダールが折に触れて教えてくださった、目覚めたらまず水汲みに行くことから始まる生活。知ったつもりになっていたけれど、我が身で学んでやっと本当に理解し、日々の労苦の果てしなさに気が遠くなった。

 さすがに糸紡ぎや脱穀のように単純で時間のかかる労働は、ウルヴェーユで効率的におこなえるようになっていたし、井戸には清浄を保つ術が組み込まれていたり、弱い力でも釣瓶を引けるように工夫されていたりと、小さなところで進化は見られたけれど、そもそもわたしはそんな生活が初めてだったのだから、いちいちすべてが大変な作業に思えたのだ。

 水汲みに薪集め。畑の作物や家畜の世話。子供であっても遊んでいられる時間はほとんどなかった。覚醒した時にはもう十二歳で、村の子供としての生活を身につけていたからなんとかなったけれど、女王の感覚のまま人生を始めることになっていたら、とても耐えられなかっただろう。

 食事はまだ母が作ってくれたものの、手伝いをせず待っているだけでは食べられなかった。畑の野菜を採ってきて洗う、家鴨の卵を集める、食器を用意する、あれこれあれこれ。衣服は着たきりで新調することもほとんどなく、そもそも母や親類のお下がりばかりで、しょっちゅうどこかしら繕う必要があった。

 ただ“生活”していくだけで、こんなにも多くの労が必要だなどと、王宮にいる間はまったく見えていなかったのだ。次から次へと切れ目なく、やるべき雑事が湧いてくる。音色と詞を紡いでちょっとばかり楽ができるように工夫しても、生じた余裕はすぐ別の用事に使い果たされてしまって、きりがない。

 解放されて自由を感じられたのは、学校で過ごす時ぐらいだった。当時の基礎教育は概ね十五歳まで。子供の労働力を当てにしている家庭でも通わせられるように、一日の授業時間が短いぶん、長く通うのが一般的になっていた。行き帰りの道行きで同じ年頃の友達と楽しくしゃべり、笑い、男の子たちの悪ふざけに怒り、……賑やかさにまぎれて、彼とまなざしを交わし手を取り合って。

 そんな時に限っては、王宮にいた頃よりも幸せだったかもしれない。将来の気がかりも、解決が難しい問題もなく、人生はとても単純で素朴に感じられたのだ。

 わたしたちはそうして、共に成長していった。当たり前のように一緒に過ごし、大人たちから許される範囲で親しさを深めながら。

 そう、この生ではまわりの大人たちにも恵まれた。田舎村なりに、ではあれど、柔軟な考え方をする人が多く、教育の価値を認め、男児も女児も学校に通うことを当たり前として、誰も「勉強なんかしてないで働け」とは言わなかった。村から出て外の世界に羽ばたくことまでは想定しないけれど、限られた範囲ではのびのびと生きることが許されていたのだ。

 それはウルヴェーユがもたらした恩恵だったかもしれない。皆が、自分たちは新しい世代だという感覚で生きていたように思う。祖父母の代から大きく世界が変わったことを、実感として持っていたのだろう。

 ワシュアールは着々と領土を増やし、そのまま世界を統一しそうな勢いだった。大方の征服地を上手に治めて、富と繁栄は限りなく増していくように思わせる力があった。もちろん、うまくいかなかった土地や、時には揺り戻しもあったようだけれど、大王が掲げ女王が引き継いだ理想はまだ輝きを失っていなかったのだ。

 基礎教育とウルヴェーユによって、多くの民が“世界は良くなる”となんとなく思い込んでいて、楽観的な雰囲気が醸成されていた。そんな時は皆、寛容になれるものだ。新しい取り組みが次々に生まれ、助け合いの精神も当然のように広まって、……良い時代だったのだろうと思う。

 もっとも、そういう情勢を知ることができたのは、彼があれこれとわたしに話してくれたおかげだ。女が政治や社会のことに興味を持つのは、分をわきまえないことだとみなされていたから、男たちがそれぞれの見聞きした噂を持ち寄り口角泡を飛ばして議論に熱中していても、わたしは立ち聞きさえできなかった。そういう点では、まだまだ古い価値観が支配的だったのが残念だ。

 都会では女たちが次々と学問や政治の場に進出していたようで、それが不快だった愚王がいっときすべての官職から女を排除する、などと決めたけれど、数年で暗殺されて元に戻り、わたしたちが大人になる頃には村に女の教師や役人が赴任してくることも珍しくなくなった。

 そうして田舎村で来る日も来る日も畑と家畜の世話をしながら、わたしたちはまた、夫婦になった。子供はできなかったけれど、わたしの夫はそれを理由に妻を離縁するような人ではなかったし、先にも言ったように大らかな風潮のおかげで、親族からの圧力もごく弱く無害だった。二人でたくさん話をして、色と音を紡いでさまざまに試行錯誤して、毎日とても充実していたと言えるだろう。


 ――あなたから付け加えることはある?

 ――いいえ、何も。私は男で、あなたとは求められる義務も仕事も違いましたが、暮らしぶりは似たようなもの。次から次へと、やるべきことが舞い込む毎日でした。男の領分とされていた寄合での議論や祭事の運営も、実質あなたと一緒におこなっていたわけですし。共に分かち合った、平凡で平穏な日々が懐かしい。都から来た導師を驚かせたこともありましたね。我々ふたりで村の生活をすっかり変えられるのではないかとさえ、夢見たものです。


 そう、わたしたちは未来を夢見ていた。

 生活に追われ、食べるため生きるため、村の住民としての義務をこなして居場所や関係を維持するため、ほとんどすべての時間を費やしていたけれど。それでも、細切れの余暇で夢を描くぐらいはできたのだ。

 村の皆もウルヴェーユに親しんでいたから、便利な術が編めたら共有して、感謝されたりもして。ただ、どんなに創意工夫しても、小さな村の小さな発展にとどまるのがもどかしかった。

 自分が女王だったら、もっとこういう小さな成果を汲み上げられる仕組みを整えるのに。都で編み出された術も、地方の小さな村まで届けられるように人を配置するのに。

 そんなことを夢見て、次の時にはきっとこうしよう、ああしよう、なんて架空の体制を考えたりもした。当然のように、また王族に、あるいは少なくとも王宮内で何らかの権限をもつ立場に、生まれ変わるものだと信じていたのだ。前がそうだったのだから。

 二度目の生は平穏だったにもかかわらず長くはなくて、恐らく四十代になるかならないか、そのぐらいであっけなく死んだようだ。具体的な記憶はないし、小さな田舎村の記録も歴史に残らなかったから、疫病や災害に見舞われたのか、それとも単に何かの事故で逝ったのか、それはわからないけれど。

 そのまま、次への希望に満ちた夢を見ながら眠り続けていられたら、随分と幸せなことだったろうに。ああ、まさかあんな形で裏切られるなんて。



 だが――嘆こうと悔いようと、わたしがその運命を選んだのだ。最初のひとり、女王シャニカであるわたしが。


 ――そしてその伴侶、リッダーシュである私が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る