五章(2) 人倫派の人々


 幸か不幸か、侍女は試練を免れた。マヨーシャから「都の一番近くにある湧出点まで計測に行くので、殿下も興味がおありならいらっしゃいませんか」と誘われたのだ。つまりはそこでラケシュに会おうというのである。

 王宮を出て街をうろつくのが日常になっている王女とはいえ、都の外となると改めて各方面との調整が必要になる。しかも以前の工廠見学と違い、行き先に厳重な警備体制が整っているわけでもない。難色を示されるのも当然というものだ。

「とんでものうございます! ここにお呼びなさいませ、姫様をそんなところへ出向かせるぐらいならわたくし、無径者だろうと人倫派だろうと、ありったけの贅を尽くしてもてなしてやってもようございます!」

 随分な啖呵を切ったニンナルを、シェリアイーダは苦笑でなだめた。

「落ち着いて。案じてくれるのは嬉しいけれど、相手の身になってごらんなさいな。あなたはわたしが害されると恐れているけれど、向こうにしてみれば、わたしのほうがよほど強くて危険な人物なのよ。こんな立派な王宮に住み暮らして、一声で武装した警士が何人も駆けつける王族なんだもの。怖がっているのは向こうのほうでしょう。のこのこ王宮に誘い出された結果、問答無用で縛り上げられて仲間の名前を言うまで拷問されるかもしれない、ってね。譲歩しなければならないのは、強者であるわたしたちよ」

「強者だなどと……相手が湧出点に無頼の者どもを揃えて待ち構えていたら、どうなさるおつもりですか」

「それはないと思うけれど、イーヴァとヤルゥルが一緒ならたとえ軍隊が待ち受けていても逃げられるわよ。そんなに大袈裟に考えないで、ニンナル。だいたいあの場所は、かの大王シェイダール様も従者と二人きりでふらっと訪ねられたのでしょう? 今は道も整備されてショナグ家がちゃんと管理しているのだし、ならず者が潜んでいられるような状態ではないわよ」

 ね、と王女は警士を振り返って目配せする。リゥディエンは白々しいほど平然とした顔を装い、「行ったことはありませんが」と前置きして王女を援護した。

「獣兵の足なら朝に出て日没までに帰って来られる距離です。大河沿いの街道はずっと賑わいがありますし、ショナグ家の兵が巡回しているので治安も良いとか。余分の警護をつけてもらわずとも、獣兵二頭がいれば充分です」

「わたしは自分の面倒ぐらいみられるから、召使や労僕も必要ないし」

 簡単なことよ、とばかりにシェリアイーダは言い、駄目押しにいつもの「お願い」を追加する。ニンナルは天を仰いだが、それでも渋々、外出許可を取りに行ってくれた。

 そうこうして数日後、無事に王女一行は街道を歩いていた。王女と警士、二頭の獣兵にマヨーシャの五名である。ちょうど外出に適した爽やかな季節とあって、街道もその周辺も、人でごった返している。

「さすがに注目されてますね」

 狼に抱えられているマヨーシャが、隣で豹の腕にいる王女に向けてささやいた。雑踏のなか、にょきりと頭が完全に突き出る体格とくれば、たとえ人間でも目立ったろう。それが狼と豹の姿をしているのだから、誰もが驚きざわめき、足を止め振り返る。

 歩くのが遅い女ふたりを獣兵がそれぞれ運び、リゥディエンはその健脚で先導していた。周囲の通行人は皆、こちらを見てはいるが近寄ってはこない。いかに珍しい生き物であっても猛獣だし、その腕にいる女の片方は明らかに高貴の装いなのだ。下手に前に飛び出したりすれば、剣を帯びた青年に斬り捨てられるか、さもなくば獣の餌食になるかもしれないと恐れて、誰もが道を空ける。おかげで楽に悠然と歩きながら、リゥディエンが背後を振り返って言った。

「ほとんどの人は獣兵を初めて見るでしょうからね。既に一部の獣兵は西部に派遣されていますが、その時はこちら側の街道は使わなかったので」

「初めてでなくても振り返ってしまうわよ」

 シェリアイーダは笑い、豹の頬をちょっと撫でてやる。ヤルゥルは目を細めたが、今は仕事中、とばかりすぐに真面目な顔に戻って前を見た。リゥディエンが横道を見付け、あっちだ、と示す。かつては地元の住民しか使わず獣道と区別がつかないほどだったその道は、今は舗装こそされていないものの道標が据えられ、はっきりとわかる状態にされていた。道標の近くには軽武装の男が二人立っている。ショナグ家の兵だろう。

 リゥディエンが敬礼を送ると、相手も同じ礼を返し、王女に向かっては改めて頭を下げ、一行を通した。儀礼的な態度ではあるが、獣兵を見る目は明らかに好奇心と興奮にきらめいている。狼のイーヴァがそちらを見て小首を傾げると、途端にしまりなく相好を崩したので、動物が好きなのかもしれない。

 シェリアイーダは笑いを堪えながら、帰りにはちょっと撫でさせてあげようかしら、などとのんきなことを考えた。その一方で、胸にふと影が差す。

(同じく人に創られた命だというのに、労僕とは随分な扱いの差だこと)

 どちらも人間に都合の良いように扱われているという点では同じだが、強く美しい獣兵は憧れの目で仰ぎ見られ、弱く醜い労僕は蔑みの目で見下げられる。

(本当に、つくづくわたしたちは罪深い)

 同じ人間でさえ無径者を差別しているのに、労僕や獣兵と共に手を携える未来など実現できるとは、とても思えない。むくりと記憶の底で黒い瘴気が頭をもたげたのを、彼女は意志の力で抑え込んだ。

(しっかりなさい、同じ失敗を繰り返すつもり? 正しく怒りを抱き続けることが必要なのであって、怒り狂ってはいけない。徒労に思われても、ひとつひとつ進めていくのよ)

 己を叱咤し、気を引き締める。行く手に独特の気配を放つ、こんもりした樹影が姿を現していた。

 前を行くリゥディエンがじっくり辺りを見回す。警戒というよりは、記憶にある風景と重ね合わせて確かめているのだろう。彼はそのまま落ち着いた足取りで木立へと近付いていった。

 間近まで来ると、封印の石柱が立てる微かな音色がシェリアイーダの路にも働きかけてきた。ならぬ、と禁じる詞。嵌め込まれた色石がチリチリと微かに歌う。マヨーシャが地面に降り立ち、持参した鞄から理力計を取り出して封印石に歩み寄った。シェリアイーダもそばに寄り、興味津々で彩理学者の仕事ぶりを見学する。

 硝子筒の中でゆらゆらと色彩が揺れ動く。だがそのさまをじっくり見ていることはできなかった。イーヴァが鼻先をもたげてひくつかせ、ヤルゥルもひげを揺らす。リゥディエンがさりげなく身構えた時には、がさがさと草を踏みしだく音が聞き取れる距離に近付いていた。

「姫様、後ろに」

 ヤルゥルがささやいてあるじを庇い、前に出る。木立の陰を回り込んで、向こう側から人影が現れた。栗色の髪をした中年の女だ。用心深く距離を置いて立ち止まったその人物に、ラケシュ、とマヨーシャが呼びかけたが、相手は答えず、じっと王女を睨みつけていた。あまり装いに構いつけない様子だが、単に性格の問題だけでなく、そんな金も時間もないという事情があるように見えた。日々の労苦が皺と白髪を増やし、きつい目つきにはいつも何かに追われている人間に特有の苛立ちがあらわれている。

 シェリアイーダは自分のほうから歩み寄ろうとしかけたが、ヤルゥルがさっと手を伸ばして遮った。

「待って。他にもいる」

「えっ?」

 不審げに聞き返したのはマヨーシャだ。再従姉はことを振り返り、咎める声音で問い質す。

「ラケシュ、一人で来るって言ったじゃない」

「事情が変わったの」

 ラケシュは王女から目を逸らさないまま、素っ気ない返事を投げつける。シェリアイーダは素早く周囲を見渡したが、新たな人影はない。リゥディエンも警戒してはいたが、剣を抜くべき相手の姿は捉えられていないようだ。

 イーヴァとヤルゥルが揃って鼻先を同じ方へ向ける。そちらを目で追ったシェリアイーダは、まさか、と息を飲んだ。獣兵のふたりが見つめているのは、封印石の奥、密な木立の暗がりだ。

「獣の鼻はごまかせないか」

 ラケシュが苦笑いを浮かべて言い、誰かの名前を呼ばわった。ややあって、昼の陽光さえ拒む闇が揺らぎ、数人の男女がそろそろと木立の外れまで出てきた。封印石の内側にとどまったまま、緊張と敵意と卑屈さの相まったような複雑な面持ちでこちらの出方を窺っている。しかしシェリアイーダは彼らの態度を気にかける余裕はなかった。驚きのあまり目を丸く見開き、素っ頓狂な声を上げる。

「すごい、本当になんともないの!?」

 王女にしては庶民的にすぎる第一声を受けて、ラケシュと仲間達の表情が微妙に変化する。シェリアイーダは構わずそちらへ歩み寄った。封印の詞と、湧き出る理の力とのせめぎ合いが『路』に響き、視界が暗い泥土の大地と滾る光に切り替わる。頭を振ってその幻視を払い、彼女は現実の光景に集中した。

「まさか『無径者が湧出点を占拠した』っていうのがその『中』にまで入り込めるという意味だなんて。信じられない。あなた方全員、無径者なのですよね? 本当にそこにいて、全然なんともなく平気なのですか? わたしには真っ暗なように見えるのだけど、あなた方には違うとか?」

 興奮気味にまくしたてる王女に、ラケシュが辛辣な皮肉をよこした。

「すっごい食いつき。そんなに無径者が珍しいですか」

「ああ……ごめんなさい、あんまり驚いて。だって彩紀以前の時代でもここは近寄りがたい土地とされて、だからこそ『神の指先が触れた土地』だとか恐れられ封印が守られてきたのでしょう。誰もが『路』を閉ざされていた時代でそうだったのに、まさか平気な人がこんなにいるなんて考えてもみなかったから」

 シェリアイーダはまるで皮肉が通じなかったように答え、どうなのですか、と封印石の内側にいる人々に目顔で問いかけた。一番前にいた黒髪の青年が心を決めたように歩を進め、結界を越えてこちら側に出て来ると、軽く咳払いして答えた。

「まったく平気だということはありません、殿下。確かに我々無径者は内なる路を通じて理に触れることはできないし、音に色を見て、色に音を聞く力もない。しかし何も感じないわけではなく、湧出点や御柱の近くに行けばそれなりに不可解な感覚をおぼえます。ウルヴェーユを用いる大規模な施設も然り。こうして封印の内側に踏み込むのも、しばらくなら耐えられますが、ずっとはいられない。もちろん、この暗がりが明るく見通せるわけでもない。……これでご満足ですか」

 どこまで正直に話すべきか、慎重に言葉を選んでいるのがわかる口調。同時に、伏せていることがあるとしても嘘はまじっていない、と感じられる誠実さもまた滲んでいる。シェリアイーダは微笑で目礼を返した。

「丁寧に教えて下さって、ありがとうございます。無径の方から直接、ご本人の言葉でその感覚を伝えてもらえる機会をやっと与えていただき、心から嬉しく思います。あなたは都と西部を行き来している方ですね?」

「伝道者ナジムと申します」青年は改めて一礼し、次いで怪訝な顔をした。「なぜおわかりに?」

「人に説明することに慣れた様子でいらっしゃるし、後ろの皆さんがあなたの判断を仰ぐような態度を見せられたので。それに、ほぼ完璧に隠してらっしゃいますが、西方特有の発音がまじっていますよ」

 指摘されて青年は反射的に口を覆った。後ろの面々を振り返り、「わかる?」「全然」「そういや、たまに」などと小声でやりとりする。どうやら都ではいつもこの顔ぶれで集まるらしい。シェリアイーダはラケシュに向かって言った。

「当初はおひとりのつもりでいらしたけれど、偶然ナジムさんが来られたから、この機会にと誘い合わせておいでくださったのですね。ありがとうございます」

 驚きがおさまって丁寧な口調を取り戻した王女に、ラケシュは鼻を鳴らした。

「さっきみたいに露骨に好奇心丸出しで食いついてくるほうが、正直に見えますけどね、王女殿下。持って回った言い方で格の差を見せ付けて、庶民は遠慮しろってわけですか」

「ラケシュ! ちょっとは立場を考えてよ」

 マヨーシャがささやきで叱ったが、またしてもラケシュは取り合わなかった。シェリアイーダは赤面し、そわそわしながら応じた。

「前々から無径の方にはいろいろ尋ねたいことがあったものだから、つい不躾に『食いついて』しまって失礼を反省したのだけれど、あの……ラケシュさんはつまり、それで構わないと言ってくださるのかしら。礼儀や遠慮を保つよりも、ずけずけ質問しても良いと?」

 ごちそうを目の前にしておあずけをくった犬さながらの王女に、ラケシュは毒気を抜かれて呆れ顔になった。親戚と王女の板挟みになったマヨーシャが天を仰ぎ、伝道者ナジムが失笑する。

「お聞きした本題――東部遠征の件よりも先に、話すことがたくさんありそうですね。ひとまず、少しここから離れませんか。あなた方は具合が良くないでしょうし、我々も落ち着いてじっくり話し合える状態にないので。ああ、学者さんには仕事をしてもらうとして……あそこの木陰にでも」

 ナジムが手振りで示したのは、湧出点に通じる小道を挟んで向こう側、せせらぎのほとりにある普通の木立だった。シェリアイーダは護衛の警士と獣兵に了解をとりつけ、そうしましょう、と同意した。

 その辺りはどうやら地元の人々や通行人が一休みする場所になっているらしく、明らかに皆が馬や驢馬を繋いだとおぼしき枝が張り出し、そこいらの草はあらかた食い尽くされていて、地面には多数の靴跡や焚き火を埋めた跡も残っていた。

 無径者たちは離れた場所に驢馬を繋いでいるという。草がないのと、王女一行に見付からないように、との配慮からだ。元気の良い若者が二人、要る物だけ取ってきます、と駆け出す。待っている間に、リゥディエンがイーヴァの背から荷物を下ろし、野外用の敷物をさっと広げた。てきぱきと王女のために場を居心地良く整える動作は、慣れたものだ。ラケシュが不思議そうにその様子を眺めて王女に問いかけた。

「この人、召使とかには見えないけど、王宮の兵士って皆こんなに気が利くの? 男なんて、肉を焼くことしか興味ないと思ってた」

「彼はリゥディエン。兵士じゃなくて、私専属の警護をつとめる警士なの。気が利くのは、長年一緒にいて従者のような仕事もいろいろしてくれているから……こういうのも、出発前に彼が用意してくれたのよ。途中どこかで軽食を取る必要があるだろうから、って。わたしは街道沿いに食堂や茶店があるのにと思っていたけれど、やっぱり必要だったわね」

「ふぅん……まめな男っていいね」

 複雑な声音と醒めた表情でそんな感想をつぶやいたラケシュに、シェリアイーダは小首を傾げ、遠慮がちに問うた。

「まめじゃない殿方のお世話をしているの? あなたは生活があるから東には行けない、とマヨーシャから聞いたけれど」

「旦那はいないよ、殿方っていうのがそういう意味なら。だけど親の世話をしてるから。材料の買い付けに出る時以外、家を離れられない」

「ああ! あなたは雑貨を作っているのだったわね、そう、それで鞄をお願いしたいと思っていたの。どうかしら、作れる? 間仕切りとか小物入れとか、いろいろ注文したい部分があるのだけど」

 シェリアイーダが思い出して声を弾ませると、ラケシュは「ええまぁ」とひとまず肯定したものの、若干及び腰になって頭を振った。

「あんた変な人だね、王女様。単に庶民的っていうんじゃなく……ちょっとおかしい」

「でしょうね」

 気を悪くするどころか、シェリアイーダは本心から笑ってしまう。ラケシュはこちらの正気を疑う目つきをしたが、ため息をついて変な王女を受け入れた。

「自覚があるんなら、おかしくないのかな。ええと……うん、鞄は街に戻ってから詳しく聞くよ。あたしは袋物を主に作ってるから、要求がはっきりしてるならそれに合わせられる。今はそれより、……あのさ、はっきり言うけど、あんたよく平気だね? ウルヴェーユなんか最低最悪の代物だ、って言ってるあたしらに囲まれて、そのウルヴェーユでつくりだした獣と人の合いの子なんか連れて、当たり前の顔してるなんて。おかしいよ」

 理解できない、とラケシュはあからさまに不気味がる。会話の端々を耳にしたリゥディエンが気遣わしげに振り向いたが、シェリアイーダは気にしなくていいと手振りで示し、改まってラケシュに向き合った。

「あなたからすれば、そうなのでしょうね。でもわたしは何もおかしなことはしていないつもり。あなた方はウルヴェーユが罪のわざだ、と言うけれど、それが本当に何かしら根拠のあることなのかどうか、わたしはあなた方にきちんと尋ねて確かめたい。そのうえで、実際にウルヴェーユに問題があるのなら、どうすべきかを考えていくのがわたしたち王族のつとめ。……勝手に探って申し訳ないけれど、あなたは有径者よね? 共鳴するからわかる。路を閉ざしてもいない。それはたぶん、あなたが日々暮らしていくうえで、やっぱりどうしてもウルヴェーユを使わなければ立ちゆかないことが多いからでしょう。自分だけなら信念を優先できても、世話をしている家族がいるなら、そうはいかない」

 シェリアイーダは淡々と推論を述べていく。見透かされたラケシュは顔をひきつらせ、うつむいた。シェリアイーダは同情も攻撃しない中立の声音を保とうと意識しながら、続けて語りかけた。

「労僕や獣兵を生み出したことについては、わたしも正直、罪悪感がある。でもそれはウルヴェーユが世界樹を穢している、という話とは別の問題。……彼らをどう扱うのか、彼らなしで人間だけでやっていけるのか、いくべきなのか。それはわたしたちの在り方の問題であって、知恵と技の是非とは論点がずれるわ。まずそこをはっきりさせないと、ウルヴェーユすべてを禁ずる必要があるのか、それとも使い方の問題なのか、倫理の問題なのかという切り分けもできないでしょう」

「ちょっと待って、……何言ってんのかよくわからない」

 ラケシュが困惑して首を振る。そこへちょうど、ナジムがやって来た。口の端に笑みを残し、獣兵を振り返り振り返りしながら。

「だいたいのお話は聞かせてもらいました。ラケシュさんとは――他の皆とも、後ほど改めてゆっくり話し合うことにしましょう。いやそれにしても、あの獣たちは懐っこくて純真ですね!」

「良い子たちでしょう」

 ふふ、とシェリアイーダが笑い、ナジムも何度もうなずく。

「彼らを生み出したわざは残酷で醜悪と言っても過言ではないが、彼ら自身には何の罪科もない。困ったものです。……西部の同胞が彼らに攻撃されるのだと思うと、なおさら」

 言葉の半ばですっと真顔になり、声を低める。シェリアイーダも沈痛な面持ちで目を伏せた。

「最初から兵士として生み出された命ではあるけれど、彼らが人を殺さずに済めば良いのにと願っています。願うだけで何もできないのが口惜しいのですが」

「何もできなくはないでしょう。現にあなたはこうして彼らを連れ歩き、戦に出すのではない使い方を衆目に示している。軍の決定を左右する力はなくとも、その決定以前の段階に働きかける努力はなさっていると、我々は見ていますよ」

 意外な理解を示され、シェリアイーダは驚いてまじまじと青年を見つめた。自分たちの同胞を殺すためにつくられた生き物と、その開発に携わった本人ではなくとも王族の一人に対して、こうも好意的な見方ができるとは。

 王女の凝視に、伝道者ナジムは「違いましたか」と小首を傾げる。シェリアイーダは微笑を返した。

「ありがとうございます。皆がそのように理解してくれたら良いのですが」

「ああ……残念ながら、全員ではありませんね。我々、とは言ってもやはり、西部にいて日々軍の攻撃に晒されている皆は感じ方が違う。今回の東部平原行きにしても、調査そのものが我々を騙す方便だと疑うでしょうし、仮に本当に新たな土地を手に入れられるとしても、結局やはり今までと同じく有径者が美味しいところを全部奪うに決まっている、と言われるのは目に見えています」

「自由な新天地へ行きたいとは思いませんか。もちろん、生まれ育った土地で自由を得られるのが一番良いとは承知です。でも、東部の開拓に力を貸して頂けたなら、あちらに無径者だけの国を造ることも叶うでしょう」

「どうですかね? 多少、我々の地位は上がるかもしれませんが、そこまでは。今は東部でウルヴェーユを使えないから我々無径者の助けが要ると言いますが、万事上手く運べばあちらでも世界樹が活動を始めて、術が使えるようになるのでしょう? 事前にどんな約束をしていたとしても、用済みになったら反故にするのが強者のやり口です」

 甘い言葉には騙されませんよ、との皮肉をくれたナジムに、シェリアイーダは真顔で答えた。

「実際に世界樹をよみがえらせるまで確かなことは言えませんが、恐らくあちらの世界樹は弱く不安定です。だからこそ“枯れ”て、大地が凍てついてしまった。あなた方はウルヴェーユが世界樹を穢す、と主張されていますが、真偽はさておき実際問題として大規模な術を休み無く働かせ続ける施設などは、世界樹に何かしらの影響を与えずにはおかないでしょう。そう考えると、凍った大地が融けて住める状態になった後でも、あまり――あるいは全く、ウルヴェーユを使えない生活を余儀なくされると予想されます」

「……その予想は、誰がどこまで?」

 さすがにナジムが驚き、疑わしげな顔になる。苦心惨憺手に入れても旨味がないのなら、いかに広い土地とはいえ、敢えて拓く必要はないではないか。

 シェリアイーダは肩を竦めた。

「今のところは、わたしとマヨーシャの間で話しているだけです。現地に行ったイルマーフ殿や調査隊の人は薄々気付いているかも。各省長官や国王陛下は何の予想もしていないようですね。とにかく土地を手に入れて、下々の者がせっせとそこを耕して実りを納めるのを期待しているだけ。貴重な鉱脈でも見付かれば大喜びでしょう」

 辛辣に評してから、ふと首を巡らせ、無径者の若者があれこれ抱えて戻ってきたのを見付けて目を細める。難しい話をただ聞いているのに飽きたラケシュが、そちらへ行って手伝い始めた。敷物を広げ、水筒を出して茶碗を配り、干し棗の包みを開ける。そこには色も音もかかわらない、昔ながらの作業があるだけだ。

「ナジムさん。わたしはウルヴェーユを善きものと考えています。人が生きる助けになり、自由をもたらすものであると。ですが一方で、彩紀以前の人々がそうだったように、理の力など知らずとも自ら手を動かして文明を築いてきた、その忍耐と知恵と工夫にも敬意を払っています」

 侍女との会話が脳裏をよぎる。かつてそうだった在り方が、東部では再び当たり前のことになるだろう。

「東部平原を拓くことは、第一にワシュアールにさらなる富をもたらすためという名目であり、だからこそ多くの資金が注ぎ込まれています。そのわかりやすい欲望の陰で、あなた方も得られるものがあるのではないでしょうか」

「協力するふりで土地を奪い取ってしまえ、と? 唆してくれますね」

 それとも罠ですか、とナジムが鋭い笑みを見せる。これまでの穏便な物言いに隠された牙がちらりと覗いた。シェリアイーダも少しばかり悪党めかした笑みを閃かせる。

「正々堂々、協力の対価として土地を分け与えるよう要求するのは当然の権利です、ええもちろん。ですがもうひとつ裏の方法として……建前としての流刑地、というのも利用できはしないかと、思案しているところです」

「建前?」

「ええ。イルマーフ殿は、自分が勧誘しても体のいい流刑だと思われるだけだ、と言っていましたが、実際そうした利用法を考える貴族官僚もいるでしょう。新天地といえば聞こえは良いけれど、そこでの暮らしは厳しい。罪人を送り込んで開拓させ、自分たちは本国にいながら甘い汁だけ吸いたい、とね。ならば、お望み通り東部へ“流され”て、先に自分たちの体制を敷いてしまえば良いではありませんか」

「国王陛下を出し抜くというわけですか。面白そうですが、そのためには罪人を護送する役人や現地で人々を監督する役人を抱き込まないといけませんよ。見込みはあるのですか」

「それはまだ不明です。こういう手もある、という提案の段階ですから。西部の方々に伝えて、東部調査隊に協力する利点、移住開始へ先んじて優位を取れる可能性として考慮して欲しいのです。次の調査に同行すれば、いちいちわたしを介さなくとも、人倫派の方々と東部調査隊との直接のつながりができるでしょう。国土省の内部に協力者を得られたら、移住が始まった時、現地での要職にあなた方のお仲間を送り込めるかもしれない。そうすれば“流刑”の実態も……」

 あとは言わずともおわかりですね、とシェリアイーダは身振りで示す。ナジムは黙って聞いている間に表向きの柔和さがどんどん剥がれ落ち、最後にはいかにも策略家らしい悪辣さの窺える苦笑いになっていた。

「……随分と、まぁ……」

 つぶやいて頭を振る。それきり彼が黙考しているので、シェリアイーダは時間を与えることにして、リゥディエンのもとへ向かった。

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