冬至祭

   *


 予想に反して、雪は降らないまま冬至祭がやってきた。寒さは厳しいが例年とさほど変わらず、霜で真っ白な朝はあっても昼前には消える。

 この冬はどうやら過ごしやすそうだ、と既に誰もが楽観する雰囲気になっていた。町のあちこちに総督府の人々が断熱保温の術を施したおかげもあって、いつもの年より楽なぐらいだ。当初は拒否したが、後から内緒でこっそり頼みに来た家もある。

 とは言え、屋外は耳が凍りそうな寒風が吹いているし、施術していない神殿にいると爪先から痺れてくる。ジェハナは羊毛のケープをぎゅっと巻き付け、凍えた指先に息を吐きかけた。

 聖域内では、タスハが冬至祭の準備で忙しくしていた。二人の弟子もあちこち出たり入ったり、あわただしい。ウズルのそばにはマリシェの姿もあった。外では町の人々が牡牛を屠って解体し、供物にする心臓を取り分けている。ジェハナも何か手伝おうと、高坏に供物のパンを盛り、祭壇に並べた。

 火の神アータルの力を新しくし、一年で最も長い夜に乗じて悪魔が忍び寄らぬように祓う儀式である。聖域で常に燃えている聖火を一旦落とし、新たに火を熾すのだ。

 旧い火は既に、持ち運び用の壺に移されていた。聖火台は一年の煤や灰を掃除し、すっかり清められている。タスハはそこに、今日のために一年前から特別に取り分け清めておいた薪を組んでいった。

 火打ち石と火口を用意し、カチカチと打つ。かじかんだ手では、なかなかうまくいかないようだ。ジェハナは恐る恐る聖域のそばまで歩み寄った。

「あの……祭司様。もし良ければ、お手伝いしましょうか?」

 簡単な雑用だけでなく、もう少し儀式に深く関わりたくて、申し出る。あかぎれに血を滲ませて火打ち石を使わなくても、《火熾しの詞》ひとつで済むのだ。タスハが怪訝な顔を向けたので、彼女は薪の間に置かれた細い樹皮屑を視線で示した。

「そこに火をつけたら良いのですよね?」

「よしなさい」

 間髪をいれず、強い声が制した。ジェハナはびくりと竦み、身をこわばらせる。断られるかもとは思ったが、こうきっぱり拒否されるとは予想外だった。やんわりとした穏やかな態度に慣れてしまったせいで、少し厳しくされたのが堪える。

「すみません、差し出たことを」

 萎縮した彼女の横から、ウズルが不満げに口を挟んだ。

「タスハ様、そんなにきつく断らなくてもいいでしょう。ウルヴェーユが神々の恵みを損なうものでないのなら、火を点したいというジェハナ様の願いを受け止めるのも、祭司のつとめじゃないんですか。これからは、町の人たちだって皆、ウルヴェーユを使うようになるでしょう。だったら、いつまでも古いやり方にこだわるべきじゃない」

 自信と、前向きな希望に満ちた口調だった。タスハのいつになく険しいまなざしをも跳ね返すように、胸を張っている。本人は正当な主張をしているつもりだろうが、ジェハナの目には蛮勇と映った。はらはらしながら、わたしが悪かったと詫びて場を取りなそうと口を開く。だがタスハの方が早かった。

「本気でそう思っているのか」

「いい加減な気持ちで言っているんじゃありません」ウズルはむっとして言い返す。「これからは神殿も、新しい暮らしに合わせていくべきです。ウルヴェーユで火を点したからって、手抜きや冒瀆になるわけじゃない。そのぶん、祈りに時間をかけられるじゃないですか。歌や楽だって、色の調和を整えたらもっと素晴らしいものに……」

「ウズル」

 鋼のごとく重い声が、ウズルの弁舌を断ち切った。怯んだ少年に、タスハは一言一言、鑿で刻むようにして諭した。

「おまえはもう一度、儀式の本質をよく考え、思い出しなさい。作法や手順を、単に昔からそう決まっているから、丸暗記していただけなのか。なぜ、何のために神々をお祀りし祈るのか。己の魂に問い、神々と先祖の霊魂に問い、しかと納得した上でやはり変えるべきであると考えるなら、改めて話を聞こう。二人だけの場で」

 最後の一言で、ウズルの頬にさっと朱が差した。マリシェの前だからと開明的な一人前の男を装うな――そう釘を刺されたのだ。悔しそうに唇を噛んだ少年に、タスハはそれ以上の言葉をかけず、また火打ち石に取り組んだ。

 ややあって無事に新しい火が燃え上がると、タスハは恭しく一礼し、壺から旧い火の一部を取って聖火台に戻した。これでまた、由緒ある炎が受け継がれたというわけだ。壺に蓋をして残りの火を消すと、彼は勢いよく燃える炎に向き直った。

「アータルの祝福あれ! 聖なる火はここによみがえり、闇を祓い我らを守りたもう!」

 祭司の宣言を受けてシャダイが祭殿の戸口を開け放ち、牡牛の心臓を載せた皿を掲げ持ったハドゥンが現れる。町の人々がそれに続き、礼拝室にぎっしり並んだ。

 ウズルも気持ちをどうにか切り替えて、無表情を保って祭式をこなしてゆく。

 火の神を讃える朗詠、荘厳な無言歌には鳴り物の伴奏。新しい火が勢いよく燃え、火の粉が舞った。そこに、タスハは豆を載せた皿をくべる。

 歌が終わっておもむろに皿を取り出したタスハは、難しい顔でそれを睨んでいた。毎年おこなわれている卜占だが、今年は皆が楽観的になっているのもあり、より慎重にしるしを読んでいるのだろう。

 長い沈黙の末、彼は顔を上げ、会衆を見回した。

「お告げは変わりません。やはりこの冬は、厳しくなりそうです。今のところは雪も降っていませんが、各々、備えを怠らないように。帰ったら燃料と食糧の備蓄を必ず確かめてください」

 人々がざわつき、顔を見合わせる。祭司様がそうおっしゃるなら……でもまぁ、あの魔法で家は暖かいしな……大丈夫だろう。

 そんな雰囲気の内に、供物の分配や片付けが進み、祭儀の後の軽い虚脱感と共に人々は帰っていった。その間、ウズルはむっつり押し黙って口をきかず、もちろんにこりともしなかった。師に一言かけもせず、自分の仕事を終わらせてさっさと出て行く。最後まで残っていたジェハナは、いたたまれない思いでタスハに歩み寄った。

「あの……祭司様。さきほどの失礼はお詫びします。見習いでさえない、まだよそ者のわたしが祭儀にかかわろうなんて、図々しかったと反省しています。ですがどうぞ、あまりきつくウズルさんを叱らないでください。彼が言った通り、これからは皆がウルヴェーユを日常的に用いるようになります。《詞》で点した火を神々に捧げることを禁じたら、祈りに来る人の足を遠ざけてしまいます」

 ジェハナは控え目に頼んだ。この変化はもう後戻りしない。いずれ、ウルヴェーユを用いずに火を熾す方法を知らない世代が増えるだろう。そんな流れにあって、彼らに灯明を捧げるなと言えば、ただ神殿が廃れるだけだ。ワシュアール王国にとってはむしろ歓迎すべきだが、ジェハナ個人としては、この敬虔な祭司の生きる場を奪いたくない。

「《詞》ひとつで熾した火よりも、火打ち石で手間をかけた火のほうが尊い――そうお考えなのだとしたら、ええ、それはわかります」

 彼女が認めると、タスハは意外そうに眉を上げた。無言の問いに答えるように、ジェハナは続ける。

「ワシュアールの都でさえ、そうした考えは珍しくありません。楽に手に入れたものよりも、苦労したもののほうが価値がある。わたしも理解はできます。知識や技術や経験は、苦労し、回り道して得たものがより深く根を下ろす。簡単に手に入れたものは往々にして失うのもたやすい。ですが、『自分のものにする』のでなければ、話は違います。たとえば……高い枝に生った果実を採るのに、手足を傷だらけにして危険な木登りをし、あげく果実にも傷をつけてもぎ取ったとして。地上からウルヴェーユで、安全に、楽に、むろん果実に傷もつけず収穫した場合と。どちらが市場で高く売れるでしょう?」

「わかりやすいたとえ話ですが、神々を市場の客になぞらえるのは如何かと」

 冗談めかしてタスハが言った。ジェハナも苦笑し、そうですね、とうなずいた。

「あまり良いたとえではありませんでした。でも、捧げものの価値、という点では適切でしょう? それに……ウルヴェーユで得た火は『きれいな傷のない果実』というだけではありません。タスハ様も、もう路の感覚がかなり強まっているでしょうから、わたしの言うことも実感としてご理解いただけるでしょう」

 胸に手を当て、同じものを相手の中にも見るように視線を据える。タスハがたじろいだが、ジェハナは逃がさず踏み込んでいく。

「ウルヴェーユは、己の内なる路を通じて理の深淵に降りてゆくわざです。魂を通じて、世界そのものと個人をつなぐわざ。であればこそ、それによって得た火は純粋であり、魂がこもっている。……そうは考えられませんか?」

 彼女の声に引き込まれるように、タスハもいつしか己の胸に手を当て目を伏せていた。微かな路の共鳴。ジェハナの路に満ちる光が、相手の異なる色彩の揺らめきを映して震える。静寂の底を、密やかにわたってゆく音色。

 しばし黙想し、タスハはふうっと深く息をついた。手を下ろして顔を上げ、いつもの穏やかな微笑を浮かべる。

「むろん私は、ウルヴェーユによって灯した火を退けはしません。あなたが、あるいは他の誰であっても、自らの祈りのために捧げるならば。先ほどのあなたは、ご自身が神々に灯明を捧げたかったのではないでしょう? 私が不器用にもたついているのを見かねて、助けてやろうとしてくださったわけで」

「ち、違います! 不器用だとか見かねるだとか、決してそんなつもりは」

 指摘を受け、ジェハナは大慌てで否定した。むしろ許されるなら、彼が火を灯し捧げるところをいつまでも見ていたいぐらいなのだ。火打石にてこずっている時でさえ、彼の手つきは丁寧で美しい。そんな疚しい目を注いでいるのに気付かれたかと、見当違いの羞恥で一気にのぼせてしまう。

 彼女の反応にタスハは目をぱちくりさせ、次いで嫌味のない笑いをこぼした。

「いや、うん、親切には感謝します。しかし手間がかかっても……手足を傷だらけにしたあげく果実まで傷をつけてしまうとしても、それが私の祈りに必要なのだから、どうか取り上げないでください」

 タスハの声は静かだが、揺るがぬ強さを秘めている。ジェハナは熱くなった頬を両手で押さえていたが、さらに恥じ入って耳まで朱に染めた。うずくまってしまいたいのをどうにか堪え、深々と頭を下げる。

「おっしゃる通りです。浅慮でした、申し訳ありません」

「ああ、いや……とにかく、ありがとう」

 とりなそうとするタスハも、ほんのり頬が赤い。ごまかすように咳払いし、彼は話をそらせた。

「ウズルのことも、御心配をおかけしたようで申し訳ない。多少、見栄を張っている様子が見られたので厳しくたしなめましたが……以前から予想はしていました」

 寂しげな声音だった。ジェハナの胸がずきりと痛む。彼の弟子を、旧来の信仰とつとめから引き離したのは、自分たちだ。いったいどれほどのものを彼から取り上げたのか、考えると背筋が冷える。彼女の罪悪感を表情に読み取ってか、タスハは安心させるように微笑んだ。

「彼は若い。ウルヴェーユを受け入れる柔軟性があります。恐らくこの先の時代、神殿が人々の暮らしの中で役目を果たし続けてゆくには、新しい感覚にもそぐう形に変わってゆかねばならないでしょう。その道のりは前人未踏であり、私にも導くことはできません。彼は独力で、自らの魂に向き合い、新しい道を模索し、旧い信仰の最後の砦を――私を、踏み越えてゆかなければ」

「そんな! それではあなたが憎まれ役じゃありませんか」

 ただの頭の固い旧時代の弊害、若者の未来を邪魔する悪者にされてしまう。ジェハナは真剣に憤ったが、当人は皮肉めかして眉を上げた。

「ええまったく、独善的で腹立たしい師匠ですね。とは言え私も、一年や二年でウズルにすべてを譲って引退するほどの年寄りではありませんから、どこかで折れて妥協しなければならないでしょう。その時、あなたにとりなしていただけるなら心強い」

「わたしとしては、そんな無用の対立をわざわざ経なくても、師弟ともに手を携えてウルヴェーユとの共存を探って欲しいと願いますけれど」

 不満げに唸ったジェハナに対し、タスハは問いかけを返した。

「そうして、旧い時代のともしびを大事に抱えている人々を、祭司のいない孤独な闇に放り出すのですか? あなた方の神々はもう力を喪ったのだ、と突き放すのですか」

 諭す声は静かで、覚悟に裏付けられた力を湛えていた。

「年長の世代は、新たな変化についていくのは難しいでしょう。ずっと寄り添って生きてきた神々を奪い取ることは、魂を奪うことにほかなりません。若い世代であっても、資質に恵まれていなかったり、あるいは何かの理由で……神々を心から求める人は、恐らく絶えることはないでしょう。そうした人々のためにも、私は敢えて昔ながらの信仰のあり方を、守っていくつもりです。たとえ……祈りや占いが、本質的には内なる路を辿っているにすぎないのだとしても、その事実をもって、魂の真実を否定するべきではない」

 真顔でそこまで言うと、彼はふと恥ずかしそうに微笑んで一言添えた。

「事実の探求は大変面白く、熱中させられますがね。それはそれとして」

 ジェハナもつられて口元を緩め、おどけた。

「そこまで考えておいでなら、わたしが先日の宿題に頭を悩ませる必要もなさそうですけれど。まさか、今この場での思いつきではありませんよね?」

 途端にタスハは口ごもり、いやその、とかなんとかごまかして赤面する。ジェハナは追及せず、ただうなずいた。

「ご自身なりの結論を出しておいでなのに、異なる立場からの見解を確かめようとされる祭司様の姿勢は、わたしも見習わなければいけませんね。どうしてもわたしは、ワシュアール人として、導師としての判断や目的が先に立って……実際にあなた方がどう感じ、考えているのか、見定めることを疎かにしてしまう。もう半年以上もこの町で暮らして、ウルヴェーユを知らなかった人たちの声もしっかり聞いたつもりでいたのに、まだまだ何もわかっていないんだと気付かされます」

 彼女は目を伏せ、わずかに自嘲のまじる笑みを閃かせた。

 ウルヴェーユを広め、旧来の信仰を駆逐するのでなく、融合し共存していけるなら素晴らしいではないか……そう勝手に思い決めていた己の傲慢を、いまさら自覚させられた。旧い信仰を何より大事に想う人々にとっては、融合も共存も、異教による汚染でしかないのだ。支配者から強いられるから、仕方なく受忍するだけであって。

 改めて彼女は丁寧に一礼した。

「今後も多くを学んでいきたいと願っています。どうぞご教示を賜りませ」

「こちらこそ」

 穏やかな返事に、ジェハナはほっとする。

(少しはわたしも、タスハ様に近付けたのかしら。思慮も配慮も、まるで遠く及ばないけれど……ただの未熟な小娘ではなく、対等に意見交換できる相手だと認めてもらえたのなら、良いのだけど)

 タスハに好意を――恋情を抱いているのは確かだ。だが、それがゆえ彼に気に入られたいのではない。熱に浮かされたようにただ相手を求めるのではなく、揺るぎない信頼と友情を得て共に歩みたいのだ。

 己の願いを改めて強く胸に抱き、ジェハナは神殿を後にした。

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