どうしよう

 裁判が終わってほどなく、広場で刑が執行された。

 町によってはこうした見せしめは娯楽にすらなっているものだが、カトナの人々は、刑罰の内容からすると極端なほど深刻な表情で見物していた。

 ハムリ王国の時代にも、同様の処刑は珍しくなかった。小さな町ゆえ内々で始末をつけられることが多かったが、それでも、商売で不正をしたとか夫婦喧嘩だとかで見せしめにされる者はおり、住民の鬱憤晴らしとして格好の餌食にされていたのだ。

 だが今回はまったく様子が違っていた。刑罰の内容自体は変わらずとも、罪人が違う。皆が手を焼いていたギムランはともかく、郷士の妻が手枷をはめられているのだ。しかも身重だというのに。

 恐れと興奮が町を静かに覆っていった。

 なんと厳しい。だが、いいざまだ。郷士やその親戚でもああなら、俺たちは……。

 さまざまな思惑と憶測。ようやく町に馴染んだ総督府に対する、ふたたびの隔意。

 カウファ家と総督府の関係はこれ以上ないほどに冷え込み、イムリダールは眉間にしわを寄せてばかりになった。

「やれやれ、田舎権力者の相手がこんなに面倒だとは思わなかった。下手に宥和など考えず、制圧から始めていたら良かったのかもな」

 物騒な愚痴をこぼした兄に、ジェハナは「しーっ」と人差し指を立てた。夕食後の広間に残っているのは兄妹だけだが、誰の耳に入るか知れたものではない。

「なまじ滑り出しが良かったから、つまずくと困難に感じるのよ。明文化された法による裁きも、ウルヴェーユも、ここの人には初めてなんだもの。そう簡単にはいかないわ。でもこれでマリシェとご両親はわたしたちに味方してくれるし、今までじっと不公平に耐えてきた人は喜んでくれるはずよ。暗い面ばかりじゃないわ」

 良いこともある、とジェハナは慰めたが、イムリダールはますます渋い顔になった。

「ああ、そうだろうな。それで旧来の名士様と下層民との対立が悪化するだろう。間に立たねばならない我々は板挟みになるというわけだ」

「そこをなんとか取りなして綱渡りするのが、総督の仕事でしょうに。上から押しつけるだけでは、法の精神は根付かないと、赴任前におっしゃったのはどなたでしたっけ」

 軽い皮肉に、低い呻きが返る。ジェハナが失笑すると、イムリダールも気を取り直して眉間をこすった。ゆっくりと茶を飲み、香気を堪能して緊張をほぐす。

「どうも悲観的になっていけないな。兄上の手紙のせいだ」

「何かあったの?」

「いや、まだ具体的に事件が起きたというわけじゃない。だがどうも雲行きが怪しいらしいんだ。ギムランよろしく、俺だけは何をしても罰せられない、と勘違いしている輩が王宮にのさばりだしているらしい」

「……お父様は?」

「相変わらず南の紛争地に送られたままだ。エサディル王の身辺から旧い臣が遠ざけられているせいで、王本人までが、己の都合勝手を法よりも優先させることがあるとか。兄上が心配だな」

 憂鬱に言って、イムリダールは深いため息をついた。ただでさえ精神的に不安定な若い王が、拠り所にすべき法を逆に己のほしいままにできる支配の道具だと勘違いしたなら、何を始めることか。彼は独白のように慨嘆した。

「強者が弱者を虐げぬように……それこそが、そもそも法の意義であり精神であるのに、このままでは」

「ダール、そんなに思い悩まないで。ここであれこれ気を揉んでも、何ができるわけでもないんだから。それより、都で何があってもここは大丈夫だと言えるように、町の人たちと協力していきましょうよ」

 ジェハナは穏便に励まし、うん、とうなずいて続ける。

「ほら、幸いわたしたちには強い味方がいるじゃない。裁判の時も、おかげで無事に乗り切れたんだし」

「祭司殿か?」

 イムリダールは怪しげに眉を上げた。ジェハナは「そうよ」と強い声音で肯定した。タスハの人となりに疑いをかけられたと思ったのだ。

「神殿までが敵だったら困難どころの話じゃないけれど、あの方は基本的にわたしたちのやり方を認めているもの。町の人の信頼も厚いし。カウファ家との関係も、時間はかかるかもしれないけれど、あの方が取り持ってくれたらきっと修復できるわ」

 熱を込めて語り、はたと気付いて、いい加減に何か御礼をしなきゃいけないわよね、とつぶやく。そんな彼女に、イムリダールはさらに胡乱な目つきを向けた。

「信用しすぎじゃないのか。祭司だぞ」

「祭司だったら何? 形式的に伝統を守るだけでお布施を巻き上げる、都の神官とは違うのよ。あの方は実際の生活において信仰を守っているのだし、神々を尊重するがゆえにこそ、人に対しても誠実だわ」

「おい。おまえ、そんな……」

「あなたは何も感じないの? あの方が灯明を捧げる手がどれほど丁寧か、祈りがどれほど深いかを見れば、立場の相違はともかく、人として信じるに値するとわかるはずよ!」

 憤慨してそこまで言い切ったジェハナは、兄が何をそれほど愕然としているのか、すぐには理解できなかった。

 ややあってイムリダールは、この世の終わりだと言わんばかりの顔になって、両手で頭を抱えてしまった。

「待て。待て待て、おい……冗談じゃないぞ、勘弁してくれ。おまえ、まさか本気じゃないだろうな。よりによって、あんな冴えない男に惚れたのか!?」

 語尾はもう完全に悲鳴である。ジェハナはぽかんとし、次いで見る見る頬を染めた。反射的に否定するつもりで口を開いたものの、違う、との一言が喉につかえる。代わりに飛び出したのは、別の言葉だった。

「誰に惚れようとわたしの自由でしょう!?」

「ものには限度があるだろう! なんだってこんな田舎の貧乏祭司なんかに……都ではもっと若くて将来有望で見た目もましな男がいくらでもいただろうに、どうしてよりによってあいつなんだ! ああ、まずい、こんなことが兄上に知れたら」

「結局自分の心配なの? 随分失礼に腐してくれるけど、タスハ様があなたの立場なら、そんなことは言わないわよ!」

「それが信用しすぎだと言っているんだ! 落ち着いて考えろ、相手は祭司なんだぞ。町の住民と我々との間でうまく立ち回って、神殿を守らなければならないと承知している、支配される側の人間だ。おまえの心証が良くなるように振る舞うのは当然だし、こちらに都合が良いようにはからうのも、彼自身と神殿の利益のためだ。単純に人柄がいいからという話ではない。勘違いするな」

 イムリダールの厳しい説教は、年長者として、また上司として、正当かつ常識的なものだった。が、正しさも時と場合によるのが世の常。

「勘違いはあなたよ! 相手がどんな人間か、ろくに見ていないくせに!」

 叩きつけるように言ってジェハナは立ち上がり、荒々しく外へ出ていった。

 例によって中庭を囲む通廊に腰を下ろし、黒い影となった庭園を睨む。晩秋の夜とて、かなり寒いが、のぼせた頭を冷やすにはこのぐらいでなければ。

 両手に顔を埋めて息を吐き、己の言動を思い返して後悔に沈没する。惚れた、と言われて咄嗟にそのまま言葉を打ち返してしまったが、

(ああ、わたしったら。違うのに。そんなつもりじゃないわ、だって)

 タスハのことを異性として、恋情をもって見たことなどなかった。ないはずだ。彼を思い浮かべる時、いつもそれは敬虔な祈りの姿であり、こちらまで心が澄み渡るような感覚を伴っている。今も。

(ほら、落ち着いてきた。だから違うのよ。祭司として、人として、敬意を持っているだけで……ええまぁ、時々、ちょっと可愛らしいだとか思ったりはしたけれど。殿方としてどうだとか、そんなことは)

 自分に言い訳するにつれ、次々とタスハの姿が脳裏をよぎっていく。美しい手の仕草。羞恥に背けられた赤い横顔、真剣にこちらを案じて叱る厳しいまなざし。ふとした時に向けられる、穏やかな優しい微笑み――

(待って、待ってわたし、待ちなさい! 本気なの? 嘘でしょう!)

 一旦おさまった火照りがぶり返し、ジェハナは天を仰いだ。今度はもう顔どころか、全身が茹だったように熱い。うっかり手を握った時のこと、日常のなかでたまに指先や肩が触れた瞬間の記憶が、驚くほど鮮やかによみがえった。途端に、熱した蝋よろしく溶けてしまいそうになる。自分の反応が信じられなくて、彼女は頭を抱えた。

(無理よ、だってそんな、立場が違いすぎるし……ハドゥン様はああ言ったけれど、実際きっとあの方がわたしを必要とするとしたら、それは導師としてであって)

 混乱し、とりとめもなく思い巡らせる。豊穣祭でのやりとりに続き、今し方の兄の失礼な台詞もつながってきた。もっと若くて将来有望な男がいただろうに、とは、兄だけの意見ではあるまい。ジェハナ自身もやはり、まさかこんな所であんな相手に想いを寄せることになろうとは、夢にも思わなかった。

(お母様はなんておっしゃるかしら)

 ふぅ、とため息をつく。気の迷いで人生を棒に振らず戻ってこい、と叱るだろうか。それとも、異郷に骨を埋めても添い遂げろと背中を押してくれるだろうか。

(添い遂げ……って、だから先走りすぎでしょう。相手にされるかどうかもわからないのに、わたしの馬鹿)

 イムリダールはまるで、タスハなど相手にならないとばかりに貶したが、視点を逆にすればジェハナの方こそ分不相応だとも見える。異教の魔女で、未熟な小娘で、何かと世話をかけてばかりではないか。

(そうよ。本当に、ダールったら失礼にもほどがあるわ! 確かに家柄や財力や、ワシュアールでの地位名声といった基準で言えば、カトナの祭司というのは見劣りするでしょうけど、町の人の暮らしを支える大切なつとめじゃないの。容姿だってそんなに悪くないわよ、目を奪われるような美形じゃないだけで普通だし)

 そこまで考えて、とうとうジェハナは正直に認めた。どうやら本当に、あの祭司様を好きになってしまったらしい。それも心底から。

「……どうしよう」

 途方に暮れたかぼそいつぶやきは、誰に聞かれることもなく、夜風に溶け消えた。

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