裁判

   *


 裁判は総督府の中庭で公開された。カトナがワシュアール領になって初めてのことだ。これまでも些細な揉め事や調整は、総督立ち会いのもと、寄り合いで、あるいは郷士による仲裁で解決されてきた。だが今回は違う。

 イムリダールは表面上、平静な態度を保っていたが、はらわたが怒りで煮えくり返っているのは明らかだった。公開したのも、ワシュアールの正義のなんたるかを知らしめるのが目的らしい。

 中庭は柵で仕切られ、見物人とは別に関係者が集められていた。ツァルム・アハマト両家の当主、郷士夫妻に加え、タスハも意見を求めるだろうからと呼ばれた。別の隅には、兵に縄をかけられたままのギムランと、取り巻きの少年が三人ばかり。そして建物の通廊には、ジェハナとマリシェが緊張した面持ちで腰かけていた。

 ぽっかり空いた中央には簡素な演台があり、上に妙なものが置かれていた。石の台座に溝が切られ、薄い金属板が垂直に立っている。細かいところまでは見えないが、板の上辺左に紫、中央に白、右に赤の石がはまっている。手前に細長い棒が取り付けられており、先端が白石を指していた。タスハはそれを見た瞬間、また直観した。

(ああ、嘘か本当かを判定するんだな)

 すとんと納得してから、えもいわれぬ気分になってうつむく。己の内で標が開き、瞬いているのが感じ取れた。そこに意識を向けたなら、より詳しい知識を得られるとわかっていて、強いてその感覚を閉ざす。

(なんというわざだろう。誰に教わらなくともわかってしまう、この知識が正しいか否かを疑うことすらできないまま、真実として納得してしまう……まるで)

 まさしく神の啓示のごとくに。そう考えかけ、彼はあまりの不遜に畏れをなし、素早く首を振って思考を散らした。

 ちょうどそこへ、イムリダールが現れた。建物から出てきた青年総督は厳しい表情で一同を見回し、演台に歩み寄った。

「これより、ツァルム家のギムランに対する裁きをおこなう! 不服や抗議の申し立てはしかるべき時に聞く。それまで静粛に……騒がず黙っていることができない者はつまみ出すからそのつもりで」

 格式張った言い方を途中で崩し、彼は演台の道具に触れた。金属板の裏側、石の台座に掌を置く。

「この道具は『真実の指』という。ここに手を置いて証言する時、本人が真実を知っており、その通りのことを述べている場合、この指針は紫の側を示す」

 実際、彼がしゃべる間に棒が傾き、その通りになっていた。驚きのざわめきが広がり、イムリダールに睨まれて静まる。

「真実を知りながら虚偽の発言……嘘をついた場合は、赤を指す。『私はなるべく波風を立てぬよう、この裁判を穏便に終わらせたいと考えている』」

 途端に棒が右へ振り切れた。息を飲む気配と、緊張をはらんだ重い沈黙が落ちる。イムリダールは自分の覚悟が町の住民にしっかり伝わったのを確かめ、続けた。

「本人も事実をよく知らず、発言が不確かである場合は、中央付近を示すようになっている。『この裁判によってカトナの治安が改善するなら、誰にとっても喜ばしいことだ』」

 棒が直立し、白石の下でゆらゆらと小さく左右に振れる。イムリダールが手を離すと、ぴたりと垂直になって止まった。

「では、始める」

 こほんと咳払いし、イムリダールはまずギムランの罪状を列挙した。

「ツァルム家のギムランは豊穣祭の後、倉庫で片付けをしていたアハマト家のマリシェに暴力をふるった。のみならず、現場に駆けつけてマリシェを助けようとした導師ジェハナを侮辱し、仲間の少年らをけしかけて襲わせた。これは祭りの熱狂で羽目を外しただけのことではなく、事前に待ち伏せの計画があったと、既に調べがついている」

 イムリダールは言い、無感情にマリシェとジェハナを振り返った。

「当日に何があったか、『真実の指』にかけて証言せよ。マリシェ」

 呼ばれて、少女が緊張しながら進み出る。兵に拘束されたままのギムランが、何か喚くような動作をしたが、声は聞こえなかった。マリシェはそちらを気にしながらも、はっきりと順序立てて当日の出来事を話した。シャスパに片付けを指示されたこと、手伝おうとしてくれた女をシャスパが広場へ連れて行き一人だけ残されたこと。ほどなくギムランが来て、倉庫裏で脅され叩かれたこと。その間、『真実の指』は紫の石をぴたりと指したまま動かなかった。

 続いてジェハナが己の見聞きしたことを証言する。手の包帯を外して掲げ、投石で負った赤黒い痣を皆にも見せた。

 二人の口からいきさつが明らかにされると、続いてギムランが証言台に立たされた。イムリダールが「《解けよ》」と詠った途端に、口汚い罵りが怒涛のごとく辺り構わず放たれる。人々はその時になってやっと、彼の声が封じられていたのだと悟った。

「くそっ、あばずれめ! 魔女の手先が! おい皆、このままでいいのかよ、ええっ!? 女がみんな魔女になって、好き勝手にすんのを黙って見てるのかよ!」

 ほとんど八つ当たりの雑言を無差別に吐き散らすギムランを、兵が両側から腕を掴んで証言台へ引き立てる。そして、無理やり手を『真実の指』に置かせた。

「豊穣祭のお楽しみはわかってんだろうが! 俺のもんになる女だぞ、何が悪い! おまえも、おまえも! 皆やってるくせに、なんで俺だけ! 俺を誰だと思ってるんだ、ツァルム家の長男だぞ!」

 カタカタと忙しなく棒の先が振れる。主に紫の側に。イムリダールが嫌悪もあらわに、しかし言葉だけは冷静を保って質問した。

「マリシェに暴力をふるったことは認めるのだな。壁にむけて突き飛ばし、頬を打った」

「うっせえな! ちょっと小突いただけだ! 言う事聞かねぇ嫁を殴って何が悪い!」

 棒が大きく振れ、赤と紫を行き来する。ハドゥンが手を挙げて総督を呼んだ。

「嘘か本当か、どっちなんだ。壊れてるんじゃないのか?」

「これで正常だ。見ていればわかる」

 イムリダールは素っ気なく答え、ふたたびギムランに向き直った。

「その後、導師ジェハナを侮辱し、石を投げ、手下をけしかけて襲わせた」

「ああ、石は投げたさ! いいところを邪魔しやがるから、追っ払おうとしただけだ!」

 一旦紫に振れ、赤へ。

「おまえの仲間たちは、おまえが待ち伏せを指示したと言っているぞ。じきに魔女が来るから思い知らせてやれ、と」

「嘘だ! 来るとは言ってない、邪魔する奴が来たら追っ払えと言ったんだ!」

 棒は赤を指したまま動かない。ギムランは台から手を離そうと暴れたが、屈強な兵に取り押さえられてかなわなかった。このままでは神秘の道具に手を食いちぎられるとでも恐れてか、涙ぐんで息を荒らげる。イムリダールがさらに追及した。

「そもそも最初から、シャスパと示し合わせての襲撃計画だった。違うか」

 ギムランは答えない。そんな余裕もなくなったのか、あるいは何も言わないほうがましだと判断したのか、歯を食いしばって唸るだけ。しかし黙秘は許されなかった。

「《答えよ》」

「……っ、ああぁっ! ああ、そうだ、婆ァが持ちかけたんだ! 全部婆ァの差し金だ、俺はちょっとばかしマリシェをからかえたら良かったんだよ!」

 紫、赤、紫、赤。壊れたわけではないと理解したハドゥンがため息をつき、タスハも沈痛な面持ちで瞑目した。なんという容赦なさだろう。己の行いも、嘘も、何もかもが白日の下に晒され、何ひとつ隠しおおせられないとは。

 夫のそばにいたシャスパがそわそわし、逃げ場を探しはじめる。だがむろん、既に退路はふさがれていた。

「前へ出よ、シャスパ」

 イムリダールが厳しい声音で命じた。シャスパが竦み、ハドゥンが狼狽して割り込む。

「待ってくれ! 女房は何もしちゃいないんだぞ。今のギムランの言葉だって、半分方は嘘なんだろう。確かに女房はちょいとけしかけたかもしれんが、そのぐらいで裁かれるなんて、厳しすぎる」

「真実何も関与していないのなら、証言を恐れる必要はあるまい」

「そういうことじゃない!」

 ハドゥンは苛立ちもあらわに怒鳴った。裁きの場へ引き出されるということは、それだけで既に懲罰だ。田舎町の、そう多くもない住民の前で、疑われ難詰され、赤裸々に告白させられる。名誉は損なわれ、長く陰口をささやかれ後ろ指をさされるだろう。

「あんたがそうやって皆の前でシャスパを名指しするだけで、こっちは無傷じゃいられないんだ! あんたは事あるごとにこんな調子で、誰も彼もぶった斬るつもりか!? それがワシュアールの『正義』か!」

 ハドゥンの非難に対し、イムリダールは冷厳な態度を崩さなかった。

「勘違いしているようだな、カウファ家のハドゥン。私はこれでも温情をかけている。本来であればこの事案は、導師に対する襲撃すなわち王国に対する反逆であるとして、ギムランは即刻投獄、与した者はあまさず詮議にかけて首謀者を死刑に処すべきなのだぞ」

 よもやまさかの秋霜烈日な宣告に、場が動揺する。ハドゥンが声を失っている間に、イムリダールは事務的に続けた。

「だがギムランの悪行と卑しさが知れ渡っており、こちらも把握しているがゆえに、大それた反逆ではなく幼稚な暴行未遂として裁いているのだ。不服があるなら町全体を危機に晒した愚か者をこそなじれ」

 そこまで言い、彼は町の人々の様子を眺め渡し、タスハに視線を止めた。

「どうやら皆、納得していないようだ。祭司殿、もしこれが我々が訪れる前であれば、どのように始末をなされたのか説明してもらいたい。札付きの乱暴者が、正式な婚約を取り交わしていない少女を殴り、止めに入った者にまで暴行しようとしたならば、あなた方はどう裁くのか。まさか神のお告げ次第だとは言うまいな」

 皮肉にもならない直接的な攻撃に、タスハは一旦目を伏せて退避し、ひとつ深呼吸してから顔を上げた。

「まず第一に、このような公開の場で裁くことはありません。被害者にとってもつらいことですから。ハドゥンと私の立ち会いのもと、両家の当主同士での話し合いによって謝罪や賠償がおこなわれます」

「止めに入った者は?」

「それが大人であれば、話し合いに加わって自らの傷の賠償を求められるでしょう。償いの内容については両家の財力や、怪我の程度、そしてまた……卜占の結果によって変わりますが、概ねは家畜や翌年の麦、あるいは銀や塩で支払われます。それらは、名誉と身体に傷を負った娘の持参金になります」

「つまり結局、賠償した家がそれをそのまま取り戻すのだな」

「そのように見えるでしょうが、持参金は娘のものです。支払った家が自由にすることは認められません」

「だが娘が、暴力をふるった男の妻となれば、自由を奪われるだろう。離婚もできず、己の持参金を使うこともままならぬ。違うか」

「……場合によってはそうなるかもしれません」

 タスハは認めた。結婚前の娘を傷物――身体であれ名誉であれ――にした男が、その責任を取って娘を妻にするのは、昔からおこなわれてきた解決方法だ。どのみち他家に嫁げる見込みはほとんどないのだから。

「だからこそ、当主同士で話し合い、家族親類が監督するよう約束するのです」

「もう良い」

 イムリダールは聞くのも腹立たしいとばかり打ち切り、マリシェを振り返った。

「そなたの望みを聞こう。祭司殿が言ったような、従来のやり方でこの件をおさめることを願うか」

「――っ!」

 即座に少女は激しく首を振った。背筋を伸ばし、挑むように居並ぶ人々にまなざしを向けて訴える。

「嫌です! わたしはそんなやり方で、ツァルム家に引き渡されたくありません! 暴力をふるわれ口汚く罵られたのに、そのうえ、まるでわたしが悪いことをしたみたいに隠されたくない! わたしは何も悪くない!」

 鮮烈な朝焼けの色と共に衝撃が広がる。瞠目したタスハの横で、ハドゥンが呻く。シャスパが息を飲んで憎々しげに顔を歪め、「ふざけんじゃないよ」と唸った。はっとなったタスハが止めるより早く、シャスパは激情に駆られるがまま怒鳴った。

「この馬鹿娘! そもそもあんたが親の言いつけを守っておとなしくしてりゃ済んだんだよ。何をお勉強してるのかと思えば、人のせいにするための屁理屈かい! いちいち生意気ばかり言って反抗して、自分から殴られる原因をつくっておいて、『何も悪くない』? 甘えんじゃないよ!」

 吠えるような非難を受け、マリシェは一度は怯んだものの、ぐっと顎を引いてその場に踏みとどまった。

「甘えてなんかいないわ! 夫でもない男に、いいえ、たとえ夫だとしても、機嫌を損ねただけで殴られるのが当たり前だなんていうのが、そもそもおかしいのよ!」

 少女の主張は、大人たちの怒りと困惑、若者たちの賛同を呼んだ。シャスパは顔を真っ赤にして一歩進み出ると、ジェハナを指差し、どよめく人々を押さえつけるように大声を張り上げる。

「あんたの入れ知恵かい、この魔女が! 世間知らずで新しいものにかぶれやすい子供を捕まえて!」

 だが罵倒も長くは続かなかった。前へ出てきたのをこれ幸いと、兵士が両側から腕を取って証言台へと促したのだ。大きな腹をしているので扱いは慎重だが、それでも、有無を言わせぬ力ずくである。シャスパの顔が恐怖にひきつった。かっと目を見開いて『真実の指』を見つめ、唇を震わせる。

「ひっ……いやだ、いやだよ! やめとくれ、触りたくない! 呪われちまう! 訊きたきゃなんでも訊けばいい、万の目を持つアシャに誓って、あたしは嘘なんかつかない! やめとくれ、やめて!!」

 強がりが嘘のように消え去り、怯えた悲鳴に変わる。いやいやと首を振り、シャスパは必死の形相で背後を振り返った。

「祭司様! 助けてください、悪魔に引き渡さないで! 殺されちまうよォ!」

 悲痛な叫びに、町の人々が動揺する。イムリダールはほとほとうんざりした顔でため息をついた。彼が呆れ果てて軽蔑の言葉をこぼす寸前、タスハは「総督」と鋭く呼びかけて制する。

「これ以上はおよしください。正義の裁きではなく、もはや拷問です」

「しかし」

 渋るイムリダールに構わず、タスハはシャスパに歩み寄り、兵に頼んで手を離させた。途端にシャスパはへなへなと座り込む。腹を手で庇うようにしてすすり泣く憐れな女に、つい先ほどまでの傲岸な力はない。タスハは傍らにしゃがみ、禍を祓うしるしを切って加護の文言を唱えた。

「……さあ、もう大丈夫。カトナを導きたもう聖なる火が、あなたとおなかの子を清め守ってくださいますよ。落ち着いて、ゆっくり深く息をして。……正義を司るアシャ、万の目と輝く翼にかけて、真実のみを語ると誓いなさい」

「はい……はい、誓います。天なる神アシャの御名にかけて……祭司様、あたしは正しい事をしようとしたんです。物事を、ちゃんと正しい姿にしようとしたんです! あたしらが守ってきたことが、このままじゃ、めちゃくちゃにされちまう。将来シウルの嫁が、カウファ家のしきたりを何ひとつ守らない魔女になるなんてごめんですよ!」

 幼い頃からずっと、絶対とされてきた規範。反抗はむろん許されず、疑問を抱くことさえないように圧力をかけられ目を塞がれ、慣習に従い『正しく』生きることを誇りにしてきた――そんな人生そのものが否定され無価値にされようとしているのだ。恐怖や怒りを感じないはずがない。郷士の妻として立派につとめてきたというのに。

 タスハは憐れみを抱きそうになったが、今はその時ではないと堪えて問うた。

「だからあなたは、『魔女』を懲らしめようとしたのですか。マリシェに一人で片付けをさせ、ギムランと取り巻きがそこにいるのを承知でジェハナ殿を向かわせた?」

「……っ」

 シャスパはうつむき、ぎりっと唇を噛んで黙り込む。タスハは急かさず、ぽんぽん、と優しく肩を叩いてなだめてやった。ややあって嗚咽まじりの弁解がこぼれた。

「前から、ギムランが……ぶつくさ文句ばかり言うから、いい加減うんざりして。愚痴ってばっかいないで、あんたがきちんと躾をしろって、叱ったんです。そうでしょ祭司様、ちゃんと躾けてやらなきゃいけないんですよ。だから、その機会をつくってやるって言ったんです。何をどうしろとまで、命令しちゃいません。道理をわからせてやれ、って、それだけですよ!」

 途端にギムランがまた聞くに堪えない雑言を喚きだしたので、イムリダールが《詞》で声を封じてしまった。タスハは「ええ、そうでしょうとも」と同情的に肯定してから、立ち上がって総督に向き直った。

「これだけ聞けば、もう充分でしょう。奥方は具体的な指示を出してはいません。甥といえどもツァルム家の次期当主に対し、命令できる立場ではありませんから」

 婉曲な注意や教唆はできても、はっきりと命令は下せない。他家に嫁いだ女に、そんな権威権力は許されていない。シャスパ自身が従い守る慣習は、そうしたものだ。

 タスハの言わんとするところを、イムリダールも理解したようだった。厳しい目でシャスパとギムランを睨んだが、追及はせず、「良かろう」と言い分を認めた。

 どのような裁決が下されるのか。誰もが固唾を飲んで見守る中、書記が羊皮紙の巻物を総督に差し出す。イムリダールはおもむろにそれを開き、目を通して内容を確認した。

「では、この一件はギムランによるマリシェへの暴行が主目的であり、導師ジェハナは偶発的に巻き込まれたものとして処断する。主犯ギムランは棒打ち十回の後、二日間の晒し刑。罰金として大麦十束を総督府に納めること。この半分はアハマト家への賠償に充てられる。また今後は毎日、ワシュアールの法を精読するよう命ずる」

 ざわめき、顔を見合わせる人々。ギムランは声を封じられたまま、地団太を踏んで暴れた。イムリダールは無視してさらに判決を述べる。襲撃に加担した少年らは等しく棒打ち三回と日没までの晒し刑。そして。

「ギムランを唆し、マリシェとジェハナを陥れたシャスパについては、三日間の晒し刑のところを減じて二日間とする」

「おい! あんたの目は節穴か、こいつのでかい腹が見えてないのか!?」

 ハドゥンが叫び、抗議した。晒し刑は昔からおこなわれてきた罰で、首や手、足などを枷で固定し、町や村の広場で晒し者にする刑だ。鞭打ちや棒打ち、投石といった直接的な責め苦は与えられないが、土地の住民皆の前で恥をかかされ、以後もその悪評がついてまわることになる。嘲笑や罵詈、時によっては家畜の糞まで投げつけられるし、それがなくとも身動きとれないまま陽射しや風雨に晒されるのは、心身に堪える。臨月の妊婦には過重な罰だ。

「罰金ならともかく、赤ん坊に何かあったらどうしてくれる!」

 ハドゥンは憤慨して詰め寄ろうとしたが、兵に行く手を阻まれた。イムリダールは巻物を掲げて見せ、辛抱強く言った。

「だから減刑しただろう。加えて、安全に配慮もする。夜間は免除、昼に一度休憩を取らせ、飲食も許す。万一に備えて医師も待機させる。……先にも言ったが、これは温情だ。ワシュアールの法をまだ理解しておらぬ住民に対する周知の意味合いもある。カウファ家のハドゥン、貴殿は既にこれを読み、概要を理解しているはずだ。本来の裁きであればどれほど厳罰が下されるか、承知していよう」

「ぐっ……、いや、だがそれは!」

 納得いかない、と食い下がるハドゥンの肩に、タスハはそっと手をかけた。

「もうよせ、ハドゥン。それ以上言うな」

 ささやきでたしなめた幼馴染みに、ハドゥンは血走った目を向ける。タスハはさらに声を低めた。

「ギムランと同じことを口走るぞ。俺を誰だと思ってる、と」

 歯軋りの音が、ごりっ、と聞こえた。一呼吸の後、怒りに膨れ上がっていたハドゥンの背中がゆっくりと萎んだ。深く重い息をつき、両手で顔をこすってどうにか冷静さを取り戻す。激情に潤んだ目で、彼は妻を見下ろし、それから総督に頭を下げた。

「……裁きを妨げて悪かった。できるぎりぎりまで減刑してくれたことに感謝する。あとは……くれぐれも、間違いのないように頼む」

 この通り、と一段と深く腰を折ったハドゥンに、イムリダールもほっと表情を緩めた。

「理解してもらえたようで良かった。むろん、腹の赤子には何の罪もない。いっさいの障りが出ぬよう配慮する」

 はっきりと約束してから、彼は聴衆を見回して告げた。

「これにて落着とする! 良いか、ワシュアールの法とはこのようなものだ。家柄も男女も関係ない、罪は罪として裁かれる! 財や地位で罪を逃れられはしない。弱き者が涙を飲んで沈黙することはない! 心せよ!」


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