初穂祭

     *


 神殿の有する畑、と聞いて、ジェハナは最初、高台の上の狭い土地を想像していた。往来する際に目に入るささやかな菜園と、斜面に植えられた果樹。だが初穂祭のための麦畑はそこではないという。

 そもそも神殿付近にしても、祭司や弟子らがすべてを世話しているわけではない。神に仕えることが第一のつとめであるから、基本的には町の農家が管理しているのだ。神官らが農作業をするのは、手が足りない時、また儀式用に聖別するなど特殊な場合、あるいは単に趣味である。

 ともあれそんなわけで、祭の準備は町の外に広がる麦畑の一画で整えられていた。他の畑と同じように黄金の穂が揺れているが、地面を見ると明白な区切りが設けられている。

 その前の広い場所には、木製の簡素な祭壇が組まれていた。工具なしで解体して持ち運び組み立てられるもので、年季が入っている。何十年と磨かれてきた表面は、濃い飴色になってつるつるだ。上には酒器一揃いと皿が並べられ、近くに焚火が用意されている。前もって屠られた子羊が串に刺され、焼かれるのを待っていた。

 ジェハナは総督府の面々と共に、やや離れた場所から興味津々で見守っていた。彼女が知っている祭礼はすべて、神殿でおこなわれるものだった。都の大神殿か、あるいはショナグ家領の神殿。屋外であっても神殿の前庭など専用の設備が整えられた場であるから、こんな風に素朴な手作りの儀式というのがいかにも新鮮だった。

 町の人々が揃い、準備が整うと、ウズルがこほんと咳払いし、おもむろに手を顔の高さまで上げた。それを合図に、皆が静まり返る。

 すうっ、とウズルが息を吸い込む。そして、澄んだ声がひとつの音を発した。詞のない歌。抑揚にあわせ、祭壇前のタスハがゆっくりと畑の中に踏み入る。この日の為の特別な刃で、音に合わせて舞うような動きをしながら、ザクリと麦を刈る。一度、二度、三度。

 ちょうど片手で握れる太さに束ねた麦穂を、しずしずと捧げ持ち、歌の終わりと同時に祭壇に置く。背筋を伸ばし祭壇に向かい合い、恭しく合掌して深く一礼したのち、タスハが朗々と詠じた。

「善なる神アシャ、豊穣の女神マヌハ、ならびに天地に坐す諸々の神々きこしめせ。ありがたき御恵みにより、ここにカトナの初穂を献上奉る。御力のいやまし、なおこの地に豊穣をもたらしたまわんことを」

 天に栄えあれ、地に実りあれ、と参加者らが唱和する。続けて、今度は祭司の先導による無言歌が奉納され、ウズルが声を合わせながら小さな鈴を振って伴奏した。

 ハドゥンが親族の手を借りて子羊を炙り始める。この犠牲を用意したのはカウファ家だからだ。美味そうな匂いが漂い始める頃に歌が終わり、タスハが祭壇から皿を取って焚火に向かうと、火の通った肉の表面を削いでそこに盛った。

 肉と麦穂が揃い、酒が盃に注がれる。タスハがひときわ大きな動作で手を三度打ち鳴らし、対応するがごとき三音を歌った。

 生命の赤、生長の緑、実りの黄金。

 響き渡る色に、ジェハナは目をみはった。こんなところに、いにしえのわざがその影を残していようとは。偶然にしてはあまりにぴったりと、ウルヴェーユの基本六音のうち三音に一致している。

 声が余韻を残して消える。タスハがまた深く頭を下げ、たっぷり一呼吸の間を置いてから背筋を伸ばして合掌を解いた。些細な動作の違いが厳粛な空気を払う風となる。

「ありがとうございました、これにて終了です」

 タスハが告げると、人々も一様に緊張を解いて笑顔になった。ハドゥンが焚火の前から声を張り上げる。

「それじゃあ麦刈りを始めるぞ! 今年は総督府の皆様方が、わしらを手伝ってくださるそうだ! まだ羊は食えんが、わしらはのんびりお手並み拝見といこうじゃないか!」

 笑いが生じ、皆がジェハナたちの方を見る。イムリダールは自信に満ちた笑みを観衆に返してから、部下を振り返ってひとつうなずいた。

「始め!」

 短く一声命じると、兵士たちがきびきびと動きだした。町の住民は今さらながら、彼らが異国の戦闘員であることを思い出し、いささか怯んで逃げ腰になる。とは言え、今の兵士らは誰一人、武器を帯びていなかった――少なくともカトナの人間にはそう見えた。

 代わりに手にしているのは、六色の糸を縒り合せた美しい紐だ。ジェハナも普段から、帯の上に結わえている。タスハやマリシェらも目にしているはずだが、ただの装飾品としてしか認識していないようで、変わった紐ですねと言われたことさえない。

 兵士は二人一組で、左右それぞれの手に色紐を持ち、麦の畝の両端に立つ。張り渡した二本の紐で畝の麦を挟む形だ。全員が畑の各所に分散して準備を整えたのを確かめると、ジェハナは鉦を手にして進み出た。まずは観衆に向かって挨拶と説明だ。

「皆さん、今日は喜ばしい収穫の日にわたしたちを加わらせていただき、ありがとうございます! これより、わたしたちが『怪しげな魔術を使う』と噂されている、その実態をお目にかけます。ただしこれは魔術ではなく、いにしえの人々が遺してくれた『ウルヴェーユ』というわざ――色と音と詞で、力を操る術です。いずれは皆さんも使いこなせるようになりますが、今日はまず、ご覧ください」

 ジェハナは朗らかな笑みを振りまいた。何も怖くありませんよ、忌まわしくも邪悪でもない、あなた方にとって歓迎できることですよ、と。

 観衆の気配が警戒から興味、好奇心へと移るのを待ってから、彼女は鉦を両手で構えて高く掲げ、ぴたりと動きを止めた。一呼吸、内なる路をひらりと舞い降りる。魚のようになめらかに、螺旋を描く標をすり抜け、深みへと。泉の底で色が応え、歌が湧き上がる。

 コォーン……

 白。清浄な白銀の波が駆けてゆく。麦畑に張り渡された紐が、それを持つ者の路が、呼応して震える。

 コォーン、カーン……キィーン……

 鉦の音に合わせてジェハナの路に色が生じる。色と音が充分に満ちたところで《詞》を加えてすべてを結びあわせ、声にして解き放った。

「《疾風よ駆けよ》」

 ザァッ、と現実に風が吹く。術者のもとへ天から風が吹き降ろし、その視線の先へと駆けてゆく。音と色を載せて、《詞》と共に。

「《刃となれ いざ 刈り入れの時》!」

 高らかに歓びを込めて詠い上げると同時に、薄く鋭い風の層が、色紐によって挟まれた畝を駆け抜けた。両端の兵士は既に最初の白で術を打ち消すしるしをつけており、髪ひとすじもそよがない。

 疾風が去った後、麦がざわりと身震いし、いっせいに倒れた。

 人々がどよめく間にも、色紐を持った兵士は次の畝へと移動する。歌声が固定された色と詞をなぞり、繰り返し、また麦が倒れる。駆けよ、いざ、ふたたび、みたび。

 ジェハナは楽しげに旋律を口ずさんでいた。流れが途切れぬよう、どこかで色が褪せぬよう、音が消えぬように。

 カトナの住民が聞きほれている間にどんどん作業は進み、気付いた時には畑一面、きれいに並んだ麦の列が横たわっていた。

 一旦終了のしるしに、ジェハナは白の音を長く伸ばして歌い、路を静めるのに合わせて声と色を消した。久しぶりにたっぷり術を使い、深淵から湧き出る力で心身を潤したので気分が良い。畑の様子をざっと眺め、満足の笑みで観衆に向き直ると、予想通りの反応がそこにあった。

 驚愕と動揺もあらわに、畑の兵士らとジェハナを交互に見る者。放心したまま麦畑を凝視する者。そして何人もが無意識の仕草で己の胸のあたりに手をやっている。そんな中の一人、マリシェは、ジェハナと目が合うとすぐにも駆け寄りたそうなそぶりを見せた。それを制し、ジェハナは大きくひとつ手を鳴らして皆を我に返らせる。

「さあ! 刈り取りが終わった畑から、次の作業にかかってください。束ねて島立てするのは、ウルヴェーユではできませんから。もちろんわたしたちも手伝います。どんどん片付けちゃいましょう!」

 おどけた口調を装い、ジェハナは笑顔で一同を励ます。おお、と思い出したように声が上がり、人々はそれぞれの畑へ散らばっていった。ハドゥンが人手を振り分け作業を采配するべく走っていく。活気づいた人の波から外れ、マリシェが前のめりになってジェハナのところへやって来た。

「先生! 先生、これ……何ですか。このざわざわした感じ、これがウルヴェーユなんですか」

「落ち着いて、マリシェ。あなたが今はっきり自覚したそれは、元からあなたの中にあった『路』よ。一人一人の魂と、世界の根を結ぶもの。そこを通じて理の力を少しずつ汲み上げ、色と音と詞を使って操るわざがウルヴェーユなの」

「それじゃ、わたしも先生みたいなことができるんですか? 歌声で麦の刈り取りをしたり、ほかにも」

 目を輝かせた教え子に迫られて、ジェハナは苦笑でたしなめた。

「待って待って。そんなにいきなりは無理よ。ゆっくり少しずつ、自分で自分の路を辿ってゆかなければいけないの。そのざわざわした感覚が当たり前になって、無理なく路の存在を感じ取れるようになって、それからようやく最初の一歩、という感じね。そのうちだんだん、今まで見えていなかった色が視えるようになってくるわ。そうなってから次に進めるかどうか判断しましょう」

「そのうちって、いつぐらいですか?」

「人によりけりだけれど。そうね、あなたならひと月くらいじゃないかしら」

 マリシェの路は格別広くも深くもないが、力を通しやすい性質のようだ。既に深淵から湧き出る水がひたひたと壁を洗っているのがわかる。

 二人が話しているところへ、もう一人、ウズルがやってきた。彼もまた胸に手を当て、どこを見たらいいのかわからないような、落ち着かない表情をしている。

「導師様……俺、いえ、私も、その『路』の感覚がわかります。しばらく前から時々、何かにささやかれるような気がしていたんですが、それがはっきりとして」

 そこまで言い、彼は遅れてやってきた師をちらりと心配そうに見やり、声を低めてジェハナに問うた。

「本当にこれは、元から私に備わっているものなんですね? 神々の恵みを損なうものではないんですね?」

「大丈夫ですよ、ウズルさん。わたしたちは破滅をもたらす悪魔ではありません。ウルヴェーユが神々の恵みを損なうものであれば、ワシュアールはこの五十年余りで衰退しているか、滅んでいるはずでしょう。現実はむしろ逆です」

 ジェハナは優しく諭し、黙って聞いているタスハに視線をやって微笑みかけた。

「確かにわたしたちの国では、神々への信仰は廃れつつあります。ウルヴェーユと神々を結びつけるのは無意味だと主張する学者もいるほどです。けれどわたし個人としては……このわざこそ、神々がわたしたち人間にお恵みくださったものではないかと思っているのですよ。決して手の届かない世界の深淵に、天の彼方の宇宙に、少しでも魂を触れ合わせることができるようにと」

 そこで彼女は教え子に目を戻し、肩に手を置いた。

「だから、あなたたちにもその喜びを知ってもらいたいの。ワシュアール人だとか国がどうとか、そんなこととは関係なく、同じ地上に生きる人間として」

 ジェハナの熱意はしかし、マリシェとウズルには受け止めかねたようだ。応えはなく、二人とも曖昧な表情になる。そこへタスハがやんわりと口を挟んだ。

「話はまた後にして、今は手を動かしましょう。マリシェ、お母上はもうあちらに行っていますよ。ウズル、子羊を焼くのを手伝ってやりなさい」

 それぞれ用事をいいつかり、はい、と慌てて二人は走っていく。ジェハナはそれを見送って首を傾げた。

「マリシェの家は水運業で、土地は持っていないのではありませんでしたか?」

「ええ。ですが初穂祭の当日だけは、生業にかかわらず誰もが収穫に参加します。他人の畑を少し手伝うだけであってもね。カトナに暮らすならば、この地の恵みなくしては生きてゆけませんから。わたしたちは皆、生まれ育った土地に根付いているのですよ」

 最後の一言に密かな含みを感じ取り、ジェハナは眉を寄せる。祭司は静かなまなざしを返した。

「あなたはワシュアール人だ。今はカトナもあなたの国の支配下にあるとはいえ、私たちが属する土地は異なります。それを『関係なく』と言えるのは、あなたが自由な勝者であるがゆえでしょう」

「――!」

 急所を一突きにされ、ジェハナは息を飲んだ。動揺した彼女に、敗者であるところのタスハはむしろいたわるような微笑を見せる。

「あるいは我々も、あなたたちのように路を開かれウルヴェーユを使うようになれば、魂が自由になるのかもしれませんが。しかし地に根を張る我々の中には、それを快く思わない者もおりましょう。同じ人間とは言え立場が違うこと、どうぞお忘れなきよう」

「……ご忠告、ありがとうございます」

 ジェハナは絞り出すように言い、うなだれる。タスハがややおどけて空気を和らげた。

「いや、説教するのが好きな年寄りの悪癖が出ました。ご容赦を」

「そんなことをおっしゃって、本当のお年寄りに怒られますよ」

 思わずジェハナも軽口を返し、おっと、と口を押さえる。タスハが笑いをこぼすと、穏やかな黄白色が花弁のようにふわりと落ちた。ジェハナはそれを意識の隅で捉え、ああ良いな、とぼんやり感じる。あの柔らかな色。何に似ているだろうかと初対面からずっと考えているのだが、これぞというものが閃かない。平凡で無難な色だが、そんなところも好ましい。

 よそ事を考えていたせいで、ジェハナはタスハの一言を危うく聞き逃すところだった。

「さきほどは、ありがとうございました」

「えっ?」

 驚いて聞き返した彼女に、タスハは丁寧に頭を下げる。

「あれほど目覚ましいわざを披露した後ならば、神々をないがしろにもできましょうに、あの子たちに対してそうはなさらなかったこと、祭司として御礼申し上げます」

「それは……わたしにとっては、当然のことですから。白状すると、実はカトナに来るまでは、あまり信心深くはありませんでした。ウルヴェーユが世界そのものにつながる素晴らしいわざだという……それこそ『信仰』めいたものはありましたが、神殿での儀式などは他人事のような感覚で。そのままの気持ちであれば、さきほどウズルさんに言ったことも、単に安心させるための方便だったかもしれません」

「随分正直におっしゃる。しかしカトナへおいでになって神々への崇敬を思い出されたのなら、喜ばしい限りです」

「祭司様のおかげですよ」

 ジェハナは声に力を込めた。どうもタスハの物言いがいつもと違う、その理由に思い当ったのだ。立場を思い出させようとしたり、年寄りなどと自虐的な冗談を言ったりと、らしくない毒の潜む言葉が続いたのは、ジェハナたちが披露したウルヴェーユの鮮烈さで、本来肝心の儀式がすっかり霞んでしまったせいに違いない。

「あなたが執りおこなわれる礼拝を見学させていただいた時、わたしは本当に感動したんです。祈りとはこんなにも美しいものだったのかと。灯明を捧げる仕草ひとつひとつまでもが澄み渡った星空のようで、敬虔な心持ちになりました。わたしは今までいったい世界の何を見ていたんだろうと、目が覚めた思いでしたよ。今日の初穂祭も、野外での素朴な儀式ですのに、本当に美しくてため息が出るかと」

 我を忘れて熱弁を振るっていたジェハナは、当の祭司様が両手で顔を覆ってしまったのにようやく気付き、言葉を途切らせた。指先から耳まで茹だったように赤い。つられてジェハナも赤面した。

「すみません、つい興奮してしまいました。でも、あの、とにかく、本当に人生が変わるほどの感動だったと、お伝えしたくて」

「……恐縮です」

 消え入るような声が、顔を覆っている手指の隙間から漏れる。気恥ずかしくて身の置き所がない沈黙がしばし続いた後、ようやくタスハは長々と息を吐き、まだ紅潮したままの顔から両手を離した。石ころでも探すようにその辺の地面に視線をさまよわせ、無理をして言葉をもごもご押し出す。

「皆も、そのぐらい……感銘を受けてくれたら、……冥利に尽きるのですがね。失礼」

 あからさまに強引に会話を終わらせ、タスハは急ぎ足で祭壇を片付けに行く。さすがにジェハナも、呼び止めはしなかった。

 頑なにこちらを見ようとしないタスハを目で追いながら、この町の祭司が彼で良かったと幸運に感謝する。穏健な彼でさえ、ウルヴェーユを見せつけられるとああなのだ。敵愾心を持った苛烈な性格の祭司であれば、導師の仕事は非常に厳しいものになる。過去に征服した町のいくつかでは、それこそ神殿を取り壊して祭司を処刑しなければどうにもならない場合もあったらしい。

(若くて未熟な導師のわたしでも、タスハ様ならきっと折り合いをつけていける。立場の違いを忘れてはいけないけれど……でも、きっと。本当に幸運だったわ)

 ほっと息をついたところで、イムリダールがジェハナを呼んだ。見ると、刈り取り済みの畑には麦束を寄せあって立てかけた島がいくつも並び、作業がほぼ終わっていた。次の畑の刈り取りを始めよう、というのだろう。

 イムリダールのそばで作業に加わっていたヨツィが、遠目にもわかる笑顔で大きく手を振った。ジェハナも軽く手を振り返し、次の畑に向かって歩きだす。その胸中にふと不思議な実感が舞い降りた。

(そうか。こういうことなんだわ、神々の介在を信じるって)

 何気なく抱いた幸運への感謝。それは理性で考えるなら、すべて単なる偶然の結果にほかならない。無数の偶然の末の一点。

 ワシュアールにいる頃は、すべてが当たり前だった。衣食に不自由しないのも、常に水道から清浄な水を汲めることも。家族がいて友人がいて、病気や怪我の影が遠いことも。だから、幸運だとか恵まれているとか、しみじみと噛みしめることなどなかった。都から離れて初めて、何ひとつ当たり前ではないと気付かされたのだ。

 己がイムリダールの妹として生まれ、導師になったこと。赴任先がカトナであり、その地の祭司がタスハであったこと。ワシュアールとハムリの間にあって、カトナが戦場にならなかったこと。すべての偶然の集まりが、今のこの居心地のよい空気だ。晴れ渡った青空の下、黄金の麦畑で、敵意よりも友好と興味のまさる人々に囲まれて、共に喜ばしい収穫にいそしむ幸い。

 すべてがまったき偶然であるなら、そこに感謝など抱く理由はない。だが、かつてタスハと占いについて論じあったように、人はそのようには納得しないのだ。『偶然』にも何らかの因果関係、人ならざるものの意志を当てはめようとする。それゆえ人の姿をした、人にも理解できる『神』を生むのだろう。創ろうと意識するまでもなく、自然に。

(あるいは無意識の恐れもあるのかもしれない。幸運を手にしたら、今度は失うのが怖くなるもの。こんな都合のいい偶然の重なりがそう何度もあるはずがない、でも神々の手が働いているのなら何度だってあり得る……それが自分独りの力で得たものだと錯覚して驕り高ぶらない限りは。わたしは大丈夫かしら?)

 思考の流れが行き着いた先に、はたと我に返って苦笑する。

(迷信深くなったものね、ジェハナ。いつまで小さな女の子でいるの。この幸運を失いたくなければ、神頼みではなく努力なさい。つまらないおねだりで大事な友達を傷つけた、あの失敗を繰り返さないように用心するのよ)

 脳裏をよぎった幼い面影を打ち消すように、ジェハナは強く一音、鉦を鳴らす。余計なことを考えるな。今は仕事に集中しなければ。

 色が奔る。音が踊る。ひとつひとつに《詞》の糸をつないで手繰るうち、いつしか過去の影は消えていた――最前抱いた確信も共に。


 予想外の助けがあったおかげで、初穂祭の日は予定していた作業がすみやかに終わり、町の人々は早々に供物のお下がりにありついて存分に楽しんだ。

 むろん一日ですべてが終わるわけではなく、翌日以降も収穫は続く。その間、ジェハナはじめ総督府の面々も毎日刈り取りを担当し、一気に町の住民との距離が縮まった。

 ウルヴェーユに対する認識も、奇蹟を目にしたような最初の驚きがおさまると、作業を楽にしてくれる便利なわざだ、と変化した。自分たちも使える、使いたい、とまでは思わないが、それを用いて助けてくれるあの連中は結構いい奴らじゃないか……そうした受容の雰囲気が広まっていく。

 収穫が終わるまで教室は休みにしていたが、そんなわけで、再開当日は大入り満員になった。

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