十二章

神殿の反攻


   十二章



 寒く厳しい冬の訪れと共に、世情も暗く沈んでゆく。

 秋の遅れで麦をはじめ作物の播種もずれこみ、そこへもって水不足と急激な気温低下に見舞われたのだ。芽が出ない、出てもなかなか育たない。畑ばかりでなく、夏の間にすっかり枯れた草原にも新たな草が伸びず、家畜の餌が不足していた。

 良い兆しもなくはない。

 アルハーシュ王は人前に出られるほどに快復し、政務も春と同程度にこなせるようになった。この調子なら火祭りの頃には儀式をこなせるだろう。シェイダールが温石に着想を得て、陶器を彩色し《詞》を込めた暖房器具を作り、ザヴァイの奥方が六色の紐で隙間風を塞いでいたのを真似て、今冬、王の私宮殿はすこぶる快適になったのだ。

 隣国ドゥスガルからも、不作を補えるだけの豆が無事に届き、来年の麦も同様に安く譲るとの約束を確かめられた。

 シェイダールと神殿の学究派神官らが術を施した種籾も、順調に育っている。既に芽生えた普通の麦にも効果を及ぼせないかと、手分けして近郊の畑へ実験に出向いており、いくらかは上手く行きそうだ。

 しかし彼らの努力は踏みにじられた。残酷な自然の気象によってではなく、同じ人間によって。


「どういうことだ」

 シェイダールは白い息を吐き、愕然と立ち尽くした。

 都の郊外、何度も訪れて様子を見ながら術をかけてきた麦畑が、無惨に掘り返されている。それだけでなく、何かを焼いたらしく、燃えかすや灰が一面に黒く飛び散っていた。

 随伴の警護兵らが不穏な予感に槍を握り直す。遠くに見える村人が、誰かに知らせるためか走り去った。リッダーシュがしゃがんで土に触れ、絶望的につぶやく。

「我々が術を施したものだけを標的にしたのだな。穢れを清めたつもりなのだろう」

 その証拠に、何もしていない畑は無事だ。生育が遅れて頼りなく、冬を無事に越えられるか心配な苗ばかりだが。シェイダールは歯を食いしばり、拳を握り締めた。

「不作になるって時に、馬鹿げたことを……! くそっ、村長の所へ行くぞ。誰に唆されたか、締め上げて吐かせてやる」

「その必要はなさそうだ。おでましになったぞ」

 リッダーシュが唸り、視線で示す。シェイダールも振り向き、追及の穂先を磨きながら待ち受けた。煤けた畝の間をやってきたのは、村長と祭司、加えて数人の男。腕っ節の強そうな顔ぶれだ。揉める覚悟があるらしい。中年の祭司がいかにも厭わしげに告げた。

「お引き取りを、世嗣殿。この村に貴殿の手は必要ない」

「寝ぼけるな馬鹿野郎! おまえはこの村の子供や老人を殺すつもりか! 貴重な麦をめちゃくちゃにして、これで他の畑が全滅したらおまえはどう責任を取るつもりだ。一年の収穫を補償できるほどの蓄えがあるとでも言うのか!?」

 怒鳴られて怯んだ祭司の横から、村長が苦々しく口を挟んだ。

「そっくりそのまま、あんた様にお返ししますよ」

「なんだと?」

「夏の旱も、この秋冬の様子がおかしいのも、全部あんた様が神々を冒涜したからじゃないですか。儀式でいんちきをやったって聞きましたよ。ちょくちょく畑に来て怪しいことをしてるのも、わしらを騙すつもりだったんでしょう」

「違う! 神殿の連中は、儀式がうまくいかなかった責任を、俺になすりつけようとしているだけだ。ウルヴェーユを施したから、この畑の麦はちゃんと育っていた。他の畑で収穫がなかろうと、少なくともここの分だけはおまえたちの口に入るはずだったんだ!」

 飢えを打ち倒したい、一人でも救いたいという切実な願いは、しかし、通じなかった。

「それがごまかしだってんですよ。あんた様が細工した畑だけぐんぐん育つなんて、おかしいでしょうが」

 むっつりと村長が唸り、従う男らも険しい目で世嗣一行をねめつける。

 何を言われたのか理解できず、シェイダールは啞然となった。いったいこの男の頭はどうなっているのだ。当惑し声を失った彼に、村長が敵意に満ちた猜疑を吐きかけた。

「わしらが毎日せっせと手をかけてる畑がみすぼらしいざまなのに、あんた様がまじないをかけた麦だけ、やたら元気だ。まわりの生気を吸い取ってるみたいにね」

「そんなわけあるかっ! 俺が何のために必死で……」

 ようやく理解したシェイダールが反射的に怒鳴る。だが村長はうるさそうに遮った。

「とにかく、あんた様の手出しは要らない。ちゃんと祭司様に祝福してもらったし、マヌハ女神にとりなしの犠牲も捧げた。余計なことして、神々の機嫌を損ねないでください」

「……っ」

 言葉もない。シェイダールはあまりの無力感に打ちのめされ、一縷の望みを探して村人らを見た。どの顔も敵意と疑いに満ちて、頑なに防御を固めている。既に判決を下し、罪人の言い分に耳を貸す気は微塵もないという顔。しばし、緊迫した沈黙が続く。

「帰るぞ」

 低く唸り、シェイダールは踵を返すと、大股で村を後にした。追いついて並んだリッダーシュを一瞥もせず、彼は前を睨んだまま言った。

「祭司長に抗議に行く。こんな調子であっちでもこっちでも妨害されたら、収穫を得るどころか、貴重な種籾が無駄になってしまう。自分たちはでかい神殿に暮らして不自由なく食べ物が手に入るからって、ふざけた真似をしやがって」

「怒りは私も同じだが、一度王宮に戻ろう。このまま我々だけで乗り込むのは危険だ」

「神殿兵士が俺たちに背くって言うのか?」

「ナムトゥルの件を思い出せ。常に神殿の警護についていれば忠誠心の置き所をいつの間にか変えてしまうだろうし、買収もたやすくなる。それに、こうして大っぴらにウルヴェーユそのものを攻撃してきたのは、それだけの準備が整ったからだろう。我々が外に出ている間に変事が起きているかもしれない」


 都まで戻り、城門をくぐって街を歩く間、一行は警戒に神経を尖らせていた。見る限り騒動は起きていないようだが、大神殿に近付き、周囲にいる人々の表情を判別できるほどになると、異変の兆候が感じられた。

「中で何かあったんだな」

 シェイダールはささやいた。出入りする一般人の様子はいつもと変わりないが、神殿兵士は明らかにこちらを意識している。リッダーシュもそれとなく観察しながら答えた。

「入ろうとしたら、口実をつけて断られそうだな。槍を突きつけられはすまいが」

「最悪の事態にはなっていないか……やれやれ。とにかく、急いで帰ろう」

 ひとまずは安心したものの、シェイダールは王宮へと足を速めた。

 大階段の上ではヤドゥカがそわそわと行きつ戻りつしながら一行の帰りを待っていた。姿を見るなり急ぎ足にやって来た彼に、シェイダールは厳しい面持ちで問いかける。

「何があった? 外ではウルヴェーユを施した畑が根こそぎ荒らされ焼き払われた。俺たちが余計な手出しをしたから他の畑が不作になるんだ、と祭司が煽動したらしい。こっちの学究派の連中やザヴァイは無事か?」

「大神殿から抜け出した見習いが、状況を伝えに来た。ジョルハイ殿の密命を受けたらしい。学究派の神官全員がまとめて監禁された。儀式はもとより、神殿の営み一切に関わることを禁じられたが、今のところ死人は出ていないそうだ。アルハーシュ様がお待ちだ、歩きながら話そう」

「ジョルハイ本人はどうしたんだ。あいつは俺の腰巾着だと思われているだろう」

「ウルヴェーユに手を染めていない事実を利用して、うまく立ち回っているようだぞ。なんとか事態を収拾したいと考えているらしい。あとは直接聞いてくれ」

 ヤドゥカは言って、王の私宮殿の衛兵に取り次ぎを頼んだ。

 ほとんど待たされることなく、シェイダールは中に通された。玉座でアルハーシュ王が難しそうに思案しており、駆けつけた長官たちも額を寄せて唸っている。彼らの手前で、跪いたまま途方に暮れている少年の姿があった。

「アルハーシュ様、ただいま戻りました」

「おお、シェイダール。無事であったか」

 王は呼びかけられて我に返り、ほっと表情を緩める。シェイダールはついでに少年の存在も思い出させた。

「およその話は聞きました。そこの彼が、神殿の内情を知らせてくれたのですか」

「うむ。とうとうイシュイが強硬手段に出たらしい」

「ということは、祭司長が動いたわけではないと?」

 シェイダールは眉をひそめて見習い神官に歩み寄り、ぽんと肩を叩いた。

「悪いが、もう一度俺にも説明してくれ。立つなり座るなり、楽にしていい」

「はいっ、畏れ入ります」

 少年はびっくりして声を裏返らせ、よろけ気味に立ち上がった。そうして彼が告げた概要は、およそヤドゥカから聞いた通りだったが、さらに詳細があった。

「イシュイ様はウルヴェーユを邪法だと言い、先日のナムトゥルのように魂を奪われ狂わされるのだと断罪しました。ジョルハイ様は路を開いていないから、イシュイ様も無理やり閉じ込めるのはできなかったんです。祭司長と、あと何人か高位の祭司様はイシュイ様の行動を非難していますが、神殿兵士はほとんどイシュイ様の仲間になったので、言うことを聞かせられないみたいで……ジョルハイ様からは、なんとか折り合いをつけられるように交渉を続けているから早まらないで欲しい、との言伝です」

 シェイダールがいくつか質問し、長官らが把握した情報を繋ぎ合わせると、全体像が見えてきた。ナムトゥルの件が思わぬ遺恨を残したのだ。

 彼の実家は長男を追い出した後も、気にかけてはいたらしい。だからこそ無心にも応じていたのだが、それが結果として世嗣の暗殺未遂を引き起こした時、親はなぜか逆恨みしたのだ。息子は世嗣のせいで道を誤ったのだ、と。

 富裕な商家である彼らは、他の大商人や名家との付き合いが深かった。そうした有力者は、世嗣が庶民の職人らに対してウルヴェーユを手ほどきしたくせに、自分たちには声をかけもしないことに不満と恐れを抱いていた。

 ゆえに以前から彼らは、祭司を呼ぶ時は学究派を避け、イシュイに従う一派と誼を結んでおり、ウルヴェーユへの不信を募らせ――天候不順というとどめの一撃が加わった結果、ここに来て一大勢力として団結したのである。

「ディルエンに従う者らは、ウルヴェーユそのものには否定的ではない」アルハーシュが補足した。「そなたの言動に立腹してはいるがな。いにしえのわざが邪法ではなく、真に守り伝えるべきものであることは、あれも理解しておる。……先代の継承を目にした者として、その点はごまかせまい」

 ふと過去に思いを馳せ、王が目を伏せる。シェイダールはこめかみを揉んで唸った。

「第一、まともな頭があるなら、ウルヴェーユを邪法だと言える筈がないでしょう。そもそも代々の王は資質に恵まれた者が力を受け継いできたんだから、ここで否定するなら次の王には誰を据えるんだって話になるのに」

 その疑問に対し、財務長官リヒトがなぜか失笑した。

「その点に関して、彼らは独自の考え方をしているようでな」

 何がおかしいのか、とシェイダールは眉を寄せ、思い当たってまさかという顔をする。リヒトは複雑な苦笑で、彼の推測を肯定した。

「つい一昨日、祭司長の息がかかった神官から探りを入れられたのだよ。その時はこのような事態になるとは予想せなんだが、まさか私のような老いぼれにお鉢が回ってくるとは驚きだ。察するに、貴殿のところにも使いが行ったのではないかな、元第二候補殿」

 話を振られてヤドゥカは困り顔になった。シェイダールが「いいから正直に言え」と促すと、彼は渋面でため息をつき、その通りだと認めた。

 しばらく前に領地の屋敷に戻り、父の代わりに旱魃対策を含め諸々の仕事を片付けていた折、土地の祭司から王位に即くべきだと言われた。天候不順なのも王の力が衰えているからではないのか、元第二候補なのだから資格は充分あるだろうに、と。

「半ば愚痴のような調子だったので、農民らの不安をなだめるのに苦心しているのだろうと、本気に取りませなんだ。そもそも私はシェイダール殿に剣の誓いを立てており、決して背くことはできないと説いたら、おとなしく引き下がったのですが」

 ヤドゥカが言葉を切り、シェイダールはげんなりと頭を振った。

「そうして片っ端から声をかけて全部に振られたから、ついに強引な行動に出たってわけか。……祭司長に縁のあるジャヌム家にも当然、話があったんでしょうね」

 言って、水利長官を冷ややかに見る。ラウタシュは動じず、整った顎髭を撫でながらむっつりとうなずいた。

「愚息に取り入ろうとした祭司がおったようだ。しかしそれはそれとして、ディルエン殿から貴殿が王たるに相応しからぬ根拠を聞かされたぞ。水乞いの儀式でウルヴェーユを用い、雨を降らせて神々と民の信仰をも虚仮にした、とな。事実ならば私も、貴殿に対する考えを改めねばならぬ」

 はっ、とリッダーシュが息を飲む。その反応に、王と長官らが注目した。リッダーシュは唇を噛み、沈黙を守るべくうつむいて視線を避ける。シェイダールは一呼吸の間ほど思案したが、従者の窮状を見て諦めた。

「……半分は事実で、半分は嘘だ。事態がこうなった以上、どう転んでも神殿は俺を王位に即けないだろうから言っても構わないだろう」

 彼は平坦な口調で、簡潔に説明した。儀式の雨はウルヴェーユによるものであったが意図したわけではない、祭司長らに誤解させておいたのは、そうしなければ神意と解釈されアルハーシュの身が危険になるからだ……

 王がほろ苦い表情になったのを見て取り、彼は声に力を込めた。

「自分のためでもあったんです。あの時点でもし俺が、神殿に担ぎ上げられて王にされていたら、期待が桁外れなだけに後の失望が奈落よりも深くなる。もっと悪い状況になっていたでしょう」

 顔を上げ、一同を見回して確信ありげに続ける。

「今はまだましです。むしろ好機だ。神殿がウルヴェーユを否定しているのなら、継承の儀式も資質の判定も廃止できる。そうすれば、王一人に旱の責任を負わせることもなくなる! 人の力でどうにもならないことを王のせいにして、殺して入れ替えて、その度に国が混乱するような、くだらない慣習を終わりにできるじゃありませんか!」

 沈鬱な空気を勢いよく吹き払った若さに、長官らは驚き呆れ、王は微笑んだ。

「大したものだ、そなたには敵わぬな。だがそうするには、次の王に適当な、元候補者以外の人物をどうにかして引っ張り出さねばならぬぞ」

「アルハーシュ様の親戚を探せば一人ぐらい、ぶらぶらしてるのがいるんじゃありませんか。それなりに皆が納得するような血筋で、まつりごとのことが多少なりともわかっていればいいんです。どうせ実務は有能な長官の皆さんがやるんだし」

 シェイダールはとぼけて応じたが、そこへ思わぬ横槍が入った。見習い神官の少年だ。

「あの……世嗣様」

「どうした?」

「ジョルハイ様は、シェイダール様をなんとしても王にして見せるとおっしゃっていました。ですから、早まって神殿に兵を差し向けないで、今しばし待って欲しいと」

 おずおずと告げられた伝言に、誰もが不審顔になる。シェイダールは舌打ちした。

「あいつ、いったい何を考えているんだ? この状況で、あくまでも俺の地位にこだわれば、イシュイをなだめるどころじゃないだろうに」

「ふむ」アルハーシュも眉を寄せる。「本人に質すよりほかあるまい。出てこられるかどうかが問題だが」

「その点は『柘榴の宮』から使者をやれば大丈夫でしょう。あいつはずっとヴィルメの専属として世話をしていたから神殿側も許可するだろうし、禁じられたとしてもあいつなら言いくるめて出てこられるはずです」

 面白くなさそうに答えつつ、シェイダールはふと別のことを考えていた。

(そうだ、ヴィルメの身を守らないと)

 いざとなったら妻と娘を逃がす手段を用意しておかなければ。王宮は最後まで安全だろうとは思うが、このまま緊張が高まっていけば、どんな事態になるかわからない。

(約束したんだ。俺が守るって)

 シェイダールはぐっと拳を握って瞑目した。


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