第五候補


 大使との語らいは名状しがたい複雑な後味の悪さを残したが、神殿での会見はそれに比べるといっそ清々しいまでに不愉快だった。

 従者と警護隊長、それに兵士二人ばかりの少人数で訪れた世嗣一行は、祭司長の部屋に通されるまで随分待たされた。ようやく中へ入れば、祭司長ディルエンと『燈明の祭司』イシュイの仏頂面に迎えられる。ましな表情をしているのは、『六彩の司』とジョルハイの二人ぐらいだ。

 形式的に一礼した来訪者に対し、祭司長が返礼もせず攻撃を仕掛けた。

「アルハーシュ様の使いであると言うので通したが、まさか貴殿であろうとはな。不信心者がよくここを訪う気になったものだ」

「ディルエン祭司長、生憎だが今日俺が訪れた理由に信心は関係ない。そもそもこの神殿は『最初の人々』の遺構の上に建てられたものだ。いにしえのわざの継承者にこそ、ここを訪う正当な権利があるとは考えられないか」

 シェイダールが冷ややかに応酬した途端、イシュイが頬に血を上らせて割り込む。

「ついに神殿を乗っ取りに来たか! 邪法の徒め!」

 いきなり論を飛躍され、祭司長が眉を寄せた。それを視界の端で捉えつつ、シェイダールは激昂する祭司に向き合った。

「おかしなことを言う。俺は以前、いにしえの人々が遺した貴重な品や遺跡を守り伝えるのが神殿の役目だと聞いたが? 今の言いようだと、そうした諸々のものが邪悪であるかのようだな。本気でそう思っているのなら、今すぐここを離れたほうがいいぞ」

「何を小賢しい、詭弁を弄しおって」

「この神殿の中心には光の路が通っている。いにしえの人々がウルヴェーユのために造った場なのか、元々自然に力の流れがあった所に祭壇を築いたのか、そこまではわからないが……まさに邪法の総本山だ。骨まで穢れが染みる前に逃げたらどうだ」

 やり込められたイシュイが声を詰まらせる。だがシェイダールは冷笑も挑発もせず、後はもう眼中にないとばかり、祭司長を見据えた。

「既に王から、旱を弱める儀式の要請が届いているはずだ。俺が儀式に加わるのを認めてもらいたい。今までの非礼はこの通り、謝罪する」

 淡々と言い、シェイダールは深く腰を折った。付き従ってきた者も揃って頭を下げる。祭司らが愕然とするのが、顔を見ずとも気配でわかった。充分な間を置いてシェイダールが姿勢を正すと、祭司長が咳払いし、威儀を繕っていかめしく質した。

「では……貴殿は今後、神々を敬うのだな?」

「それは違う」

 切り捨てるがごとき返答。即座にイシュイがまた怒鳴る。

「おのれ愚弄するか! 不信心者の分際でよくも」

「《黙れ》」

 シェイダールは喚く祭司を疎ましげに睨み、重い《詞》を放った。意図した通りに無音の壁がイシュイを取り囲む。祭司はまだ唾を飛ばして罵っていたが、じきに様子がおかしいと気付いて動きを止めた。口をぱくぱくさせ、地団太を踏む。だが何の音もしない。居合わせた数人がふきだした。シェイダールは醒めたまなざしをくれただけで取り合わず、祭司長に向けて話を続けた。

「俺はやはり神など信じないし、あなた方のやり方も大嫌いだ。祈って旱がどうにかなるなんて微塵も思わない。だがそれでも、王と世嗣が共に儀式を行うことで人心が安らぎ、苦難を乗り越える助けになるのなら、祭壇の前で頭を垂れよう。あなた方が真に人々のためを思って神々を祀っているのなら、協力して欲しい」

「偽りの心で額ずくと承知で、神聖なる祭儀に加えよと申すか」

「あなたは何が大事なんだ。自分が信じる神か、それとも人々の安心か。不信心者が一人紛れ込んだだけで儀式が台無しになるほど、祭司の信心は無力なのか」

 何を言われようと反論できるよう、今日に備えて熟慮し論を練ってきたのだ。対して祭司らはまったく準備しておらず、勝ち目はない。渋い顔で唸るばかりの祭司長に、シェイダールは決断を迫った。

「どうしても譲れないのなら、断ればいい。だがその時は徹底的にあなたを失墜させる。よその神殿や祠へ参拝してせいぜい信心深く振る舞い、悔いて詫びても受け入れない大神殿は傲慢で狭量だ、ゆえに旱があまねく民に降りかかるのだと触れ回るぞ」

「謝罪するなどとしおらしいことを言って、結局は脅迫するのか」

「こっちも必死なんだ、なりふり構っていられるか」

 怒りをあらわにした祭司長に対し、シェイダールも吐き捨てるように応じる。

「不作になれば人は誰かに罪を着せようとする。俺はその犠牲になりたくない。あんたたちも同じだろう。槍玉に挙げられたくないなら協力しろと言っているんだ。儀式への参加を認め、俺を非難する声明を出すな。そうすればこちらも矛を収める」

 言葉が荒くなったところで、後ろの従者にこっそり背を突かれる。シェイダールはつかのま瞑目し、怒りを静めた。そして、

「……頼む。人々の間に恐れを広めないために、誰かがその犠牲にならないように。俺を儀式に加わらせて……ください」

 絞り出すように言い、改めて頭を下げる。

 祭司長は険しいまなざしを注いで思案し、ややあって重々しく答えた。

「良かろう。儀式までの潔斎について王から教わり、厳に身を慎むように。当日の段取りは追って使いを遣る」

 ぱっ、とシェイダールが顔を上げる。祭司長はシェイダールに歩み寄り、手をもたげると、軽く両肩に指先を触れて祝福を授けた。

「勝った、などと履き違えるでないぞ。あくまでも、民を想う心に免じてのこと……そして、神を信じられぬ貴殿を憐れに思えばこそだ」

 静かに告げられた最後の一言に、シェイダールが身をこわばらせる。危うく癇癪が破裂するかに思われた寸前、『六彩の司』が場をとりなした。

「では儀式については世嗣殿を加えて役目を割り振るとして、この件は落着ですな。世嗣殿、さきほど仰せられた光の路について、この後お話を伺えますかな」

「……ああ」

 シェイダールはかろうじてそれだけ答え、用心深く一呼吸して『燈明の祭司』を振り返った。じっと険しい目を据え、相手がたじろぐまで見つめ続けてから低く唸る。

「俺はあなたのように熱狂的に神を信じることはできない。どうしてそんなに信じ込めるのか、理由の想像もつかない。……いつか聞かせてもらいたいものだ」

 最前の「憐れみ」に対する当てこすりだが、イシュイ自身はそうとは気付かなかったようで、憎しみと困惑の入りまじった複雑な顔をする。シェイダールは「《解けよ》」と短く白色を載せて発し、無音の壁を消してやった。

「六彩殿。少し内輪だけで話したいので、先にあなたの部屋に戻っていてくれないか。ジョルハイに案内してもらう」

「承知いたしました。では後ほど」

 慇懃に一礼し、『六彩の司』は退出する。シェイダールも祭司長に頭を下げ、

「それでは、我々もこれにて。儀式についてはまた後日」

 礼も謝罪もなしに素っ気なく挨拶すると、部屋を辞した。

 立派な扉を閉め、廊下を進んで他人の耳目がない所へ入るや否や、シェイダールは足を止めて振り向いた。背後についていたヤドゥカの胸倉を掴み、力任せに壁に押し付ける。

「あの腐れ爺!」

 押し殺した罵声を吐き、両手で襟元を掴んで揺さぶる姿に、祭司長の前で見せた冷静さは影も形もない。噛みつかんばかりの形相だ。

「俺が憐れだと!? おい、俺は憐れまれるほど惨めったらしいか! 燈明の奴のほうがまだましだってのか、ふざけやがって!」

 八つ当たりされたヤドゥカは不動の姿勢であるじを見下ろし、真顔のままつぶやく。

「なんと言うべきかな。いつもの癇癪これが出ると安心するのだから、慣れとは恐ろしい」

 警護隊長の感慨に部下がふきだし、リッダーシュも失笑する。シェイダールは舌打ちしてヤドゥカを離し、力いっぱい床を蹴りつけた。はずみでよろけて壁に手を突き、そのままごつんと額を預ける。ひんやりした石に熱を冷まされ、彼は深いため息をついた。

「ああ……くそ、あの爺、いつかぶっ飛ばす。覚えてろ」

 ぶつぶつぼやいて壁から離れると、どうにか気を取り直して廊下を振り返った。一行の後からついて来ていたジョルハイが、にやにや笑いで大仰な礼をする。

「お話がお済みのようですから、ご案内いたしましょう。どうぞこちらへ」

 苦りきったシェイダールを、横からリッダーシュがなだめた。

「ともあれ交渉が成功して何よりだ。神殿と王宮の関係が修復されたとなれば、街の人々も安心するだろう」

 ああ、とシェイダールは無愛想に応じ、それきり口を閉ざす。黙考するあるじの邪魔をせぬよう、従う者らも沈黙を守った。

(これで……ぎりぎりのところだろう。大っぴらに謝罪することなく儀式に加わる許可を取り付けた、だから旱が予想以上に厳しかったとしても、俺やアルハーシュ様に責任を直結させられない……はずだ)

 不信心の世嗣が儀式に加わったせいで神々の機嫌を損ねたのか、祭司らのとりなしが足りなかったのか、あるいは王その人の力が弱まってきたのか。

(馬鹿馬鹿しいこじつけだが、どれも論拠に欠ける。ひとつの理由に皆が飛びついて、誰か一人を吊るし上げる危険は回避できるだろう。できなきゃ困る。あとはラウタシュが水路補修をしっかりやって、リヒトが財政をうまく回して税を免除したり備蓄を配ったり、実務を間違いなくこなしていけば……ウルヴェーユを施した種籾も役に立つだろう)

 考えを巡らせている内に、激しい感情は静まり、理性が冴えてくる。そこへ遠くから光が射してきた。シェイダールは顔を上げ、行く手の壁を透かして見える穏やかな光の柱を眺める。

 ゆっくりと降り積もる。羽毛のように軽やかに、下へ、下へと。

 あの儀式の夜に感じたような強さはない。術が何も発動していないからだろう。彼は足を止め、背後の二人を振り返った。

「リッダーシュ、ヤドゥカ。あれが見えるか」

 問いかけに対し、リッダーシュは怪訝そうに首を傾げ、行く手に目を凝らした。ヤドゥカはわずかに目を細めた後、うむとうなずく。

「微かにだが。光が降ってきているな」

 言って上を仰ぎ見たのは、どこかに採光の隙間でもあるのか確かめようとしたのだろう。むろんそんなものはない。シェイダールは二人の反応に眉を寄せた。

「そうか、二人共はっきりとは見えないのか」

「私は資質に劣るから致し方ないとしても、ヤドゥカ殿もだとは」

 リッダーシュがそう不思議がったが、シェイダールは肩を竦めて歩みを再開した。

「あまり資質の優劣は関係ないのかもしれないな。アルハーシュ様でさえ、俺と一緒に路を意識して深淵へ降りるようになるまでは、あまり色も音も感じ取られなかった。感覚の鋭さは、路の広さや深さとは別の理由で決まるのかもな」

「あるいはやはり、我が君こそが特別な御方なのでありましょう……そんなに嫌そうな顔をせずとも良かろう、何が気に食わない? 実際これまで、おぬし以上に色と音を鋭く繊細に捉える者はおらなんだ。天賦の才によるのではないか」

 むしろ羨ましいぞ、とばかりのリッダーシュに、シェイダールは答えずむすっとした。天賦の才、などと神々の意図を匂わせる言葉も腹立たしいし、路を開き訓練しても結局誰も自分と同じものを見聞きしないのであれば、落胆を禁じ得ない。

(馬鹿馬鹿しい。アルハーシュ様と話したじゃないか。色と音に限らず、誰も他人と同じように世界を捉えてはいないのだ、と。それに……仮に同じものを見聞きしたからといって、それで心が通じるわけじゃない)

 誰にも理解されない孤独は減じるかもしれないが、共通の感覚を持ったところで思いが通じ合うわけではない。身に染みて理解したはずだ。シェイダールは己の甘えに内心で舌打ちした。うじうじした感情を遠くへ蹴り飛ばし、気持ちを切り替える。

「ここの気配は祠とは逆だな。あっちは世界の根から理が地表へ出てこようとしていたが、ここは天から地へ光が降りている」

 彼は誰に聞かせるともなく言い、柔らかく穏やかな光を見納めしてから、ジョルハイの後について廊下の角を曲がった。


 『六彩の司』の部屋には、四、五人の学究派神官も待っていた。若い平神官もいれば、老いた祭司もいる。その誰もが恭しく臣従の礼をとって迎えた。

「お待ちしておりました、世嗣殿。祭司長との対立が厳しくなって以来久しく神殿にお運び頂けず、我らだけでは頼りなく思っておりましたゆえ、この機会に是非ともお会いしたいという者が参りましてな」

 部屋のあるじが言い終わらぬうちに、一人の平神官が興奮した面持ちで進み出た。シェイダールよりやや若いだろうか。黒い瞳を輝かせ、尋常ならざる熱意を込めて挨拶する。

「お初に御目もじいたします、世嗣様。ナムトゥルと申します」

 舞い散る火の粉を帯びた声。今にも飛びかかって食らいつくか、あるいは床に身を投げ出して足に口づけでもしそうな様子だ。シェイダールは度の過ぎる歓迎にたじろぎ、説明を求めて『六彩の司』を見る。返答より先に少年自身が告げた。

「元第五候補です。候補から外された時には落胆いたしましたが、こうしてお会いして確かに身の程を痛感いたしました。世嗣様の御力、わたくしなど及びもつきませぬ。なんと大きく深く、豊かに響くことか……素晴らしい!」

 感激のあまり両手を広げ、目を潤ませている。『六彩の司』が苦笑しながら、さりげなくナムトゥルを下がらせた。

「この者が、神殿には光の柱があると以前から申しておりましてな。私も路を開かれて以来、時折その明るさを感じることがございますが……先ほどの世嗣殿のお言葉を聞き、確かに存在していたかと驚きました」

「そうなのです! 見習いとしてこの大神殿に初めて入った時から、毎日眺めているあの美しい光の柱……だのに皆、何も見えぬというので、自分だけの幻覚かと諦めておりました。まぼろしではなかったのですね! 世嗣様、あの光は何なのでしょう?」

 またしてもナムトゥルが迫る。シェイダールは困惑しつつ推論を述べた。

「何……と訊かれても、俺にもわからん。創世の神話にある、世界の分離が今もまだ続いているということかもしれない」

「やはり世嗣様も、あれは宇宙や天から降っているものだと感じられるのですね。わたくしも同じ意見です! ああ、わたくしにも世嗣様のような御力があれば!」

「落ち着きなさい、ナムトゥル」

 押されっぱなしのシェイダールに配慮して、『六彩の司』がたしなめた。

「まだまだウルヴェーユには謎が多いのだから、そのように決め付けるものではない。世嗣殿、ご無礼何卒お赦しください」

「謝罪は必要ない。俺も長い間、自分にしか見えないまぼろしか、と思っていたからな。そうじゃないと知った時は確かに驚いたさ」

 シェイダールは答えてナムトゥルを見やった。王の近くにいる時のような、響き合う感覚はない。恐らく路は深くも広くもなく、ただ感覚が鋭いがために白石に反応し、候補にされたのだろう。彼の視線をどう取ったのか、ナムトゥルは意気込んで声を上げた。

「世嗣様! あなた様が王となられた暁には、この神殿を隅から隅まで、床石を剥がし土を掘り返して調べ、いにしえの力の源を探り出してください!」

「おい、先走るなよ。そんなことをして神殿が崩れでもしたら、大惨事だ。力の源を探るどころか、命を失った上に何もかも瓦礫の下、なんて結果になったら目も当てられない」

「慎重にせねばならぬと仰せられるのはごもっともですが、世嗣様なら必ずや成し遂げられますよ!」

 話をまともに聞いていないのか、ナムトゥルは笑顔で励ましてくれる。ずっと黙って控えていた老祭司が袖を引き、低い声で「よさんか」と止めた。

「シェイダール様にお目通りが叶ったからとて、浮かれすぎじゃぞ。それ、大事なつとめを忘れておるのではないか?」

「あっ……、で、でも」

「神々への敬意もおろそかにしてはならぬぞ。祭司長や燈明殿との和解が成ったのであれば、今後お越しになる機会も増えよう」

 そこで老祭司はシェイダールに目配せする。察した彼は大きくうなずいて見せた。ナムトゥルはまだ不満を残しつつも、渋々承服した。

「それでは、名残惜しゅうございますが……世嗣様、是非またお目通りを賜りませ」

 慇懃に頭を下げたナムトゥルに、別の平神官が付き添って外へと促す。元第五候補が出ていくと、シェイダールは不審顔になって老祭司に質した。

「あなたとは何度かお会いしたな。彼は今回が初めてだが、元候補者なのに今まで顔を合わせなかったということは、何か問題があるのか?」

 案の定、老祭司はふっと小さな吐息をもらして答えた。

「お気付きでしょうが、彼は少々……暴走しがちでしてな。迂闊に世嗣様のおそばへ寄らせて、御不興を買うだけならまだしも御身を損ないでもすれば一大事と、皆で手を回してできるだけ遠ざけておったのです」

「穏やかじゃないな。これまでにも暴力沙汰を起こしたことがあるのか」

「小突き合い程度のことが頻繁に。一度だけ、激昂して燭台で相手の顔を刺したこともあります。手に負えない猛獣のようでしたよ。しかし一度頭が冷えるとそれはもう心底反省し、川に落ちた仔猫のような哀れさで赦しを乞うのです。見習いの頃から世話を見ておりますが……あの性分はどうにも直らぬのでしょう」

 老祭司はつくづくと慨嘆し、シェイダールに一礼した。

「あれは可哀想な子供なのです。大変裕福な商家の息子なのですが、何しろ……人に見えぬものが見える、というので。跡取りになるはずが家を出され、見習い神官となったのです。それゆえ、シェイダール様にはひとかたならぬ思い入れを抱いておりましてな」

 老人の口から語られる身の上に、シェイダールは胸を詰まらせた。己は田舎村の貧乏人であったから、変人扱いされながらも労働力として受容され、家や村から追い出されることはなかった。だが、街では事情が違うのだ。

 彼の顔色を窺い、老祭司は暗い話を聞かせたと詫びるような笑みをこぼした。

「神官になる者としては、珍しくもない話です。程度に差はあれ、邪魔者、余計者として家を追われた者が神殿に入る。我々の多くは、鬱屈を抱えたはみ出し者なのですよ」

 シェイダールは何とも応じられず、複雑な顔でジョルハイを見やる。いつも澄まし顔で内心を悟らせない青年は、やはり今もおどけて肩を竦めただけだった。

 老祭司はこほんと咳払いし、改めて深く頭を下げた。

「ご迷惑にならぬよう今後もできる限りは差配いたしますが、あれは時折予想もせぬ行いに出ますゆえ……粗相の段は何卒ご容赦くださいますよう、お願い申し上げます」

「粗相の内容と程度によるが、まぁ、こちらも気を付けよう。六彩殿も、彼がいきなり床石を剥がしださないように注意してくれ」

「むろんです。いかに我々とて、字義通り神殿に骨を埋めたくはございませんからな」

 苦笑でおどけた『六彩の司』は、一呼吸置いて真顔になった。

「世嗣殿。わざわざ御身が謝罪に見えられたからには、この先の季節は厳しいものになるのでしょう。我々も祈るばかりでなく、ウルヴェーユによって為し得ることを探りましょう。無知と迷妄の闇に対抗し、たった一人でともしびを掲げた御身に従って参ります。火を絶やさず、歩みを止めず、我らをお導きください」

 恭しく頭を垂れた司にならい、他の神官らも礼をする。シェイダールは渋面になった。

「やめてくれ、何を勘違いしているんだ。ウルヴェーユは一人一人が読み解いて修めるもので、誰かの後について行くものじゃないだろう。俺の真似をするんじゃなく、何か良い手を見付けたらすぐに知らせてくれ。皆で共有し検証してこその知恵だ」

「むろんです。申し上げたのは、個々のわざの研鑽ではなく、我ら全体の進む道のことですよ。貴殿はウルヴェーユを伝えたのみならず、その用い方の指針となられている。知識とわざを独占せず、各々が標を読み解き知恵を活かし広く知らしめよ、とね」

「俺は当たり前に振る舞っているだけだ。隠そうとしたところで、いずれウルヴェーユは広まっていく。意図してどうこうしようというのじゃない」

 学究派の進む方向について、政治的、あるいは思想的な作為を及ぼすつもりはない。だからあんたの地位権力を固めるのに利用できると思うな――言外にそう警告して、彼はふいと視線を外した。

「ジョルハイ、せっかく来たついでだ、宝物庫を見せてくれないか。ひょっとしたら何か役に立つものが見付かるかもしれない」

 ここを離れたい、という遠回しの要求を、ジョルハイは何食わぬ顔で了承した。

「世嗣殿の御要望とあらば、いついかなる時であろうとも歓迎いたします。願わくば、一振りするごとにパンが現れる魔法の杖を掘り出せますように」

「そんなものがあったら苦労しないさ」

 シェイダールは苦笑し、部屋のあるじに挨拶すると自然な態度で辞去したのだった。


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