ふたつの会談

     *


「ひどい顔だぞ。本当に行くのか」

 気遣うリッダーシュも、冴えない具合はあるじと大差ない。シェイダールはげっそりやつれた顔で、皮肉な笑みを作った。

「主役はおまえだ。俺は余計なおまけだからな、顔がどうでも構わないさ」

 第一候補の住まう『白の宮』には居室以外にも数部屋があり、うち一室で午餐の準備が調えられていた。名目上は近衛隊長の長子ヤドゥカが、旧友リッダーシュを訪ねるということになっている。第二候補が第一候補を訪ねるわけではない。

 シェイダールはぼんやりと、手の中で数本の棒を転がした。材質、太さ、長さに差をつけた膨大な数の試作品から、アルハーシュと二人で組み合わせを探し出し、一応は六音が揃った。しかしまだ「正にこれだ」という音を出せるには至らない。

「少なくとも、鉦の音を色と一致させる仕事は手伝わせないと。俺とアルハーシュ様の間では同じでも、他の奴には違って見えるんだとしたら、最初からやり直しだ」

「役に立てなくてすまないな」

 寂しそうにリッダーシュが詫びる。シェイダールは首を振った。

「このわざを確かなものにできたら、きっとおまえにもわかるさ。アルハーシュ様も色を捉えやすくなったとおっしゃっているし、いずれ誰もが、彩られた音を見るようになるだろう。その時が来れば驚くぞ。世界はこんなにも美しかったのか、ってな」

 ちらりと微笑んだものの、彼はすぐに目を落とし、ふっと息をついた。

「ヴィルメも、きっと……」

 その先は続けられない。リッダーシュの沈黙がありがたかった。

 シャニカが声を『見て』いるらしきことからして、『王の資質』は男だけのものではない。これまで女を調べたことがなかっただけで、きっと同じように多かれ少なかれ有しているのだろう。ならば、いつかヴィルメにも、己が見ているのと同じ世界を見せられるかもしれない。シャニカの笑い声と共に広がる朝焼けの柔らかな杏色に微笑み、リッダーシュの金色に驚く、そんな感覚を共に分かち合えるかもしれない。

 色と音に溢れた美しい世界が、彼女の悲嘆を和らげてくれるのではないだろうか。

 淡い望みを抱いて、シェイダールは鉦を握って額に当てた。己の仕草が祈りのようだと自覚する前に、ふと別な思いが浮かび上がってきた。

(……待てよ?)

 シェイダールはどきりとして息を飲んだ。女にも恐らく資質はある、という仮定。自らの内にある深い穴と、そこを通じて溢れ出す理の力。

(王になって、あるいは資質に目覚めて、どんどん水が溢れ出すようになった途端に子を生せなくなるのは、女の側にそれを受ける器がないってことじゃないのか。だとしたら、ひょっとして)

 女にも、王の選定と同様に白石を用いたら、王の子を産めるようになるのではないか。

(神罰なんかじゃない。神々の機嫌を取って、赦しを乞う必要なんかない)

 彼の子が流れたのも、代々の王妃たちが苦しめられてきたのも。

(原因があって理屈が通ってるんだ。だからこそ知恵とわざで解決することができる!)

 神を打ち負かせる。熱い戦意と勝利の確信が湧きあがり、シェイダールは拳を固める。と同時に、召使が呼びに来た。別室の用意が調ったらしい。

 妙に意気込んで会食の場に向かうあるじに、リッダーシュは訝しげな顔をしたが、問う時間はなかった。部屋に入って座る間もなく、客人を出迎えねばならなかったのだ。

「ヤドゥカ殿、ようこそ。こうして食事を共にするのも随分と久方ぶりだが、くつろぎ、楽しんで頂きたい」

「歓待、痛み入る。……日延べするものと思ったが」

 ヤドゥカは礼を返してから、ちらりと奥に目をやった。視線の先ではシェイダールが立ったまま、絨毯に並べられた食器を数えていた。

「……三、四。よし、杯も全部揃ってる」

 うん、とうなずくと、彼は決然と振り向き、まっすぐにヤドゥカの前へ進み出た。もはや建前も名目も一切気にせず、正面から話しかける。

「食事の前に話がある。ヤドゥカ、俺に協力しろ」

 ヤドゥカはむろん答えず、リッダーシュに向かって問うた。

「いつもこうなのか」

 リッダーシュはおどけて小首を傾げ、返事をごまかす。シェイダールは構わず、ヤドゥカの胸に鉦をぐいと押し付けた。

「おまえにとっても他人事じゃない、重要な話だ。王の力を継承しなくても、資質に目覚めてしまえば子を生せなくなる。俺の子が流れたのを聞いたのなら、察しがつくだろう。おまえも普段から色が見えているのなら、いずれ俺と同じ道を辿るぞ。それが嫌なら協力しろ。いにしえのわざを取り戻し、力の秘密を解き明かせば、問題は解決する。子供のことだけじゃない、この国にはびこる理不尽な死や不幸をなくせるんだ!」

 力強く言い切って、挑むように相手の黒い瞳を見据える。ヤドゥカが何か応じるより早く、リッダーシュが横からシェイダールの肩を掴んだ。

「どういう意味だ。何かわかったのか?」

「まだ推測だが多分間違いない。王の子が生まれないのは、女が力を受け止められないからだ。男だけじゃなく女も資質を調べて力を導き出せば、釣り合いが取れる」

「つまり、奥方に資質があれば、もうこんなことにならないと言うんだな」

「断定はできない。でもシャニカが無事に生まれたんだから、可能性は……っと」

 興奮気味に話す二人を、ヤドゥカがいきなりぐいと押しのけた。軽くよろけたシェイダールは、相手のしかめっ面を見て、ああと思い当たるやにんまりした。

「やっぱりおまえも、リッダーシュの声は眩しくてかなわないんだな」

 自分の手柄でもないのに、どうだ参ったかとばかり言う。するとヤドゥカが唸った。

「……もだ」

「え?」

「おぬしもだ! 二人揃って間近でしゃべるのはやめろ、話の内容が頭に入らん!」

 どん、と突き飛ばされてシェイダールは数歩下がる。ヤドゥカがとびきり苦い顔で睨んだが、シェイダールは怯むどころか呆気に取られた。次いで堪えきれずに笑いだす。

「……っく、は、あはははは! 本当か? おい、信じられないな! 本当にか!」

「笑うな!」

 ヤドゥカが怒って顔を背ける。まるきり、いつぞやの自分と同じだ。シェイダールはますますおかしくなって、腹を抱えて久しぶりに心ゆくまで笑った。ヤドゥカの忍耐が切れる前にシェイダールはなんとか笑いやみ、すっかりほぐれた様子で話しかけた。

「いや、悪い、あんまり予想外で笑いすぎた。自分の声が見えないと、こんなこともあるんだな。俺もリッダーシュと同じなのか?」

 否、とヤドゥカは心底嫌そうにため息をついたが、それでも律儀に答えた。

「リッダーシュは金だが、おぬしは銀……白銀だ。大理石のように白く堅い、かと思えば魚の腹のように光る。忌々しい」

「俺のせいじゃないぞ。だが少し安心した、おまえの目にもリッダーシュの声は金色に見えているんだな。同じ音を聞いても人によって見える色が違うのなら、ウルヴェーユの理論をもう一度考え直さなければならないところだった」

「何の理論だと?」

「ウルヴェーユ。いにしえのわざ、『詞を彩る法』だ。アルハーシュ様が名付けられた。おまえも『最初の人々』の遺跡や遺物を見たことがあるなら、あれが色と音を用いて何かの力を利用していることには気付いていたんじゃないか?」

 熱心に語る彼に対し、ヤドゥカはあくまで平静さを崩さず、距離を置いて耳を傾けている。その態度にシェイダールは苛立つよりも手応えを感じ、さらに力を込めた。

「……つまり、いにしえの人々は言葉で色と音を結びつけ、内なる路を通じて理の力を引き出していたんだ。彼らの言葉を解き明かすか、俺たちの言葉に置き換えられたら、同じことができるはずだ。俺やおまえが持っている『資質』を、王になるまでもなく使いこなせる。わずかな資質しか持たない者だって、路を開けば少しは力に手が届く。リッダーシュだって、俺たちと同じものが見えるようになる!」

 シェイダールは一気に畳みかけた。ヤドゥカは顔をしかめていたが、どうやら声が眩しいばかりではなかったらしい。論説が終わると、彼は呻きながら頭を振った。

「そうか。あの模擬試合は、私をおびき寄せておぬしの陣営に引き込むための茶番だったのだな。まんまと乗せられたか」

「まるっきりの茶番でもないのが悔しいけどな」シェイダールは苦笑いで応じる。「負けたのは本当だ。勝てると思って負けて見せるつもりが、簡単にやられたよ。おまえが鍛錬に加わってくれるなら心強い。――さあ、ここまで聞いてまだ帰るつもりにならないのなら、続きは腹を満たしてからにしよう」


 同じ頃、柘榴の宮のヴィルメの部屋にも来訪者があった。

「ラファーリィ様……」

 取るべき態度を決めかね、ヴィルメは泣き腫らした顔でつぶやく。一昨日、夫の不実をなじって追い出したことは知られているだろう。王妃を「あの女」呼ばわりしたことも。だのに、ラファーリィは微笑んでいた。宮のあるじらしく美しく装い、先日の悲嘆などなかったかのように華やかさを纏っている。その腕に赤子を抱いて。

「少しは落ち着きましたか、ヴィルメ。そなたが泣き暮れる間も、この子は乳を求めていたのですよ」

「あ……あ、シャニカ、あぁ」

 おろおろとヴィルメは立ち上がり、両手を差し伸べて我が子を取り返しに行く。

「ごめんね、ごめんねシャニカ……!」

 すっかり涸れたかに思われた涙が、またぽろぽろと頬を伝う。ヴィルメは娘を抱いて寝椅子に座り、優しくあやした。腹は空いていないようだ。目顔で王妃に問いかけると、ラファーリィは慈母のごとき微笑でうなずいた。

「乳母を呼びました。ですがもう、むなしく流れたものを嘆くのはおやめなさい」

 優しく突き放されたヴィルメはわななき、かっと目を見開いて王妃を睨みつけた。むろん小娘の恫喝にたじろぐ王妃ではない。あくまでもやんわりと諭す口調で続ける。

「そなたには愛しい娘が既にいるではありませんか。そなたの殿御はそなたを貧しい村に置き去りにせず、都にまで伴ってくれたではありませんか。でなければ今頃、乳飲み子を抱えて日の出から日暮れまで、休む間もなく働かねばならなかったのですよ? ……そのほうが良かったと思うなら、夫が他の女のもとへ通うことが許せないのなら、娘を置いてこの宮を去りなさい。帰りの旅に必要な路銀は都合しましょう」

 あんまりな言い草に、ヴィルメは思わず我を忘れて叫んだ。

「よくもぬけぬけと!」

 腕の中でシャニカがびくりと震え、激しく泣きだした。ただでさえ心身がどん底にあるヴィルメは持て余し、あやすのは諦めて娘を揺り籠に横たえる。

 ラファーリィは立ったまま、若い母親に憐れむまなざしを落とした。

「そなたにとって、この宮での決まりごとは受け入れがたいものでしょう。ですが次なる王たらん殿御に添うならば、飲み込まねばなりません。まだ気付いていないようだから教えましょう、シェイダール殿を部屋に招いているのはわたくしばかりではありませんよ」

 ぎょっ、とヴィルメは顔を上げた。

 現在『柘榴の宮』にいる妃は、数少ない。もとより王の世継を産むことが見込めないので、次の王を我が氏族から、という野望ゆえの婚姻がないからだ。どうしても姻戚関係を結びたい者だけが妃を差し出す。加えて、身体を損なって去る者も多い。

 それでも、ラファーリィの他に三人から四人は常におり、ヴィルメもその全員と顔を合わせたことはあった。あの内の誰が、と考えただけで嫉妬に頭の芯が痺れる。

「皆、早々と新王の寵を得ようと競っています。今の内ならば子を生すこともできるだろうと……そなたのシャニカを見て、欲をかいた者もおりましょうね。ですがシェイダール殿は、そなたとわたくしの他には通われていない。なぜだかわかりますか」

 ヴィルメはしばし沈黙し、ゆるゆると首を振った。もはや何を考える気力もない。うなだれた彼女に、王妃はゆっくりと噛んで含めるように言った。

「わたくしがドゥスガルの王族であり、最初に彼の君を招いたからです。現在ワシュアールにとって最も重要な相手は、わたくしの母国。なればこそ、他の誘いを断り、一介の村娘にすぎぬ妻のもとへ通うことができるのですよ」

「何よ……、感謝しろとでも言うんですか」

「必要ありません。ただ、学びなさい。王の妃であるとはどういうことかを。いずれシェイダール殿が王となられた暁には、新たに幾人もの妃を迎えられるでしょう。そなたへの愛が変わらずとも、王は妃らの意、引いては各国の意を汲まねばなりませぬ。それが耐えられぬのであれば、王宮から去ることです。取り返しのつかぬ深手を負う前に」

 ヴィルメは唇を噛みしめ、膝の上で両手を固く拳に握って答えない。

 王妃に言われたようなことは、とっくに納得したつもりだった。しかしそれでも自分は妻なのだから、最初の妻で子も産んだのだから、別格の存在であるはずだ――どこかでそう思い込んでいた。それが甘かったと、今さら現実を突きつけられる。

 田舎に帰れ。そんな侮辱的な言葉を、夫を奪った女から投げつけられるとは。その言葉が、これほどの痛撃を与えるものだとは。

 激情に震えるヴィルメを、ラファーリィは悲しげに見下ろして吐息を漏らす。

「このようなことを言うからとて、情のない女と思わないで欲しいのだけれど。一人の女としての幸せを、そなたならば追い求めてゆけるでしょう。未来を決めるのはそなたの心ひとつ。ですが……愛しき殿御が王となり、己を顧みてくれなくなろうとも、共に翁媼となるまで添い遂げられずとも、幾度身に宿した命を失うことになろうとも」

 王妃は抑えた声で数え上げてゆく。すべて彼女自身が味わい、煩悶し、諦めて、苦い涙と共に飲み下してきたことだ。

「それでも敢えて留まることを選ぶのならば。笑いなさい、ヴィルメ。笑って彼の君を迎え、尽くし、安らがせて差し上げなさい。それが『柘榴の宮』に住まう女のつとめです」

 言い終えると、王妃はしばし返事を待ってから、静かに踵を返して部屋を去った。清雅な残り香だけが、ふわりと風に舞った。

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