柘榴の宮

 廊下で待たされている間、ジョルハイはヴィルメからさまざまの話を聞き出していた。シェイダールの父が生贄に捧げられた詳細な経緯と結果。それに対するシェイダールの考え。村での暮らしぶり。

 道中でも雑談はしたが、シェイダールはジョルハイに対して虫が好かないのを隠す気もなく、すぐ不機嫌になった。本人の前で噂話もできず、ずっと機を窺っていたのだ。

「なるほどね。彼にとって祭司というのは、理不尽きわまる存在なんだな。道理で私にも冷淡なわけだよ」

「ごめんなさい。シェイダールは頑固だから」

 首を竦めて恐縮した少女に、ジョルハイは寛容な笑みを見せた。

「意志が強いのは悪くないさ。普通なら、こんなことはおかしい、と思ってもそのままうやむやにしてしまうものだが、彼は違う。それにとても聡明だ」

 夫を褒められて、ヴィルメは嬉しそうに顔を輝かせた。

「そうなんです、すごく頭がいいんですよ! あたしも昔は、なんにもおかしいと思わなかったけど……話を聞いていたら、確かに変だなって気がついたんです。ひでりや長雨の年と捧げものの数や種類とか、シェイダールは全部ちゃんと覚えてるんですよ」

「それはすごいな。だがそんな風だと、村では居心地が悪かっただろう? 昔ながらのやり方にけちをつけるわけだから。君もとばっちりを食ったのじゃないかい」

「そんなには。大体シェイダールは、そういうこと、あたし以外には話さないんです。話したって通じないから無駄だって言って。だから村の皆は、シェイダールがどんなすごいことを考えているか知らなくて、ただ意地を張ってるだけだと思ってました」

 説明する口調に、少しばかり得意な心情が滲む。ジョルハイは薄く微笑んだ。

「君は特別、というわけだ」

 感心したように言われ、ヴィルメは頬を染めてうつむく。ちょうどそこで、王の宮殿から召使が現れた。滑るように二人の前までやってくると、深々と腰を折る。

「シェイダール様が、第一の候補であるとの選定がなされました」

 恭しく告げられた言葉に、ほう、とジョルハイが嘆声を漏らす。ヴィルメは何を言われたのかとっさに理解できず、何度も瞬きした。その間に召使が話を続ける。

「既にシェイダール様には『白の宮』へお移りいただきました。お連れ様は……」

「ああ、『柘榴の宮』へ案内して欲しい」素早くジョルハイが口を挟む。「シェイダールの妻女だ。名はヴィルメ。子を身籠っているらしい、丁重にな」

「畏まりました」

 召使はヴィルメに一瞥もくれず、頭を下げた。無視されたヴィルメは心細さと腹立たしさを抱えて途方に暮れる。しかし彼女を慮ってくれる者はいなかった。

 ジョルハイがいそいそと立ち上がり、早口で言った。

「では私は早速、ディルエン様にご報告に上がろう。ヴィルメ、後はこの者に任せておけばいい。細々したことは皆、誰彼となく世話をしてくれるはずだ」

「えっ、あの、でも」

 待って、と引き止める隙もなかった。長衣の裾を翻し、ジョルハイはさっさと行ってしまう。いきなり放り出されたヴィルメは涙ぐみ、喘いだ。今までなんともなかったのに、急に気分が悪くなり、目の前が暗くなる。腹を押さえて前屈みになった彼女に、召使はいたわりの言葉をかけもせず、ただ急いで他の者を呼び、輿の用意を命じた。

(シェイダール、シェイダール、あたしを独りにしないで、そばにいて)

 吐きそうなのか、下しそうなのか、自分の身体がどうなっているのかわからない。誰と誰が何をしているのかも感じられないまま、輿に揺られ、別の建物へ運ばれてゆく。

 何回か止まった後、緋色の帳をくぐった所で輿が下ろされた。涼しい微風がふわりと優しい香りを乗せてそよぎ、不思議と胸のつかえが取れて楽になる。

 ヴィルメがそろそろと身を起こすと、明るく広い室内だった。豪華な調度からして貴人の部屋だろう。召使が素早く静かに動いて、水を注いだ杯を用意してくれた。促されるまま一口飲んだ途端、彼女は渇きを思い出し、こくこくと喉を鳴らして飲み干した。

 ようやく人心地つき、改めて周囲を見回す。と、寝椅子に寛いでいる女と目が合った。洗練された雅な衣装、全身を包む気品。耳打ちする召使にうなずく仕草の優雅さ。どう見ても王妃に違いない。ヴィルメが声もなく放心していると、女はしなやかな動作で立ち上がり、見惚れるような笑顔でこちらへやって来た。

「ようこそ『柘榴の宮』へ。そなたが第一候補の妻だそうですね、ヴィルメ」

 癖のない黒髪は艶やかに腰まで流れ落ち、夜空のような瞳には慈愛と知性が窺える。唇と頬には紅、耳や胸元にはきらめく金銀の飾り。素晴らしく整った体つきは豊潤でありながら無駄がなく、化粧もあいまって年齢が推し量れない。

 ヴィルメは身の置き所がなく、もじもじした。立ち上がって挨拶を返し礼を言うべきなのに、あまりにも己のみすぼらしさが痛切に自覚され、今すぐ露になって消えてしまいたくなる。泣きそうな顔をした少女に、美しい女は優しく手を差し伸べた。

「急に動いてはいけませんよ。ゆっくりこちらへいらっしゃい」

「あ、ありがとう、ございます」

 つっかえながら答え、ヴィルメは手を引かれるまま絨毯の上を歩き、寝椅子に並んで腰かける。まだ現実感がなくぽうっとしている彼女に、部屋のあるじが微笑みかけた。

「わたくしはラファーリィ。現王アルハーシュ様の妃です――恐らく第一のね。今日これより、そなたも『柘榴の宮』に住まう女の一人となります。新王が即位するまで、そなたの身分は仮のもの。されどそなたもまた王たる殿御をお慰めし、子を産み育てることを己がつとめと心得なさい」

 はい、とヴィルメはか細い返事を絞り出す。それから彼女は思い切って問いかけた。

「あのっ……シェイダールが第一の候補ってことは、王様になるんですよね。そうなったら、あたしはお妃にはなれないって聞きました。婚儀は挙げたけれど、お妃の位はもらえないって。それでも、ここで暮らせるんですか」

「もちろんです。正式な妃にはなれずとも、王の寵愛を受ける者としてここで暮らすのですよ。王であるとは即ち、ワシュアールすべてを背負うこと。その責務の重みたるや、並大抵ではありませぬ。わたくしたちは王に安らぎと慰めを差し上げ、かなうならば貴い血を引く子を産まねばならないのです……とても難しいことですが」

 王妃は瞼を伏せた。その視線がちらりとヴィルメの身体へと向けられる。一瞬だが確かに嫉妬されたことを、ヴィルメは敏感に察した。無意識に、守るように腹に手を当てる。

「どういう意味ですか? 難しいって」

「王とは、偉大なる天空神の御力をもって国を守る者。常人とは異なる御方なのです。それゆえわたくしたちの如き人の身で、偉大なる神の子を産むことはたやすくない。アルハーシュ様の妃となって十年あまり、幾度この宮で赤子が流れたか」

 諦念と共に告げられた内容に、ヴィルメは息を飲む。王妃は寂しげに首を振った。

「そなたが今宿している子は、恐らく無事に産まれましょう。宮には専属の医師もおりますから安心なさい。過去の王も多くは即位する前に子を生しています。……故郷を離れ都へまで共にのぼるほど、かの殿御を慕うているのでしょう。大切になさい。愛しい方との間にもうける、ただ一人の子になるやもしれませぬよ」

 忠告と言うにはあまりに哀しい言葉だった。ヴィルメは何とも答えられず、唇を震わせて王妃を見つめる。じきに、気を取り直した王妃が華やかな笑みを広げた。

「ともあれ今は、そなたを美しく磨かなければ。いずれ新王の寵を巡って競うことになりましょうが、いじらしい娘心を無下にするほど、わたくしも萎びてはおりませぬ」

 ヴィルメはぎょっとなった。競う。この、女神のように艶やかで良い香りのする美しい妃と、他でもない自分が? 鶏に鷹と同じ空を飛べと言うようなものではないか。

 絶望に凍りついた少女の心を察する様子もなく、王妃は楽しげに言う。

「次に背の君とまみえた折には、魂が抜けるほど驚かせておやりなさい。そなたを見るだけで疲れも癒されるほどに、目を喜ばせて差し上げなくてはね」

 一転していかにも女あるじらしくなった妃に、ヴィルメは曖昧な笑みを返した。

(ああ、あたし、とんでもない所に来ちゃったんだわ。シェイダール、どうしよう。あたしを放り出さないでね、なんとか頑張ってきれいになるから、この子もちゃんと産んで育てるから、だからお願い独りにしないで)

 心細さで震える我が身をしっかと抱き、少女は一歩、未知の世界へと踏み出した。


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