王の使い

 ほどなく、村に王の使いがやって来ると知らされた。

 なんでも、次の王を探しているらしい。今の王が病気でもなさったのか、御子はいないのか。やいのやいのと憶測しながら、村人らは慌ただしくもてなしの準備を進めた。どの羊をつぶすか、干しなつめは充分あるか。寝床の藁を新しく用意しなければ。

 むろんシェイダールは蚊帳の外だったが、噂は耳に入った。目を輝かせたヴィルメがやってきて、逐一教えてくれるのだ。

「王様の力が弱ってきたんだって。それで、新しい王様を立てる準備のために、お使者様が国中をまわって見込みのある若者を探しているって話」

「ふうん」

「王様には跡継ぎの子供がいないみたい。きちんと力を受け継ぐことができるなら、羊飼いでも商人でも構わないんだって」

「どうせ形だけのことだろ」

 シェイダールは素っ気なく応じた。

 王は天空神アシャの力を身に宿し、それによって国を守っているという。王が健やかであることが国を保つこと、王が病み衰えたなら災いが降りかかる。昔は彼もそう信じていたが、今では作り話としか思えなくなっていた。神がいないのなら、王も無力だということだ。力がどうこうというのは、税を取り立てる口実にすぎないのだろう。

(仕方ないよな。神はともかく、国を守ってるのは事実なんだろうし)

 ワシュアールは小さな国だ。彼のように、ろくな教育を受けていない者でも知っている。まわりには多くの敵がいること、隣村の向こうの谷ぐらいまで行けば異民族がこちらの家畜や女や作物を狙っており、小競り合いがしょっちゅう起きていることを。

 とはいえどのみち、羊の一頭すら持たない少年があずかり得る問題ではない。

「俺には関係ないよ」

 彼は興味を示さなかったが、ヴィルメは予想外のことを告げた。

「関係あるわよ、あんたもお使者様に会うのよ!」

「……は?」

「若くて健康な男は全員、調べるんだって。お使者様が一人一人に会って、見込みがあると思ったら都へ連れて行ってくれるのよ、シェイダール! 都へ!」

 これにはさすがに、シェイダールもぽかんとなった。都へ連れて行く? 本当に?

 しばし唖然となった後、彼はようやく「まさか」とつぶやいた。笑い飛ばそうとしたのに失敗し、曖昧な声音になる。胸に疑いが生じた。

(羊飼いが王になれるわけがない。都の奴らはいったい何を考えているんだ)

 明晰な論理によるのではないが、感覚的に当然の大前提だ。王というのは、何か……想像もつかないが、様々なものを備えていなければならないはずだ。並外れた腕力とか、知恵とか、背丈や美貌とか。それに、何人も集めたところで王になるのはただ一人。残りはどうなる。田舎者を騙して、若い男を連れ去るつもりではないのか。奴隷か、あるいは生贄にするために。

(暴いてやろう。使者が理屈に合わないことを言い出したら、化けの皮を剥いでやる)

 シェイダールは不穏な決意を固め、好戦的にほくそ笑んだ。皆の前で都の偉い使者をやりこめたら、きっと己の言葉に耳を貸す村人も増えるだろう。

 よこしまな期待を抱いて、彼は使者の到着を待ち受けた。

 そんなもくろみが待つとも知らず到着した使者は、わずか二人連れだった。驢馬ロバに乗った青年と、手綱を引く従者らしき男。派手な行列を想像していたシェイダールは拍子抜けしたが、村長と顔役たちは一張羅の晴れ着と滑稽なほどの愛想笑いで出迎えた。

 村人が総出で人垣をなしている。シェイダールとナラヤは遠くからそれを眺めた。

「お使者様も、祭司のようね」

 ナラヤが複雑な声音でつぶやき、シェイダールもうなずいた。使者の頭に載っている帽子は、村の祭司と同じく角張った形をしている。村長らが被る丸いものとは異なり、刺繍も格段に豪華だ。たっぷりした袖のある長衣は鮮やかな黄色。

「さすがに身なりは立派だわ。意外と若い人のようだけど」

「こんな田舎まで来るんだから、下っ端なんだよ」

 ふん、とシェイダールは鼻を鳴らした。きっと簡単にぼろを出すに違いない。

 意地の悪い視線の先で、使者が驢馬の背から何事か告げ、戸惑った気配が村人の間に広まった。やがて人垣が崩れ、女や幼子、老人は家に戻ってゆく。何人かの男が相談し、駆け足で散らばったその内の一人が、こちらに目をとめて大きく手招きした。

「シェイダール! おまえも来い!」

 いかにも嫌々そうな態度だったが、のけ者にする様子はない。なるほど、とシェイダールは納得した。

「どうやらあいつも、さっさと仕事を終わらせたいみたいだな。ちょっと行ってくる。母さんは先に帰ってて」

「失礼のないようにね」

 息子の声音に不吉な予感を抱いてか、ナラヤはきつめの声音で釘を刺す。シェイダールは首を竦めただけでなんとも答えず、小走りに使者のもとへ向かった。

 驢馬のまわりに残っているのは、若い男ばかりだ。歳の近い少年らが何人か集まっており、罪人の子がやって来たのを見ると侮蔑のまなざしをくれて嘲笑った。

 シェイダールは相手にせず、彼らの頭越しに使者を観察した。二十歳ほどだろうか。旅疲れを差し引いても頬の血色が良く健康そうだ。ひとつに括った暗い金色の髪にも艶がある。日々の暮らしの差がこんな風に表れるのだな、とシェイダールは憂鬱に実感した。

 使者の青年は袖の中で腕を組み、退屈そうに待っている。ややあって村の若者全員が揃うと、彼はおもむろに腕を解いた。袖の中から現れた手に、白い石が握られている。

(何だろう)

 ざわり、とシェイダールの胸が波立った。目が吸い寄せられ、動悸が速まる。

「あー、既に噂は耳にしていることと思う。現王アルハーシュ様はご壮健であらせられるが、御年四十を越え、次なる王の選定を命じられた」

 声と共に淡い水色が広がる。地平線に近い空の端の色。シェイダールは瞬きした。勿体ぶった口上に聴衆がきょとんとしているので、使者は鼻白み、言い直す。

「つまり王はまだ健康だが、今のうちに世継ぎを決める、ということだ。知っての通り、王は偉大なる天空神アシャの御力を身に宿し、国をお守りくださっている。次なる王も力を引き受けねばならないから、誰でも良い、とはいかない。これは」

 と使者は手を掲げて見せた。シェイダールが石だと思ったそれは、掌に収まるほどの、卵形をした何かだった。視線がいっせいにそこへ集まる。

「王たる資質の有無を……あー、えへん。王にふさわしい者かどうかを調べる、神聖な石である。一人ずつ順番に、手を触れるように。順番だと言っているだろう!」

 言葉が終わらぬ端から身を乗り出した田舎者ども相手に、使者は苛立った声を張り上げた。一人の若者が石に手を伸ばす。軽く指先を触れたが、何の変化もない。首を傾げる若者に、使者は顎で下がれと命じた。むっとしながら最初の者が退くと、次の者がどれと勇んで進み出る。何かが起きるとは使者当人も期待していないようだった。

 シェイダールは最後まで動かなかった。議論を吹っかけてやろうという意気込みは、とっくに消え去っていた。彼の目には、石が緩やかに明滅しているのが映っていたのだ。あれはただの白い石ではない。あらゆる色を内に宿しているのだ、と確信する。

(こんなことが)

 シェイダールは密かにおののいた。神などいない、神の力など嘘っぱちだ、とついさっきまで信じていたのに。あの石はそれを打ち砕いてしまう。触れたくないと恐怖しながら、同時に抗いがたい魅力に引き寄せられる。

(どうして今になって)

 相反する心が拮抗し、その場に凍りつく。だが、石のほうが彼を見付けた。

 暖かな光が、白い肌の内側から射してくる。彼以外の誰にも見えない光。

「全員試したか?」

 使者の呼びかけに若者らが顔を見合わせる。ざわつきの薄靄を破って、シェイダールが一歩、踏み出した。熱に浮かされたようにふらふらと。

 様子がおかしいと気付いた使者が眉を寄せる。シェイダールはそれを見ていなかった。無数の色が揺らめく光に誘われるまま、歩み寄って手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間、石が歌った。

 色とりどりのきらめきが次々とこぼれ、指から腕を伝ってくるくると舞い上がり、空へ昇ってゆく。高く低く、澄んだ音を立てながら。消え入りそうな音楽が胸の奥に沁みて、そこにある何かを揺らした。彼自身が存在を知らなかったそれが、共鳴して震える。

「――おい!」

 突然、大声と共に肩を掴まれた。シェイダールがぎょっとなって我に返ると、使者が険しい目で彼の顔を覗き込んでいた。

「何が見えた」

 肩に指が食い込む。シェイダールは痛みに顔をしかめたが、それより石が気になって目を落とした。いつの間にか、胸の前で両手に包むようにして持っていた。光はもう消えている。訝っていると、もう一度肩を揺すられた。

「何が見えたんだ、答えろ!」

 興奮気味に急かされ、彼は疎ましさを取り繕いもせず応じた。

「色と光だ。あんたは見えなかったのか」

「どんな色だ」

「どんなって……一色じゃない。虹みたいな」

「そうか!」ばしんと両肩を叩き、使者は大きくうなずいた。「やっと見付けた! 君が新しい王の候補だ、共に都へ来たまえ!」

 今すぐ荷物をまとめて出発だ、と言い出しそうな使者とは対照的に、当のシェイダールを含め村人の反応は鈍かった。いったい何を言っているのか、と困惑の沈黙が漂う。次いでじわじわと理解が浸透するにつれて、ざわめきが波を起こした。

 おい、なんだって、新しい王? 誰が? あいつが。そんな馬鹿な、どうなるんだ。

 驚きと不安と疑惑がうねりはじめる。シェイダールは危険な予兆に身震いし、わざと大声を上げて白石を使者に突き返した。

「いきなりむちゃを言わないでくれ! 俺が村を出ていったら、誰が母さんの世話をしてくれるんだ。しかも『候補』ってことは、王になると決まったわけじゃないんだろう。財産はたいて荷造りして都まで行って、やっぱり帰れだとか放り出されても困る」

 彼の反応に使者は面食らって言葉に詰まった。意味もなく襟や袖を整え、いかめしい表情を取り繕って咳払いする。

「路銀に関しては心配無用だ。私と共に来る限り、寝食のついえはこちらが持つ。また都ではより厳しい選定と訓練を経た後、真に王たり得るかを見定める。選定に漏れた場合も、都で仕事に就けるようはからうことは約束しよう」

 説明されて、今度はどよめきが広がった。なんと、今ここで選ばれた者は、王になれずとも都で暮らせるということではないか。ころりと不信が払拭されて、羨む雰囲気に転じる。シェイダールの苦い顔など目に入らぬように、使者は満足の笑みを広げた。

「母親の世話が気になるということは、君は一人息子かな? 君と家族の今後について説明し、君を連れ出す許しを得なければなるまいな。後で親御さんと一緒に村長の家まで来たまえ。他にも、君を連れて行かれては困るという者がいれば、同席して構わない。ああそうだ、私の名はジョルハイという。君は?」

 するすると滑らかな言葉が、水のように流れる。うかうかしていると足を取られて、深みに引き込まれそうだ。

「シェイダール」

 流れに楔を打ち込むがごとく、彼は警戒に尖った声で名乗った。


 家に帰ると、ナラヤとヴィルメが噂話に花を咲かせていた。使者が着ていた服の色から刺繍の柄についての感想、見たこともない都や王に関する憧れと夢想。街路や宮殿は黄金で飾られているらしいとか、いつでも花の香りがしているのだとか、よくもまあ好き勝手に盛り上がれるものだ。シェイダールは毒気を抜かれ、呆れてしまった。

「あっ、お帰りシェイダール! もう終わったの? どんな話をされたの、都のこととか王様のこととか聞けた?」

 無邪気にヴィルメが身を乗り出す。シェイダールは曖昧な手つきで質問を制し、どう切り出そうか悩みながら母親に向き直った。

「母さん、困ったことになりそうだ」

「どうしたの」

 ナラヤは眉をひそめた。口にこそしなかったが、お使者様に喧嘩を売ったんじゃないでしょうね、と言いたいのがありありとわかる。シェイダールは渋面になった。

「俺が都に行かなきゃならないらしい」

 迂遠な言い方をした彼に、母と幼馴染みは揃ってきょとんとした。そのまま二人が聞き返しもしないので、彼は自分でも馬鹿げて聞こえる内容を、ため息まじりに告げた。

「俺に、王の資質があるんだってさ」

 途端にナラヤが目をみはり、叫びを押し殺すように両手で口を覆った。ヴィルメは同じぐらい目を丸くしたものの、こちらは満面の笑みで彼に迫る。

「あんたが王様になるってこと!? すごいわシェイダール! やっぱりあんた、特別な人だったのよ!」

「まだ決まったわけじゃない。他にも候補はいるんだ。あの使者と一緒に都へ行って、もっと厳しくふるいにかけられて、最後まで残った奴が王になるらしい」

「それでもすごいじゃない! 都へ行けるんでしょ?」

「行っても、その先どうなるかなんてわからないんだぞ。使者は、王になれなかった奴も都で働けるようにしてやるって言ったけど、本当かどうか。新しい王の邪魔にならないように殺されるかもしれない。そうなったって、村には誰も知らせに行かないしな」

 悪い予想ばかり並べる彼に、女二人も興奮から醒めて鼻白む。ナラヤは黙考し、ややあってぽつりとつぶやいた。

「どちらにしても、私は一人息子を失うのね」

「……うん。そうなる。絶対行かないってごねたら、村の連中は俺と母さんを今より悪い扱いにするに決まってるし、使者だってどう態度を変えるかわからない。今後について説明するから、村長の家まで家族を連れて来いってさ。今から行ける?」

「ええ。ええ、でも……ちょっと待って。気持ちを整理するから、少しだけ外で待っていてちょうだい」

 ナラヤは腰を浮かせたものの、思いのほか動揺していたようで、また座り込んだ。シェイダールは「わかった」と応じ、ヴィルメを促して共に外へ出る。小屋から十歩ほど離れたところで、ヴィルメが彼の腕に縋りつくや、鋭くささやいた。

「ねえ、あたしも行く」

「え? ああ、そうだな。俺を連れて行かれたら困る奴は同席していいと言っていたし」

「そうじゃなくて! あたしも、あんたと一緒に都へ行くの」

「はぁ?」

 何を言っているのか理解できない。まともにその心情が声と顔に出た。途端にヴィルメが怒りの形相になり、シェイダールは急いで先制した。

「俺の話を聞いてなかったのか? 都で何があるかわからないんだぞ。それに旅の費用だって俺の分は使者が出すって言ったけど、連れの分までは……」

「あんたと離れたくないの。都に行けばきっと、二人で暮らしていけるわ。王様になれなくたって仕事はあるだろうし、上手くすればあたしも、お使者様の伝手で宮殿の下働きくらいできるかもしれない。お願い、置いて行かないで。あんたのいないこの村で、独りにされたくない」

 切々とした訴えに、シェイダールはばつが悪くなって視線を落とした。罪人の子と親密にしていた彼女がどんな境遇に置かれるか、想像に難くない。一瞬でも邪魔に感じたことが恥知らずに思われて、唇を噛む。そこへとどめの一撃が来た。

「赤ちゃんができたの」

「――!?」

 あまりの衝撃にシェイダールはよろめき、呼吸も忘れて立ち竦んだ。

 考えていなかった。自分たちの行為がどんな結果をもたらすのか、わかりきっていたのに、まったく予想も備えもしていなかった。

(俺は馬鹿だ)

 ほら見ろ不作になんかならない、女神は村人の行いなど気にしていない証拠だ、と得意がっていた己を張り倒したい。彼は喘ぎ、唾を飲んで無理やり言葉を押し出した。

「……確かなのか?」

 言った瞬間後悔したが、幸いにもヴィルメは辛抱強かった。腕にしがみつく手を緩め、腹を見下ろすように顔を伏せる。

「わからない。でも多分……もう二月以上、血の通いがないから。ねえシェイダール、あたしを独りにしないで。置いて行かれたら、この子をちゃんと産む勇気が出ないわ」

 不安に口ごもった彼女の心情を察し、シェイダールも真剣な顔つきになった。都まで連れていけるかどうかは別としても、村の祭司に話をつけて夫婦と認めさせなければならない。

(あいつが渋るなら、使者に頼んでもいいさ)

 使者も祭司の帽子を被っているのだから、祝言を挙げるぐらいはできるだろう。きちんとした婚姻のもとで生まれた子であれば、夫がいなくなったとしても、妻子が村の者から爪弾きにされる心配はない。

「とにかく、一緒に使者のところへ行こう。母さんだけじゃなくヴィルメのこともあるとなったら、あいつも真面目に考えるだろう」

 彼の言葉に、ヴィルメは複雑な声音で「うん」と応じた。何か言いたいことを抑えているような、不満の感じられる表情だ。それが何なのかシェイダールには推測がつかなかったが、彼女自身もいろいろと混乱しているのだろうという結論で納得した。

 そこではたと気付き、彼は家の様子を一瞥してから尋ねた。

「母さんには話したのか?」

 まだ、とヴィルメが答えると同時に、家の戸が開いた。少し泣いたのかもしれない、赤い目をしてナラヤは「行きましょう」と促した。

 そうして三人が連れ立って村長の家まで行くと、中から知った声が聞こえてきた。村の祭司だ。王の候補たるにふさわしくないだとか、難癖をつけに来ているらしい。

 ちょうどいいや、とシェイダールは鼻を鳴らし、ずかずか家へ上がりこんだ。

「五年も前だというのに、まだ清めが済んでいないというほうがおかしいでしょう。あなたが一言告げたらそれで片付く話です」

「だとしてもお使者様、あの者は……」

「よさんか、もう充分だろう。皆、口には出さんが、いつまでもあの母子を物置に住まわせるのは気の毒だと思っとったんだ」

 使者と祭司、村長が言い合っている。シェイダールは挨拶もなく割り込んだ。

「俺が王になったら不都合があるのかい」

 祭司と村長がしかめっ面で振り返る一方、使者はほっとした顔になった。埒のあかない話を繰り返すのに疲れていたらしい。

「やあ、来たな。お父上の事情は聞いたよ。そちらがお母上だね、もう一人は?」

「幼馴染みのヴィルメだ。俺の妻になる」

 シェイダールが答えた途端、村の大人たちがぎょっとなった。村長と祭司は目を剥いてヴィルメを睨み、ナラヤはおどけたような驚きの表情で息子を見る。

「思い切ったわね、シェイダール」

 小声で褒めた母親に、彼はややこしい顔をしただけで理由の説明はしなかった。使者に向き直り、言葉を続ける。

「離ればなれになりたくないと言っている。都へ一緒に連れていきたい。できるか?」

「……ふむ」

 使者ジョルハイは即答せず、考え深げに少女を見つめた。村の祭司が慌てて割り込む。

「待て、何を考えておる不埒者が! 婚儀も済ませておらんのに都へ連れて行くだと?」

「あんたの考えはどうでもいい」

 シェイダールは一瞥もくれずぴしゃりと言い放ち、使者に答えを催促した。

「できるのか、できないのか。どうなんだ。そもそも王の候補は若くて健康な男なんだから、見付けた候補がとっくに結婚していて子供がいるって場合もあるだろう。そんな時でも、家族を捨てて都へ行けと命じるのか?」

「うん、君はなかなか頭が回る。とりあえず座りたまえ、順を追って説明しよう」

 ジョルハイは相変わらずの滑らかな口調で促し、全員が話を聞く態勢になると、おもむろに咳払いをして居住まいを正した。

「まず……型通りの言葉から入ろうか。おめでとう、シェイダール。君は次なる王の候補として選ばれた。都にて更なる修練を積み、ゆくゆくは新しき王にふさわしい器となりし御身に力が満ちるよう、神々の加護があらんことを」

 恭しく言って、彼はシェイダールに指を向け、祝福のしるしを切った。それが済むと姿勢を崩し、いくぶんくだけた調子になって続ける。

「さて今後についてだが、はっきり言おう。君に自由はない。都へ来ないと言うなら、この村にだけ重税が課されることになるし、都の祭司がこぞって呪いをかけるだろう。だから連れはともかく君自身は必ず都へのぼり、次の選定を受けなければならない」

「それは時間がかかるのか? さっさと終わらせてすぐ帰るってのは、無理なのか」

 性急な問いを発したシェイダールに、ジョルハイはあっさり応じた。

「選定自体はすぐに済むよ。王にお目通りするだけだからね。一目ご覧になればわかるのだそうだ。ただし、それで終わりとはいかない。……つまり、一番見込みのある候補が決まったとしても、王位継承の儀式を行うまでに何があるかわからないからね。五番目くらいまでは、王宮に残って鍛錬やら潔斎やら、必要な修練を積むんだ。私の勘だが、恐らく君はその五人の中には入るだろう。そうならなかった場合は村に帰ってもいいが、最初に告知したように、都で暮らせるように仕事の口を斡旋あっせんする」

 そこまで話して、彼はナラヤとヴィルメに視線を向けた。

「聡明なシェイダール君が指摘したように、新王候補が家族を養う立場である場合は、相応の補償がなされると決まっている。そこは安心してくれていい。今回のような状況であるなら、お母上に当座の手当が支払われるほか、お母上を扶養する家長に対しては租税が減免される。恐らく元の、親族と一緒の暮らしに戻れるだろう」

「そうなるでしょうね」

 ナラヤは淡泊に言って目を伏せた。そんなもので埋め合わせにはならない。母の悲嘆を感じ取り、ジョルハイはやや真情を込めて頭を下げた。

「御心痛、お察しいたします。しかしこの大地を健やかに保つため、ひいてはご自身のためでもあるのです。……さて、ヴィルメだったかな。君のほうは少しややこしい。いかんせん、君の夫になろうという彼は、本当に次の王になってしまうかもしれないからね」

 気の毒そうに言われて、ヴィルメが不安に身じろぎする。シェイダールは不快になってジョルハイの弁舌を遮った。

「羊一頭持たない俺が王になれるのに、ヴィルメが王妃になれない理屈はないだろ」

「大ありだよ。君は王の力を受け継ぐのだから、今の君とはまったく異なるものになる。しかしこの娘さんはそうじゃない。むろん王宮に住まわせてあげることはできるが、妃の地位というのは、国内外の氏族とのつながりを結ぶ貴重な取引材料なのだよ。好いた娘だからというだけで、おいそれと与えられるものではない。ああ、それに、新しい王は前の王から妃たちをも受け継がなければならない」

 さらりと告げられた内容に、未婚の二人は揃ってぎょっとなる。相当に裕福な男ならば複数妻を持つこともあるが、王の妃たちとなれば数が桁違いではあるまいか。思わずシェイダールはヴィルメの顔色を窺った。相手も同じくこちらの反応を見ようとしたらしく、まともに目が合う。シェイダールは動揺を晒したくなくて、さっと顔を背けた。

 ジョルハイはそんな様子をどこか愉しげに眺め、楽観的な予想を告げた。

「まあ、王にさえならなければ都で仕事に就いて、それなりの暮らしができるはずだ。新王がいきなり事故や病に倒れない限り、生涯安泰。だからヴィルメ、もしもの時は正妻の地位を明け渡す覚悟さえあるのなら、君も一緒に来るといい。村に残るよりは豊かな人生になるだろう。都には美しい衣服も美味い食べ物も、楽しい遊びもどっさりある」

 すらすらと述べられる明るい未来は、まるで確実な約束のように響いた。渋い顔をしていた村長も、そういうことならと既に納得した様子でうなずいている。

 シェイダールは耳に心地良いばかりの言葉が気に入らなかったが、他の皆は彼ほど懐疑的ではないようで、結局そのまま使者が主導権を握り、旅の段取りをつけてしまった。


 出立の日、シェイダールは母をしっかり抱きしめた後、見送りの面々に決然と向き直った。村長と苦い顔の祭司、伯父一家やヴィルメの家族、物見高い村人たち。晴れがましい門出を祝う雰囲気ではなく、送り出されるほうも嬉しさなど見せない。父の死を見つめたのと同じまなざしで一人一人を射抜き、彼は強い声で告げた。

「俺は王になる」

 迷いのない断言に、ジョルハイが驚きを顔に浮かべる。シェイダールは続けた。

「すぐになれるのかどうかは知らないが、都へ行き、いずれ必ず王になる。もしもその時に、母さんがつらい目に遭わされていたら、放ってはおかない。受け継いだ王の力すべてを使ってでも、報いを受けさせてやるからな。――覚悟していろ」

 誰もがすぐには応じられず、気まずい沈黙が降りる。村長が咳払いでそれを破った。

「シェイダール、そう喧嘩腰にするな。ナラヤのことはちゃんと村の皆で面倒見る。後のことは心配せんでいい。おまえは都でヴィルメを守って、しっかりつとめを果たせ」

 威厳を取り繕った村長の後ろで、村人たちがそっと不安げな目配せを交わしている。シェイダールはそれを見届けてから、故郷に背を向けて歩きだした。

 乾いた土が、一足ごとに埃を立てる。長旅に備えて手に入れた丈夫な短靴も、あっという間に白く汚れた。しばらくして、ジョルハイが驢馬の背から話しかけた。

「君は随分、度胸が据わっているな。祭司を恐れないどころか、王になると言い切ってみせるとは。よほど自信があるのかい」

 シェイダールはしらけた顔でぶっきらぼうに「ないね」と答えた。

「俺が王になるなんて、考えられるもんか。でも、ああ言っておけば村の連中はせいぜい母さんを大事にするだろうさ。迷信深いんだから。それより、頼みがある」

 使者を見上げた少年の顔は、明らかに頼み事をするのに不慣れな表情を浮かべていた。

「時々交代でいいから、ヴィルメを驢馬に乗せてやってくれ」

 ぎこちない思いやりに、ジョルハイは危うく失笑しかけ、ヴィルメは頬を染めてうつむいた。ジョルハイは笑いを堪えるのに苦心しつつ、初々しい二人をからかった。

「おやおや、あんな苛烈な脅しを言うかと思えば、恋人は大事にするんだな。君は良くも悪くも情が深いらしい」

「そんなのじゃない。身籠っているんだ」

 シェイダールは照れ隠しにつっけんどんな言葉を返す。ジョルハイが目を丸くした。

「君たち、婚儀はまだなんだろう?」

「それがどうした」

 ますます無愛想になったシェイダールの横で、ヴィルメは不安と羞恥にそわそわする。使者が機嫌を損ねて自分たちを追い返すのでは、と恐れたが、彼はしばらく興味深げに少年だけを見つめ、それからつくづくと一言、感嘆した。

「やるねえ」

 年長ぶった揶揄の声音。シェイダールは赤くなって顔を背け、行く手を睨む。だから彼は見ていなかった。使者が猫のように目を細め、唇を小さく動かしてつぶやくのを。

 ――面白い。

 何かを企むような笑みは、誰の目に触れることもなかった。

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