第3話 歴史の真実
義之サイボーグが香澄の前から姿を消して、一年が経っていた。
その間、義之本人が香澄の前に現れて話をしたが、香澄は完全に自分の知らない相手のように振る舞っていた。
義之は、それを自分がこの世界で影響を及ぼさないアイテムを利用したからだと思っていたが、それだけではない。香澄の中では、義之本人とサイボーグは違っていると分かっているからこそ、サイボーグには興味があっても、義之本人には興味が湧くことがなかったというそれだけのことだった。
香澄自身、その頃から、他人のことに対してあまり意識を深めることはなかった。それは、義之本人に対しても同じで、自分が人であることすら、あまりいい気持ちではなかった。要するに、人間嫌いなのだ。
以前から、その気はあったが、義之サイボーグを知ってから、余計にそんな気持ちになっていた。
――男性は、もういい――
と思うようになり、逆に女性に対しては、露骨に嫌だったことを思い出させる。異性であれば遠慮もあるが、同性では遠慮はあまり考えられない。それを思うと、女性には、最初から近づこうとしなかったのを思い出していた。
香澄の前から姿を消してからの義之は、自分の時代に戻っていた。義之自身とはすれ違い。戻ってみたら、少し時代が変わっていたのに、気が付いた。
自分が飛び立った時間に戻ってきたわけではない。香澄と一緒にいた時間をちょうど飛び越えて、戻ってきたのだ。
つまり、遡った時間と、戻ってきた時間を距離にすると、
――まったく同じ時間――
だと言えるだろう。
義之サイボーグは、その時間を計算して、戻ってきたのだ。
ただ、その時間に義之が過去に戻ったというのは、偶然ではなかった。義之本人は、サイボーグが戻ってくる時間を計算していたのだ。
義之サイボーグは、自分にとって不利になることを意識しないようにしていた。それは義之本人の設計によるものであり、サイボーグの成長回路の中にもそれは組み込まれていた。
サイボーグにもよるのだろうが、義之の開発したサイボーグは、人間が嫌いではないが、自分が人間に近づくことを嫌っている。あくまでも、自分をサイボーグとして人間に近づくという発想が、彼にはあるのだ。
人間というものの正体を、義之サイボーグは分かっている。なぜなら、彼の頭の中にある頭脳は、元々人間である義之からの移植だからだ。
彼は、人間嫌いでありながら、自分の頭脳が人間によって司っていることを意識しながら成長しなければいけないというジレンマに襲われながら成長した。それを制御できたのは、香澄という女性と出会い、お互いに惹き合うものを感じることができたというところから来ているに違いなかった。
香澄には、義之の中にある、そのジレンマを感じることができた。
それは香澄自身、
――自分はジレンマの塊なんだ――
という意識を持っていたからで、ジレンマというのは、「板挟み」の略であるが、それが何と何による「板挟み」なのか、その二つが両極端な場合もあれば、そうでもない場合もある。
香澄の場合は、人間関係のジレンマ。ひょっとすると、男女の間のジレンマなのかも知れない。だが、サイボーグの場合は、ロボットと人間のジレンマ。そこには性別の意識はない。ロボット同士での性別の違いは、外観だけであって、意識の中でのことではない。そう思うと、義之サイボーグは、人間に比べてロボットの方が、考え方としてはグローバルなだけに、悩みもそれだけ深いと感じるのだった。
だが、人間という動物は、自分たちのことを「無限」だと思っている人がいるとしても、そのほとんどは、
――無限なんてことはありえない――
と、考えていることと意識とで隔たりがあることが多い。
それは、まるで、
――本音と建て前を使い分けるのが人間――
だと言わんばかりであり、ロボットにはそんな概念はない。
よく言えば、人間のように裏表や、姑息な計算があるわけではないが、悪く言えば、融通が利かない、いつも冷静沈着で、冷たい存在に感じられる。人間から言わせれば、
「ロボットには暖かい血が通っていない」
と言われることだろう。
だが香澄は、義之サイボーグに対して、そんな感情を抱いたことはない。彼をサイボーグだと思いながら好きになったのは、
――彼に血が通っていないのは分かっているが、暖かいものを感じることができる――
という思いを感じたからだ。
それはきっと、彼の回路の中に、義之本人の意志や考え方が移植されているからであろうが、それよりも、成長する機能を兼ね備えていることで、彼が人間と接することにより人間に近づく成長があったからだろう。
だが、義之サイボーグの中には、自分が人間に近づいていることで、ジレンマに陥っていることを察知していた。
――人間になりたくない――
という意識は、自分が成長すればするほど感じるのだった。
――人間に憧れているわけではないのに、どうしてこんな感覚になるのだろう?
と、人間に近づいていることを止められない自分の意志がそれほどの強さではないことを不思議に感じていた。
――少なくとも人間よりも、強いはずだ――
と、自分の意志を感じていたが、その理由を、自分が香澄を好きになったことだという簡単な理屈であることに気付いていないのだった。
――ロボットに恋愛感情などありえない――
という感覚があるからに違いない。
しかも、同じことを、相手の香澄も感じている。香澄自身も、
――どうしてロボットである彼を好きになったのかしら?
と考えたことだろう。
だが、それは最初に感じただけのことで、すぐにその思いを感じることはなくなった。
――僕はこんなに悩んでいるのに――
と、彼は感じ、
――人間の方が本当は淡白で冷静沈着な動物なのかも知れない――
と感じた。
そんなところが、自分が感じている、
――人間になんかなりたくない――
というジレンマを感じているところであり、誰にも相談できない思いを感じている孤独感に苛まれるところだと思っていた。
ロボットは、人間よりも肉体的には頑丈で優れているが、頭脳としては、絶対に追いつけるものではない。
――創造主よりも、優れるなどという発想こそナンセンスだ――
という思いも当然で、いくら成長する回路を組み込まれているとはいえ、人間ほどの成長ができるはずもない。
なぜなら彼らのまわりにいる成長できる手本は、人間しかいないからである。手本は創造主であり、創造主より優れた機能を発揮できるわけがないのだから、当たり前のことである。
――人間が有限なら、ロボットも当然有限である――
人間のように、考えていることと意識で隔たりがあるというのは、
――理想と現実――
という言葉に置き換えることができるだろう。
そういう意味では、考えていることと意識で隔たりを感じないロボットには、いくら意志を持つことができたとしても、そこにあるのは現実だけで、理想というのはありえないことになる。つまりは、
――理想という概念を持っているのは、人間だけだ――
ということになり、そのことを、人間は分かっていない。いや、気付いてはいるだろう。だからこそ、
――自分たちが一番の高等動物だ――
という意識があるのだ。
それに間違いはないだろうが、潜在意識の中で絶対部分になっているのは、自意識過剰なところを導き出す要因になっていることだろう。
ただ、人間は「絶対」ということに対して信じている人と信じていない人のどちらが多いのだろう? 普通、
――絶対などありえない――
と思うものなのだろうが、場合によっては、その人にとっての「絶対」もありうるだろう。
たとえば、同じ親から生まれた子供は、同じ男の子であれば、先に生まれた方が「兄」で、次に生まれた方は「弟」ということになる。これは絶対に変わることはない。それを「絶対」として認識しているかどうか、それはその人の意識次第だ。
――人間に限らず動物は、心臓の鼓動がなくなると、死んでしまう――
これも絶対のことである。
ただ、心臓の鼓動など、普段から意識している人はいるだろうか。当たり前のこととして、もし意識はしていても、それは潜在意識の中のことであり、いちいち確認したりすることはない。
「絶対」という感覚は、無意識の中にこそあるのではないだろうか。
そういう意味では、人間が自分たちのことを、一番の高等動物だと思っているのは潜在意識の中でだけのこと、ただ、それが自意識として溜まってくると、表に出てくることもある。
――人間は他の動物とは違う――
この発想が、同じ人間の中の種族の中で起こってしまうと、避けられない戦争に突っ走ってしまう。
それこそ、義之と香澄の間の時代に起こった戦争であった。
香澄の先祖から、ずっと人間は戦争を繰り返してきたが、それも、最終兵器の存在により、
――最終という意識の存在が「パンドラの匣」を開けることなく、紙一重の平和の均衡を保ってきた――
それでも紙一重の平和は、恒久なものではなかったのだ。幾度も危機と呼ばれる状態を紙一重で潜り抜けてきたが、タガが一度はずれると、後はズルズルいくだけだ。
「こっちが滅ぶなら、相手もろともだ」
と言わんばかりの心境は、その時のその状態になった人でなければ分かるはずもない。
ただ、そんな極限状態で張りつめていた心境が爆発したたった一人の行動が、一気に世界を破滅に追い込む。復興できたのが信じられないほどだが、そこには、未来からやってきた「発達した科学」持参で、復興を手助けした。
「よくパラドックスに触れなかったな」
と、学者は考えたが、そもそもパラドックスというのも理論だけであって、実際に証明されたわけでもない。
これこそ「人類にとっての永遠のテーマ」として、ずっと受け継がれていくものなのだろうか。
未来から来た技術者や、ボランティアの人たちは、考えてみれば当然の行動だ。
もし、このまま人類が滅亡してしまえば、自分たちの存在もありえないことになる。ただ、未来からの人たちは、全員覚悟の上だろう。未来にも「パラドックス思想」は存在する。いや、思想というよりも、むしろ「神話」というべきであろう。彼らの行動が未来にどのような結果をもたらすか、パラドックスでは説明がつかないことだろう。
そういう意味で、技術者やボランティアの人たちは、
「俺たちは、自分のいた時代に戻れないかも知れない」
という覚悟を持ってやってきた。
それは、
「もし、俺たちがこっちの時代で、歴史上の余計なことをしてしまえば歴史が変わってしまう。つまりパラレルワールドに入りこみ、自分たちが戻るべき時代が『変わってしまっている可能性』がある」
ということが十分に考えられるからだった。
彼ら全員がパラドックスの理念を信じ、その発想に伴う結論を、皆それぞれに持っていて、それが覚悟に繋がっている。
パラドックスの理念を分かっていなければ、自分の時代に帰れなかった時のショックが大きすぎて、精神的に耐えられなくなってしまうだろう。そのまま気が触れてしまうこともあるだろう。そうなって、過去を勝手に変えてしまうと、それこそ、過去の復興の意味もなくなってしまう。
――世界で未曾有の大戦争が起こり、滅び掛けたところを、未来からやってきた人たちが復旧に携わることで、人類は滅びずに済んだ――
ということを、予知した人がいた。
それが他ならぬ沙織だった。
沙織は、自分に予知能力があるのを意識していたが、この発想はさすがに予知能力だとは思わなかった。
ありえないことではないと思った発想だったが、これを予知能力によって予知したものだとすれば、自らが「パンドラの匣」を開けてしまうような気がして、ありえないことだという発想に変えてしまうしかなかった。
沙織の予知能力は、他の人から見れば羨ましいものに見えるかも知れないが、本人にとっては頭痛の種であり、自分を困らせるだけのものだった。
戦争復興のために過去にタイムスリップした人の多くは、犯罪を犯して、刑を軽減するために、止む負えずやってきた人たちだった。覚悟は仕方がない。ただ、その人たちも最初から犯罪を犯そうとして犯したわけではない。香澄の時代であれば、
「情状酌量の余地」
というものがあるが、未来になると、その発想は薄れていった。
未曾有の戦争が復興してから新しく生まれた法律は、
「被害者保護」
の観点から作られている。
すなわち加害者には、きわめて罪は重い。それは、犯罪を未然に防ぐという役割もあるが、かつての時代のように、
――被害者の遺族の気持ちが反映されない時代――
それがあったからこそ、人間の心が歪んできたと思われる時代があった。そんな時代を経て、戦争に突入したこともあり、
「新しい時代の法律は、まったく新しい発想から」
というスローガンが存在し、
「被害者保護」
という考えが大きく浮上したのだ。
それには、罪を重くして、犯罪を未然に防ぐのが一番いいのだが、いつの時代であっても、犯罪が減ることはなかった。
なぜなら、
「犯罪を犯す人間のほとんどは、仕方のない事情を抱えていた」
これは、時代が変わってもどうしようもないことで、
「悪いことをしなければ、自分は殺されてしまう」
という環境に置かれる人も少なくなかった。
確かに犯罪は減ったかも知れない。しかし、表に出てこない「悪いこと」というのは、むしろ増えていた。犯罪全体の数は変わっていないとしたら、目に見えない「悪いこと」が増えるのも仕方のないことだった。
たとえば、「苛め」などの問題は、表に出ているものは少なくなってきた。しかし実際には減ったわけではない。苛める方もかしこくなったというだけのことだ。
「見つからなければ、それでいいんだ」
という発想は、法律がどうであれ、無法地帯を招くことになる。
――苛められた人間に溜まったストレスが、そのまま犯罪に結びつく――
苛められる方は、実は頭がよかったりする。苛められながらでも、
「いかにすれば、苛められないようになるか」
ということを、見つからないまでも必死に答えを目指そうとする。無駄な努力ではあるが、頭のキレをよくするのには役立っている。
中には報復を行って、自分を取り戻す人もいるだろう。苛めている人間には、自分が苛められたり、攻撃されるなどの発想は、まず皆無だろうと思われるからである。
そんな時代は、究極の「法治国家」であり、その最たるものが、その時の日本だったようだ。
他の国はそこまで厳しくはなかった。むしろ、昔よりも被害者が苦しめられる時代となっていた。どうして日本だけがそんな国になってしまったのか分からないが、かつて、一番戦争がなく、平和と呼ばれた時代が長く続いたのが、日本だったからだという説は根強い。
国家体制が、明らかに他の国と違っていたことが大きな原因なのだが、そのことは未来にはあまり知られていない。
「臭いものには蓋」
そんな風潮が残っていたからだろう。
――未来の人間が、過去に遡って先祖を助ける――
という発想は、実はこの時のボランティアから生まれた。
この時のボランティアは大成功だった。未来に影響はほとんどなかったからだ。実はそれもさらに未来に行って、過去に影響を及ぼさないアイテムを手に入れたからで、そのことは本当は秘密事項だった。
義之がそのことを知っていたわけではないが、人間の考えることは大なり小なり、それほど変わらないということなのか。未来のアイテムを売っている人も、過去からの買い手がいることで、しっかりと商売になっていたようだ。
現在、過去、未来と結ぶ線が見えていなかった時代の方がよかったのか、自在に時代を行き来できると、何が大切なことなのか、分からない人が増えてきたのも、仕方のないことだろう。
戦争を引き起こした人の中には、
――大切なものを見失った――
という思いが引き金になった人も少なくない。
過去に「パンドラの匣」に手を掛けてしまったのが日本なら、未来からボランティアがやってきたのも日本だった。ただ、ここで大きな疑問がある。
「未来の人が、過去に行ってボランティアができるのであれば、戦争を止めることだってできたのではないか?」
という発想である。
しかし、この発想は、最初からナンセンスなもので、確かに戦争を止めれば、悲惨な時代が訪れることはないのだが、逆に悲惨な時代がなければ、未来は完全に変わってしまっていて、未来から戦争を止めに来るはずの人が生まれないことになる。
つまり、それは、
「パラドックスの基本中の基本」
であって、過去に戻ることへの発想としては、原点になるのではないだろうか。未来の人間が過去に影響を及ぼさないようにするのもそのためであり、完全に世界が変わってしまうようなことに影響を与えないなど、アイテムなどで片づけられる問題ではないはずである。
「時代を動かすことは、誰にもできないんだ」
という発想は、いつの時代になっても同じである。もし、それができるとすれば、
「神への冒涜」
という発想が、生まれてくるかも知れない。
そうなると、宗教が絡んでくるので、話がややこしくなる。やはりいつの時代も宗教団体というのは、影響が大きくなるもので、無視できない存在だったに違いない。ただ、それが、
「暴走への抑止力」
になっているのも事実で、すべてが災いの種というわけでもないようだ。
ただ、そんな世の中が来るなど、沙織や香澄の時代の人間の誰が予想しただろう。予想できたとすれば、そこには沙織のような予知能力がなければ、ありえないことだ。
だが、可能性はゼロではない。どんなに限りなくゼロに近くても、完全ではないのだ。
――世の中に完全なんてありえない――
と思っている人にとっては、発想として映るだろうが、そうでない人には、妄想としてしか映らない。
もし、可能性の薄い話をしたならば、妄想として捉えられると、まるでこちらの気が違ったのではないかと思われてしまうだろう。人の発想を妄想として捉える人が、香澄の時代には、どんどん増えてきた。
妄想というのは、自分で妄想だという意識がある人はまだいいのだが、妄想だと自覚していない人ほど怖いものはない。
妄想というのは膨らむもので、そこに限界はないように思う。一度妄想してしまうと、果てしない妄想に入ってしまう人もいるだろう。
妄想の魔力は、「膨らむこと」にあり、膨らんだ妄想は、ストレスやイライラを解消してくれる。まるで麻薬のようなものだ。
麻薬の禁断症状も一種の妄想であり、普段隠そうとしているものが表に出た瞬間、想像以上に膨らむことで、脳細胞を圧迫しているという発想もあるのではないかと、考える人も少なくないだろう。
香澄の時代と、義之の時代。そこには埋めることのできない溝があるのだが、果たして、義之の時代が、本当に香澄の時代から伸びる本当の時間軸なのかどうか、誰にも分からない。
パラレルワールドの発想が消えない限り、その考えは永遠に続くことになる。未来に起こる未曾有の大戦争。それが一体繋がっているはずの時間軸に、どのような影響を与えようというのだろう。
香澄はある日、フラフラと旅行に出かけた。今までにも時々急に思い立って旅行に出かけることはあったが、それは香澄の意識の中にあることだった。
なぜ旅行に出かけようかという気持ちになったかということをハッキリとは自覚していないまでも、旅行に出かけたくなる心境に共通点があって、その時、いつもと同じ心境であることを感じると、旅行に出かけたことに対して、不思議に思うことはなかった。
しかし、今回の旅行は、本当にフラフラと出かけたと言っても過言ではない。出かける時こそ、
――いつものように旅行に出るんだ――
という意識はあったが、ふと我に返ると、なぜなのかという気持ちが残っていた。
いつも旅行にフラリと出かける時、最初は意識しているわけではなく、ふと我に返った時、旅行に出かけた心境を感じるのだ。その時に前の時に感じた思いと比較して、
――ああ、今日も同じ気持ちだ――
という自覚が、自分を納得させることに繋がっている。しかし、今回の旅行にはそれはなく、最初に感じるはずの、
「旅行に出てきた」
という自覚がないのだ。あくまでも、フラフラと出てきてしまったという感覚しかないので、自覚には程遠い。
旅先での行動は、一定していない。そもそも目的があるわけではないので、意識もないのだ。
今回出てきた旅行は、今までにない気分だったはずなのに、やってきた場所は、
――以前にも来たことがあるような気がするな――
というものだった。
――確かに初めて来たところだと思うが、この気持ちは何なのだろう? どこか懐かしい気もするし、吸い込まれるような感覚に陥るのも、初めてではなかったような気がする――
この二つの思いが、果たして同じ時に感じたものなのかどうか、香澄はハッキリと覚えていない。しかし、
――セットになっているからこそ思い出せたのではないか――
と思うと、やはり、同じ時だった
――懐かしいという感覚は、思い出すことができたからなのかな?
とも思ったが、そこは違うような気がした。
香澄は、以前自分が自殺を試みたことがあったのを思い出した。
自殺しようとした人はたくさんいるだろうが、普通は、なかなか忘れられないもののはずだ。しかし、香澄はこの時、旅行に出てくるまで、自分が自殺を試みたことを忘れていた。
――どういう心境で自殺しようとしたのか?
ということを忘れていただけではなく、本当に自殺を試みたという事実すら忘れてしまっていたのだ。
その部分だけ記憶が欠落していたのかも知れない。
ただ、そう思うと、欠落しているのは、その時自殺を試みたということだけではなく、他にもいっぱいあるのではないかと思えてきた。
それを思い出す時が来るのかどうか香澄には分からないが、
――思い出したのなら、それは自分の記憶に間違いがなかったということで、思い出さないことは、最初からなかったことだ――
という、当たり前のことを考えていた。
しかし、当たり前のことであっても、記憶を格納しようという意識がその時どれほど強く自分に働いたかということであり、本当になかったことなのかどうか、普通なら分からない。
それを、なかったことだとして解釈するのは、少し飛躍している気持ちになるが、そうでなければ、いつまでも尾を引いてしまうような気がしたからだ。
ただ、自殺したことを思い出してしまった。
どのように自殺を試みたかまで思い出していて、リアルな記憶となってしまったのだが、今度はそれを認めようとしない自分がいることに気が付いた。
――あの時も、フラリと旅行に出たんだっけ?
目的があったわけでもなく、ただフラリと出かけただけだ。つまりは、最初から自殺しようなどという気持ちだったわけではないことに間違いはないようだ。
――記憶というのは、意識を伴っていなければいけないものなのだろうか?
そんな思いを香澄は抱いていた。
自殺というものは、変に意識してしまっては、なかなか成功しない。手首を切ろうとして、「躊躇い傷」を持っている人はたくさんいる。意識してしまうと、目の前に迫っている「絶対の死」を恐怖としてしか受け止めることができなくなるだろう。
ただ、それが普通の発想なのだ。
自分で自分を抹殺しようとするのだから、きっと心の中を「無」にしてしまわなければうまくはいかない。
「この世の中で一番難しいことは、自殺することだ」
と言っていた人がいたのかどうか分からないが、自殺しようとして結局できなかった人の中には、そう思う人もいるだろう。
「死んだ気になれば、何でもできる」
という言葉は、その気持ちの裏返しなのかも知れない。
しかし、この言葉は、矛盾を孕んでいるように思う。
本当は逆ではないだろうか?
「何でもできるくらいなら、死ぬことだってできるかも知れない」
という言葉の方が正解ではないかと思う。それほど、死ぬことは難しいのではないだろうか。
「死んだ気になれば、何でもできる」
という言葉は、まだまだ「自殺」というものが、簡単にできてしまうと言っているようなものではないかと、香澄は考えるようになった。
香澄は、死を特別な思いで感じていた。
中学の頃の友達に、死を迎えた人がいたからだ。その人は、自分が死ぬことを知っていた。まわりは彼女の病気を知っている。彼女は入退院を繰り返しながら、学校もほとんど来れなかった。
サナトリウムのようなところで治療を受け、時々、空気のいいところで静養したりしていた。彼女とは、その静養しているところで、知り合ったのだ。
当時、香澄も学校を休みがちだった。といっても、病気で休むわけではなく、黙って休んでいたのだ。ズル休みの習慣がついていたわけだが、あまり叱られるということもなかった。
寂しさを抱えながら歩いていると、すれ違った瞬間に、身体に電流が走ったのを感じた。振り返ってみると、そこには一人の女の子がこちらに背を向けて歩いていた。
場所は、海に近い国道沿いだった。週末の午前中だっただろうか。車は結構走っていたが、歩いている人はいなかった。中途半端な田舎ではよくある光景なのかも知れない。ただ、中学生の頃の香澄には、それがよくある光景だという意識はなかった。ただ、何も考えずに歩いていた。その女性とすれ違ったという意識もなかった。電流が走ったのを感じるまで、自分が何を考えていたのか、忘れてしまった。
確かに何かを考えていた。完全に我に返ったことで、それまでの意識とは違う意識が生まれて、そちらに飛び出したような感覚だった。香澄にとって、初めての感覚であり、経験だった。
振り返った香澄は、一気に振り返ったが、その時、こちらに背中を向けていた女性も、こちらを振り返った。その時の様子は、まるでスローモーションを見ているかのように、香澄とは対象的にゆっくりと振り返っていたのだ。
そのくせ、彼女のロングの髪は、爽やかに靡いていた。その時、風はなかったはずだった。
――それなのにどうして?
と不思議に感じた香澄を横目に、彼女はニッコリと笑ってみせた。その表情は輝いていて、まさに、スクリーンに映し出された映画のヒロインのようだった。
今までにそんな輝いた笑顔を見たことがなかった。すれ違った時、電流が走ったのも分からなくもない気がしたが、それなら、目の前にいた時、なぜそれに気付かなかったのかという方が不思議だった。理由は自分にあるはずなのに、その時の香澄は、自分以外に理由を必死に探していたのだ。
その女の子は、白いワンピースに白い帽子、白い靴を履いていた。本当に絵に描いたようなお嬢さんだった。
香澄はその時彼女に何と言って声を掛けたのか覚えていない。だが、気が付けば仲良くなっていて、彼女の家に遊びに行っていた。
家と言っても別荘で、裕福な暮らしをしているのだと思った。だが、本当はそこは貸し別荘で、彼女の療養のために両親が借りてくれたということだ。家には母親と、世話をする人が数人いて、香澄を暖かく迎えてくれた。庭には、幾種類ものバラが咲いていて、バラが赤い色だけではないことを、その時初めて知った。
「絵を描いてみたい」
最初に感じたのは、その時だったように思う。
ただ、その気持ちを思い出すには、彼女とのことを思い出さないと感じることができないので、なかなか思い出すのは難しい。なぜなら、香澄の中で、
――なるべく彼女のことを思い出すのはやめておこう――
という気持ちがあったからだ。
なぜ、思い出そうとしなかったのか?
それは、思い出すと自分が辛くなるからだった。
彼女が余命半年だと知らされたのは、彼女がこの街を離れてからのことだったはずなのに、後から思い返すと、会った瞬間からそのことを知っていたかのように思えてくるから不思議だった。
彼女は一貫して同じ表情だった。笑顔には変わりなかったが、あまりにも表情に変化がないのは、気持ち悪いくらいだった。だが、笑顔を見て嫌な気分にさせられるわけもなく、自分も笑顔になっていたが、まるで自分だけ置いて行かれたような気がしたのは気のせいだったのだろうか?
香澄は、彼女の別荘に招待され、おいしいものを食べ、いろいろな話をした。その時間はすべてあっという間だったが、彼女に会ってから、家に帰るまでの間、時間が止まっていたように思えた。
おいしい料理の味は口の中に残っているので、その場所にいたのは間違いないはずなのに、一緒にいたこと自体、何か不思議な感じがする。
彼女の声も耳に残っている。あれだけ毎日のように家に呼ばれていたのに、思い出そうとすると、次第に記憶が薄れていくのは不思議で仕方がなかった。
彼女の余命が短いことは、一緒にいる時、知らなかった。後から聞かされたのだが、聞かされた時のショックが大きすぎて、記憶が交錯しているのかも知れない。
そのわりに、ショックを感じたという意識はさほどない。まるですべてが夢だったような感覚しかないのだ。
香澄はその時、自分に予知能力を感じた。
――どこかで会ったような気がする――
と感じたのは、実は、未来に遭うかも知れない相手に似ている人がいるのではないかという予感だった。そして、その人が彼女の生まれ変わりではないかという妄想も一緒に抱いていたのだ。
――人は死んだら生まれ変われるんだ――
そんな意識を香澄はずっと抱いていたが、その意識が生まれたのは、この時だったに違いない。
その時の女の子に生き写しだと感じたのが、沙織だった。沙織は香澄を慕っているようだったが、何かに悩んでいるのは分かっていた。ただ、その悩みが何なのかは分からなかった。
――もし、他の人誰もが分かることであっても、私には分からないことなのかも知れないわ――
その時、沙織との間に、目には見えない、
「交わることのない平行線」
が存在していることに気が付いた。
その平行線を、香澄は他人事のように眺めていると、自分が、平行線の間に位置していて、その先をずっと見ているのを感じた。遠くを見ていると、次第に見えなくなっていく線が、
――交わってしまうのではないか?
と感じさせる位置にいるはずなのに、
――絶対に交わらない――
という根拠はないが、自信のある目で見つめていた。
沙織とは絶対に交わることがないと思ったのは、中学の時に知り合った、余命半年の女の子のことが頭にあったからだ。
――彼女とは、二度と会うことはないんだ――
という思いが、いくら似ているからといって、本人ではない沙織にもその気持ちは働いているようで、もし、沙織と交わることになってしまえば、自分は死んでも絶えずどこかを彷徨ってしまうような錯覚に陥っていた。
香澄は、
――私は絶対に自分から死のうなんて思わない――
と思っていたはずだった。
生きたくても生きられなかった人を目の前で見てきて、そのショックがまだ尾を引いているのだ。そんな香澄が自分から命を断とうなどと考えるわけはない。
――では、いったいなぜ自殺などしてしまったのだろう?
香澄は、誰かに裏切られたのだという結論が、香澄の自殺には付きまとった。だが、香澄は誰かに裏切られたという意識はない。ただ、まわりから見ていて、香澄は確かに誰かに裏切られたようなイメージだった。
香澄の前に、再度義之サイボーグが現れたのは、彼が自分の時代に戻ってから二年後のことだった。
その頃には沙織と香澄は知り合っていて、そのことを分かった上で、サイボーグは戻ってきていた。
彼は沙織を一目見て、すぐに感じたことは、
――この人を守らなければいけない――
という思いだった。
サイボーグが戻ってきた時、彼の頭の中には、
――香澄はいずれ自殺して、その脳を沙織に移植することになるんだ――
という意識が芽生えていた。
どうして、サイボーグが二年間も香澄の前に現れなかったかというと、彼なりに、香澄のことを考えていた。
――このまま戻らなければ、香澄が自殺することはないんじゃないだろうか?
それは、香澄の自殺が自分のせいではないかと感じたからだ。
何と言っても、人間とロボットの関係。好きになったとしても、結ばれることはない。最初こそ、
「身体は許せなくても気持ちさえ許すことができれば、お互いにうまくいくのではないか?」
と思っていたが、人間の感情が、そんなに単純なものではないということが次第に分かってきたのだ。
彼は、香澄が中学時代に、余命半年の女の子と知り合っていたという事実は知らなかったが、香澄の中にどこか、
「潔さ」
のようなものがあることに気付いていた。
それは、知らない人が見れば、
「どこか投げやりに見える」
と思うかも知れない。余命半年の人を目の前にして、何もできなかったのだから、そんな思いを自己嫌悪として自分を責めたてようとするのも無理のないことだ。
しかし、香澄が知ったのは、彼女が香澄の前から姿を消してからのことだった。
香澄も自殺をする前に、いきなり姿を消している。それは余命半年の彼女が姿を消した心境とは違っているだろうが、何かの覚悟を持ってのことだというのは、想像できた。
本当であれば、
「もっと生きていたいと思っても、生きられない人がいることを、肌身で知ったのだから、自ら命を断つような真似はできないはずだ」
と、思うことだろうに、どうして、香澄は自らの命を断つという選択をしたのだろうか?
そのあたりは、もちろん本人でないと分かるはずはない。しかし、
「この世のどこに、生きている価値があるのだろうか?」
と思ったのだとしたら、死を選択するのも仕方がないことだ。中には、
「生きることに疲れた」
と思っている人もいるだろう。そんな人を見かけて、どんなに説得したとしても、相手に気持ちが届くであろうか? 自殺しようとしている人は、
――自分ほど不幸な人間はいない――
と思っているから死を選ぶのだ。自分よりも少なくとも幸福だと思っている人から説得されて思い直すくらいなら、最初から死を選ぶこともないだろう。
本当に自殺をしようとしている人に対して、どんな説得も無駄である。したがって、説得されて思いとどまる人は、
「死ぬ勇気も持てない人だ」
とも言えるのではないだろうか。
結局、
「死ぬ人はそこで自殺をし、死なない人は死を思いとどまる」
という当たり前の言葉でしか表現できない結末を迎えるのだろう。
そういう意味で、香澄は本当に死を覚悟していたことになるのだろうか? 香澄を知っている義之サイボーグには信じられなかった。
また、義之の時代には、「自殺」という感情に、ある程度の科学的な根拠を持てるようになっていた。
そのことは十分に頭の中に入っているはずの義之サイボーグだが、香澄が自分の想定外のところを持った女性であることに、次第に気付き始めた。最初に香澄に抱いた違和感は、その想定外部分を示唆していたのかも知れない。
義之サイボーグは、自分が人間ではないがゆえに、結構冷めた考えを持っていたが、それでも、香澄に対してだけは、人間の感情を持っていたいと思う。それは彼を香澄の前に送り出した義之本人の考えでもあり、やはり、移植した頭脳は、正直に身体を動かしているのだった。
香澄の死については、まったく理由が分からない。死ななければいけない理由は表に出てきているわけではなく、一緒に過ごしたことのある義之サイボーグも、
――いくら香澄の性格が、この二年間のうちに変わったとしても、自ら死を選ぶようなことはないはずだ――
としか思えなかった。
香澄は、自分の死を誰にも知られないようにしていた。誰にも悟られないように、こっそりと死のうとしたようだ。
だが、彼女の死は露呈した。それは心の奥底で、誰かに発見してほしいという気持ちがあったからなのだろう。
――いや、最初から死ぬつもりなどなかったのかも知れない――
香澄という女性は、比較的分かりやすい性格の持ち主だったはずだ。
だが、「死」という角度から彼女を見つめ直すと、どうにも解釈できない部分が多く出てくる。
――今まで分かりやすいと思っていた性格を勘違いしていたのだろうか?
義之サイボーグは、自分の中で感じた香澄への想いを、否定してみたり肯定してみたりと、堂々巡りを繰り返し始めたのを感じていた。
堂々巡りという感覚は、サイボーグやロボットとは切っても切り離せない「宿命」のようなものだ。だが、香澄に対して感じたこの時の堂々巡りは、サイボーグにとって陥りがちな堂々巡りとは違っていた。
――どういうことなのだろう?
確かに義之サイボーグは香澄を好きだという感覚があった。しかし、この世からいなくなったということを聞いた時、怒りのようなものを覚えたのはどういうことだろう?
――裏切られた?
サイボーグにとって、人間から予期せぬ心境の変化で、裏切られたような形になることは最初から宿命づけられていたはずだ。その感覚は回路の中にも組み込まれていて、基本基準によって、理解のうちになっていたはずだ。それなのに、
――裏切られた――
という感覚は、少し違うのではないだろうか?
裏切られたというのは、人間だけが感じる感覚であり、ロボットにはありえない。それなのに、そんな感情を抱くということは、人間に対して本当に恋した証拠ではないだろうか。
義之の時代のサイボーグには、恋愛感情が起こっても無理のない回路が組み込まれていた。だが、実際に、恋愛感情に陥るサイボーグは現れない。ロボット開発者も、
「回路は組み込んでいるのに、どうして恋愛感情が浮かんでこないんだ?」
と感じていた。
理由は簡単だった。
義之の時代の人間に、サイボーグが恋愛感情を抱くほどの相手がいないということである。
義之の時代の人間は、自分の感情を表に出すことはほとんどなくなっていた。香澄の時代の人間も、
――自分さえよければそれでいい――
という人がたくさんいるが、義之の時代にはさらに増えていた。
そして、まわりに対しての猜疑心の強さも半端ではない。それでも何とか世の中が成り立っているのは、厳しい法令と、個人主義という考えが、市民権を得ていたからだ。
香澄の時代の人間は、個人主義はどちらかというと罪悪のように言われていた。共同生活ができないと世の中を渡っていけないという意識が強いからだった。
義之の時代の人間は、個人主義を否定しない。その代わり、個人主義に対しての抑制として、子供の頃からの教育に、個人主義を習わせていた。
「いい悪い」
という観点からではない教育である。
香澄の時代の教育は、
「共同主義こそ美徳であり、個人主義は危険だ」
という、いわゆる偏った教育を行っていた。だから個人主義は嫌われ、個性が伸びないことで、科学の発展もありえなかったのだ。
初等教育の段階で、どのように教育していくかで、よくも悪くも世の中は決まっていく。少なくとも偏った教育がいいという保証はどこにもないのだ。
それだけに、香澄の時代の人間にもロボットにも、
――裏切られた――
という感覚はあまりない。
その代わり、人間とサイボーグの間に恋愛感情も生まれることはなく、人間の間でも恋愛感情は希薄になっていた。
「子孫を残すための行為だ」
としてセックスは定義づけられ。恋愛をいいとも悪いとも語る人はいなかった。
ただ、そのせいもあってか、誰かを好きになったからと言って、相談できる人がいるわけではない。誰もが隠そうとしてしまうので、恋愛感情を抱いたかどうかなど、誰にも分からない。
香澄の時代であれば、誰か一人でも気づきそうなものだが、義之の時代には誰も気づかない。一つは個人主義という考えの弊害だと言えるだろう。
「人に干渉されないということは、人を詮索しないということだ」
まさしくその通りである。
もう一つは、隠そうという感覚が希薄になっている。詮索されないからであり、気分的にオープンでも、
――どうせ、誰も分かりはしない――
という思いがある。
――自分のことも分からないのに、人のことが分かるはずなどないだろう――
という考えが基本になっている。
――人のことはよく分かるのに、自分のことは分からない――
という考えは、香澄の時代の考えで、義之の時代になると、まずはすべて自分から始まるのである。個人主義から派生したものなのだが、その考えは一長一短であることをほとんどの人が分かっているが、
――長所の方が大きい――
という考えもかなり浸透していた。
もし、香澄の時代の人が、義之の時代の人間を見ればどう思うだろう?
――絶対に交わることのない平行線だ――
と思うに違いない。
しかし、義之サイボーグが見て、香澄だけは違っていた。香澄だけは、義之の時代の個人主義に似合っている人間だということを、かなり早い段階で気付いていた。
その感覚があったから、義之サイボーグは香澄を好きになったのだ。
香澄は、その時どんな感覚を持ったのだろうか?
一つは、
――今までに出会った人の中にはいないタイプの男性だ――
と感じたことは間違いない。
その感覚は彼が未来から来ていて、しかもサイボーグであるということが分かる前だった。
そのことを知ってしまうと、今度は自問自答を繰り返すようになる。
「私の感覚がおかしいのかしら? それとも、彼に私を惹きつける魅力があるということなのかしら?」
香澄は最初、どちらかに結論を結び付けようとしていた。それは半ば強引であり、結論を是が非でも見つけようという思いだった。
香澄がそこまで考えるのは異例のことだった。
――何もすべてのことを結論付けて考える必要はないのよ――
と考える性格なので、何かの結論を導き出す時、すぐには答えを出そうとしなかった。
しかし、求められた結論に対し、自分で納得できるものなので、見つけた結論に迷いはない。
ただ、香澄はあまりまわりとの協調があるわけではないので、まわりから誤解されやすいタイプでもあった。学生時代には、苛めのようなことも経験したし、それで余計にまわりを信じられなくなってしまったというのも仕方のないことである。
それでも香澄の個人主義は、自分で納得できる分、硬いものであった。硬い考えは、余計にまわりとの確執を産む。まわりからは見えないからだ。
しかも、香澄が作っているのは「結界」であり、触れたものには大きなショックを与えることになる。
もちろん、それまでに香澄の「結界」に触れた人はいなかったが、「結界」なしで付き合いができるようにもなっていた。
その最初が義之サイボーグであり、その次は沙織だったのだ。
義之サイボーグがいなくなったからといって、香澄は彼に裏切られたという感覚を持ったわけではなかった。
――そういえば、私は誰かに裏切られたという感覚を持ったことがあったかしら?
と、考えると、
――裏切られたという感覚を味わったことはあったはずだ――
という思いに駆られた。
しかし、それが誰なのか? ということになると、香澄の中に浮かんでくる人はいなかった。
香澄はしばらく考えて、それが誰なのか結論を見出した。
思い出したわけではない。消去法で考えただけで得た結論だった。
しかし、その結論には説得力はあった。自分を納得させるだけの説得力である。
――そうよ、灯台下暗しとはこのことだわ――
思わず、笑ってしまいそうになった。
それが誰かというのは、消去法で一目瞭然。元々消去するほど自分のまわりには人はいないではないか。
消去していくと、最後には誰もいなくなった。それでも感じたことは事実なのだ。そうなると、
――残るは一人、自分しかいないではないか――
という結論に至った。
そう思うと、納得できる。自分が自分を裏切らないとは言いきれないではないか。むしろ、
――自分だからこそ、自分を裏切るのだ――
という考えを抱いたこともあった。
その考えに至ることのない人は、人から裏切られたことがあるにも関わらず、裏切られたという自覚がない人だ。
その人のことを、
「鈍感な人」
として定義づけることはできない。その代わり、自意識過剰だと言えるのではないだろうか。自意識過剰な人間ほど、自分のことを分かっていない。なぜなら、自分への想いが強いせいで、あまりにも自分を拡大解釈させてしまい、どこが肝心な部分なのかが分からなくなってしまっている。そのため、
――すべてが大切な部分――
としてしか思えないので、絶えず自分だけを見つめるだけしかできなくなる。まわりが見えなくなってしまって、まるで盲目になっているかのような意識をまわりに与えるのは、その人にとっての大きなマイナス要素になっていることだろう。
義之の時代の個人主義と違うのは、教育を受けているわけでも、知名度が高いわけでもない。それは大きな違いであり、人間にとって意識と潜在意識の違いくらいの開きがあるのかも知れない。
潜在意識について考える人は、香澄の時代には一部の人間だけだ。
それも、誰もが考えていないようなフリをしている。別に考えることが恥かしいわけではないのに、そんな風に感じるのはなぜなのだろう?
――誰かが誰かを好きになる――
この感覚は、人に知られたくないと思う。それは人に知られることが恥かしいからだと思うからで、ほとんどの人がそう思っているに違いない。
しかし、潜在意識について考えることは、どこかタブーの意識があるようだ。さすがに、「パンドラの匣」を開けるような感覚になるわけではないはずなのに、どういうことなのだろう?
香澄が誰かに裏切られたと感じたのは、ひょっとすると、
――自分自身に裏切られた――
と思ったからだ。
義之サイボーグは、そのことを一番最初に感じたはずなのに、そのことをすぐに否定してしまった。そして、堂々巡りを繰り返すことで、何度も同じことを考えているうちに、もう一度最初に戻ってきた。
――これが原点なんだ――
と、最初の考えを、まるで今、思いついたかのように感じると、そこには新鮮さがこみ上げてきて、
――自分に裏切られるなんて、不幸なのだろうか?
と考えるようになった。
ここまで来ると、
――裏切ったのは自分だ――
と、いうことに対しての疑念はまったくなくなっていた。まさに灯台下暗し、最初に感じたことが真実だったというのは、初めての経験ではないくせに、おかしなものだと感じた。
――堂々巡りは、悪いイメージばかりではないんじゃないかな?
と、義之サイボーグは感じた。時間は掛かるかも知れないが、間違えた結論を導き出すことはない。それも、一種の潜在意識の成せる業ではないかと思うようになっていた。
香澄の自殺に原因があるとすれば、それは外的なことではなく、香澄自身の中にあることではないだろうか。
自殺する人のほとんどは、最後は自分の中に理由はあるのだろうが、そのプロセスにおいて、必ずまわりからの影響を受けている。香澄の場合は、そのまわりからの影響がまったく見当たらなかったのだ。
だから、香澄が死んだ時も、すぐには自殺として結論づけされることはなかった。形式的にでも、まわりの人との関わりから判断する必要があったのだ。
「だけど不思議だよな」
「何がですか?」
「この人は、調べれば調べるほど、まわりとの関係が薄れていくように感じるんだよ。自殺の原因を調べているはずなのに、違うことを調べているような錯覚に陥ってしまう」
と、香澄の自殺の原因を調べている刑事の話であった。それだけ香澄には不自然なところが多かった。
かといって、人に殺されたという感じではない。当然自然死でもない。
「でも、この人は、死ぬべくして死んだって気がします。私はこの人が死んだことに対しては、さほど疑問はないですね」
「どういうことなんだい? 君は何かこの人のことが分かるのかい?」
「ええ、この人を知っているわけでも何でもないんですけど、最初に死体を見た時、何かを訴えている気がしたんですよ。最初は、『本当は死にたくなかった』とでも言っているのかと思いましたが、そうでもないんですよ」
「というのは?」
「死んだ人というのは、殺されたにしろ、自然死や事故にしろ、『本当は死にたくなかった』という顔をしているものなんですが、この人はそうではなかったんです」
「自殺だとしたら、死にたくなかったなんて顔しないんじゃないのかい?」
「いいえ、逆なんですよ。自殺した人というのは、本当は自殺なんてしたくないはずなんですよ。生きていたいけど、生きていけない理由があって死を選ぶのだから、むしろ自殺した人の方が、『本当は死にたくなかった』という顔をしているものだと私は思うんですよ」
「そんなものかね?」
「ええ、だから、警部が今言われた疑問点も、私は違う意味で分かる気がしたんですよね。一体どうしてこの人が死ぬことになったのかという意味でですね」
「死んだという結論から、この人がどうして死ぬことになったのかということを導き出すのが俺たちの仕事なんだけど、いつものことだが、やりきれない気持ちになるよな」
「そうですね。私は特に今回は、本当のことを見つけることができるのか、久しぶりに自信がない気がします」
この刑事の言う通り、本当のことは分からなかった。自殺として片づける方が一番真実に近かったのだろう。
ただ、それは表から見てのことで、結局、彼女の死は、どれにも当てはめられないものではないかと思っている人も少なくはなかった。この頃、同じような死を迎える人が多いのも事実だったからである。
「やっぱり、何か自殺したくなるような空気が漂っているんだろうか?」
刑事はやるせない気分になりながら、呟いた。そうでも思わなければ、原因不明の死が続いている状況への説明がつかないからだ。
「死ぬことが怖いと思わなければ、死んだ方がマシだと思っている人も少なくないんじゃないか?」
「怖いという定義が問題になってきますね」
「生きることが怖いから、死へと逃れようとする。だから、死ぬことよりも生きることの方が怖いと思えば、死を選ぶんじゃないかな?」
「それだけ、先のことが見えなくなるほど、生きることへの恐怖を感じているということですね?」
「そういうことだ。そういう意味では死ぬことが怖いと思っていることが、自殺を食い止めているという抑止力を持っているとすれば、自殺志願者が多くても、実際に死を選ぶ人はその一部だということなんだろう」
「でも、逆にそれだけ自殺志願者も多いということですよね。その人たちが皆死ぬことを怖くないと感じたとしたら、恐ろしいことになりますよね」
「こうやって話をしているだけでも、『死ぬことが怖くないんじゃないか』って思えてくるから恐ろしいよな。『慣れ』って本当に怖いものだと思うぞ」
話をしているだけで、感覚がマヒしてくるということなのだろう。
香澄が自殺した原因を知っている人がいるとすれば、それは沙織だけかも知れない。
沙織は、香澄の脳を移植する前から、香澄のことをよく分かっていた。予知能力から、自殺することも分かっていたのだが、沙織は香澄の自殺について、予知能力ではないと思っている。
予知能力という言葉の定義について、沙織はよく知らない。しかし、少なくとも予知能力には、先入観があってはいけないと思っている。そういう意味で香澄の自殺を予知能力だとは思えないのだった。
香澄が沙織の前から姿を消したのはいきなりではなかった。香澄は沙織と徐々に距離を置くようになり、関心が薄くなったところで姿を消した。
――親密だった人が姿を消して一番違和感がないのが、この方法だ――
と言わんばかりのこのやり方は、沙織にとって香澄の気遣いを感じることのできるものだったに違いない。
香澄がどこに消えてしまったのか、気にはなったが、探さなければならないとまでの気持ちにならなかったのは、香澄の気持ちが何となく分かったからだ。
香澄は、自分の死期が分かっていたに違いない。寿命だったわけではない。義之サイボーグは、そのことは分かっていた。未来の科学力で、相手の身体の中を調べることくらいはできた。もっとも、自分の時代の人間は難しかった。過去の人間であれば、病気の種類は決まっていて、すでに未来には過去の病気の原因から治癒方法、そして、表に出ているデータだけでも、その人が病気なのかどうか、そして病気が何なのかまでハッキリと分かるようになっていた。
香澄は確かに病気を患っていたが、死期が近いわけでもなかった。当時の医学でも十分に治せるものだったが、それ以前に、香澄には生きていく気力が欠落していたのだ。
もし、自分の創造主である義之本人が、香澄の移植を考えていなかったとしても、サイボーグは自分の意志で、香澄の脳を移植することは考えたであろう。彼には、香澄の死を止めることはできない。それは運命であり、運命を変えてしまうと、完全に歴史が変わってしまう。考えられることは、移植しかなかったのだ。
それが、歴史としては正解であり、後世に続くものだった。
――歴史の正解って何なのだろう?
義之サイボーグは考えた。
後世の歴史を知っている彼にとって、「歴史の真実」とは、
――史実に忠実に後世につなげていく――
ということであれば、未来からやってきた者の最低ルールとして、
――史実を曲げない――
ということになるのだろう。
それが、自分にとって、どんなに理不尽なことでも、最低限のルールであるならば、従わなければいけない。
ただ、ここで一つ義之サイボーグに、疑念が生まれた。
――香澄の脳を移植するというのは、本当に「歴史の真実」なのだろうか?
歴史の真実ではあるのかも知れないが、「歴史の正解」として考えてみると、それでいいのかという疑念に捉われることになった。
義之本人の代わりに、歴史を変えないように作られた自分が、過去にやってきて、香澄と知り合った。そして恋に堕ちた。そのことまでは、義之本人も計算ずくであったことも、サイボーグには分かっていた。
だが、そこから先は本人にも未知の世界だった。
ここまでは、サイボーグの意志通り動いていれば、「歴史の真実」に逆らうことはなかった。
それは、歴史を真正面から見ているだけでよかったということだ。ここから先は、義之本人にも考えていなかったことであり、最終的には脳を移植するという目的さえ果たせばそれでよかった。
実際に、サイボーグには移植手術の力はある。歴史に充実に実行し、目的を完遂することができた。
――だが、俺はこれからどうなるんだ?
サイボーグは目的を完遂したことで、我に返った。
――どうして、香澄の自殺を止めようとしなかったんだろう? 俺だったら止めることができたはずだ――
確かに歴史を変えてしまうことは許されない。
だが、義之サイボーグは自分の中で、少しでも、
「香澄を助けなければ」
という感情を抱かなかった。
――どうしてなんだ。好きだったはずなのに――
この感情は、ジレンマとなって彼を追いつめる。
――歴史を変えてはいけない――
ということは、義之サイボーグにとって、すべてと言っていいほど絶対定義であった。それが彼にとっての、
――正義のすべてだ――
と言っても過言ではない。
何が正義で何が正義でないかなどという感覚は、香澄の脳を沙織の中に移植した瞬間に崩壊してしまった。
彼が落ち込んだジレンマは、それまでにない大きな堂々巡りを繰り返すことになった。
何と彼は、しばらくしてから、一気に年を取ってしまった。
最初は三十歳代の青年だったのに、香澄の移植を行ってから少しして、五十歳代の初老の男性に変わっていたのだ。
――予想していたことだったように思えてならない――
それが義之サイボーグの考えだった。
サイボーグは、機能が劣化していき、錆びついてくることはあっても、人間のような「年を取る」という概念はない。
「俺は人間になってしまったのだろうか?」
と、ふと考えたが、
「だけど、同じ人間が存在するというのも、パラドックスでは許されないことだ」
と、そこまで考えると、人間になった義之サイボーグは自分の運命に気が付いた。
「つまりはこの時代で生きていくということか?」
と思って、しばらくひっそりと暮らしていくことを決めた。
すると、さらにしばらくして、沙織と知り合うことになった。
沙織は自分のことを知っているようだった。こんな老人を知っているというのだろうか?
と思っていると、沙織と知り合った時から、今度は一度取ってしまった年齢が、元に戻っていた。三十歳代の自分に戻っていたのだ。
――こんなことってあるんだろうか?
それが人間になるための、通らなければいけない道なのだと思うと、義之サイボーグは、自分で納得するしかなかった。
沙織は、人間になったサイボーグを、以前知り合っていた義之本人だと思っている。
本当にすべてをそう感じているのかは分からないが、沙織の中にいる香澄を、義之サイボーグは感じることができた。
二人は、当然のように恋に堕ちた。人間になったのだから、恋に堕ちることくらい別に何ら問題はない。
この時代で暮らしていかなければいけなくなった義之サイボーグは、生活に困ることはなかった。未来から義之本人が、サイボーグが一生困らないだけの財産を送り続けてくれたからだ。
未来でこの時代の紙幣を作るくらいは何でもないことだ。ただ、それが本当にいいことなのかどうか分からない。
ただ、この時から歴史に少しずつ歪みが出てきたのは事実で、そのことを義之本人にもサイボーグにも、ましてや沙織にも分かるはずもなかった。
サイボーグと知り合った頃の沙織には、予知能力は消えていた。厳密にいうと、鳴りを潜めていて、表に出ることはなかったというだけのことだった。
人間になった義之サイボーグと沙織はその後結婚し、子供ができた。その子供の子孫が義之であることはいうまでもない。
その子供は、成長して小説家になった。SF小説を得意として、SFモノの中に恋愛を搦めた小説が得意だった。
その中で、彼は予知能力を持った少女の話を描いた小説があり、内容は未来において、未曾有の大戦争が起こり、その後の歴史で登場したサイボーグが過去にやってくるというものだった。
そこそこ話題にはなったが、娯楽の域を超えることはなく、SFというよりも、
「SFを舞台にした恋愛小説」
として、位置づけられていた。
「交わることのない平行線」
そして、サブタイトルに、
「堂々巡り」
という言葉がついていた。
「メインタイトルは、恋愛小説としてのイメージで、サブタイトルはSF小説としてのイメージになります」
と、彼は語った。
その本当の意味を分かる人などいるわけはなかったが、小説が話題になったのは、その言葉が引き金になったと言って間違いではないだろう。
そして、ちょうどその言葉が語られたその日、人間になった義之サイボーグがこの世を去ったという事実を知っている人は、誰もいなかった……。
( 完 )
交わることのない平行線~堂々巡り③~ 森本 晃次 @kakku
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