第48話

 ———あり得ない。


 瓦礫、巻き上げられた土が落ちた、その他にも正体は考えられた。

 しかし、それでも菊は一目でその不気味さに気付く。


 否、気づいてしまった。


「jq@60Zweue<jq@jyc@hdweue<rrop\」


 身体は至る所が溶けて原型を留めていない。

 一歩踏みしめるごとに、ボタボタ、と溶けたナニカが落ち、地面を焼いていく。

 煙が上がり、同時に腐臭さえも纏うソレは、間違いなく死しても尚満足するまで生き血を吸い続ける魔剣の本性だった。


「こいつ、なんで生きてんだよ……」


 菊の言葉には覇気がない。

 身体は度重なるダメージで元々動ける状態では無かった。それをなんとか気力で誤魔化し、切り札の一撃を当てたことで遂に切れた。

 最早、彼の残っている要素の全てを動員しても戦闘続行は不可能。


 一歩ずつこちらへと迫ってくる怪物に目を奪われる。

 吸い込む息が短くなり、呼吸の頻度が上がる。

 視界が少しずつモノクロに染まり始め、音さえも自分の呼吸しか聞こえなくなる。


「なにか、なにか……なにか、ない、か」


 呆けた声が、意味も無く世界に放たれる。


 焦りと絶望、縋り、逃亡———。


 菊の目が、光を取り戻していく魔剣を捉えた。

 今までは切れる手札を全力で駆使して躱せていた、一つ一つが死を呼び込む即死攻撃。

 怪物が菊へと剣を一振りするだけで、既に何の防御手段を有していない彼が無残に散る未来が、僅か数秒の後に訪れる確定したモノとして脳裏をよぎった。


「っ、ア、ぁ」


 漏れ出る声は何の意味もなさない。


 モノクロの世界であってもはっきりと判別できるほどに、輝きを増していく魔剣を見続けては己に向けられる死のカウントダウンを刻む。


 怪物の目が菊を捉え、その腕を振り上げたところまでを見て、菊は思わず目を瞑った。






「認めよ、その失態。捧げるは我が命運———零れろ、異常内包技エラーコード






 寒気。

 身がよだつ程の恐怖が、風となってその場に具現する。


 菊の眼前で、致死の剣は止まっている。

 小刻みに震えている腕は、自身の力よりも強大な力に追いすがるようにキシッ、と音を立てた。

 怪物の腕は、その風によって押し留められていた。


「展開、装填。〝堕ちるは我が主ロストマイマスター〟」


 冷酷な声音が、世界に衝撃を与える。

 怪物を中心として風が巻き起こり、その身体を貫いていく。


 その光景は、さながら竜巻の中に閉じ込められた哀れな小鳥のよう。


「…………人間らしい枷も外れるのか、それとも久しぶり過ぎて加減を忘れちゃったのか。ま、そんなこと今は関係ないか」


 ———次元開放術式・霞。

 目の前に広がった攻撃は見間違いの無い程に、《黒級》レベルそのもの。


 忘れるわけが無い。

 誤認するはずが無い。


 こんなにも恐れと羨望を一緒に注がれる衝撃を兼ね揃えられる人物など、菊の中には一人しかいない。

 世界からも忘れ去られたはずの、絶大な一撃が暴走する怪物を今も尚、飲み込む。


「up@zt5.<up@gpgを6bp.<up@bbw@———!」

「……うん。わかるよ、理解できる。好敵手は、好敵手が終わらせてあげないとだよね」


 菊の目が、彼女を捉える。

 桜色の髪が風に揺れ、吹き荒れる風に片目だけを閉じた。


 その周りには、紫の炎のような。

 しかし熱は感じず、不快感を抱かせる物質が浮かんでいる。数にして、三つ。


 今もなお燃えている炎は、何か取り返しのつかないモノを燃やしているような、そんな感傷を菊に抱かせた。


「be<oef@.9>be<0t@6d9>xeb@i<6;inpwh;」

「勿論。これが一回きりの奇跡なのかどうか———向こうで、答え合わせしなよ」


 人差し指を上に上げて笑った桜蓮は、その立てた指を怪物へと向ける。


 燃え盛る炎が渦巻き、彼女の身体を一周してから指へと到達し、その姿を変える。


「……龍の、息吹?」


 菊の目に映るのは、全盛期の彼女が切り札の一つとして使用していた〝龍の息吹ドラゴンブレス〟。


 しかし、それだけでは無い。

 彼女を取り巻く残り二つの炎も姿を変えていく。


 〝妖精の湖フェアリーレイク〟に〝煉獄の弾丸クリーンバレット〟。


 全て、切り札級の絶技である。


「飛べ」


 桜蓮の指から放たれる三つの攻撃。

 息吹が怪物の身体を飲み込み、妖精がその場に沈めて万が一にも逃げられないように固定する。

 トドメとして弾丸が眉間を打ち砕き、遂に暴走魔剣は停止する。


 言葉を交わすことなく、怪物は消えゆく。


 《英雄》はその姿に背を向けて菊へと笑いかけた、その刹那。


「……え?」


 菊の脳裏に、彼女との他愛無い記憶が浮かび、燃え裂けていった。


 笑顔が燃える。触れ合った感触が燃える。交わした言葉が燃える。共にした行動が燃える。所作も振る舞いも、行為も、言動も態度も、抱いた想いも、合図もサインも口笛の音色も、癖も受け取ったものも受けた影響も、すれ違ったことも、待ったことも、仕草も単純作業さえも———何もかもが、焼けた記憶の全部が。


「…………え?」


 つーっ、と菊の頬を涙が撫でた。焼けた記憶があることは分かった。

 それでも、失ったモノは戻ってこないのは道理であり、一体何を忘れてしまったのかも分からない。

 それでも、桜蓮と菊との間に生まれた、作られた記憶は只の一つも失って良いものでは無い。

 それこそ、彼女を忘れてはいけない菊自身がそんな戯言を許せなかった。


「終わったよ、菊くん。ごめんね、結局いい所だけ持って行っちゃった」


 彼女は変わらない。


「……違うだろ。どうして、そんなに簡単に切り捨てる? 切り捨てることが、出来るんだよ。失ったモノは、もう、二度と……‼」

「……ごめんね」


 彼女は変わらない。何事も変わっていない。


 それでも何か、取り返しのつかないことを起こした。


「もう二度と、使わせない。もう二度と、ただの一つも切り捨てさせない。絶対に、守り抜いてみせるから……」


 旧い記憶にも味わったようなその絶望感に、菊はこみ上げる嗚咽を隠せなかった。

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