第31話

「東京、そして北の新潟を同時に落とせば、後は流れに沿うだけ。準備も整っていない東北に逃げおおせるも、北陸側と関東側から迫る軍勢には成す術が無い。チェックです。しかし、貴方も可哀想ですわね。あの役立たずに成り下がった方と殲滅上等の侵入作戦を命令されるなんて。時間をかければもしかしたら戻る手立てがあるかもしれないのに———」

「……役立たず? 何を言ってるんだよ、アンタ」


 ———起死回生。

 この絶望的状況をひっくり返せる可能性が数パーセントあるのだとすれば、その言葉を一切の誘導なく深愛に言わせることだった。


 震える声音は隠せない。しかし、それもまたこの状況下では優位に働く。

 眉を少し下げ、深愛は目を細めて微かに首を傾げた。


「……何を?」

「鏡桜蓮が役立たず? 『七賢人』の《英雄・黒級》がどうやったらそんな評価になるんだよ? 何よりアンタが言っていたじゃないか、《漸騎士》が認めているって」

「……どういうこと? 貴方、鏡桜蓮の事を忘れていないのですか?」

「は? 何故、忘れる必要がある?」


 目に見えて深愛が動揺する。勿論、菊が今言っていることは半分事実で半分嘘だ。

 間違いなく、東日本側で桜蓮のことを覚えているのは菊とその守護霊であるシストだけ。それ以外はすっかり忘れている。


 ———だが、西日本側は?


 桜蓮の記憶消失という情報が共有されているのなら、こんなにも時間はかからない。


 何より、今までの接敵で

 〝《英雄》が一番の障害。彼女がいなくなれば落とすのは容易い〟

 という事実は間違いなく知れ渡っているからだ。


 彼女がいなくなれば《漸騎士》だけで東京は落とせる。


 《将軍》が出てくればそうもいかなくなるが、逆に東日本の核である彼が出てくるということは東日本は背水の陣になっている。

 そう捉えられるのだから、それから軍勢を差し向けても遅くはない。


 ———否。

 寧ろ、それがベストタイミング。


 本来、後で先々を見通して指示を送り、必要に応じて自身が出ることを得意とする《将軍》が前に出させられる。

 そこを突くという事が、東日本側に一縷の希望も与えずに屠ることが出来る最善手。

 そんな手を、これまで優位に戦争を進めてきた西日本側が理解できないはずが無い。

 それなのに、大軍を引き連れてこのタイミングで攻めてくる———


 即ち、西日本側も鏡桜蓮が記憶消失状態になっていることを判別できない、その答えを言っているようなものである。


 そうであるならば。

 その情報が先に入手できてかつ、誘導無しでこの話題に触れられたのなら。


「やはり、桜蓮の判断は間違ってなかった。桜蓮が東京に向かって《漸騎士》を止められるのなら、空いた戦力である残りの『七賢人』はもう一方の重要拠点である、新潟に来ることが出来る。……まぁ、それまでに俺が絶えられれば、とかいう無茶すぎる前提条件で成り立つものだが———」


 後ろを振り返り、菊は頬を引き攣らせつつも笑う。


「思ったより早い。時間稼ぎは成功したようだな」


 鬨の声が聞こえる。

 交わる剣戟の音は、間違いなく後を追った武一と郎希に接敵していることで引き起こされているからであろう。


「…………なるほど。踊らせるつもりが、逆に踊らされていたという事ですか」


 菊は答えを返さない。ただただ、引き攣った笑みを浮かべるだけに留める。


「十二降天の三位を使い潰して失敗とは、元序列四位も衰えたものですね。……残念ですが、ここは引かせていただきます。が、それは私だけ。この窮地を生かさない手は無い」


 捨て台詞を吐きつつ、後退していく深愛。しかし、告げていく言葉には確かな覚悟が宿っている。


「精々、安心しないことですね———」


 その言葉と共に、彼女は背を向ける。

 瞬時に合流した武一と郎希が殿になって警戒を途切れさせないまま、闇の中へと消えていく。

 その緊張感が数分続き、異変が完全に消えたと共に菊はその場に崩れ落ちた。


「ぎ、ギリギリすぎた……」


 その声音は、先程までの覚悟が決まった声では無く、ただただ情けなさが含まれている弱音。

 ドッ、と大量の汗が噴き出した。


 ———しかし。


 ドン、と大きく地面を揺らす衝撃。

 その後、決して遠くはない新潟の陣営方面であがるのは黒い煙。


『精々、安心しないことですね———』


 その言葉に偽りなく。状況は、未だ好転してはいなかった。

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