第29話
得体の知れない怖気が三つ。
その内の一つは、桜蓮が本来の実力を取り戻し『七賢人』となって初めて拮抗に持ち込めるであろう相手、十二降天の序列七位。
異様に空気が張り詰める中、菊は真っ赤に染まっているシストの肩に手を当てた。
「ごめん、シスト。……今は、これくらいしかできないけど」
固有次元開放術式。
修復を彼女に当て、瀕死の状態からなんとか立てる具合にまで回復を行う。相手にとっては見逃せない工程、それでも菊らを囲む三人には動きが無かった。
「ありがとう、きっくー。こっちこそ足を引っ張る形になっちゃった、sorry」
「何言ってるの、シストらしくないよ。いつも通りしてて、ウチらはそれで安心できるんだから」
「準備は、終わりましたか?」
凛とした声が響く。こちらを真っ直ぐに見つめてきている深愛が、にこりと笑った。
「そちらは『七賢人』《英雄・黒級》の鏡桜蓮さん、ですわよね? 東京防衛に徹していると思っていましたが、まさかこんな敵地侵入などというリスキーなことまでしているとは思いませんでした。流石は《漸騎士》阪神水見が認めている方なだけありますわね」
「……お褒め頂き光栄、になるのかな? ウチたちの用事は済んだし、そろそろ帰らせてほしいんだけどな」
「そんな、折角いらしたのにもう帰るだなんて言わないでください。もっと居てよろしいんですよ? お茶でも要りますか?」
だが、歓迎する言葉とは逆に、繰り出される声音には喜びの感情は乗っていない。
両者の間で、これから起こることの認識は一致しつつあった。
(……まだ、桜蓮が力を失ったことを知らない?)
本来であれば、桜蓮を殿にして撤退の一手に集中させれば怪我人のシストを庇いながらでもこの場から逃れることは容易。それほど《英雄》の格は高い。
だが、今はその格は無い。実力的に一番拮抗できるのは菊だが、誰でも無い本人が勝負にならないことを感じ取っている。
(バレていないのなら、やりようはある。……いや、例えバレていたとしても)
ごくり、と喉がなる。一度のミスも許されないことを認識して動いてきた菊であったが、想像を絶する絶体絶命に、恐怖を通り越して笑いたくなるほどだった。
「……まさか、逃げる気じゃないでしょう? 私は逃げません。十二降天の一人を削れるチャンスをふいにするおつもりですか?」
「まるで自分が勝てるかのように言ってくれるんだね。序列が一つ違う程度、ウチにはわけないよ?」
「ならば、勝負しましょう? こちらとしてもホーム側であの《英雄》を屠れるチャンスをふいにしてしまうと、あの方に叱られてしまいますので」
桜蓮のうなじを一筋の汗がすーっと流れた。
彼女が力を失っていることを知らないという前提で話を進め、怪しまれずに撤退する流れへと持っていきたかったのは桜蓮も同じ。
後ろで聞いていた菊も、彼女の話の展開に違和感はなく、ミスをしたようにも思えなかった。
失敗した理由。それは、ただただ相手側が徹底抗戦の構えだった、それに尽きていた。
「———は」
菊の口角が僅かにあがる。それは、恐怖のせいか、それとも。
目が、細められた。
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