第22話

 カッ、カチャカチャ———


「……………………んあ」


 陶器が擦れあうような音に耳を刺激され、菊は間抜けな声と共に意識が浮かび上がる。


 カーテンから差し込む光に半目だった目を一度閉じ、惰眠を貪る———欲求を抑えつける。

 身体の内側から起こすために、足から腰、そして腕の順番で動かす。

 指先まで動かしたタイミングで、何やら不思議な感触に触れたと覚醒しかけの意識が鋭く察知した。


「……や、べ」


 かけていた布団を捲れば、菊にしがみつくようにして寝ている桜蓮の姿。

 彼の指先が彼女の胸部にまで届いているのを見て、瞬時に違和感の正体に行き当たる。

 サッと青ざめた菊の意識は、既に完全に覚醒していた。


「な……ん、な」


 だが、意識こそ覚醒していても身体は別。

 水分がすっかり足りなくなっている口内は全くと言って良いほどにその仕事を果たさず、ただただ無意味な単語を放つだけ。


 そして、今の状況でそんな無駄なことをしていれば、視線の先の桜蓮が起きるのもまた道理。

 彼女がむにゃ、と通じない寝言と共に自身の胸部に伸びているモノを追えば———


「———この、ゴミ‼」

 バチン、と朝に響くにしては景気の良すぎる音が家中に響き渡ったのだった。




「いつまで怒ってんだよ、謝ったじゃん……」

「謝れば許される、なんて甘い考え捨てたら? ごめんで全てが収まるのなら、取り締まりは要らないんだけど」

「俺の寝てるところに入ってきた桜蓮も悪くない……? 別々で寝てたはずだよな、俺ら」

「うるさい。そこまでまだ許す気は全然なかったんだから、当然の罰」


 菊目線では、わざわざ家に来て布団まで貸したのになんて仕打ちだ、と思いたくもなる状況。

 しかし、よくよく考えてみればデリケートな部分に触ってしまい、あまつさえ指先を数度動かしたのも事実。


 罪悪感と理不尽、そのどちらにも身を焦がされながらも、菊は手に持った最後のトースト一切れを口に放り込む。


 そんな桜蓮とは真逆に、どうしてか気分良さそうに皿を片していくシストは鼻歌交じりでてきぱきと洗い物へと取り掛かっていた。


「……なぁ、この状況を作り出した俺が言うのもなんだけど、緊張感無さすぎない? なんだよ、このカオスな空間は」


 時刻は朝の十時を示している。

 朝食というよりブランチに近い食事を取って始まろうとしている本日は、最初の大一番である岐阜地点への潜入作戦当日である。


「え、だって初めてだったんだもの。桜蓮と楽しく話しながら夜更かしするの、これがガールズパーティー、exciting」

「俺も居たからガールズパーティーじゃねぇし、夜更かしは作戦会議してたからだろ、勝手に緊張感皆無のお泊り会に仕立て上げようとするな」


 だからこその起床時パニック。

 リビングに予め広げていた布団の上で三人は夜遅くまでシミュレーションと作戦の確認を行っており、結論が大筋纏まった段階で全員が寝落ち。


 目立たない夜から行動を開始するから、という理由で時間を伸ばしに伸ばした結果の悲劇と、お泊り会に仕立て上げようとする精霊により、すっかりコメディ的な状況になってしまっていた。


「ま、いいでしょ。変に緊張するよりかは適度に解れている方が、突発的な出来事にも柔軟に対応しやすいはずだし。……どっかの誰かさんの初戦闘の二の舞にならなければ良いわよ」

「それ忘れてって何回も言ったはずなんだけど、なんで掘り返す?」

「さぁ? 自分の胸に手を当てて考えてみてはどうですか、変質者さん?」

「……ぐぅ」


 ぐうの音しかでない菊をみてやっと溜飲が下がったのか、桜蓮はふぅと一息息を吐いてテーブルに広がりっぱなしの地図を眺めた。




「三百キロよね。一時間もあれば着く?」

「いや、流石に二時間は欲しい。いくら政府輸送機でもそんな速さで動けば目立つし」


 東日本政府迷彩移動車・彗星。

 『七賢人』である《博士》が開発した、移動時に特殊な迷彩を起動させることで、東京本部で追う以外視認不可の性能を発揮する車である。


 七時を跨いだころに出発し、九時ころ新潟に到着。少々の休息を挟み、深夜に潜入作戦へと入る手筈で進んでいた。


「富山越えには一時間も要らない。朝日が昇るまでには、終わらせて帰還したいけど……」

「いざとなったら私が何とかするから、大船に乗ったつもりでいけば大丈夫、ok」

「その船、致命的な欠陥が後から見つかったりするパターンじゃないよな?」


 とはいえ、シストについてこの中で一番理解できているのは菊。

 彼女の能力がそんなミスを引き起こすことが無い事を知っているからこその軽口だった。


 カチ、カチリと時計の針が静かに時を刻む。

 のんびりとした空間にも、その緊張感は人知れず近づいていたのだった。


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