第19話

「桜蓮、どうかしたのか?」

「ん? あぁ、いや何でもない。それよりありがとう、まさか服だけでスパイ疑惑をかけられるとは思ってなかった……訳じゃないけど、見逃してた。失態を拭ってくれる部下を持つと上司は楽で良いね」

「今まで何回拭ってきたと思ってるんだよ、慣れっこだこんなもの。ま、今後は茶級の俺が上司で、黄級のお前らが部下になるわけだけどな?」

「嫌味のつもり? ま、今の内堪能しておけば? 記憶を取り返したら前に戻るんだし」

「めっちゃ冷たいじゃん……」


 周りから見れば、これまで通りの他愛無い会話。そう見えるはずだったが、菊だけはある異変に気付く。


 ひょいひょい、と桜蓮へと手招きをする。近づいてきた彼女の頭を抱えて抱き寄せ、内緒話をする為に顔を近づけた瞬間、金切り声が上がった。


「ちょっ、ちょ、ちょちょちょちょ! お姉ちゃんの前で不純な事は許しませんよ、out!」

「ちげーよ、過度な反応するな! ちょっとやりにくいだろ!」

「ウ、ウチは別に大丈夫だから……」

「桜蓮も変な誤解をするな、万が一他に聞こえないようにしたいだけだ」


 未だざわつくギャラリーはいるものの、その矛先は菊本人ではなく彼が作り出したクレーターの存在に向けて。その様子を確認した菊は、もう一度顔を近づけた。


「桜蓮、何かあったか? 何かあったか、思った時の顔をしてる。吐け」

「何かと思ったら尋問? ……乙女心……」


 至近距離で菊のことを睨みつける桜蓮だが、それも一時。

 ため息をつき、多少呆れの感情が含まれたニュアンスで耳打ちがされる。


「いや、久しぶりだったからさ、菊くんの機械装填。ちょっと忘却の魔女に嵌められた時のことを思い出しちゃって、少しナーバスに」

「……あぁ、まぁそうか」


 悪夢かと思われた夢は現実に起きていた事であり、そして現実逃避の末に無意識に見せられたものだったと判明したあの出来事は記憶に新しい。


 たった一手を違えただけで東日本人の最高戦力の一角である《英雄》を封じた西日本側機械人間である忘却の魔女の姦計。


 確かにカラクリが極めて似ている菊の機械装填は、彼女に対して忌避感を覚えさせるものだったことには違いなかった。


「でも、大丈夫。もう慣れたし、今後は菊くんに頑張ってもらうことが増えるからね。期待してるよ、相棒!」

「約束は勿論果たす。でも、今は上司じゃないんだから、前までみたく無茶苦茶はしないでくれよ?」

「約束はできないかも?」

「おーい、もう内緒話終わった? お姉ちゃん、そろそろ退屈になってきたんだけど、ennui」

「後でちゃんと共有するから。じゃ、帰ろうぜ」


 全てはうまくいった。

 想定外はあったが、結果としては想定内に収まり、想像以上の結果を残した。


 ただ、それでも———


「……まさかな。考えすぎだ」


 ギャラリーが捌け、ガランとし始めた観客席。

 

 その一部を見ながら、菊は頭を振って闘技場を後にした。

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