第10話
「ここでも、無いか……!」
荒い息と共に、理科準備室の扉を乱暴に閉める。
現在時刻、午前九時二十五分。朝のホームルームを完全に飛び出し、菊は校舎内を駆けまわっていた。
教師に呼び止められようと関係ない。
今の切羽詰まった彼の表情を見て、ただ事では無いのだと殆どの人が口を噤んでいた。
「無駄じゃない、アレは無駄なんかじゃないはずだ、あり得ない……」
一階から五階。全ての心当たりがある場所を巡っても、彼女———鏡桜蓮には未だ会えていない。最高階である六階に着く手前の会談で、菊は膝に手をついた。
ぽた、ぽたっ、と汗が滴り落ちる。いくら冬が近づいている季節だとはいえ、走り回れば汗もかく。既に暑苦しいブレザーは脱ぎ捨てていた。
シャツも第二ボタンを開け放ち、袖も肘までまくり上げている。
身体の奥底から噴き上がってくる熱、既に空気中へと上がっている湯気の感覚を振り払って顔をあげた。
「後一つ。
六階の中央廊下の奥。そこにあるのが事件捜査室である。
使用権は探偵部にあるが、その探偵部というのが先代の《
今や管理する者さえいないが、部屋の中に残っている書物に価値がある———という誰かからの一声で放っておかれている、知る人ぞ知る絶好の隠れ家。
桜蓮がかの探偵ものであるシャーロックホームズのファンであり、その敵役である数学教師にして悪の犯罪者であるジェームズモリアーティの名を借りて呼んでいる探偵室。
キキ、と古びた金切り音と共に空いたその先に、ソファでお茶を飲む彼女を見た。
「……誰? ここ、は、関係者以外立ち入り禁止なんだけど」
こちらを見る視線、表情。少し目を見開いた彼女は、正に声に険が乗っていた。
想定していた中では最悪の状況を引き当てた、と菊が俯きそうになる最中、心の端で引っかかった違和感が顔を覗かせる。
『いやいや、選んだヤツの顔くらいは———』
「———あ」
違う。
最悪では無かった。最悪では無く、考え得る限り最高の状況だったのか、と菊はあの時と同じように、口の左端をニヒルに上げた。
「いやいや、選んだヤツの顔くらいは覚えておいてくれよ。アンタが直々に選んでくれたおかげで、俺は逃げられないんだからさ」
「…………え?」
自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。そしてそれは、逆に今しがたまで落ち着き払っていた彼女を慌てさせる一つの要因になったらしかった。
「えっ、え? あ、え? キミ、ウチの事を覚えてるの?」
「だから、覚えてるも何もアンタが選んだんだろ?」
そこまで言って、向こうで目をぱちくりさせている彼女も菊が言わんとしていることに気が付いたようで、ほっとした表情を覗かせた。
あの時とは反応が違うことに多少の面白さと懐かしさを滲ませながら、菊はため息と共に言い放つ。
「じゃあ、ちゃんと覚えてくれ。俺は北山菊、アンタの相棒だ。知っての通り、《影装束》なんて名前を付けられている程には悪名高いんだが———アンタは一体、俺に何をさせたいんだ?」
「……いいえ。させたいんじゃない、一緒にして欲しいの」
「———消えたウチを取り戻すために、魔女を倒すために」
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