第5話
「……ん?」
肩下まで下りた金色の髪が振り返る動きに合わせてふわりと揺れる。
顔立ちは整っていて、スラリとシャープ。純真さが垣間見える紫色の瞳は透き通っており、下眉の下には特徴的な雫の模様が浮かんでいた。
「あ、おはよう。いつもよりも凄く早いね? 朝練とかあったんだっけ、question?」
朝ご飯が出来てるよ、と彼女はキッチンテーブルに皿を並べた。
レタスとトマトが合わさったサラダに、ほんのり焦げた匂いがお腹を刺激するトースト。ミルクがたっぷりと混ぜられたココアが並び、菊は誘導されたかのように席に着いた。
距離が近くなり、美味しそうな匂いが更に鼻腔をくすぐる。腹の虫さえも空腹を主張するかのように音を立てるが、慌てて席を立つ。
「いや待ってほしい! スムーズ過ぎて座っちゃったけど、待ってほしい!」
菊は立ち上がったその姿勢のまま、必死に頭を働かせる。
昨日は何をしたか? 目の前の人物に見覚えは無いか? 危険性は感じられないか?
「もう、まずは顔洗ってきたら?」
「それはもうしてきたよ」
あーん、の声につられてパンが口元に差し出され、かじる。蜂蜜の香りが、口いっぱいに広がった。
困惑する脳とは裏腹に、身体は彼女への不信感を全く覚えていないかのようにその声に従っては動いていく。
「今日は高めの蜂蜜にしてみたんだ。成分がどうたらって難しいことが書いてあってね? いつもより百円くらい高いんだよ、gorgeous」
「……へー」
「まぁ、これまでとはうって変わる日々が幕を開けるわけだしね。最初の一日くらい、贅沢があっても良いもののはずだよ、first」
目は覚めているはずなのに、未だ夢見心地のような気分で菊は口を動かして咀嚼し、ずずと音を立ててココアを飲む。
———甘い。
口に入る物も、耳に入る声も。おおよそ朝から摂取するにはカロリーオーバーとも思えるほどの、甘すぎて蕩けそうな可愛らしい声音が匂いを上回る。
女の子は砂糖とスパイスと、そしてステキなナニカで出来ているというのは何処かで聞いた話ではあるが、目の前の彼女は少々甘さを含みすぎでは無いかと思うくらい。
しかし、その甘すぎる声が不定期に来る最悪な気分を台無しにしてくれたのも、また確かではあった。
「———って、そろそろ限界だぞ。アンタは一体誰なんだ? 危険人物で無い事はこの身体が理解してはいるが、説明が欲しい」
ほぼほぼ懐柔されているような状態であったが、菊は体勢を取り直して向かいに座る彼女へと質問を飛ばす。
洗い物を終えた後のハンドクリームを塗りこみながら、謎の人物は笑みを浮かべた。
蜂蜜たっぷりの食パンを食べ、ミルクたっぷりのココアを飲み切った菊の脳は完全に覚めてフル回転している。
最近は覚えが悪くなったと指摘を受けがちだが、記憶力には自信がある。
なにより、ここまで特徴的な相手を忘れる事は早々無い。それでも思い出せないのなら、彼女とは会ったことが———
「でも、最近覚えは確実に悪くなってるでしょ? 洗面所のとか昨日変えたのに、bad」
「……まさか、昨日やったことさえも忘れた?」
「いや、それは私がやったけど、doubt」
「ややこしい言い方をするなよ」
「でも、分からなかったでしょ? 忘れてるってことだよ? amazing」
まさしく呆れたため息をつき、菊はもう一度説明を求める。
「うーん……言い方に迷うけど。一番近しいのは、北山菊の守護霊、かな。good」
「……守護霊だ?」
彼女の言葉に、菊は思わず鼻で笑う。性格が悪そうな反応になるが、そうなってしまう程には受け入れることが出来ない発言だった。
「ま、そろそろ考えもまとまってきたんだろうし、自己紹介。私はシスト。きっく———北山菊の能力の大基。なんとなく雰囲気で察しがついてるんでしょ? 貴方が発現するはずが無かった東日本の叡智を宿した能力と同種だって。そうでなきゃ、こんなにも早い段階で気を許さない、right」
「…………てか、きっくーってなんだよ」
「えー? 今更そこを気にするの? 〝菊〟って書くでしょ? 愛称だよ、愛称。love」
「読み方は〝アキ〟だ。ちゃんと読んでくれ」
「えー、特別感があっていいじゃん? ちなみに私の事は姉さんと呼んでね、sister」
「なんでだよ、嫌だよ」
「能力を貸してあげてる、即ち家族。お母さんでは無いから、お姉ちゃん。でしょ? good」
「でしょ? じゃない、滅茶苦茶な理論で誤魔化そうとするな」
「きっくーこそ誤魔化さない。気づいてるんでしょ、私が本当に能力の基なんだって、lie」
シストは徐に台所へ向かうと、ナイフで自身の指先を薄く切る。皮に血が滲み、少し垂れそうになるのを見せびらかし———傷が塞がる。
「分かったよ。確かに『修復工程』だ」
それは確かに、北山菊が有する『
自身、あるいは任意の相手に対して異変がある箇所を完全に元通りにできる能力。
《英雄》鏡桜蓮の相棒として、あり得ないはずの固有次元開放術式を有したことでその場所を確実なものとした、彼にとっての軸である。見間違えるはずが無かった。
理解はした。であれば、次に来る疑問はたった一つ。
「どうして今、俺の目の前に現れたんだ?」
「んー? あぁ、直近の使用が無駄だったってことと———」
人差し指を顎の先に当て、シストは思い出すかのように目を細めた。
「それのせいで、存在証明力が足りなくなったから、かな? pinch」
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