第3話 「人間」と「人類」
「特別症候群」
という言葉は、昔は言われていた言葉だったようだが、義之の時代では存在しない言葉だった。
表現を変えて、存在しているのかも知れないが、過去の言葉と今の言葉の変換を掛けても、
「特別症候群」
という言葉は、義之の時代の言葉とはヒットしなかった。
――ひょっとすると、一回消滅して、再度復活しているのかも知れないな――
と思った。
元々、過去に言われていた時も、一部の研究者や学者にしか浸透していなかった言葉だというではないか。義之は、この言葉を沙織の日記の中から発見した。そして、その言葉が何度も出てきたことで、
「この人たちにとって重要な言葉の一つなんだ」
と、感じていた。
その言葉の意味を調べるうちに、自分の中にある性格と酷似しているのを感じた。それまでは、
「自分は他の人とは違う」
という性格が存在していることは分かっていたが、あまり意識しないようにしていた。意識してしまうと、
「どちらが本当の自分なんだ」
ということを考え始めて、結局、堂々巡りを繰り返すしかないということをウスウス分かっていたからである。
「特別症候群」
日記に書かれていたこの言葉を示す性格を持っている女性が香澄であるということは、日記を読んでいるうちに分かってきた。
日記には、香澄が自殺したということ。
それに対して言い知れぬ不安と、後悔の念が襲い掛かり、堂々巡りを繰り返してしまっている自分に苦悩しているということ。
堂々巡りを繰り返していたのは、香澄が死んでしまったことを知ってからだと思っていたが、実はそうではなく、もっと以前から感じていたということ。
それがいつのことなのか分からない。それが自分に対して言い知れぬ不安と、後悔の念となって襲い掛かってくること。
それがすべて繋がって、結局は堂々巡りになってしまったこと……。
義之が、日記の中で気にしていた部分はそこだったのだ。
自分が過去に戻って、自分の先祖に関わることがまずいからと言って、サイボーグだったらいいという根拠はどこにもないが、義之自身が過去に戻って先祖に会うことがまずいという根拠もあるわけではない。
義之が香澄を見た時、
――自分が香澄と出会ってしまったら、恋愛感情を抱いてしまうのは間違いない――
と、感じたからだ。
恋愛感情を抱いてしまえば、過去に留まりたくなる気持ちになるだろう。そうなると、間違いなく歴史は変わってしまう。それだけは避けなければならなかった。
――自分と先祖との間に子供ができたら、一体どうなるのだろう?
義之が先祖と関わってまずいと思うのは、子供が関わってくる時の思いだった。
――サイボーグなら、恋愛感情を抱くことはない――
というのが前提だが、もし抱いてしまうと、サイボーグといえども、意志を持てるように設計しているので、なるべく人間に近い形で作られている。恋愛感情を抱かないようには設計してあるので、生殖機能は持っていても、感情がないため、働かないはずである。
――それなのに、恋愛感情を持ってしまった――
今までに、何体もロボットやサイボーグを作ってきたが、恋愛感情を抱くロボットはありえなかった。確かにロボットの製作段階において、恋愛感情を持つように設計するよりも、持たないように設計する方が難しい。他の感情は持つのである。恋愛感情だけ持たないようにさせるには、感情の絡みを調べ上げ、恋愛感情に結びつきそうなことをシャットアウトするだけの「結界」を作り上げなければならない。だが、義之の時代の科学はそれを可能にした。ほとんど完成品が出来上がっていたと言っても過言ではない。
特に、自分のサイボーグには感情機能よりも、感情を抑制する機能の方を重要視した。そのはずだったのに、女性を好きになってしまったのだ。
一つ気になることとすれば、義之自身、五十歳になった今ではそんなこともないが、三十歳代の頃は、自分から好きにならなくとも、相手から好きになられてしまうと、自分の好みではなくとも、
「最初から好きだった」
という錯覚を起こすことがしばしばあった。途中で勘違いだと気づき、相手を傷つけてしまったことも今までにはあったが、まさか、サイボーグにも同じことが起こったのかも知れない。
――ということは、香澄の方が最初にサイボーグを好きになったということなのか?
サイボーグは、相手のウソを見抜く力を持っていた。ウソ発見器の力が昔に比べて、相当な確率で精度を高めたことで、ロボットにも今では「オプション組み込み」が可能になっていた。その装備を、彼も備えていた。
しかも、そのウソというのは、人間の中にある潜在意識の勘違いも、ウソとは別の感覚として感知することができる。だから、もし彼女がロボットだと知らずに好きになったとしても、
――この感覚は彼女の勘違いなんだ――
と、察知できるはずだった。
そんな相手をサイボーグは好きになるはずなどないのである。したがって、彼が香澄を好きになる前に、まず、香澄が彼を好きになったのだ。
しかも、彼がサイボーグだということを分かっていてのことである。
ここで不思議なことが二つある。
一つは、サイボーグが相手でも好きになれる女性が本当に存在するのかということだった。
そして、もう一つは、香澄の時代にはサイボーグという発想はあっても、実際にサイボーグは存在しなかったはず、それなのに、どうして、香澄は彼を違和感なく、受け入れることができたのだろうか?
どちらにしても、香澄は自分の存在していた時代の中では、特別な存在だったことに違いないようだ。
義之サイボーグが、香澄と初めて出会ったのは、香澄が先生を目指して教育実習をしていた頃だった。
香澄はそれまで、男性と付き合ったことはなかった。言い寄ってくる男性は何人かいたが、二人きりになると、身体が拒否反応を起こした。
「私は、男性恐怖症なのかしら?」
と、思っていたが、同じ恐怖症でも、香澄は暗所恐怖症だった。
高いところと、狭いところもあまり好きではなかったが、暗いところには、恐怖しかなかった。色彩を重んじる芸術の世界に飛び込んだのは、暗いところが苦手だというコンプレックスがあったからだというのも理由の一つだった。
義之サイボーグは、香澄がどうして暗いところが苦手なのか分からなかった。彼からすれば、
「暗いところが怖いなら、狭いところも怖い」
という発想があった。
「どうして、暗いところだけがダメなんだい? 狭いところは大丈夫なんでしょう?」
「ええ、暗いところだけがダメなんです。それに私は狭いところよりも、本当は広い方が怖いと思っているんですよ」
彼はその話を電子頭脳に掛けて、分析を試みた。
「分からない」
「そうね。あなたの言う通り、閉所恐怖症というのはあっても、広所恐怖症なんてのは聞かないものね。でも、私は無限という言葉に隠されたものの恐ろしさを感じていると思うのよ。狭いところは、圧迫感があるから怖いと感じるんでしょうけど、私の場合は、暗い場所に無限の広さを感じるの。どこまで行っても暗黒から逃れられないようなね。だから暗所は無限と背中合わせのような気がして、恐ろしいの」
「そうなんですね」
彼は、考え込んでしまった。それまで暗所と閉所を背中合わせだと理解していたが、香澄の話を聞いていると、その内容には十分な説得力がある。
――考え方を改めなければいけない――
と考えた。
しかも、香澄の声には、安心感があった。それまでに聞いた人間の声とは全然違う。まるで抱きしめながら、包み込まれているような感じだった。
――いや、包み込まれながら、抱きしめられているのかも知れないな――
同時に感じることでも、どちらを先に感じるかということで、そのニュアンスは微妙に変わってくる。感じる程度に変わりはないが、感じたことに対しての持続性に著しい違いがある気がした。
――最初に抱きしめられて包み込まれる方が、感覚的に持続するような気がする――
そう感じたのは、香澄と話をしていて、自分がサイボーグであることを忘れさせてくれるからだった。
サイボーグに自由がないわけではなかった。しかし、どうしても人間と比較すると、自由のなさを感じないわけにはいかなかった。
ただ、今の彼は、
――サイボーグでなければ人間なのか?
と思うが、明らかに人間ではない。それは香澄を目の前に話をしていて、自分で一番よく分かっている。
――自分が人間だという気持ちになってしまうと、きっと彼女の前では会話などできないだろうな――
と、自分がシャイなサイボーグであることを自覚していた。
それはもちろん、創造主である義之によって、わざと組み込まれた性格だった。義之自身は、さほどシャイではない。サイボーグを作るにあたって、自分の考えや本能を移植したが、その後で、違う箇所をいくつか組み替えたりもしたのだ。
まったく同じ性格では、義之自身がコントロールできないという思いと、自分が嫌な性格を排除したり、以前から、
「こうであったらよかったのにな」
という、今ではどうすることもできない憧れる性格を、サイボーグに埋め込んだ。
ただ、それも些細なところを変えただけだ。人間としての完璧性を求めてしまうと、主従関係が逆転してしまう可能性がある。要するに意志を持っているのだから、成長するにしたがって、自分の意志で逆らうことを選んでしまうと、それは義之にとって、困ったことに陥るからだ。
彼は、義之がこの世界に送り込んでから、期待通りの成長を続けていた。人間に近い感覚を持つこともできるようになってきた。
中には、
「成長していくうちに身についてくるような装置を組み込んでおこう」
という機能も、彼には組み込まれていた。
その一つが、
「嗅覚の発達」
であった。
義之の時代になると、サイボーグに嗅覚や味覚に対しての機能が開発されかかっていた。それはなかなか難しいもので、一番の問題は個人差だった。
「人間のように好き嫌いがあって当然」
という考えや、
「いや、何でも好きになる機能があればいい」
という発想の二つが最初に存在したが、この議論はすぐに解決した。
「普通の人間と同じように、好きなものには個人差があってもいいが、嫌いなものや嫌なものは個人差があってはいけない」
というものだった。
たいていの人が嫌だと思うことをしっかり『嫌だ』と感じるロボットを作る必要がある。その理由としては、
「たとえば、ガスの臭いのように、危険性のあるものを、危険だと感じさせるためには、それが嫌な臭いなのだという感覚を持たせないと、一気に危険性があるものだとして判断が付かないからだ」
ということで説明が付く。
義之の時代のサイボーグ研究にも、やっとそのあたりの考えが一本化されてきた。若干遅い感じもしたが、それまでのロボット開発には、嗅覚や味覚の問題は、すぐに解決させなければいけない緊急性のあるものではなかった。優先順位としては、低い方だったのだ。
彼にも、嗅覚や味覚に対しての機能は組み込まれていたが、それはほとんど試作品に近いものだった。
「成長していく過程で、彼が自分で開花させてくれれば、これからのロボット研究に、大きな一石を投じることになる」
と思っていた。
彼には、随所に似たような発想の機能が組み込まれていた。送り込んだ時の彼の知能だけは高いものだが、それは実用性のないものだ。これからの経験値で、如何様にもなるというものだった。
それは、彼が一人ではないということだった。香澄と一緒にいることで、どれだけの「成長」が見込めるというのだろう。それを思うと、義之は苦笑いをした。
彼を送り込んだのは、サイボーグの成長を確かめるのが、最終目的ではなかったはずだ。香澄という人間を彼の目で見て、そして、随時送られてくる、サイボーグからのデータを、いかに解析していくかというのが、本来の目的だったはず。そのためには、なるべく彼には「自由」という発想を与えておく必要がある。もちろんそれは、「基本基準」に準じたところでなければいけないことではあるが……。
彼は香澄に感じたのは、香水の香りだった。
「どこから香ってくるのか分からない。人間って、匂いを感じる時って、こんな不思議な感覚になるんだ」
と、彼は感じた。
もちろん、香澄がつけている香水が、どこから香ってくるか分からないような雰囲気を作り出すことのできるものであり、他の人皆が、そんな香水をつけているわけではない。それが香澄の「センス」であり、やはり色彩や芸術に長けた彼女らしさなのだろうが、彼にそこまで分かるはずもなかった。
それはもちろん、義之も同じである。
サイボーグが送ってくるデータに、「匂い」まで送ってくるわけではない。しかし、
「どこから香ってくるのか分からないような匂い」
という感覚を持ったということは、彼の中に埋め込まれた電子頭脳を解析すれば、容易に分かることだった。
「一体、どんな香りだというんだろう?」
義之の時代の人間の女性も香水を使っている。
人間の女性にとって、香水というのは永遠のもので、それを身につける以上、開発者、利用者にとって、永遠のテーマとして尽きることはないだろう。香水というものが、時代に捉われることのないものであるからこそ、無限な発想が生まれ続け、発展を続けていくのだ。
彼が、香澄を好きだと意識した最初のきっかけが何だったかというと、匂いを感じた時だったのかも知れない。
そのことは、義之には何となく分かっていた。ただ、本人であるサイボーグには理解できていない。好きになったということすら、自覚するまでには、少し時間が掛かった。
開発者である義之には、サイボーグの精神的な移り行く過程は、分かっていた。
「どうしたものか?」
このまま、こちらに送還させ、再度、回路を組み替えようかとも考えたが、そうするには、今までに成長した部分をすべてリセットする必要がある。それは同時に記憶装置もリセットすることになり、香澄との出会いも消してしまうことになるのだ。
「それは嫌だ」
相手はサイボーグなのに、まるで自分のことのように、すぐに感じた。
「こんな切ない思い、見ているのは辛い」
ロボットはなるほど、リセットされるかも知れないが、一度香澄と知り合っているという事実に変わりはない。
何よりも香澄の気持ちを考えると、できることではない。
義之は、それこそ身を斬られるような思いに苛まれていた。
いくらロボットとはいえ、自分の気持ちを注入している。
「もし、二人が恋に堕ちたら……」
などと、ありえない想像をして、微笑ましい感覚になったりもした。
しかし、そのありえないことが、起こってしまった。
何がどこで狂ってしまったのか分からない。
「いや、これを狂ったと言えるのだろうか? 自分の中で『ありえない』と思いながら、実は期待していた。彼を設計した時点で、『自由』を前面に押し出して製作するという気持ちが入れ込み過ぎてしまったことで、知らず知らずのうちに、恋愛感情を持つような設計をしてしまったのかも知れない」
義之の時代には、恋愛感情を持つロボットを製作することは不可能ではなかった。しかし、ロボット倫理学や、人間の倫理から考えて、それはタブーとされた。
「ロボットと人間が愛し合う? そんなことはありえない」
という発想が主流だった。
だが、それはロボット研究の先駆者として、長老と言われる時代にそぐわない「元老たち」の戯言に過ぎないと思っている人も少なくないに違いない。
「ナンセンスなんだよね。発想が古すぎるんだよ。ロボットだって今では人間と同じような機能を有し、生殖機能だって人間と変わりはしない。妊娠だってできるし、子孫を残すこともできる」
と、言いながらも、この意見には続きもあった。
「でも、すべては個人同士の恋愛問題。ロボットに対して恋愛感情など浮かばないというのが大半の人間の考えだろうから、その実現には、まだまだ遠い将来のことで、無限の時間を創造しないといけないんだろうな」
と言っていた。
その意見には、その場にいた人ほとんどが同意見だった。
義之も同じだった。
「人間と人間だって、自由恋愛と言いながら、自分が好きであっても、相手が何も思っていなければ進展しない。それと同じじゃないかな?」
この時代の風俗嬢には、サイボーグが利用されることも多くなった。恋愛感情を必要としない性風俗産業には、サイボーグが適任だったからだ。
考えてみれば、それは自然なことだった。
人間を人間が相手する時代であれば、いくら好きになっても、相手が風俗嬢では、自分の思いを告白できる男子も少なかっただろうし、もし告白しても、自分の立場などから、せっかく目の前に幸福が手を広げているにも関わらず、一歩先に進むことができない人との間での葛藤が繰り広げられていただろう。
それを思うと、形式的な冷たい関係なのかも知れないが、本来の意味で考えれば、これが一番自然である。そして、
「客と風俗嬢」
であるがゆえに、心を痛めることもない。ロボット研究は、そういう分野にも大きな社会貢献になっていたのだ。
では、風俗嬢としてのサイボーグに「感情」はあるのだろうか?
この問題は難しい。
確かに、恋愛感情を持ってはいけないという意味ではサイボーグは最適なのだが、客として行く男の方はどうだろう?
何の感情もなく、ただ、性処理だけのために相手をしているだけのまるで人形のような女性を相手にして、本当に満足できるだろうか?
風俗というと、店に入る前は、ドキドキが止まらないほどの自分。まるで新しいおもちゃを手にしたような嬉しくてはしゃぎたくなるような気持ち。それは本当に新鮮なものである。
その気持ちを持って入店すると。待合室での
――これからいけないことをするんだ――
というちょっとした冒険心を掻き立てられる気分。
そして、出てきた女の子に優しくされたり、普段他の人とできないような話をできる時間を、ほんの短い間だけ味わうことができる。
「お金でその時間を買うんだ」
という思いが、後ろめたさを消してくれる。
だが、射精してしまうと、男性は一気にテンションが下がってしまって、冷めた気分になるのも仕方がないこと。それでも、その思いは、脱力感に繋がり、これも微妙に短い時間であるが、「充実感」を抱くことができるのだ。
しかし、罪悪感が強ければ、その思いを感じたということを理解できない。そのため、後悔が残ってしまうことになるのだ。
それが、風俗を体験した時の男性の感情ではないかと義之は思っていた。
つまりは、この一連の感情が生まれるためには、女の子との時間は少なくとも充実していなければいけない。ただ行為として淡々と終わってしまったのでは、本当に虚しさと後悔しか残らない。
義之も三十歳代くらいまでは、風俗に出かけた。それは、自分に彼女がいる時でも同じだった。
もちろん、彼女に自分が風俗通いをしているなど言えるはずもない。風俗と恋愛が別だと思っていたからだ。
その感覚は、義之の時代、結構強かった。香澄の時代に比べても強かっただろう。
だが、香澄の時代になかったものが、この時代には存在している。それは、
「女性向けの風俗」
だった。
確かに、香澄の時代にも「ホストクラブ」と呼ばれる女性向けの店があったが、表向きは性行為ではない。義之の時代は、女性が店に入って、出て行くまでに満足を味わうことができる性風俗が存在する。
そのお店には、男性のサイボーグだけが女性の相手をした。さすがに人間の男性がその仕事をするには、論議がまとまらず、
「裏風俗」
としての市民権を得ることができたが、人間の男性が勤めることは許されなかった。
どうしてそうなったのかは、政治家の連中の頭が固いからだという意見が主流だったが、蓋をあけると、これが結構繁盛していて、客の意見も、
「相手がサイボーグだと思うと、後腐れがないからいいのよ」
と、結果オーライだった。
ただ、義之の時代での風俗嬢には、人間もいた。
比率から言えば、人間の女性が六に対してサイボーグが四というところであろうか。
店側も、
「サイボーグオンリー」
「サイボーグ嬢はおりません」
「女の子は人間とサイボーグとでは半々です」
などという表示を表に貼っておくのが義務付けられた。
人気としては、やはり人間の方が最初はあった。
その後、事情が少し変わってきたのだがそれは、一人の風俗嬢をモデルにして、風俗サイボーグを作ったことから始まった。
その風俗サイボーグは試験的に作られたものだったので、宣伝も結構された。何体か作られたが、結構指名が重なって、なかなか指名することができない売れっ子になった。
客のほとんどは興味本位だった。中には、人間のモデルになった女の子よりも先にサイボーグに相手をしてもらって、その後にモデルの女の子に相手をしてもらうという行動を取る人が多くなった。
それは、男性なら当然の心境ではないかと思われた。実際に義之も同じ考えだっただろう。
ただ、サイボーグに相手にしてもらおうという気持ちはなかった。四六時中、仕事や研究でロボットやサイボーグを相手にしているのである。プライベート、しかもストレス解消に、何もサイボーグを指名することなどないだろう。
義之は、そのつもりはなかったが、偶然相手をしてもらった風俗嬢が、そのモデルの女の子だった。ほとんどの客は指名客で、それも興味本位、聞いてくることは決まっていた。
「どう? 自分をモデルにしたサイボーグの風俗嬢がいるというのは?」
そのことを、義之に話した。義之が、そのことに触れなかったからである。
「いつもいつも同じ質問。ウンザリだわ」
義之はこれと言って、何も言わない。ただ聞いているだけだ。
「あなたのように、何も言わずにいてくれる方が私には安心するの。お願い、時々私に会いに来て」
と言われて、義之もさすがに情が移ってしまった。しばらく彼女の元に通い、一定時間の恋人気分を、お金で買った。
悪い気分はしなかった。その時の風俗嬢の雰囲気が、実は香澄に似ていた。彼が香澄を好きになったとすれば、この時の感覚まで一緒に移植したからなのかも知れない。
「どうして、風俗に通うんだい?」
と、同僚に聞かれたことがあった。
年齢も五十歳を過ぎて、、
「いい年して」
と言われるかも知れない。
「そんなに寂しいのかい?」
確かに寂しいという気持ちがないと言えばウソになるが、寂しいから通っているわけではない。むしろ逆だった。
相手の女の子を愛おしいと思うから通っているのだ。それは情が移っただけなのかも知れない。その思いの強さは、突き詰めれば、憐みを感じていることになる。
彼女たちが、そんな憐みを嬉しいと思うだろうか? 一緒にいて楽しいという思いは、義之にもある。きっと、義之は自分が寂しいということを自分の中で認めていて、そして納得しているからだろう。
「風俗に通うのに、理由がいるんだったら、俺は行かない」
義之はそう言いきった。風俗に通うことが好きなのではない。理由もなく、ただ、女の子と一緒にいるだけで、それだけでいい。それをごちゃごちゃ言われるのなら、煩わしくない方を取るだけのことだった。
――別に恋愛感情を抱いているわけじゃないんだ。友達感覚なんだ――
と、自分に問うてみたが、そう思えば思うほど、愛おしさが増してくる。
理由がいるのなら行かないと言いきったくせに、すぐに気持ちがぐらついてくる。
義之は若い頃のように意地を張ることはなくなった。
「この間行かないと言ったじゃないか、ウソつきやがって」
と、言われたとしても、
「聞き流せばいい」
とばかりに気にしなければいいのだ。もし、寂しくて通っていたのだとすれば、もっと意地を張ったかも知れない。しかし、寂しいわけではないので、自分にもハッキリと通っている理由が本当に見つからない。そう考えれば、自分が自由であることの証明でもあった。
「ウソついた」
と言って人から詰られるくらい、何でもないことだった。
「俺って、冷たい人間だ」
と、日ごろから思っていた。それなのに、この時の風俗嬢と対峙している時だけが、唯一、本当の自分と向き合えるような気がしていた。
義之サイボーグも、香澄に対して同じ思いを抱いたのかも知れない。香澄と一緒にいるとそれだけで心が休まると思い、香澄自身も彼と一緒にいることで、他の人と一緒の時には感じることのなかった何かを感じられるようになったようだ。
香澄は、それまであまり人に甘えることのなかった女性だった。しかし、義之サイボーグと出会ってから、甘えるようになってきた。
――この人になら甘えられる――
と感じたのは、相手がロボットであり、人間に対して服従を基本としているからなのかも知れない。
香澄は人が嫌いだった。社交的で面倒見もよさそうに感じるが、それはあくまでも表面上のこと、心の奥では、人間嫌いなところが顔を出している。
義之サイボーグの記憶の中には、香澄の情報は、必要最低限度のことしか入っていない。彼女が自殺したということも、インプットされていない。まったく知らない相手として、ご主人様である義之から、近づくように命令されただけなのだから、実に中途半端での出会いになることは、サイボーグにとっては、荷が重いことであろう。
彼は、香澄と一緒にいる時間が増えれば増えるほど、彼女が自分たちの世界の人間ではないかと思うようになった。
ロボット世界にも、人間という種族に対しての意識はある。ロボット世界は、人間よりも優れている存在であって、そこに存在する人間は、ロボットのためにのみ存在しているというものだった。中には、
「人間がロボットによって作られた」
などという本も存在していて、まさしく、
――ところ変われば品変わる――
と言ってもいいだろう。
香澄が彼に似てきたのか、彼が香澄に似てきたのだろうか?
お互いに歩み寄りの姿勢が見られる。それでも、まわりが必要以上にザワザワしていると、
――歩み寄ってきたのは、向こうの方だ――
と、いう結論にぶち当たる。
香澄の様子を見ていると、大人しそうな雰囲気を感じるが、それは相手が普通の人間であれば、呼吸や脈拍から、ある程度の精神状態を読み取ることはできる。香澄に関しては、何かを思い悩んでいる雰囲気は感じるが、呼吸や脈拍に他の人間に感じられるような乱れはない。
香澄は、教育実習を行いながら、自分で絵を描く習慣を忘れたわけではない。休みの日にはスケッチブックに絵の具のセットを持って出かけていた。
近くの公園だったり、少し遠出をして、山間だったり、高原だったりとその時々で場所は違っても、行動パターンに大差はない。
義之サイボーグは、もちろん絵を描いたことなどなかったし、元々のモデルである義之本人も、芸術に関してはまったくの素人だった。
最初は香澄に近づくために、彼女の行動パターンを探っているうちに、絵画に興味を持ち、彼女と出会う前の準備段階の間に、自分でも絵を描いてみると、これが案外綺麗に描かれていた。
やはり、彼の学習能力には、優れたものがあるようだ。それだけ義之のロボット開発は、優秀だということでもあった。
「これなら、彼女と一緒に並んで絵を描いても恥かしくない」
そう思って、自信を持って、香澄が描いているそばに行って、自分も絵を描いてみた。
――なかなか、うまく描けているな――
と、我ながら自信たっぷりだった。その絵を香澄も気になったのか、近くに来て、見てくれた。
「すみません。興味があったものですから、見てもいいですか?」
「ええ、どうぞ。僕も人に見てもらう方が、上達できるような気がするんです」
というと、香澄が「フッ」と、軽く息を吐いた。
――どういうリアクションなんだ?
自分の絵を見て感心してくれるものだと確信していたのに、予想外のリアクションに、戸惑いを隠せない義之サイボーグは、何とか意識の回復を試みようとした。まだ製造されてから、義之本人以外の人と接近するのは初めてだったので、想定外の行動を相手に取られてしまうと、どう解釈すればいいのか分からずに、戸惑っていた。
彼が戸惑っているのを、香澄は面白そうに眺めていた。
――この女性は、僕を見て楽しんでいるんだ――
自分を見て楽しんでいるのなら、もっと楽しい思いをしてもらおうと、彼は自分がピエロになってでも、彼女に喜んでもらおうというのを、最初の基本に考えるようになった。
最初に見たものを親と思うのと同じで、最初に感じた第一印象を大切にするような装置を埋め込まれていた。
それは、義之本人の性格に由来するもので、相手の性格をいろいろ考えていて、迷いが生じた時、最初に感じたことが、たいていの場合、その人の本当の性格であることに気付いたからだった。
だから、彼にも同じような「本能」を埋め込むことにした。何しろ彼は自分の「分身」なのだからである。
義之サイボーグは、自分なりに香澄を見ていて、彼女がどんな性格なのかということを想像していた。その想像が違っていたことへの戸惑い、本当は、
――第一印象を信じるように組み込まれているけど、僕自身の第一印象を大切にしていたいな――
という思いがあったのも事実なのだが、ここまで違うのなら、接してから感じたことが本当のことなのだから、それを信じるしかなかった。
そうなると、ロボットやし亜ボーグサイボーグは悲しいもので、相手に服従するというロボット基本基準の原則に従ってしまうことを容認しないわけにはいかない。
彼が香澄の性格を読み取ろうとしているのを、香澄には分かっていた。それは、最初から、
――この人はサイボーグなんじゃないかしら?
という思いがあったからだ。
――どうしてそんなことを、簡単に信じられるのかしら?
香澄には、その時悩みがあった。
――私は、覚えていく端から、いろいろなことを忘れていくような気がする――
という思いがあった。
忘れてもいいような、どうでもいいことだけを忘れていくのなら、それでもいいのだが、覚えておかなければならないような重要なことまで忘れていってしまっているような気がした。
――余計なことばかりを考えているからなのかしら?
自分にとって何が大切で何が大切でないかということを、自分の中で判断できなくなっているのかも知れない。それを今までは、
――私の記憶に狂いはない――
と、思っていた時期があり、それが急に疑心暗鬼になったことで、自分を信じられなくなってきたところに現れたのが、彼だった。
――彼と一緒にいると、忘れてしまったことを思い出せるような気がする――
と思った。
それは、忘れてしまったと思っていることが、本当は忘却の彼方にあるわけではなく、自分の中の記憶領域の中に封印されているだけではないかと思ったからである。
香澄が自分の記憶が急に薄れてきたと思うようになったのは、絵を描くようになってからだ。
――せっかく趣味と言えるものを見つけたのに、何て皮肉なことなのかしら?
と感じていた。
絵を描いていると、充実感を味わうことができる。充実感というのは、
――頑張っている自分へのご褒美なんだわ――
と思うようになっていた。
しかし、香澄はそこで自分に疑問を感じていた。
――頑張るって、どういうことなの?
自分に対して頑張るということなのか、それともまわりに対してよく思われたいから頑張ろうと思うのか、それとも、頑張ることで何かの見返りと期待しているのか。
以前にはそんなことを考えたことはなかった。絵を描くようになった時、
――これが息抜きなんだ――
と感じ、息抜きが趣味というもので、本業とは違う自分の大切な時間。
――そして溜まったストレスを解消できる自分だけの時間――
だと思っていた。
ただ、さらにここで香澄には疑問があった。
――溜まったストレスというけど、それがどんなものなのか、モヤモヤしていてハッキリしない。溜まってくるのは分かるけど、それが本当に解消されたのかどうかって、簡単に分かるものなのかしら?
と考えた。
友達に話すと、
「香澄は考えすぎなのよ」
と前置きがあって、
「そんなに深く考える必要はないのよ。一度でもスッキリしたと思えれば、その時点で、解消されたような気になってしまえばいいのよ」
「ウソでもなの?」
「うん、ウソでもいいのよ。自分がそうだって思いこむことが大切なの。モヤモヤやストレスというのは、それ自体が本当の意識なのかどうかも怪しいものだって私は思うわ。だったら、解消されたというのも、その時にスッキリしたかどうかで判断してもいいんじゃない?」
「そうかも知れないわね」
「一度でもスッキリした気分になれば、そこから自分の感受性はきっと変わってくるはずよ。それまで何かを感じることに怖さを感じていたものが、スッキリしたことで、受け入れられる感覚は増えてくるはずだからね。怖くてそれ以上考えられなかったことでも、それまでの怖さがウソのように先を見ることができれば、いくらでもその先はうまく行くようになるものなのよ。信じることも大切なのかも知れないわね」
と話をしてくれた。
彼女はきっと、
「考えすぎることで、意識が記憶することを怖がっているのかも知れない」
と言いたかったのかも知れない。
しかし、本当にそうだろうか? まだその言葉のすべてに納得することはできなかった。
香澄は、高校時代の記憶が曖昧なことを分かっている。
高校時代というと、香澄本人はあまり余計なことを考えていなかった。今までで一番何も考えていなかった時期なのかも知れない。
とは言っても、その時期が今までの中で自分のまわりで起きていることは波乱万丈だった気がする。
両親の離婚。それに伴って、自分への親権のことで、両親の争う姿。実際に見たわけではないが、まわりから、話に尾ひれがつき、面白おかしく伝わってくる。
まわりは、
「香澄ちゃんには、余計なことを知らせないようにしないと」
と言っていながら、実際には、興味本位でどこまで信用できるのか分からない状態の話が伝わってくる。
結局母親が引き取ることになったのだが、母親はほとんど留守がちだった。
母親と話をする機会もほとんどなく、次第に自分が孤立していくのが分かった。
両親が離婚騒動を起こしている時、まわりの人たちは変な噂が絶えない状態ではあったが、次第に落ち着いてくると、クモの子を散らすように、香澄のまわりから誰もいなくなっていった。
その時の心境は、
――人の背中って、こんなに小さかったんだ――
と感じたことだった。
別に、まわりから去って行く人の姿が見えたわけではない。そう感じたのだ。もし、見た記憶があるのだとすれば、それは夢の中でのことだろう。その頃の香澄は、どれが現実で、どれが夢の世界のことなのが、分からなくなっていた。それだけ、投げやりな感覚になっていた証拠なのかも知れないが、
――これが一番楽なんだわ――
と、感じたことだけは覚えている。
それからしばらくして、香澄は男性恐怖症になった。
別に男性から何かをされたわけではない。いきなり、男性に対して拒否感が浮かんできたのだ。
そばに男性が寄ってきただけで、拒否反応を起こす。通学の時、満員電車の乗るのが怖かった。
一度、満員電車に乗ってしまい、まわりからスーツを着た男性に囲まれるような格好になった時、意識を失って、電車内で倒れてしまったことがあった。それからは、満員電車に乗らないように、朝早く出かけるようになっていた。
――どうして私だけこんな目に遭わなければならないの?
と、自分を呪った。
とは言っても、本当に自分を嫌いになるところまではどうしてもいかない。自己否定ができるほど、香澄は自分の中に「覚悟」ができていなかったのだ。
そこまでは、香澄の中に意識としてはあった。
自分の記憶が薄れてくるのを感じたのは、それから少ししてのことだった。
電車の中で倒れるまでは、ものすごいスピードで考えていることは、自分を納得させるためだということを分かっていながら、止めることができなかった。ただ、ある瞬間を境に、
――余計なことを考えるのをやめよう――
と思うと、スッキリした気分になり、自分が納得できたわけではないのに、違う人間になったような気がしてきた。
香澄は、自分が男性恐怖症であったことを忘れてしまったほど、男性に対して何も感じなくなっていた。
男性恐怖症を抜けてしまうと、次に感じるようになったのが、暗所恐怖症だった。それはずっと続いていくことになるのだが、男性恐怖症や他の恐怖症との違いは、「無限」というものに対しての意識だと思っている。
閉所にしても、高所にしても、限りがあるものである。しかし、暗所恐怖症というのは
見えないことを意味している。
――見えないということは、それがどこまで繋がっているのか分からない。ひょっとしたら、目の前で切れているのか、それとも永遠に続くものなのか分からない。まず、第一歩、私に踏み出すことはできるのかしら?
足が竦んで踏み出すことなどできるはずはない。
――見えないことで、目の前で終わっていることも、私にとっては、すべてが無限のこととして納得しなければいけないことなんだわ――
そんな納得できるはずもない。
納得できないことが、恐怖に繋がる。もし、その時、誘導してくれる人がいたとして、その人をどこまで信じることができるのか、それが、自分をとこまで納得させることができているかということに繋がっている。
香澄は、元々教員になることが夢だった。それは中学時代からのものだったので、高校時代に感じた苦悩の時代の間でも、夢だけは別だった。
――頑張ってさえいれば結果はついてくる――
と信じて疑わない気持ちが根底にあったからだ。
大学でも教育学の勉強も苦痛もなくできていた。
趣味の絵画も息抜きにはちょうどよかった。
その頃になると、それまであまり感じたことのないもう一つの人格に気付くようになった。
「自分は他の人と同じでは嫌だ」
という思いである。
ただ、その思いは、
――自分のもう一つの人格だ――
という思いではなかった。
――これが本当の私の性格なんだ――
という思いだったのだ。
それは高校時代に自分が、まわりの環境の変化に、
――客観的な自分――
を演出できたことで、何とか順応できたと思っていたからだ。
しかし、それを本当に順応できたと言えるのだろうか? ただ、面倒臭いことや、煩わしいことから逃げていただけなのではないかということも考えてみた。
そこで、自分の考えが堂々巡りを繰り返していることに、ある瞬間になって気が付いた。それは、時間が経つことで行きついたことなのか、それとも、何かの役のようなものを引いたことで、目の前の扉を開くカギを見つけたからなのだろうか。どちらにしても、堂々巡りを繰り返していることに気付くと、余計なことを考えないということに、意識を集中させてみた。
すると、客観的な自分を納得できる気がしてくるから不思議だった。
――堂々巡りを繰り返すというのは、「無限ループ」なんだ――
「無限」を一番怖いものだという意識を持っている自分が、最初からまわりの環境の変化の第一線にいたことで、「客観的な自分」を演出できたのだという意識が、自分を納得させたのだ。
義之サイボーグと知り合った時、最初から彼がサイボーグであることに気付いていたような気がする。
――彼も他の人とは違うんだ――
という思いを最初から感じて見たからであろう。
初めて会う人のどこを最初に見るかと聞かれると、
「他の人との違いを探すような思いで見るようにしている」
と香澄は答えるに違いない。
つまり香澄は、誰を見るにしても、必ず最初に他の人との違いという観点から見る。彼に対して、大いに他の人との違いを感じたことだろう。
――私なんかよりも、ずっと低いところで前を見ているような気がするわ――
低いところから上を見上げているわけではない。低いところにいて、ただ前を見ているだけなのだ。
――だから、彼には目の前に見えているもの以外は、視界に入っていないに違いないんだわ――
と感じていた。
香澄も同じように、自分の視線に見えているもの以外を探そうとは思わない。本当なら二人の視線が結びつくことはないのかも知れない。
それなのに、彼は近づいてきた。何かの目的があるのかも知れないとも感じたが、彼に下心のようなものは感じない。
サイボーグなら、もし下心があったとしても、それを相手に悟らせないような能力があるのかも知れないと感じたことも、彼がサイボーグだと感じたゆえんだが、その思いは一瞬で消えた。
ただ、その思いは一瞬で消えたが、考えを派生させるための第一歩になったことには違いない。
――でも、この人とは、今回初めて知り合ったような気がしないわ――
前にもどこかで会ったことがあるような気がしたのは、錯覚に違いないが、錯覚を起こさせるには、それなりに何かの根拠があるはずだった。
以前にも、似たようなシチュエーションがあったのを思い出したとか、彼の視線と同じような視線を過去に感じたことがあったなど、導入部分は、さまざまな可能性を秘めている。
「デジャブ」というのを、香澄は信じていない。
あくまでも錯覚だとしか思っていないのは、自分の記憶に自信がないからだ。それは子供の頃から思ってきたことで、そういう意味では、何かがあった時、精神に異常をきたすとすれば、それは自分の中で一番信じられないと思っている「記憶」に関してだと感じるのは、無理のないことなのではないだろうか。
香澄は、その時自分の人生が、ずっと人から裏切られてきたものだったことを思い出していた。あまりいい人生ではなかったという意識は持っていたが、
「裏切られてばかりの人生」
だという意識を、ハッキリと持っていたわけではなかった。
その理由は、
――まだ、私は若いんだ――
という意識があったからで、
「若いんだから、まだまだこれからだ」
という思いと、
「裏切られていたのは、自分の若さゆえであり、年を重ねるごとに、自分のことを皆分かってくれるようになる」
と、自分の若さが人に自分という人間を誤解させるという考えがあった。
香澄は、それまで、
「年は取るものだ」
という意識があったが、本当はそうではなく、
「年は重ねるものだ」
と、思うようになった。
単純に加算法と減算法の考え方なのだが、その差は大きなものである。その考えは人間であれば理解できるのだろうが、義之サイボーグには理解できなかった。
香澄は、彼と話をしていると、楽しい気分になれる。相手がサイボーグだという意識を持っているから、気を楽にして話ができるのだと香澄は思っていたが、どうしても、考えすぎるところのある香澄には、冷たく思えるところがあった。
しかし、逆に自分にも冷たいところがあることを、再認識することで、話しやすいとも感じていた。自分に冷たいところがあるのは前から分かっていた。だが、それを嫌なことだとは思っていなかった。
「それだけ、他の人と自分が違うということを感じることができる」
と思っていたからで、その考えは、子供の頃から一貫して変わっていなかった。
しかし、自分が成長していると思っていても、年齢を重ねても、裏切られたという感覚は残ってしまう。
相手は、香澄を裏切っているつもりはないようで、ぎこちなくなってくると、必ず口論になり、香澄の口から、
「裏切られた」
という言葉が発せられる。
相手には、裏切った感覚がないのだから、相手からすれば、カチンときて当たり前である。
お互いに「売り言葉に買い言葉」。そうなってしまうと、泥仕合になってしまう。冷静になって考えれば、
「どうして、あんなことを言ってしまったのかしら?」
と思うのだが、後の祭りだった。
いつも同じパターンで仲たがいをしてしまう。やはり、香澄の性格から来るものだと考えるのが一番自然であるが、
「私のまわりに寄ってくる人が、同じような性格の人ばかりなのかも知れないわ」
と思って、まわりのせいにしてしまいがちだったが、それも、
「同じような性格の人を引き寄せているのも、この私なんだ」
と思うと、最後に戻ってくるのは、「自分」ということになる。
もし、これが他の人なら、自己嫌悪に陥るのだろうが、香澄の場合は少し違った。
「悪いのは私なのかも知れない」
と思いながら、
「これも、自分が他の人と違うからだ」
というところに結局は帰ってくる。自分の嫌ではない性格に戻ってくるのだから、本当は、
「裏切られた」
という考えも少しニュアンスが違っているのかも知れないが、この堂々巡りを繰り返していることに気付いた時、裏切られたことへのショックから立ち直るのに近づいたことを自覚した。
義之がサイボーグだと思ったのは、やはり、香澄と話をしている時に、香澄の話を、
――計算だてて考えている――
ということに気付いた時だろう。
『年を取るという感覚』と『年齢を重ねるという感覚』のニュアンスの違いが分からなかったのも、その理由であるが、それだけではない。香澄の場合は、他の人との違いを、
「冷静沈着な計算で、まわりを見ることだ」
と思っていたが、それは人の行動パターンまで、計算だけで判断しようなどと思っていなかった。
彼が接しているのは、同じ人間でも、接し方が違っていることに疑問を感じていた。
彼の電子頭脳は、人間というものを、
「自分の創造主が人間なんだ」
と認識していた。
つまりは、香澄の時代の人間を、本当に「人間」だという認識で感じているわけではなかった。
このことは創造主である義之にも計算外だった。義之自身も、香澄の時代の人間を、同じ人間として見きれないところがあった。
何しろ、その間に大きな戦争があり、一度は滅んだ形になっている人類である。香澄の時代からの人間から見れば、
「生まれ変わった人間」
というよりも、
「一度滅んで、新しい人類が誕生した」
というイメージに写るのではないかと、義之は考えた。
この考えはあくまで義之の考えであり、本当に香澄の時代の人間が、この歴史を理解できたとして、本当にそう思えるのかどうか、いささか疑問ではあった。
ただ、義之の目から見て、香澄の時代の人間は、電子頭脳の中にある「人間」という枠には当てはまらなかった。香澄も同じだったが、香澄は、その違う人種の中でも別人種に感じられたのである。
「ひょっとして、この人は、一番自分たちに近いのかも知れない」
と感じたのだ。
義之の時代の「人間」から比べると、香澄の時代の人間の方が、どちらかというと、彼らに意識は近い気がした。
義之の時代は、ロボットやサイボーグというものが開発され、
「人間とは一線を画した、まったく違う存在」
という意識があった。
だからこそ、「ロボット基本基準」という考えが生まれ、人間とは違うという意識を電子頭脳に埋め込むことが考えられたのだ。
彼は、次第に香澄を、
「彼女は、この時代の俺たちと同じ存在なんだ」
と、考えるようになった。
彼には、人間とまでは行かないが、喜怒哀楽を感じることができる。
喜怒哀楽を感じることができる電子頭脳や、人工心臓が埋め込まれているのだから、「恋愛感情」を持つことも十分に考えられた。
ただ、最初は、
「自分には、恋愛感情などという概念はない」
と思っていた。
それは、香澄を見ていると、余計にその感情は確信に近づいていった。香澄自身、
「人を信じる」
という感覚がなくなっていたからである。
この場合の「人」というのは、イコール「人間」という感覚だとは思えない。彼が感じているこの時代の「人間」というものから比べると、香澄が感じている「人」というのは、かなり限られたものだった。
彼女の考える「人」というのは、少なくとも、
「自分に関係のある人」
というイメージである。さらに「関係」という言葉は、「利害関係」という言葉に置き換えることができる。そう思って香澄を見ているうちに、
「この人は、ただ冷静沈着というだけではなく、狭い範囲での自分に関わりのあることを、すべて計算立てて解釈しようとしている」
と思うようになった。
だが、それでも、理解できないところがあった。それが、彼女が時々感じる。
「情緒」
のようなものであり、感性と言えるものだ。
「年を取る」
ではなく、
「年齢を重ねる」
という考えに至るのも、その「情緒」という考えから生まれてくる。
「どうして、彼女のような人に、そんな発想が生まれてくるのだろう?」
彼の電子頭脳は、まったく理解不能に陥っていた。
そのおかげで、彼は香澄と知り合って、すぐに人間で言えば、ノイローゼのような状態に陥った。
元々、「一人」で自分のいた時代から、やってきた。「やってきた」と言っても、それは自分の意志で来たわけではない。創造主である義之の「命令」でやってきたのだ。
基本基準を埋め込まれているので、人を傷つけることのない限り、命令服従は絶対条件である。
彼のノイローゼは、
――基本基準があるがあるがゆえ――
のことであった。
第一条の、
「人を傷つけない」
ということが、こちらの時代にやってきて、分からなくなったのだ。
まずは、さっきも記したように、「人」という概念に対しての疑念から生まれたものだったが、次に感じた疑問は、
「傷つけない」
という部分で、範囲がどこまでなのかが、彼には分からなかった。
「自分がいた時代では理解できたはずなのに、やはり創造主がいないことでの不安から来るものなのか、それとも、こっちの時代の『人』という概念が違うことで、その範囲が分からなくなったからなのか……」
と感じていたが、どうも、それだけではないようだ。
「傷つけないというのは、肉体的なことだけなのか、それとも精神的なことも含むのか……」
この問題は、実は義之の時代でも、
「基本基準の優先順位」
という命題が、論議の元になり、
「命令への絶対服従との優先順位ということが論議になったことで、第一条に特別条文を付け加える論議があった」
というのは、彼も知っていたが、それがどうなったのかまでは知らなかった。
結果的には、条文に追加事項は認められなかったが、これからも波紋を呼ぶことは約束されたようなものだった。
だが、香澄の時代には、そんな「基本基準」は関係のない世界だった。
まだロボットを開発するなどというレベルにまで至っていない時代。(開発技術はあっても、制御技術に関しては、その発想すらない時代だった)そんな時代に一人取り残されたようになった気分にさせられた彼は、頼れる相手は香澄しかいなかった。
そういう意味で香澄を、
「自分に一番近い存在だ」
と、感じたのは、それだけ弱気になっているからなのかも知れない。
生身の人間は、身体的にはロボットやサイボーグにはかなり劣ったところがあり、計算や判断するための頭脳も、比較にならなかった。
だが、実際に判断させると、人間の方が遥かに判断能力には長けていた。
――何が違うんだ?
彼は、目の前に見えている事実に愕然とし、何を信じていいのか分からなくなった。そうなると、信じるということ自体、活動をやめてしまう可能性があった。
彼はサイボーグの中でも、高度な「意志」を持っていた。彼の「意志」は判断力という意味で、他のサイボーグとはかなり違っていた。
ロボット開発で、一番の問題になったのは、
「人工知能がどれほどまで判断力を有することができるか」
という問題と、
「意志をどこまで自らで持つことができるようになるか」
という二点だった。
判断力に関しては、義之の時代の過去から言われてきたことだが、
「可能性が無限である限り、限りなく不可能に近い。人類、ロボット含めての永遠のテーマだ」
と言えるだろう。
しかし、意志という問題に関していえば、
「どこまで人間に近づけるかという問題が一つ大きいが、それ以外に、『本当に人間に近づいていいのか?』という問題の方が大きい」
というのが、定説になっていた。
だが、どちらの発想も香澄の時代に、影も形もなかったわけではない。実はもっと以前からあったもので、ロボット開発がうまく進展していないことで、作為的に話題にされていなかっただけだった。
義之の時代のロボットの中には、意志を組み込まれた「仲間」がいたが、彼らの中には、
「人間のような意志を持ちたくない」
と思っている連中もいた。
「人間のような意志とは?」
と聞くと、
「ハッキリとは分からないけど、『人間に近づいた』と思うと、言い知れぬ気持ち悪さが襲ってくるんだ。これはどういう感覚なんだろうね」
ロボット同士、彼らにしか通じないテレパシーが存在した。
これは、人間が作為的に組み込んだもので、人間に分からないところでロボット同士の抑止力を働かせるというのが目的だった。
「人間に意志を知られてしまう」
と、ロボットが感じてしまうと、せっかくの抑止力をブロックしてしまう可能性があるからだ。
そこには、人間のための第三条、ロボットは自分を守らなければいけないという条文があるからで、そのため、人間が意志に介在してしまうと、自己を守るために、ブロック機能が働いてしまうという考えがあったからである。
ロボット同士の会話は、人間には分からないだけに、反論もあった。
「ロボットが人間の知らない間に、反乱を企てていたら、どうするんだ?」
それは、永遠のテーマである。
それがあるからこそ、基本基準の「安全装置」としての機能があるのだ。
ロボットというのは、人間にとっての「諸刃の剣」。しかし、逆に言えば、人間も、ロボットにとって「諸刃の剣」なのだ。
「ロボットが自分の存在価値に疑問を感じ始める時が、「諸刃の剣」が露呈してしまう瞬間だ」
という学説を唱えた人がいたが、まさしくその通りだ。その考えは、香澄の時代からもあった。実際のロボット開発ではなく、SF小説の中での話にはなるのだが、これも、
「人間とロボットの共存」
という意味では、「諸刃の剣」も、永遠のテーマの一つだった。
彼の頭の中には、SF的な発想も含まれていた。
それは「次元」という問題で、これは、頭脳の元になった義之が絶えず考えていたものの一つで、彼にもそのまま移送されたのだ。
基本基準の、
「人を傷つける」
という発想を彼が分からなかったのは、この「次元」という発想が頭の中にあり、それが邪魔しているからだった。
肉体的に傷つけてはいけないということは当然のことであるが、精神的に傷つけるということがどういうことなのかを理解できなかったのだ。
他の意志を持ったロボットには、
「人を傷つける」
という言葉に二つの意味が存在していることを分かっていない。すべてを肉体的に傷つけるという意味でしか判断できていないからだ。
しかし、彼はサイボーグであり、頭脳は元々の人間の意識を植え付けられたものだった。人であれば、この言葉に二つの意味が含まれることくらい分かっている。もちろん、分からない人もいるが、人間社会の中に身を投じていれば、気が付くことは時間の問題であった。
「次元」の問題というのは、ロボット世界の中では存在しない。人間が想像しているものであって、ロボットの人工知能は、そこまで考えが及ぶようには設計されていなかった。
義之の時代になっても、四次元の世界というのは、まだまだ謎だった。タイムマシンが開発され、昔から言われてきた「パラドックス」が、少しずつ解明されていったが、最終的には、「堂々巡り」を繰り返してしまう。
「『無限ループ』の考え方は、計算だてて考えることから脱却できなければ、永遠に分かることではない」
と、言われている。そういう意味では、電子頭脳で動くロボットには、永遠に超えることのできない問題だった。
人間である香澄は、人を傷つけることを嫌っていた。
肉体的には当然のことだったが、精神的なことに関しては、特別な感覚であった。ここで関わってくるのが、
「他の人と同じでは嫌だ」
という感覚だった。
香澄は、
「今まで何人の人を、精神的に傷つけてきたんだろう?」
と思っていた。
香澄は別にそんな意識もなかったのに、
「どうして、香澄ちゃんは人の気持ちが分からないの?」
と、何度言われたことだろう。
――その人のために良かれと思ってしていることなのに――
と思いながら、考えたり、行動したことに対しての答えが、
「人の気持ちが分からない」
という叱責なのだから、悩んでしまっても当然のことだった。
――一体、何が悪いんだろう?
どうしても、理屈で考えてしまう。
考え方として、まずは表に現れたことに対しての比較対象を探す。そして、
――どうして、そっちになったのか――
ということを考え、さらに考えを遡らせていく。
答えが、想像もしていなかったことなのだから、そうやって、比較基準を探して遡っていくしかなかった。そこには、比較するための対象事例を探すことと、そして、実際に比較するという、いわゆる「計算」をすることで、損得の度合いを考える。それが、香澄の考え方だった。
他の人がどんな発想で考えを遡らせているのか分からない。そこが一番の不安でもあった。
義之は、自らのサイボーグに、
「相手の心を読み取る、特殊な機能」
を敢えて組み込まなかった。
義之の時代には、人の心を読み取るくらいの機能は開発されていた。相手が人間なのだから、脈拍や呼吸数。そして体温や発汗などから、相手の精神状態くらいなら、読むことが可能な装置の開発はできていた。
だが、それらは相手の感情を感じるための「材料」にしかならない。それを、
「自分には分かっているんだ」
などと自惚れてしまっては、そこから先の考えに行き詰ってしまう。そのことを分かっていた義之は、他にもいろいろ便利な機能があるのだが、彼に搭載する機能に関しては、かなり時間を割いて吟味したことが伺えた。
自分が行けないので、自分に変わって行ってもらうという大役なのである。当然、組み込む装置に対してもかなりの吟味が必要になってくる。
だから、彼がこの時代にやってきた時、彼はまだまだ発展途上だった。
ただ、成長するための機能は、相当な苦労をしてでも組み込まれている。
実際に彼の型式では、組み込むのは難しい成長機能がついたチップを組み込むために、かなりの時間が必要だった。それは、人間の機能移植にある「拒否反応」という、これも人間にとっての永遠のテーマである問題と同じことだった。
人の心を読み取ることができないはずの彼だったが、こちらの時代にやってくると、それでも人の心を読もうとする。それは人間でいう本能のようなもので、ロボットにもそれが存在するというのだろうか。
「本能というよりも、潜在意識というべきだろう」
と、義之なら言うだろう。
確かに学習能力を有しているので、その影響が強いのだろうが、それだけではないようだった。
それは、ロボット基本基準が影響しているという考え方である。
「人の心を読み取ることが、第三条に繋がってくる」
というものだ。
「人間はわがままで、時々、ロボットに無理な命令をすることがある。だが、それはその時の感情であって、本心からではないことが多い」
という考えも、移植した頭脳の中にもあった。
そうなると、ロボットは、第二条の命令にしたがって、自己破壊を起こしてしまうだろう。その時になって人間は自分の命令に後悔する。
「あんなこと言わなきゃよかった」
と……。
しかし、すぐに忘れてしまう。ペットであれば、生き物だという意識があるので、
「可哀そうだ」
と思うが、血が通っていないロボットに対してまで、そこまでの感情を人間が抱くだろうか。
「ありえないことだ」
と、彼は思っていた。
相手が生き物であれば、まだ、苦しむ表情が分かる。しかしロボットは昆虫と同じで表情がない。苦しむ姿を感じなければ、同情もない。ただ、ロボットは昆虫にはない「言葉を喋る」ということができる。そういう意味で、義之の時代のロボットは、寿命が分かってしまうと、さすがに使用者にも情が移るようで、電気製品のように、すぐに買い替えれば済むという感覚ではない。
それは、義之の時代のお話で、香澄の時代の人間が、ロボットをどのように見れるだろうか?
義之の時代の人間は、未曽有の大戦争を経験したこともあり、生まれてすぐに、大手術が行われている。それは、
「人間に対して、殺傷することは絶対に許されない」
という「人工知能」を埋め込まれる。それは生まれてくれば誰に対してでも平等の手術であり、まるで香澄の時代の「予防接種」のような感じである。大手術と言っても、時間的にもあっという間のことで、催眠光線によって眠らされた間に行われている。
催眠光線の効き目は一時間。本人に意識がない間のことである。
義之の時代の人間と、香澄の時代の人間との間の一番の違いは、この人工知能が入っているかいないかだ。人工知能は、ほとんどの場合、本人が意識することなく、死が訪れるまで、動作することはない。要するに「保険」のようなものなのだ。
ロボットにも同じものがついている。というよりも、最初はロボット用に開発されたものが、人間に対して役立つように改良されたのだ。
ロボット工学が目まぐるしい進歩を遂げたが、一旦、開発が膠着状態に入ると、今度は医学が、ロボット工学に追いつこうとするかのような大発展を遂げたのだ。
人間が苦しむことなく、光線だけで眠らされた間に、手術が行われる。電子メスでは傷跡が残ることもなく、香澄の時代に「不治の病」とされたことも、ほとんどが、簡単な手術で治るようになった。薬だけで治るものもあり、医学の進歩は、人間を「死なない動物」にしてしまった。
しかし、寿命だけはどうすることもできない。
いや、寿命に手を付けてしまうと、
「神への冒涜」
として、宗教団体が黙っていない。
それどころか、医学界でも、
「人が死ななくなると、今度は人口問題を引き起こし、自然界の摂理に逆らうことになる」
ということで、寿命に関わる発展は、考えられることもなかった。
そのため、それまで自分のコピーともいうべき、自分を鏡に写したようなサイボーグの開発をする人はいなくなった。
「自分に似たサイボーグが死ぬことなく、年を取ることもなく、自分よりも確実に生き残るのを見ながら死んでいくことに耐えられない」
という考えが主流になってきたからだ。
そういう意味で、義之サイボーグの開発は、義之の時代ではタブーであり、秘密にしておかないと、物議を醸すかも知れないものだった。しかし、サイボーグの目的は違うものにあった。
「自分にできないタイムトラベルをさせること」
だったからである。
これはこれで物議を醸す問題に発展するかも知れない。
「人間に対して、殺傷することは絶対に許されない」
これは、彼らの基本基準の第一条に牴触する。そして、自分の創造主にも同じものが入っている。
しかし、自分が接しなければいけない人には、その考えはない。だが、香澄にはそんな人工知能がなくとも、同じようなものが感じられた。この時代の他の人に感じられることなのかどうか、そこまでは分からなかったが、少なくとも香澄に対して感じたことは彼が香澄を好きになるという事実に大きな影響を与えたのは間違いないことだ。
その同じ感覚は、香澄の側にも感じられた。
自分のまわりの人間が自分に対して、殺傷とまではいかないまでも、差別的な目を向けているのに対し、いきなり目の前に現れた彼には、差別的な目はまったく感じられない。初めて会ったはずなのに、
「初めて会ったような気がしない」
と、感じさせたのも彼だけだったからだ。
サイボーグも、今まで義之の時代の人間しか見ていなかった。彼らには人間に対してのことだけしか考えていない。もちろん、過去の教訓から生まれたことだが、人間独自の世の中ではないはずなのに、人間は、自分たちだけのことしか考えていない。
香澄の時代の人間は、ある意味もっとひどかった。
もちろん、ロボットというものがまだ存在していない時代だったのだが、彼らには人間という概念はあまりない。
国と国とが争っているような世界。一つの国家の中にもいろいろな派閥が存在し、駆け引きを繰り広げている。それも、自分の利益になること以外は何もしようとしない。他の派閥がどうなろうと知ったことではないのだ。
最終的には個人主義、誰もが、
「自分さえよければそれでいい」
そんな世界だったが、彼はどちらの世界にも幻滅していた。
「結局、俺たちはそんな人間から作られた『創造物』でしかないんだ」
という思いを強く持っていた。人間で言えば、「被害妄想」というべきものなのかも知れないが、それ以外の表現は当てはまらない。
彼は、義之の時代の人間には、生まれてすぐに、
「人を殺傷してはいけない」
という頭脳が埋め込まれていることは知っていたので、香澄の時代の人間にも、同じようなものが入っているものだと思っていた。
「どうしても、この時代の人を理解することができない」
と思っていたのはそこだったのだ。
義之の時代に埋め込まれた「安全装置」は、人間にとっての苦肉の策だったに違いない。未曾有の大戦争があったことは、彼の記憶装置にはインプットされていたが、あくまでも戦争があったという「事実」だけで、それに対しての意見はインプットされていない。つまり、彼にとって、成長していく中でいかようにも理解する術はあったということである。
ロボットに組み込まれたものとは、少し違っているようだ。ロボットの場合は、人間という別の種別に対しての危害であって、人間に埋め込まれたものは、「人間」という同種俗に対してのものだった。
香澄の時代の人間には組み込まれていないことを知ると、
「この時代の人に、俺たちの時代の人間と同じものが埋め込まれているとすれば、どうなんだろうな?」
と、彼は考えた。
彼が見つけた結論は、
「本当はこの時代の人の中になければいけないものなのかも知れない」
というものだった。
この時代の人間は、いわゆる「個人主義」である。
自分さえよければそれでいいのだ。ただ、それは、自分だけという意味ではなく、少なくとも自分の家族、あるいは、まわりにいる自分と仲のいい友人。少しずつ「自分」という概念が広がっていく。
つまりは、自分と利害関係のある人たちすべてさえ良ければ、それでいいという考えである。
義之の時代の人間は、発想は逆だ。
彼らの「人間」という考えは、「人類」という考えとイコールである。ただ、それも、個人差があって、確かに生まれた時に、誰もが同じような頭脳を埋め込まれるのだが、生まれてすぐなので、育っていく間、成長するにしたがって、環境の違いから、微妙な違いが見えてくる。
それは、きっと最初に開発した人たちからすれば、考えていなかったことなのかも知れない。
――だが、本当にそうだろうか?
誰もが同じようなことを考えている時代を開発者は望んだだろうか?
そう思うと、若干の個人差は最初から計算ずくだったのかも知れない。いや、個人差を生むようにわざと、
「生まれてすぐにしないとダメだ」
と進言したのは、開発者の方だったのだと思うと、自分の中で納得がいくのだった。
「人間」と「人類」という言葉の違いは、人間たちにとってよりも、本当はロボットの側からの方が悩む問題だったはずだ。
基本基準の第一条、第二条の「人間」という言葉を、「人類」と読み替えるという論議もあった。もちろん、ロボットの方も、混乱する。果たして、まだ結論も出ていないところで、人間同士も、「人間」と「人類」という言葉のニュアンスを考える時期を迎えたということは、世の中の変革時期も、発展しているということだろう。
だが、彼は人間が、「人間」と「人類」という言葉の違いを意識したのは、義之の時代からだと思っていたが、それが間違いだったことに、この時代にやってきて初めて分かった。
香澄と出会ったから分かったのか、それとも他の人と出会っていても同じだったのか、その判断とサイボーグの彼にさせるのは、無理なことだった。きっと、「堂々巡り」に入り込んでしまうに違いない。
義之の時代の人間が、「人間」と「人類」という言葉の違いを意識し始めたのは、自分たちの時代からだと思っている。
実際には、一部の学者と、政治家は知っていた。情報コントロールを行い、一般人に違う意識を植え込ませたのは、それなりに作為があってのことだが、それは、政治的なニュアンスもあるが、やはり再度、未曾有の大惨事を起こさせないようにするためのものだったのは疑う余地のないことだろう。
義之は彼に、
「余計なことを考える必要はないんだ。お前は香澄さんに近づいて、俺の先祖に何があったかを客観的に見てきてくれればいいんだ」
と命令していた。
絶対に服従しないことだが、それはあくまで、命令者が同じ次元にいる場合である。
時間を飛び越えるということが、義之にも彼にもどういうことなのか、漠然としてしか分かっていなかった。
「ただ、過去に遡るだけだ。パラドックスさえ起こさなければ、それでいいんだ」
と、簡単に考えていた。
義之は、
「どうしてパラドックスを起こす必要があるのか?」
と、時間を遡ることに対して、深く考えることはなかった。
義之は、本当はもっと用心深い人間だったはずなのに、なぜか、今回のサイボーグのタイムトラベルだけは、安易に考えていた。
――「人間」と「人類」の違いについて何も分かっていない――
という考えが、頭の中にあったからだ。
「分かっていないということは、考えても堂々巡りを繰り返すことで、感覚がマヒしてしまったのかも知れない」
と感じたからで、
「それなら、いっそ、何も考えなければいいんだ」
と思うようになった。
サイボーグに余計なことを指示せずに送り出したのもそのためだろう。それに、余計なことを頭に入れさせてしまうと、却って混乱すると思ったのだろう。彼を成長するサイボーグとして開発したのは、そのためだった。
「ひょっとすれば、サイボーグは、成長するにしたがって、身体はそのままでも、考え方や精神は、人間になってしまうかも知れないな」
とも思った。
義之はそれでもいいと思った。
元々、サイボーグが自分の期待した通りの結果を調査してくれなければ、こちらの時代に引き取らなくてもいいのではないかとも思っていたほどである。
「やつが、ロボット工学発展の礎になってくれるというのも、悪いことではない」
と考えた。
香澄の時代の人間を見ていれば見ているほど、「人間」と「人類」を同じものとして考えているようである。
個人主義の彼らには、「人間」も「人類」も、種族の一つとしての概念しかない。しかも、相当ドリルダウンして自分たちの考える単位にまで落とさなければいけないのだから、「人間」なんて概念は、
――しょせん、彼らが言う「神様」が創造したもの――
ということになる。
ロボットには、
「自分たちの創造主は、人間である」
ということがしっかりとインプットされている。それでいて、自分たちは人間に服従し、奉仕するための「便利な道具」として開発されたものである。
だから、「人間」と「人類」という概念は、ロボットにとっては、明らかに違うものなのだ。
「人類」というのは、あくまでも、動物、植物、ロボットのような「非生物」の中での分類にしか過ぎないが、「人間」というと、その解釈は、
「自分たちを創り上げた『創造主』ということになる」
と思っている。
実は、この考えは、ロボット基本基準の考え方とは異なっている。そのことを義之サイボーグは知らなかった。彼の考え方は、どちらかというと、人間に近い考え方である。他のロボットは、
「『人間』とは、自分を作った『創造主』であり、『人類』とは、『人間全体』というニュアンスである」
と、考えるように電子頭脳には組み込まれていた。
義之ロボットだけ、違った回路を組み込まれているわけだが、それには理由があった。
彼を、過去に送り出さなければいけないという問題があったからである。
過去には、自分たちの存在を違う感覚で感じている「人間」がいる。今まで自分たちの時代にいたサイボーグが、いきなり過去に向かうと、当然混乱を引き起こし、パニックに陥り、動作不能になるかも知れない。それは避けたいと思ったのだ。
香澄は、サイボーグが成長するには、少し困惑した性格の女性だった。
彼女の中には、「孤独」という概念はあったが、「寂しい」という感覚がなかった。義之の中には、確かに
――「孤独」が存在すれば、そこには必ず「寂しさ」が存在しているはずだ――
という意識があった。
香澄を見ていて、いきなり分からなくなったのである。
ただ、それは、彼だけが感じることではなかった。香澄の時代の、彼女のまわりにいる人たち皆が香澄に感じていることだった。それでも、同じ人間なので、
「本当に変わっているわね」
と言って、相手をしなければそれでいいだけだ。
「別に、性格が合わない人と、無理やり合わせることなんかしなくていいんだ」
というのが、人間の考え方だった。
サイボーグやロボットは、そうはいかない。相手がいくら理解不能な相手であっても、基本基準に伴って、時には助けなければいけないし、時には、命令には絶対に服従しなければいけない。意志を持っていれば、なるべく意志を感じないようにしないと、オーバーヒートしてしまいかねないという状況だった。
彼は、自分が成長していく中で、今まで感じたことのないものを感じた。
それが恋愛感情であることに気が付くまでに、さほど時間が掛からなかった。
しかし、なぜ女性に恋愛感情などを抱いたのか?
そして、なぜ、彼女なのか?
一体彼女のどこに感じたのか?
いろいろと考えてみた。
なぜ彼女なのかということが、一番簡単な理屈だった。それは、彼女が自分の一番そばにいたからである。そして意識している相手が彼女だったからである。
そもそも恋愛感情というのがどういうものなのかということを、彼にどうして分かったかということである。
それは、彼女の方も、彼に対して、恋愛感情を抱いたからである。
「相思相愛」
ロボットの「辞書」にそんな言葉はなかった。「恋愛感情」という言葉もない。もし、恋愛感情を抱いたとすれば、それは彼の創造主である義之が、彼にだけ違う回路を組み込んだこと、そして、あまりいろいろと知識を埋め込むことなく、成長を促すロボット、つまりは「発展途上」の状態で送り出したことが、その理由と言えるだろう。
そして、一番重要なのは、
――香澄が、他の女性とは違う――
ということだった。
香澄に最初に感じた思い、
「孤独は感じるが、寂しさは感じられない」
という感覚。
どうしても分からなかった。分からなかったから、必死で考える。考えると自分が堂々巡りに入ってしまうことを予見できた。
「さて、どうしたものか?」
このまま考えることをやめるのは簡単なことだった。
いくら、創造主の命令だとはいえ、
「余計なことを考える必要はないんだ。お前は香澄さんに近づいて、俺の先祖に何があったかを客観的に見てきてくれればいいんだ」
という簡単な命令を受けただけではないか。ロボットは、忠実にその言葉に服従していればいい。
――だが――
彼には、それだけでは我慢できないものがあった。
「香澄のことをもっと知りたい」
その思いは、香澄の中にあるのも感じられた。
お互いに見つめ合っているのを感じると、二人が一緒にいる両端に鏡が置かれていて、その姿が、永久的に写っていくのが見えているのを感じた。
それは、彼だけが感じたことではない。その瞬間に、香澄も同じことを考えていたのだ。二人は、その時に結ばれたことを確信した。
「あまりにも早すぎる展開だ」
と、他の人が見るというだろうが、それは人間同士の恋愛の場合である。相手がサイボーグとなると違ってくる。人間同士であれば、分かるところは分かっていても、それでいて駆け引きをしようとする。どうしても、そこに計算ずくという感覚が芽生えてくる。
二人は、その時、自分たちの種族を凌駕したような気分になっていた。
「神をも恐れぬ」
という言葉があるが、まさしくその通りだ。
だが、何しろ、ロボットと人間の初めての恋愛感情である。しかも、そこには、
「時代を超えた」
という言葉がついてくる。
実は、誰にも知られていないことだったが、本当は、香澄の時代と、義之の時代の間に、「ロボットと人間の恋愛」
という事実がなかったわけではない。公にされていないが、それには理由があった。
それは、
「サイボーグが過去に行って、人間と恋愛感情に落ちた」
という事実を、公にされなかったロボットと人間は知っていた。だから、
「自分たちが本当の最初ではない」
と思っていた。だが、それもサイボーグが未来から来たのでなければ、それでもよかったのだが、時代を超えていて、しかも、
「自分たちの時代をまたいでいる」
という意識があることで、頭が混乱してしまった。
「パラドックスに牴触してしまう」
という意識から、その時の二人は、公にはしなかったのだ。
もちろん、香澄とサイボーグとの恋愛も、公にはなっていない。それが公になっていく過程が実は存在するのだが、それは、またの機会のこととなる。
香澄をサイボーグに任せて、未来の義之は、沙織を意識し始めていたのだった……。
( 完 )
安全装置~堂々巡り②~ 森本 晃次 @kakku
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