第一章 動機なき容疑者たち(1)

 俺の悲鳴を聞きつけたのか、部屋に金髪の少女が飛び込んできた。

 サラサラの金髪に澄んだ碧の瞳。日本人離れした外見。

 この部屋の様子も、日本のものとはかけ離れているため、どこか外国で治療を受けたのかもしれない。

 それはいいとしても、何で女体なんだ?

「お嬢様、目を覚ましたのですね!」

「お嬢様……? いや違うぞ」

 きっと、治療での整形過程で女性のような外見に変えられてしまったに違いない。

 そう考えて、目の前の少女の間違いを正す。しかし少女は俺の胸に飛び込んできて、盛大に泣き始めた。

「よかった、お嬢様、無事……うぇ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

「ちょ、落ち着けって⁉」

 とはいえ、泣いてる子供を邪険にするわけにもいかず、そのままの姿勢で硬直してしまう。

 少女の容姿は一目で分かるほど整っていて、あと十年もすれば求婚者で溢れかえるのは確実だろう。

 そんな少女が顔をぐしゃぐしゃにして泣き崩れる様は、あまりにも不憫に思える。

 とりあえず落ち着かせるべく頭を撫でてやると、次第に泣き声も収まってきた。

 同時に、彼女が何者か、ここがどこかという疑問の答えが、脳裏に浮かんだ。

 まるで誰かの記憶を覗き込んでいるかのように……いや、これは間違いなく他人の記憶だった。

「セシル……?」

 その少女の名前を呼ぶと、胸の中の少女はこちらに縋るような視線で見上げてきた。

 しばしそのまま固まった後、バネ仕掛けの人形のように飛び退る。

「し、失礼しました、お嬢様。取り乱してしまいました!」

「それはいいんだけど……」

「すぐに旦那様に知らせて参ります! あとお医者さんにも!」

 こちらの答えを待つことなく、慌てて部屋を飛び出していく。

 せめて扉くらい閉めていって欲しかったが、それすら忘れるほど慌てていたのかと思い直して自分で閉めておく。

 ベッドから降りるため身を起こそうとするが、腕が震えて叶わなかった。

 どうやら身体が大きく衰弱しているらしい。

「鈍ったか……いや、違うな」

 事ここに至って、いつまでも現実から目を背けているわけにはいくまい。

 記憶の中には、まるで最初からあったかのように、他人の記憶が存在している。

 そしてこの身体は自分のモノではなく、この部屋も日本の物ではない。

 何より脳内にある知識のそれが、日本……いや、俺の知っている世界のものと大きく違っていた。

「現実世界以外の、他人の中に俺の意識が?」

 そうとしか考えられない事態だった。

 衰弱の原因も、記憶を探ってみればすぐに判明した。彼女はカルド王国のウィマー公爵家の長女であり、第三王子の婚約者であることが分かった。

 第三王子は次期大公を約束された身分で、王の下で王に次ぐ広大な領地を得る予定らしい。

 そこに嫁入りするわけだから、彼女を狙う者も出てくるだろう。

 そしてその心配は現実のものとなる。何者かに毒を盛られた彼女は倒れ……そして中身が俺として蘇ったわけだ。

「毒殺ね。ひょっとすると、彼女の精神は死んでしまった可能性もある、か?」

 肉体よりも先に彼女の精神が死に至り、そこに何が理由かは分からないが、俺の精神が入り込んでしまった、と。

 正直、原因はさっぱり分からないが、記憶からここが現実世界と全く違う世界であることは理解できた。

「幸か不幸か、俺も彼女も、いろんな意味で死に損なったわけだ」

 それははっきり言ってしまえば、幸運なことなのだろう。

 セラ・ウィマーには悪いが、俺だって死にたくはない。年若い彼女の精神を代償に生き延びてしまったことは慙愧の念に堪えないが、俺自身がそう願ってこうなったわけではない。

 非難されるべきは、彼女を毒殺しようとした輩であり、俺ではないはずだ。そう思うことにしよう。

「だけど……せめてものお返しに、絶対犯人を捕まえてやるからな」

 生き延びたとて、肉体自体は彼女の物だ。それを見た犯人がどう思うかは、想像に難くない。

 仕留めそこなったと知れば、確実にもう一度命を狙ってくるだろう。

 ならば、彼女が残してくれたこの身体くらいは、せめて守ってあげたいと思う。

「なら、まずは容疑者の候補を絞らないといけないんだが……」

 知識はある。人間関係などは思い出そうとすれば、脳裏に浮かび上がってくる。

 しかしそれは、実感を伴ったものではない。まるで映画や本の中の登場人物を眺めるような感覚で、どうにも実感を持てないでいた。

 もちろん刑事時代だって、容疑者と深い関係があったなどということはなかった。そもそもそんな捜査官は事件を担当させてもらえない。

 それは、私情から判断を誤り、捜査を混乱させる可能性を避けるためだ。

 それでも、実際に会って、目にして、話をした印象というのは侮りがたい。

 今回のように、実感の伴わない印象と先入観で容疑者を絞るのは、危険と言わざるを得ない。

「お嬢様、旦那様がお見えになりました」

 そこでドアが控え目にノックされ、前回とは違って落ち着いた少女の声が聞こえてきた。

 これがいつものセシルの対応というわけだ。

「どうぞ」

 返事と共にセシルがドアを開け、ウィマー公爵家の当主、ヘルマン・ウィマーが入ってくる。

 厳格ではあるが家族にはダダ甘な面がある彼は、俺――というよりセラが意識を取り戻したと聞いて、飛んできたのだろう。

「セラ、目を覚ましたそうだな」

「ええ、ご心配をおかけしました。ヘル……お父様」

 一瞬知識から父親を名前で呼びかけたが、ここはこう呼ぶのが普通だろう。今の俺は、セラ・ウィマーなのだから。

 ヘルマンも、澄ました顔で言葉を交わしているが、拳はフルフルと震えていた。

 しかも目が潤んでいるところを見ると、必死に涙を堪えているのかもしれない。

 その様子を見て、俺は彼を容疑者から外そうかと考えた。ここまで隠し切れない情の深さを見せられて、露骨に犯人扱いできるほど、俺も非情ではない。

 しかしそれはそれ、これはこれである。念のために無罪を証明してからでないと容疑者から外してはならないのは、捜査の鉄則だ。

「私はどれくらい意識を失っていたんでしょう?」

「もう一週間だな。医師は三日がヤマと言っていたのだが、よくぞ持ちこたえてくれた」

 極めて冷静を装ったセリフだが、語尾が震えているところがどうにも愛嬌がある。

 見かけは厳ついオッサンなのだが、どうにも甘えん坊な弟を想起させる。いや、俺に弟はいなかったのだが。

 扉の外で待機していたセシルが、澄ました顔のままドアを閉める。先ほどの狼狽ぶりを目にしているだけに、その澄まし顔が笑いを誘う。

 俺は思わず口元を綻ばせ、笑みを浮かべた。

「その様子だと、もう大丈夫なようだな」

「はい。少し身体に力が入りませんが」

「一週間も寝込んでいたのだから、無理もない」

「それで、今回の一件はどうなっているのでしょう?」

 俺としては最も気になる案件である。このまま犯人を放置しておけば、また命を狙われかねない。

「お前は病気で倒れたことにして情報を封鎖しておる。目を覚ましたことも今のところは内密にしているから、セシルと私、リチャードたちとノーラしか知らんだろう」

「よかった――」

 ノーラというのは、ヘルマンの妻――つまりセラの母親の名前である。公爵夫人としてサロンに出入りし、情報通ではあるが心の弱いところのある女性……という記憶があった。

 ともあれ、これでしばらくは身の安全は確保できるだろう。

 その間に犯人を見付けることができれば、一件落着となるはずだ。

「一応、お前とリチャード、アントニオを狙いそうな輩を候補に、密偵を送り込んでおる。もうしばらくすれば事件も収まるから、安心して回復に努めるといい」

「ええ、ですが……」

「どうかしたのか?」

「リチャード兄さんとアントニオ兄さんを狙う輩は、候補から外した方がよろしいかと」

「なに?」

 確かにあの場にいたのは、次期当主のリチャードと補佐のアントニオ。そして次期大公妃のセラだけだ。

 狙うとすれば、第一にリチャード、第二に俺というところだろう。

 しかし、リチャードとアントニオに関しては、あの場にいたのはほとんど偶然に過ぎない。

 俺が……というか、セラが気まぐれで『外で昼食』と言い出し、それを見たアントニオが駆け付け、彼を追ってリチャードがやってきたという流れである。

 ここで彼らを狙って毒を盛るというのは、限りなく難しい。

 俺がその旨を告げると、ヘルマンは顎に手を当てて考え込んだ。

「あの場で狙って毒を盛る、か。確かに二人を狙うのは難しそうだな」

「狙ったとすれば私、もしくは無差別。あるいはセシルを狙ったという可能性も、なきにしも非ずですが」

「セシルを?」

「はい。私が彼女を猫可愛がりしていることは、周知の事実ですし」

「………………いや、それはない」

 俺の発言をヘルマンは沈痛な表情で否定する。

 その言葉に俺は訝しげに首を傾げた。『記憶』によると、間違いなくセラはセシルを溺愛している。

 それこそ目に入れても痛くないという言葉通りに。

 しかしヘルマンは残念そうに首を振って、その理由を告げた。

「お前のその自覚のなさが、少々残念だ」

「どういうことでしょう?」

「セラ、お前は実によくできた子だ。公私をきちんと分けて行動しているのは、実に感心している」

「ありがとうございます」

「だがそれゆえに、セシルを人前では冷淡に扱っていただろう?」

「あっ」

 セシルは家族同然とはいえ、廃絶した貴族の子女である。婚約が決まったセラにとって、あまり仲が良いことを公言していい相手ではない。

 彼女を贔屓することで、断絶したセシルの実家を再興しようとする意志があると取られかねないからである。

 そこを自覚しているからこそ、人目のある場所ではセシルを空気のように扱っていた。

 まるでいないもののように。道具のように。

 そして人目がなくなるとセシルを抱きしめ、『冷たくしてゴメンね』『嫌いにならないでね』『大好き』と溺愛するのだ。

 セシルもそんな事情を察しているため、表ではあくまで従者として振る舞っている。そして猫のように抱きしめてくるセラに『私もですよ』と返していた。

 あの歳でそういった事情を理解できるというのは、さすが英才教育を受けているとしかいえない。

「そうでした、悟られないように行動していました」

「別に、表に出していいと思うがな。殿下が嫌な顔をするようなら、さすがに控えるように口出しさせてもらうが」

「いえ、そこはきちんとわきまえませんと」

 小さく咳払いをして、自分の失態をごまかしておく。

 それから事態を改めて考え直した。

「そうなるとセシルが狙われたという線は薄いですね」

「それに彼女は、もう関係者もほとんど残っていまい」

 セラの記憶によると、貴族というのは面子社会である。

 没落してしまった貴族は、それだけで平民以下の存在と化してしまう。なのでセシルの家族もすでに離散しており、関係者もほとんど表に出てくることはない。

 それに彼女も家名を名乗ることはしていないので、実家との関係を知られることも、ほとんどないはずだった。

 しかしこれは逆に、由々しき事態である証明となる。

「だとすると、狙われていたのは私ということになりますね」

「うむ。そうなると今のままの調査体制では問題があるな。すまないが私は仕事に戻らせてもらおう」

「ええ、私も少し疲れましたし、お気遣いなさらず」

「そういえばまだ病み上がりだったな。つい長居してしまったようだ」

「いえ。お見舞い、嬉しかったですよ」

 そう言うと愛想笑いを浮かべて、ヘルマンを見送った。

 彼は部屋を出る前に一度だけ振り返り、俺の胸元を指差す。

「それと、早く着替えた方がいいぞ。そのままだと風邪を引く」

「?」

 言われて自分の胸元を見下ろす。特に何も変わったところはない。少し冷たいだけ……

「ん?」

 ふと、冷たさに違和感を覚え、寝間着を持ち上げてみる。

 すると胸の下辺りの薄い生地が、ぐっしょりと濡れていた。

 どうやら先ほど、セシルに抱き着かれて号泣された際に、涙で濡らされたらしい。

 この生地だと、かなり透けて見えるに違いない。

 それをこのタイミングまで指摘しないとは……ヘルマン、実の娘の成長をじっくりと観察していたな?


 俺はセシルを呼びつけてから、彼女に手伝ってもらい、別の寝間着に着替える。薄い、ヒラヒラした寝間着にどうにも違和感を覚える。

 それよりも、今の調子だとヘルマンの調査の方はあまり芳しい結果が出ていないらしい。

 だとすると俺自身の力で、セラを守らないと危険かもしれなかった。

 その辺りの事情をセシルに話し、捜査方針を決めるべきだろう。その際に俺のことを伝えるべきかどうか……?

 しばしセシルの顔をじっと凝視したせいか、彼女は居心地悪そうに身悶えした。

「な、なんですか、お嬢様?」

「なんでも……いえ、そうね。少し話しておきたいことがある」

「?」

 彼女はセラ付きの侍女で、常に彼女に付き従っていた。

 しかも目を覚ました時の狼狽ぶりからすると、心の底からセラを慕っているのが俺でも分かる。

 そんな彼女に四六時中そばにいられて、騙し通せる自信が俺にはなかった。

 何より一途にセラを想う彼女に嘘をつき続けるのは、俺の良心が咎める。

 結果として、彼女だけには真実を話しておこう、そう決意した。

「セシル。驚かないで聞いてくれ……というのは無理か」

「え、なんです? っていうか、なんだか口調がおかしいですよ?」

「それを含めて伝えたいことがある。これは本当に謎の現象なんだが――」

 そうしてセシルに、自分が別世界の日本という国の竜胆善次郎という刑事であったことや、なぜかセラの中に入り込んでしまったことを伝えた。

 最初セシルは『何の冗談?』という顔をしていたが、俺の口調や仕草の違いから、それが真実であることを理解し始めた。

 事実を受け入れ、驚愕の顔を浮かべて悲鳴を上げそうになる彼女の口元を、俺は慌てて押さえる。

 この事実はセシルだからこそ打ち明けたものだ。もしヘルマン辺りに知られた場合、愛娘の中に潜り込んだ悪魔として悪魔祓いのような者を呼びつけられかねない。

 何より、自由に動くことを禁じられ、幽閉される可能性もあった。

 命を狙われている現在、そうなることはできれば避けたい。最低でも、自由に動けるようになるまでは身の安全を確保しておきたかった。

「静かに! もしこれがヘルマン辺りに知られたら、幽閉一直線だ」

「もご、むぐっ」

「大きな声を出さないって約束してくれるか?」

 俺の言葉に、セシルはしばし思案した後、小さくこくりと頷いた。

 その反応を確かめてから、俺はゆっくりと彼女の口元から手を離す。

 セシルは俺を見上げながら、まるで敵を見るかのような、憐れむような、複雑な視線を向けている。

「その、俺もどうしてこうなったのか分からない。それにどうやれば元に戻れるのかも分からないんだ」

「お嬢様をお返しいただくことはできないんですか?」

 この期に及んでも丁寧な口調を心掛ける彼女に、俺はかなり感心した。

 それは、彼女にとっては仇と取られてもしかたない俺を、冷静に見ている証拠だからだ。

 こんなに幼いのに、状況を冷静に見られるのは驚きだった。

「ああ。それに多分、これは彼女が望んだことなんじゃないかと、俺は思っている」

「セラ様が?」

「俺の記憶によると、セラは毒殺を企まれ、倒れた」

「はい。私が付いていながら――」

「知らずに給仕していたのだから、止めるのは無理だよ。ともかく、その時彼女は自分の状況を把握したはずだ」

「ええ。お嬢様は冷静沈着で賢明な方ですから、おそらくは」

「そして彼女は考える。自分が助かるためには、どうすればいいか?」

 そこでセシルは小さく首を傾げた。その結果がどうして俺を取り込むことになったのか、把握できなかったからだ。

「セラは多分、自分を癒やすために全力を尽くしているんじゃないかと思う。そしてその間、自分を守るための存在を欲した」

「お嬢様は生きていらっしゃるのですね⁉」

 飛びつくように俺に向かって乗り出してくるセシル。未知の存在である俺にそれだけ近付くのだから、彼女のセラへの愛情の深さが窺える。

 俺は彼女の期待に満ちた目に大きく頷いた。

「確証は持てないが、多分。俺が彼女の記憶を辿れるのが、その証拠じゃないかな?」

 記憶とは脳に刻まれるのか、心に刻まれるのか。その事実がどうなのか、俺には分からない。

 しかし俺は、記憶とは別にセラの感情まで正確に知ることができていた。

 それは彼女の心まで知覚している証拠なのではないか?

 最初俺は、セラは死んだと考えていたが、ヘルマンやセシルに対する感情を知ることができたため、その考えを改めていた。

「そしてもう一つ、彼女は自分に毒を盛られたことを知り、犯人を捜そうと考えた。それができる存在を呼び込んだ結果……」

「リンドーさんがお嬢様の中に?」

「その可能性もあると、俺は考えている」

 セシルは俺をリンドーさんと呼んだが、そのどこかたどたどしい口調は、やはり日本人ではないと明確に俺に理解させる。

「この状況でセラが生き延びたと犯人に知られた場合、確実に次の機会を狙ってくるはずなんだ」

「その間、無防備なお嬢様を守れる存在、そして犯人を見付けることができるかもしれない存在。それがリンドーさんだと?」

「そうだ」

 かなりこじ付けなのかもしれない。そもそもセラの生存すら明確ではない状況だ。

 それでも俺は、そうあって欲しいと考えていた。

「つまり、事件が解決すれば、お嬢様は戻ってくると?」

「可能性の一つではあるけどな」

「……そうであるなら、私はあなたに協力します」

 キッと強い視線を俺に向けるセシル。彼女の敬愛する主人を取り戻すための覚悟が、そこには宿っていた。

「ああ、最初からそれをお願いしたくて、事実を明かしたんだ」

「ならいいですけど」

 どこかツンとした口調で、彼女は告げる。まぁ、俺は主に寄生している謎の存在なわけだから、この対応なのもしかたない。

「あ、お嬢様が戻った場合、リンドーさんはどうなるのです?」

「それは……多分だけど、死ぬんじゃないかな。今度こそ」

「あなたは、それを受け入れるのですか?」

「しかたないさ。こんな幼い子供が死ぬよりは、よっぽどいい」

 俺だって死にたいわけじゃないが、公僕として市民を守ることを常日頃から心がけていた。

 未成年の、それも飛び切りの美少女を身代わりにして生き延びることは、俺の本意ではない。

 そこを捻じ曲げてしまうと、俺の人生の意味が霧散してしまう気がしたからだ。

「というわけで、今回の事件で疑わしい人を捜そうと思ってる」

「リンドーさん自ら、ですか?」

「ああ。セラが生きていることが犯人に知られると、もう一度命を狙われる可能性があるから、先手を打たないとな」

「それは……確かに」

 セシルは怯えたように、身体を震わせる。どうやらセラが倒れた時の様子を思い出したらしい。

「それを確実に避けるためには、犯人を見付けてしまうのが一番早い」

「事実ではありますけど、危なくないですか?」

「もちろん危険はある。だからいくつか用意して欲しい物がある」

「用意?」

「それとあの時、セラに毒を盛れたのは、屋敷内にいた者に限る。悲しい話だけど」

「そんな……いえ、でも……」

 否定する理由が思い浮かばなかったのか、セシルは言葉を濁す。

 そんな彼女の頭を優しく撫でてやりながら、俺は言葉を続けた。

「もちろん、家族まで疑うのは苦しいことだ。でもそれは、家族を容疑者から外すための作業に過ぎない。疑って、それでも違うと確証が得られたなら、安心できるだろう?」

「そう、ですね。分かりました」

 強引に納得させたセシルに、当時の屋敷内にいた者をリストアップしてもらう。

 それを紙とインクを使って書き出していく。慣れない羽根ペンに四苦八苦しながら。

「リンドーさん、この文字は?」

「ん?」

「見たことがない文字ですね」

「ああ」

 いうまでもなく、ここは日本とは違う世界。使う文字も日本語ではない。

 今の俺はセラの記憶も持っているから、異世界の文字も書けなくはないが、どうしてもこちらの方が馴染みがあった。

「俺の故郷の文字だよ。海外の人から見たら暗号みたいだとか言われていたな」

「暗号なんですか、凄いです!」

「暗号じゃないんだけど」

 そういったことに憧れる年頃なのか、セシルは目を輝かせて身を乗り出してくる。

 俺も子供の頃は、スパイグッズとか欲しかったなぁ。

「まずは家族。ヘルマンとノーラ、それとリチャードとアントニオ。それに俺……じゃなくてセラ」

「え、お嬢様も?」

「一応ね。あとセシル」

「わ、私は使用人枠では?」

「セラは家族も同然って思ってるよ」

「ありがとう、ございます」

 また目を潤ませ出したセシルの頭に手を置き、気を落ち着かせた。再び泣き出されたら困る。

「とにかく、まずはヘルマンから考えてみるとしよう」

「はい」

 紙にヘルマン・ウィマーと名前を書き、動機面を考察していく。

「セシルはセラが死んだとして、ヘルマンが何か得することがあるか、知ってる?」

「旦那様はそんなことしません!」

「それは俺も信じている。けど、したと仮定しての話だよ」

「仮定?」

「そう。例えばノーラや大事な人が人質に取られていた場合、俺を害する可能性はゼロじゃないでしょ」

「そんなことが――」

「あくまで例えばの話だけどね」

 状況次第では、その可能性もある。そう指摘されたセシルは口元に手を当てて思案に耽る。

 たっぷりと数分考えた段階で再び口を開いた。

「それでも、やはり旦那様はしないと思います。メリットよりもデメリットの方が大きい。というか、デメリットしかありません」

「そんなに?」

「はい。お嬢様はすでに第三王子殿下と婚約なされています」

「うっ――」

 考えてみれば、この身体の持ち主は公爵令嬢。俺から見ればまだ若いと思えるのだが、この世界ならすでに婚約くらいしていてもおかしくはないらしい。

 もしこのまま、中身が俺のままだとしたら……その末路は想像もしたくない。

 死にたくはないが、男に迫られるくらいなら、早々にセラに身体を返そうと心に決める。

「第三王子殿下は王族の方ですが、王位継承権はそう高くありません。このままだと大公に任じられ、要職を務め領地を貰うことになるかと思います」

「大公がそんなにポンポン出て大丈夫なのかね、この国」

「大公は一代限りの名誉爵位ですから。後継者は公爵か侯爵辺りに落ち着くので、それほど数は増えませんよ」

「それなら大丈夫……なのかな?」

「ともあれ、そういった権力者と繋がりが持てるのですから、むしろ今の旦那様にとって、お嬢様はぜひ生きていて欲しい人材のはずです」

「なるほど、じゃあ動機面でもヘルマンはクリアーというわけだ」

「どーきめん? くりあぁ?」

「俺を狙う理由がないってこと」

 俺の言葉に安心したのか、露骨に安堵の表情を浮かべるセシル。

 この表情だけで、彼女がどれほどウィマー家を大切に思っているかが分かる。

「じゃあ、ノーラはどうかな?」

「奥方様ですか?」

 一応俺の脳内にも、セラとしての知識が詰まっている。

 しかしそれはあくまで知識であり、実感を伴っての話ではない。

 ここはやはり、実際に一緒に生活してきた彼女の言葉の方が、真実味がある。

「そうですね、奥方様は旦那様よりも可能性が低いかと」

「なぜ?」

「ウィマー家の実権は旦那様がしっかりと手綱を握っていらっしゃいます。奥方様はそこになにか干渉できるような発言力はありません」

「ふむふむ?」

「ですから、お嬢様を害して利益を得るという場面が思いつきません」

「じゃあ、ノーラも可能性がないのか」

「ええ、間違いないかと」

 この国は女性もそれなりの仕事につけはするが、やはり男性優位の構造であることには違いがなさそうだ。

 この世界くらいの時代というのは、どこの世界でも女性の立場が弱いことが多い。

「次は兄たちか。リチャード兄さんはどうかな?」

「リチャード様は……うーん、あまりお話ししたことがないのですが……」

「セシルが我が家に来た時には、もう学院に通っていたからね」

「はい。それに勉学にも熱心で、いつも書斎に籠もっておられますから」

「悪いことじゃないけど、こういう時は少し困るな」

 悩むセシルを見て、ふと彼女の重心が小刻みに左右に揺れていることに気が付いた。

 そういえば結構長く話し込んでいる。その間、セシルは立ちっぱなしだった。

 幼い体力では、結構きつい姿勢なのかもしれない。

「セシルも椅子に座ったら?」

 この部屋にはベッドの横にサイドテーブルがあり、そこで看病していた名残か低めの椅子が置かれている。

 セシルはちらりとそちらに視線を向けると、どこか残念そうに首を振った。

「いえ、私は侍女ですから、これくらいは」

 そう言いつつも、先ほどの残念そうな顔が気にかかる。

 もう一度椅子に視線を向けると、その理由が分かった。

「ああ、身長が足りないんだ」

「ううっ、あの椅子が小さいからで、決して私が小さいわけでは……」

「セシルは充分小さいからね?」

「あうぅぅ」

 セシルは年齢のわりに少し小柄で、ベッドサイドに置かれた椅子では机の上を見るのはつらそうだった。

 おそらく机の上には頭しか出てこないはずで、その状態で考察するのは無理がある。

 悔しそうなセシルの様子を見ていると、ふと前世の自分を思い出した。

 年齢は三十をとうに超え、同期の中でも結婚していった者も多い。中にはすでに子供を作っている者だっていた。

 俺も早々に出会いに恵まれていれば、セシルくらいの子供がいてもおかしくはなかった……はずだ。

「しょうがないなぁ」

 俺は隣に立つセシルの腋に手を差し入れ、そのままヒョイと膝の上に乗せる。

 自分の子を膝の上に乗せて、勉強の面倒を見る。それは男なら一度は夢見る光景ではないだろうか?

 持ち上げられた時はなにごとかと驚いていたセシルだったが、膝に乗せられてからは借りてきた猫のように大人しくなった。

 いや、これは硬直しているのか?

「おおおお、お嬢様、これは⁉」

「ここなら机の上も見えるでしょ」

「いや、確かに見えますけど!」

「なら続きを。リチャード兄さんに動機はあるかな?」

「お嬢様はもう少し恥じらいを持つべきですっ」

 膝から飛び降りようと、じたばた暴れるセシルの肩を押さえる。

 その結果彼女を抱きしめるような形になってしまったが、これは不可抗力だ。ヘンに暴れられると膝から転げ落ち、床に頭をぶつけるかもしれないのだから。

 確かにセシルの年齢で膝に乗せられるというのは屈辱かもしれないが、そうしないと見えないのだからしかたない。

 前世ならこんなことすればセクハラと騒がれたかもしれないが、今の俺は彼女と同性。この程度の接触なら騒がれることはないと思ったのだが……

「そ、それよりリチャード兄さんに関して」

 俺は自分の判断ミスをごまかすように、セシルに先を促す。

 どうしても嫌がるようなら下ろすしかないか、とか考えていたが、セシルはそのまま動きを止めると紙面を見て思案した。

「は、はい……リチャード様は知識だけの話になってしまい恐縮なのですが、やはり可能性は低いと思われます」

「それはどうして?」

「旦那様とほぼ同じです。リチャード様は次期当主ですし、旦那様もリチャード様が二十歳になれば、爵位を譲ると公言されていますから」

「それは早くないかな」

「確かに当主となるには早いと思いますが、それが可能なほどリチャード様は優秀な方らしいので」

「次期当主の兄と、大公に嫁入りする妹か。確かに死なれる方が損だな」

「ですよね」

 膝の上でモジモジと動きながらも、セシルは肯定する。

 次期当主であるということは、現当主のヘルマンとほぼ立場が重なっていることになる。

 動機面で見るなら、彼も白と見て間違いないだろう。

「では、最後にアントニオ兄さんだけど」

「アントニオ様は……正直『ない』と思う」

 俺の疑問に、セシルは即答で返す。その感想に俺も同意だった。それにしても、セシルが敬語を忘れてしまうくらい、アントニオのイタズラ好きは知れ渡ってる。

 セラの知識では、アントニオを一言で表すなら『ヤンチャな脳筋』だ。

 運動好きでイタズラ好き。頭を使う作業は嫌いだが、苦手ではない。ただ自分から進んでそういう作業をしようとは思わない。

 イタズラ好きなのも、あまり深く考えない享楽的な性格の発露だろう。

 それゆえに当主には向いていないが、それは本人も自覚しているらしく、リチャードの補佐として生きる道に納得しているようだった。

「まぁ、アントニオ兄さんに関しては、俺も『ない』と思うかな」

「ですよねぇ」

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