第二章 自衛のための下準備(2)


 俺が休息を取り、どうにか体力が回復してきたところで、騎士たちがランニングから帰ってきた。

 二十キロを超える距離を走ってきたというのに、軽く汗をかいている程度というのだから恐ろしい。

 この世界の身体強化は、かなりの恩恵を与えてくれるようだった。

 それほどの強者たちの訓練ともなれば、さぞ激しいものになるだろう。俺はそんな期待に胸を膨らませながら、彼らの訓練を見学することとなった。

 結果として、俺の期待は見事に裏切られることとなった。

 これは騎士たちの名誉のために言っておくが、決して彼らの訓練が生温いものだったというわけではない。

 むしろ日本基準で考えれば、いつ死傷者が出てもおかしくないほど、激しいものだった。

 まずは無手での組手。彼らは膝を蹴り、肘を打ち、喉を抉るような、日本の武道では禁じ手となるような攻撃を平気で放つ。

 しかし騎士たちは、それを受けても平然とした顔で立ち上がり、あまつさえ笑顔で『今のは良い攻撃だった』などとのたまう始末だ。

 これも全て、身体強化の恩恵である。

 攻撃に身体強化を使わず、防御だけに身体強化の魔術を使っているため、どれだけ激しい攻撃を受けても、受け切れてしまう。

 激しい拳打の連撃を受けても平然と立ち、無防備に近付く姿は、映画で見た未来から来た殺戮用アンドロイドを彷彿とさせる。

「なんか……ちがう」

「どうかしましたか、リンドーさん?」

 ベチベチと激しい拳打を浴びせかけられても、笑顔で立ち上がる騎士たちを見て、俺は思わず素直な感想を漏らした。

 騎士の訓練というと、もっとこう、ストイックなものを連想していただけに、実に拍子抜けである。

 かといって、これに一般市民が参戦した場合、一瞬でミンチになるから注意が必要だ。

 この世界に様々な恩恵を与えてくれる魔術も、使う者によってレベルの差が出る。

 例えば、一般人が放つ火の魔術はせいぜい焚き付けに火を着ける程度のものだが、騎士たちが同じものを全力で放つと、火炎放射器に匹敵する火力になる。

 もちろん騎士たちにも個人差は存在するが、その威力は一般人と比較にならないのは確かだ。

「いや、凄いことは凄いんだけど、もっとこう、技の掛け合いとかそういうのを想像してたから」

「ハハハ、それは民衆が想像する戦いの姿ですな」

 俺の言葉を聞き付けたのか、隊長が答えを返してきた。

 そばでセシルが慌てて、両手で口元を押さえているのは、うっかり俺の名前を呼んでしまったからだろう。

 どうやら隊長はその名前は聞いていなかったらしく、俺の疑問に淡々と答えていた。

「戦場の中では、技を仕掛ける暇はほとんどありません。魔術を放ち矢を放ち、そして接近戦に持ち込むわけですから、状況はほとんど突撃のぶつかり合いに近いです」

「なるほど、足を止めての駆け引きをする余裕がない状況というわけですね」

「はい。それに一人を倒したとしても、すぐに次の敵が現れます。戦場でものをいうのは、やはり一撃で敵を打ち倒す攻撃の重さと、それを受け止める防御力になります」

「真理……ではありますね」

 技というのは結局のところ、力の効率化である。野生動物が技を持たぬように、圧倒的強者は技を鍛えない。

 それよりも肉体的能力を高める方が、安定して強くなるからだ。

「さすがにお嬢様にあの中に交ざれとは言えますまい。まずはこちらで訓練を積んでみるのはいかがでしょう?」

 そう言って隊長が差し出してきたのは、柄に拳を守るためのガードが付いた短剣だった。

 ボールを四分の一に切ったような鉄板が柄に取り付けられていて、拳を守る構造になっている。

「これは?」

「マインゴーシュという短剣ですね。主に左手に持って盾の代わりに使う短剣なのですが、お嬢様なら右手に持つのがいいでしょう」

 セラは身体強化の魔術は使えない。もちろん俺も使えない。だからあの訓練に交ざることは不可能だった。

 それを察して隊長は短剣での訓練を申し出てくれたのだろう。

 護身術と聞いて護身用の短剣を持ってきてくれる辺り、実に気が利いている。

「い、意外と重いですね」

 マインゴーシュを受け取った俺は、その意外な重さに目を白黒させた。

 短剣と言っても訓練用の物で、刃は柔らかい鉛でできており、さらにクッションを巻き付けて安全性を確保している。

「ええ。クッションを巻き付けている分だけ刃は短く造ってあります。重さも鉛で調整し、実際の短剣と同じ長さ、バランスになるようにしていますから」

「なるほど」

「それにマインゴーシュは護拳が付いている以上、普通の短剣より重くなります。身体強化が使えないお嬢様なら、利き腕でないと扱いきれないでしょう」

「それで右手に持てと……」

 右手で持ってみると、確かに振るにはちょうどいい重さになった。

 それはつまり、セラの筋力が他者の左手並に弱いという証。その事実に俺は、思わず眩暈がしそうになる。

 前世では筋力を鍛えるために、竹刀を片手で振って鍛錬していたというのに。

「基本的な構えはこうです。やや半身に構え、マインゴーシュを前に。これは盾を構える時と同じですね」

 隊長は基本的な扱い方を教えてくれた。左右の違いはあっても、使い方はほとんど変わらない。

 基本的に身を守るための扱いなので、攻撃に関しては一切考えてない。

「やはり致命傷となるのは心臓と首です。そこを主に護るよう、肩の高さに……ああ、それでは視界が塞がってしまいます」

 俺の構えを微調整してくれる隊長。そんな俺の横で、セシルも同じように構えて自己鍛錬していた。

 その様子がまるで、親猫の真似をする子猫のようで微笑ましい。

 鼻息荒く『むん!』とか気合を入れているところとか、狙っているのではないかという愛らしさである。

 その後、隊長から構え方や基本的な動き方を教授され、続いてセシルと模擬戦を行うことになった。

 結果はいうまでもなく、俺の惨敗である。

 セシルは身体強化の魔術が使えるし、なによりセラの運動能力が低過ぎた。

 しかも病み上がりで、体力もない。勝てる要素が全く存在していなかった。

「お嬢様、大丈夫です?」

「いたたた、すでに筋肉痛が……」

「お若いですなぁ。私なんて筋肉痛は三日遅れで来ますよ」

「そういう問題?」

 俺たちの恰好にも慣れてきたのか、隊長は気安い態度で話しかけるようになっていた。

 そもそも自分の職分に素人が顔を出すというのは、あまりいい気持のするものではない。

 しかし熱意を持ってそれを学ぼうとする態度には、好感が持てるというものである。

「ここまで熱心に鍛錬なさるとは、どうやらお嬢様は本気で武術を学ぶおつもりらしい」

「ええ、まぁ」

「やはり……お命を狙われていらっしゃるというのは本当のことで?」

 一転して、隊長は鋭い視線を俺に向けてくる。

 毒殺されそうになったことは公にはされていないが、この屋敷の中にいる限り、いずれは誰の耳にも届く噂だ。

 そしてそれは、彼の職分を侵す事態でもあった。

「申し訳ない。あなたたちの護りを疑っているわけではありません。ですが四六時中、騎士と同席するわけにもいきませんので」

「女性の騎士も、一応在籍しておりますが」

「トイレまで一緒に?」

「それはさすがに……いや、なるほど。理解しました」

 たとえ同性であっても、護り切れない場所は存在する。その事実を知らされ、隊長は顎に手をやって思案する。

「ならば狭い場所での戦い方も指南した方がよろしいですな」

「え、今から?」

「できれば……ですが、今日は無理そうですね」

「アハハ、面目ない」

 すでにセラの手足はプルプルと震え、まるで生まれたての小鹿のような有様である。

 俺は体力の限界に達し、愛想笑いを浮かべてその場にへたり込んだ。

 隊長はなぜかその場で一瞬硬直し、それからそそくさと騎士たちの指導へと戻っていった。


 その後、俺たちは屋敷に戻り、身体を休めるために風呂へと向かった。

 公爵家の屋敷であるウィマー公爵邸は、かなりの人数が入れる大浴場が設置されている。

 独自の水源を敷地内に持つ、大貴族ならではの贅沢らしい。

 いつもはウィマー家の家人が先に入り、その後使用人たちが交代で入ることで汗を流している。

 この大浴場を利用できることが、この屋敷に勤める使用人の密かな自慢らしい。

「それにしても、よく頑張りましたね、リンドーさん」

 俺の世話をするために、セシルも一緒に入浴している。

 うら若い少女がはしたないと思わなくもないが、今の俺は同性だし、セシルも俺が元男性という意識は少ないようだ。

 元の俺を見たことがないのだから、無理もないのかもしれない。

「そんなにセラの身体は体力がないのか?」

「ええ。それ以外は完璧なお嬢様なのですけど……」

 少しバツが悪そうな顔で、セシルは俺の手足を揉み解す。

 温かい湯の中で手足を揉まれ、強張った筋肉が解れていくのを感じる。

 と同時に、激しい眠気も覚えていた。

「記憶によると、平時からかなり気を張っていたみたいだな?」

「はい。第三王子との婚約が決まってからは、特に」

「王族との婚約か……俺には想像もできないけど、こういった世界では重責なんだろうな」

「もちろんですよ」

 日本でいうと、皇族の方と婚約するようなものだろうか? そう考えると理解はできるが想像はできない。

 そもそも性別から立場から、俺とセラでは違い過ぎる。

 この若さでその重責を担い、挙句毒を盛られるとはあまりにも不憫に思える。

「そういえばセシル。あの時の食事で水に酒が入っていたように思えるんだが?」

 どうしても解決してやりたい。そう思って事件を回想していたら、妙なことに気が付いた。

 セラが口にした水に酒精の香りが混ざっていたことだ。

 彼女はまだ成人しておらず、酒を口にする機会はない。そんな彼女の食事に酒精の香りのする水というのはおかしい。

 しかしセシルは俺の疑問に、不思議そうな目で返す。

「なぜです? 貴族様のお屋敷では普通ですよ」

「なぜ貴族の屋敷では普通なんだ?」

「あー、リンドーさんの故郷ではお水はそのまま飲めるんですか?」

「そりゃあ……そうか、飲める国の方が少ないか」

 現代においても、水道水を直接飲める国というのは、実は少ない。

 日本の徹底した品質管理があるからこそ、水道水を直接飲める水質を維持できている。

 しかしそれは、意外と知られていない事実でもある。

 この世界では水の衛生管理はそれほど厳密ではないのだろう。

 ならば、直接飲めないことも考慮すべきだった。

「少なくともこの街では水は貴重です。魔術で多少生み出せると言っても、一日に飲む量には程遠いです」

「そうだろうな」

 街中で作れる水はせいぜいコップ一杯分だと聞いていた。

 一般的成人が一日に必要な水分は二リットルほどと聞いたことがある。

 その差は井戸などの水源から摂らねばならないだろう。

「飲み水などをいちいち井戸まで汲みに行くのは手間です。だから一般家庭では水瓶にまとめて貯めておくのが普通です」

「まぁ、そうなるわな」

 日本でも飲用水を水瓶に貯める風習はあった。

 というか、そうでないのは、上水道の整備された江戸くらいのものではなかろうか?

「水は澱むと腐ります。水瓶に汲んで放置したままだと傷んでしまいます。それを口にしたら凄く危ないです」

「それは分かる」

「だから消毒も兼ねて、ワインなどのお酒を水瓶に混ぜるんですよ。そうすると腐敗を防ぐことができますから」

「水のアルコール消毒ってわけか」

「もちろん、貴族さまのお水の場合、もっと高級なお酒が使われますけどね」

「それであの時の水にはアルコールが混じっていたのか」

「そういうことです」

 あの時の疑問は氷解したが、事件の解決にはあまり意味がないこの世界の常識だった。

 事件解決は足踏みしたままという事実を突き付けられ、俺は湯船の中で手足を伸ばす。

「あー、全然進展しねぇ」

「セラ様の身体ではしたない真似しないでください」

 湯船で手足を伸ばしてそのままプカリと浮き上がる。それを見て、セシルは眉を顰めていた。

 しかしこの湯にたゆたう感覚というのは、非常にリラックスできて気持ちがいい。

「そう固いこと言わないで、セシルもやってみ」

 少女と入浴という前世なら有罪一直線なシチュエーションではあるが、今の俺は女性の身であり、しかもセシルは成長が遅いため、劣情を抱くに至らない。

 むしろ娘を風呂に入れている気分になるため、心情的にも癒やされるという状況だ。

 多少の不作法も許される気がしていた。

 そんな俺の堂々とした姿に、セシルもそんなものかと思ったのか、湯に浮かんで俺の真似をする。

「ふあぁぁぁあああふぅぅぅぅ」

 クラゲのように浮かぶセシルから、まるで吐息のような声が漏れていた。

「さすがに他の使用人と一緒だとできないけど、俺と一緒の時くらいは羽目を外してもいいよな」

「ま、まぁ、リンドーさんがどうしてもと言うなら、ご一緒してあげないこともないですよ」

「言ってくれるなぁ」

 さらっと俺のせいにする辺り、彼女もなかなか口が上手い。


 風呂から上がった俺は自室に移動し、セシルに運動服の改良を命じておいた。

 主に脇の無防備さは懸念事項である。前世での俺なら上半身裸でも問題ないが、さすがにセラの身体であの露出は問題があった。

 特にセラは成長が良いため、胸の先端などが擦れて、麻の貫頭衣では非常に痛い。

「というわけで、まずは脇の部分を腕が出せる分だけ残して縫い留めよう」

「そうですね。急務です」

 キリッとした顔で同意しているセシルだが、その顔がほのかに赤い。

 彼女に至っては、昼間に胸をフルオープンしてしまったのだから、露出の防御力強化は喫緊の課題だろう。

「それと麻は風通しが良くて良いんだけど、生地の感触が少し粗い」

「確かにそんな感触でしたね。でも絹だと耐久性に疑問がありますし、羊毛では暑いですから……」

「うん。だから運動着はそのままで、下に着込む下着を作って欲しい」

「下着ですか、コルセットみたいな?」

「あんなにギチギチに締めたら動けなくなるだろ。寝間着の丈が短いような感じで」

「ふむふむ?」

 元々ある寝間着を使う分には、それほど手間はかからないだろう。

 それと今日の訓練で分かったことがある。それは……

「セラの身体、ポンコツ過ぎない?」

「失敬な! お嬢様が運動までできたら、完璧過ぎて私が失神してしまうじゃないですか!」

「いや、それはちょっと色眼鏡を外そう?」

 セシルの忠誠は、もはや妄信のレベルにまで達しているようだ。

 ともあれ、今のセラの運動能力では護身どころの話ではない。

「まぁそれはそれとして、すぐにでも武器の調達が必要だと感じたわけだ」

「それに関しては私も同意します。セラ様の美しい肌が傷付いてはいけませんし」

「一応、護拳付きの短剣だから、可能性は少ないと思うけど」

 訓練後、騎士隊長がマインゴーシュを一つ、俺に譲ってくれていた。

 セラの記憶によると、貴族たちが身に着けているような華美な物ではなく、実用本位の装飾の少ない武骨な品だった。

 護拳部分にも細かな傷が残っていたため、隊長本人が使っていた物かもしれない。

 そう考えると、セラは彼らからも愛されていると把握できた。

 屋敷の外では友人はいないが、屋敷内において彼女は非常に愛されている。そんな彼女を毒殺しようとする内部の者となると、非常に数が少ない。

 少な過ぎて目星が立たなくなるほどだ。困ったものである。

「なんにせよ、いろんな道具は欲しいから一度街に出る必要はある。錬金術師の目星はついたか?」

「ええ。ちょうど腕のいい錬金術師が領都ゼーンに居を構えているという話を聞きました」

 領都ゼーンとは、このウィマー公爵領の首都とも言える街だ。

 そして屋敷から最も近い街でもある。王都にも引けを取らない巨大な都市で、様々な人や物が行き交っている……らしい。

 セラの記憶によると、だが。

「じゃあ、街に出るための服も用意して欲しい。町娘に見えるような、地味なやつで」

 セラの持つ服はドレス以外にも存在するが、彼女を溺愛する家族が用意した物が大半のため、総じて品質が良い。いや、良過ぎる。

 髪型を変えているので、セラであることは一目で分からないとは思うが、それでもそんな服を着ていた日には悪目立ちしてしまう。

 誰に狙われているかも分からない状況で、街のごろつきにまで目を付けられるのは避けたかった。

「地味な物ですか?」

「そう。セシルが着てる服みたいな」

「これはお屋敷で支給される給仕服なんですけど」

「そんなのでいいんだ……ん?」

 言われてセシルの給仕服をよく見てみると、こちらも非常に仕立ての良い物だった。

 生地こそ丈夫さに主軸を置いていたが、縫製の強度などは一目見て物が違う。騎士たちの訓練服より遥かにしっかりとしている。

「えーっと、町娘に見えるような服を、俺とセシルの二人分な」

「私もですか⁉」

「買い物行く時もその服で行ってるのか?」

「ええ、そうですけど」

「よく今までごろつきに目を付けられなかったな……」

 これだけいい服を着ているとなると、金目当てのごろつきが絡んできてもおかしくないはずだ。

 しかしセシルはそんな俺の危惧を軽く笑い飛ばす。

「まさか。このウィマー公爵領で、お屋敷の人間に手を出すような無頼漢はいませんよ」

「そうなのか?」

「はい。もしそんな事件が起きたら、騎士団が全力で殲滅しに向かいますから」

「ヘルマン、こえぇ……」

 どうやら彼の愛情は、セラだけでなく、屋敷全体の使用人にも向かっているらしい。

 愛情深くて大変結構だが、だからこそ今回の一件で『やり過ぎ』ていないか心配になった。

 まぁ、セラの命に関わることだから、ここは多少の無茶も流しておくとしよう。

「旦那様が怖いというより、しっかりと街を掌握されているというべきですね。薬物に関しても、毒なんかはお役所で管理されているはずですし」

「なのにセラは毒殺されかかったのか?」

「まぁ基本的に売買される物しか、管理はできませんから。街の者が街の外で獣の毒を取ってきたとか、毒を持つ植物を採ってきたという場合もありますから」

「それもそうか」

 毒というのは、非常に身近に存在する。

 日本でも精製された毒物は厳しく管理されているが、ちょっとしたことで手に入る毒というのはあちこちに存在した。

 身近な例を挙げるなら、タバコのニコチンなどがそうだろうか。

 その他にも観葉植物などでも毒を持つ物は多い。ヒガンバナやスズランは有名だし、法事などで供えられるシキミの果実などもそうだ。

 こういった身近な毒物まで管理することは、不可能に近い。

 それに毒を持っていると認識されていない動物などもいる。ヤマカガシなどは毒を持たないと長く思われていたが、実際は奥歯から毒を分泌することができると五十年ほど前に報告されていた。

 そういった身近な毒や、知られていない毒まで管理することは不可能だろう。

「待てよ? 錬金術師なら毒物に関しても詳しいんじゃないか?」

「そりゃあ、薬も扱う方々ですから、知識はあると思いますよ」

「なるほどね。そうなるとやはり、直接会う必要があるな」

「リンドーさん、自分が狙われている自覚があるんです?」

「もちろんある。あるからこそ、早く事件を解決したいんだよ」

「その身体がお嬢様のものだと自覚してくださいね」

 呆れたようなセシルの視線を受け、その日は眠りについたのだった。


 結果として、俺が領都ゼーンに足を運ぶことになったのは、さらに三日してからのこととなった。

 理由としては、セシルが服の調達に手間取ったこと。これは、彼女が粗末な服を集めてきたのを他の使用人に見咎められ、『そこまで自分を追い詰めなくていいのよ。あなたは充分に頑張っているのだから!』と慰められて騒動になったことが一つ。

 もう一つは、セラの身体の筋肉痛が予想以上に長引いたことである。

 いくら公爵令嬢とはいえ、もう少し鍛えておけと声を大にして言いたい。

「ともあれ、どうにか街に出てこれたわけだが……なぜいる?」

 平均的な町娘の衣装に身を包んだ俺とセシルは、肌や髪を埃で汚し、その艶を消していた。

 さらにセシルは金髪を黒く染めているため、一見して元のセシルの印象は消え失せている。

 だが逆にそれが妙な印象を抱かせる結果となってしまっていた。

 セシルもセラも、一目で分かるほどに美しい少女たちだ。それは肌や髪を少し汚した程度では隠し切れない。

 そんな少女が二人、粗末な服に身を包んで街の通りを歩いているのだから、変に注目を集めてしまう。

 そしてなにより、俺たちの後ろをついて歩く、厳つい男の姿が問題だった。

「セラお嬢様をお一人で街に出すわけにはいきませんので」

「セシルもいるでしょうに」

 俺たちの後ろにいるのは、これまた平均的な市民の服に身を包んだ騎士隊長の姿だ。

 こちらも急ごしらえの衣服に身を包んでいるため、サイズが合わずに全身パツパツである。

 それだけに引き締まった筋肉が服を押し上げて強調され、目立つことこの上ない。

「まぁ、護衛についてくれるのはありがたいけど、三つ注意しておく」

「なんでしょう?」

「お忍びだから目立たないこと」

「お嬢様、それはもう無理では?」

「セシル、うるさい。それから、これからすることに口を出さないこと。同時に口外しないこと」

「え? ええ、分かりました」

「これはヘルマン――お父様の命令より優先してもらう」

「ええっ⁉ それはちょっと困りますよ!」

 騎士である彼は、いわばヘルマンに雇われた存在でもある。

 そんな彼が、ヘルマンよりも優先される命令を受けるということは、主への忠誠を裏切ることに繋がりかねない。

 しかしこればかりは譲ることができない。何せこれから、銃を作ってもらいに行くのだから、その情報を外部に出すわけにはいかなかった。

 銃という兵器は、それまでの戦いの様相を一変させてしまったほどの発明である。

 銃のないこの世界にそれを生み出したとして、急速にそれが広がってしまった場合、俺は正直言って責任が取れない。

 だから俺個人の自衛のためだけに使うようにしておきたいのだ。そのためには、情報封鎖は必須である。

「それができないならついてくるな……とは言わないけど、外で待ってもらうことになる」

「外で待つということは、誰かにお会いになられるのですね?」

「まぁ、錬金術師に。それと口出し厳禁だから」

「……分かりました。私はヘルマン様に仕える身ですので、主から話せと言われたことは話さねばなりません。ですので建物か部屋の外で待ち、お嬢様のなさろうとしていることを知らないようにします」

「賢明で助かるよ」

 彼の目的はあくまで護衛。俺の行動内容を知ることではない。そう割り切った上での判断に、この騎士隊長の評価を上げた。

 好奇心を抑え、職務に忠実であろうとする彼の姿は、俺としても好感が持てる。

「ところでセラお嬢様、少し気になったのですが」

「なに?」

「その、お言葉遣いが少々雑になってませんか?」

「…………こ、ここは庶民の街ですから! 下町には下町に即した言葉遣いがございましょう」

「いや、下町って、めっちゃ領都ですから。それとなんだか無理矢理な言葉は似合いませんよ?」

「セシル、うるさい」

 冷静なツッコミを入れてくるセシルを抱きかかえて言葉を封じる。

 セラの豊満な胸に頭を抱えられたセシルは、そのまましばらくじたばたしていたが、やがて諦めたのか大人しくなった。

 こうして俺たちは、騒々しくも錬金術師のもとへ足を運んだのだった。

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