第12話 迷い家


 よっ――と、飄々とした足取りで、原田左之助が壬生の屯所に戻ったのは、次の日の朝だった。


「どうしたのどうしたのよ。そんなしけたつら突き合わせて」


 朝の稽古が終わり、沖田が汗を流しているところに、山南が通りかかったのである。そこへ、左之助が姿を現したのだ。


「酒臭っ」


 沖田が露骨に顔をしかめる。


「あんた何を考えてるんです」

「はぁん。非番に酒を呑んで何が悪いんですかっ」


 頬を紅色に染め、左之助は上機嫌である。


「それは構いません」


 溜息交じりに山南が言うと、左之助は大仰に手を叩き、


「流石は山南大先生。総司ごとき餓鬼んちょとは仰ることが違いますな」

 くはは――と笑った。


「あんたね、何がそんなにご機嫌なんだよ」


 げんなりとした呆れ顔で、総司が溜息を吐く。


「よくぞ聞いてくれました総司ちゃん」


 左之助の話によれば――味醂楼にいた不逞浪士を追ったがいいが、二・三合ほど斬り結んだところで、不覚にも二人揃って川に落ちてしまった。気が付けばすでに男の姿は無く、羽織も無くしてしまったようだった。


「考えてみれば、男は別になに悪いコトしたわけじゃ無い訳だし、でもよ、あのダサい羽織無くしたなんて知れたら、大騒ぎだろぉ――だから」

「味醂楼に転がり込んでたというんですか」


 沖田が、がっくりと項垂れた。


「元はといえば、あそこ味醂楼に可愛い女子がいたから、飛び込んじゃったわけよ。あの日、勤番終われば休みなんだから、だんだら羽織のことは、ゆっくり考えようと――」


 ――そのまま二晩、過ごしたのだという。


「そしたらさ、気が付いたら羽織が有るわけよ。絹竹芸妓に聞いたら知らぬというけれど、俺に惚れてるこの娘が見つけてくれた――」


 ぴん――と、きたのだという。


「男冥利に尽きるってもんだろ」


 腕を組み、自慢げに鼻を鳴らした。


「左之さん。あんた本当に馬鹿だね」


 あぁ、やだやだ――と、心底呆れた沖田が首を振る。


「総司、手前ぇ黙って聞いてりゃ――」


 流石にかちんときたのか、左之助が拳を振り上げた。


「ひとつ確認したいのですがね」


 機先を制するように、山南が割って入った。


「男を追っていた時、彼岸花をあしらった着物姿の女を見かけませんでしたか」

「彼岸花――」


 さて――と、首を傾げるが、

「そう言えば、もつれて川に落ちる寸前、野次馬の中に紅い花のあしらった着物を見たような気がするが……さて、そこまでは」


 左之助は首を捻った。


「それがどうかしたのですか」


 背中越しに沖田が訊ねる。

 いえ――と、山南は口元を綻ばせ、首を振る。


「そんな事より、良いのですか」

「ほへ?」


 頓狂な声を上げ、左之助が目を丸くする。


「永倉君がたいそう心配していました。それに――」


 副長がお持ちですよ――と、山南は、左之助の背後を視線で指し示した。

 原田が振り向くと、そこには眼の据わった土方の姿があった。


「ひ、土方の旦那ぁ!」


 飛び跳ねるような勢いで駆けていく左之助。その胸中は二日分のこの二晩の言い訳でいっぱいだろう。


「ざまぁないですね」 


 その姿に、沖田が舌を出す。

 ――と、何かに気が付いたように、眉をしかめる。


「あれ、なんだろう憶えのあるようなこの――」


 沖田が二・三度、鼻を鳴らした。


「今なら、言い訳で迷いだらけのようですね」


 よれよれの羽織姿の背中から漂う甘い香りに、山南は安堵に頬を緩めた。

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幕末陰陽傳 マヨイガ 猛士 @takeshi999

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