第11話 迷い香


 申し訳ないことをしてしまいましたか――と、山南が呟く。


 外に出て行った佐野村を振り返ることも無く、動かぬよみを見つめていた。


「――致し方ございません」


 横たわるよみが、静かに首を振った。

 まるで何事も無かったかのように平然と起き上がる。確かに、佐野村に斬られたはずの傷などどこにもない。


 山南に向かい、平然と微笑みかけた。


「一つ――ひとつだけお伺いしたい」


 また山南も、そんなよみに向かい、何事も無かったかのように声を掛ける。


「何故、あの男佐野村を選んだのですか」


 そうですね――と、よみは小首を傾げた。その仕草はまるで幼い女童のようにも見える。


「あの方の心が揺らいでいたから」

「揺らいでいた?」

「怒り妬み嫉み悲しみ恐れ……そして、迷っていたから」

「もう一人の男は?」

「あの方はこう――」


 両手の指先を重ね、突き出す。


「迷いなく真っ直ぐ。そうまるで槍のように――」


 そう言うと、よみは自嘲するように口の端を上げた。


 ふ――と、気が付けば周囲の光景がほつれるように霞んでいた。

 天井や壁、土間――家の態を成していたものが霞となって消え始めているのだ。


「最後にもうひとつだけ、お聞かせください。羽織はどうされましたか?」


 眼尻になんとも柔らかな皺をよせ、山南が問いかける。


「ここにお連れになるまでお借りいたしましたが、直ぐに元の持ち主のところへ返しておきました」


 そう答えたよみの姿も、白く霧の如く霞んでいた。


「そうですか」 


 苦笑を浮かべるも、納得したように頷くと、山南は背を向けた。


「では私も失礼いたします」


 そう言って、すでに消えかかった木戸を潜ると、山南は振り返ることはなかった。


 だが、外に出た直後、足を止め一度だけ小さく鼻を鳴らした。

 短い呼気とともに剣を抜き、鞘に納めた。

 そう、まるで後ろ髪を引くような、甘い花の香りを断ち斬るように。

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