No.54【ショートショート】マイ・アンダーグラウンド・ワールド

鉄生 裕

マイ・アンダーグラウンド・ワールド

2019年12月初旬、新型コロナウイルス感染症の第1例目の感染者が中国の武漢市で確認された。

それから程なくしてパンデミックと呼ばれる世界的な流行となり、日本では2020年の1月に最初の感染者が確認された。

以降も感染者は増加の一途を辿り、アルファ株やベータ株といった様々な変異株の登場もあり、新型コロナウイルス感染症による死亡者数は人類が経験してきたパンデミックの中でも圧倒的なものであった。


抗体のおかげで一時は死亡者数が減少傾向にあった時期もあったが、2029年に新たな変異株であるデラス株が流行すると、死亡者数は今までに類を見ないほど爆発的に膨れ上がった。


デラス株は人間の脳にのみ作用し、必要以上のアドレナリンを放出させることで人間の凶暴性を助長させた。

人が人を襲い、街中はパニックに陥り、2035年には日本は国家としての機能を失っていた。




私は生まれてから一度たりとも、この地下室を出たことが無かった。




「パパとママは夕方には帰って来るから、それまでここでおとなしく待っているんだよ」

父親は私にそう言うと、何重にも鍵の掛けられた鉄の扉を開け、地上へと続く階段を母親と共に一段ずつ上がっていった。


両親は毎日この地下室に私を一人置いて、危険な外の世界へ食料を調達しに出かける。

一緒に外へ行きたいと我儘を言ったことも何度かあったが、その度に両親は、「外の世界は危険だから」「もう少し大きくなったら一緒に行こう」と私を説得するのだった。


幼い頃はそれでも両親と一緒に外の世界へ行きたいと駄々をこねたものだったが、今では彼らの言うことを聞くのが一番の親孝行だと自分に言い聞かせ、「あの扉の外へ行きたい」という願いは心の中だけに留めておくことにしている。


だが、その願いを忘れたり諦めたことは一度だってなかった。

13年間、ずっとこの狭い世界しか知らないのだから。




その日、私はいつも通りこの地下室で両親の帰りを待っていた。

しかし、両親はいつまで経っても帰ってこない。


いつもなら17時頃には帰ってくるのに、その日は19時を過ぎても帰ってこなかった。

両親の帰りがこんなに遅いことは、今まで一度も無かった。


『もしかしたら、人間に襲われたんじゃ・・・』


それ以外の理由が思い浮かばなかった。


両親と連絡を取る手段は無い。

私はいつだって、この狭い地下室で二人の帰りを待ち続けることしかできなかった。


私は両親との約束を破ることに決めた。


二人を救うことのできる人間は、この惑星で私一人だけかもしれない。

今こうしている間にも、両親は私の助けを待っているかもしれない。


恐怖心は好奇心でかき消した。


13年間生きてきて、生まれて初めてあの鉄の扉を開ける。


私は鉄の扉に取り付けられた鍵を一つずつ外すと、その重い扉を目一杯押した。




階段を上がると、目の前には地下室とは異なる別の部屋が広がっていた。

その部屋には、地下室には無かった『窓』というものが取り付けられており、オレンジ色の暖かな光が窓を通して部屋の中まで入り込んでいた。


昔、本で読んだことがあった。

これは部屋ではなく、『家』というものだ。

外の世界へ行くには、この家という箱から出る必要がある。


家の中を見渡すと、地下室の扉と似たような扉があった。

その扉は地下室の扉と見た目こそ似ていたが、地下室の扉よりも薄く、鍵も一つしかついていなかった。


この扉は、外の世界へとつながる扉で間違いない。

この扉から一歩でも外に出れば、そこは凶暴化した人間達が蔓延る未知の世界だ。


それでも私はその扉を開け、思い切って外の世界へと飛び出した。




生まれて初めて、両親以外の人間を見た。

彼等の見た目は当然だが両親とは異なるものであった。

しかし、ずっと両親から聞かされていたそれとも、全く異なるものだった。


彼等は私になんか目もくれず、忙しそうに私の前を通り過ぎていく。

誰も私を襲ってこようとしない。


彼等は皆、私や両親と同じただの人間のようにしか見えなかった。


すると、「大丈夫かい?」と一人の男が私に話しかけてきた。


生まれて初めて、両親以外の人間の声を直に聴いた。

生まれて初めて、両親以外の人間の匂いを嗅いだ。

生まれて初めて、両親以外の人間の笑顔を見た。




「・・・あの、パパとママは何処にいますか?」







『三日前に、東京都練馬区で保護された13歳の少女についての続報です。

DNA鑑定の結果、少女は10年前から行方不明になっていた近藤立花ちゃんで間違いないことが判明しました。立花ちゃんは10年前に宮城県仙台市内の公園で遊んでいたところ、母親が一瞬目を離した隙に姿を消し、10年間に渡って行方不明となっていました。

立花ちゃんを誘拐・監禁していたとみられる足立信二容疑者(46)と足立真理子容疑者(42)は今も逃走を続けており、警察は二人の身元を追うと同時に事件の経緯を改めて調査しています。

また、立花ちゃんが誘拐・監禁されていたとみられる足立容疑者の自宅からは、『彼女を守りたかった』と書かれたメモが残っており、立花ちゃんの身体からは幼い頃につけられたとみられる傷跡がいくつも見つかっていることが警察の調べで分かりました』

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No.54【ショートショート】マイ・アンダーグラウンド・ワールド 鉄生 裕 @yu_tetuki

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