第6話
「大公領に入ったね」
メリメの声にアンナは窓の外を見る。
風景に変化はない。二時間ほどは同じような農村、いや元・農村という荒れた侘しい景色が続いている。
物思いに耽っていたせいか、それとも長時間、馬車に乗り続けた─王都を早朝に発って食事や用足し等の為に計二時間あまり下車した以外はずっと、揺られ続け座り続けていた為か。検問所にも気づかなかった。
代わりに水呑場が見えた。四頭の馬の傍らに幌付きの車両と荷車が一台ずつ。
水呑場の奥には柱と屋根だけのあずまや、板張りの質素なベンチが数脚。五人の男達が思い思いに過ごしている。
馬車はその周囲を反時計回りに沿って伸びる街道を進む。
「……検問所ってあれ?」
「そう。イメージと違うでしょ」
男爵令嬢も頷いた。
「大公領は神聖な地ですもの、ゼイラス教の総本山です。武力で制圧しようと考える不信心者などいません」
ロベリア嬢の言葉にメリメは微妙な笑顔を浮かべる。
「アンナさんも信徒なのでしょう?」
「…育ての親が信者でした」
嘘ではないが真実でもない。
王都から遠く離れた辺境の町。
かろうじて戦場にならずにすんだ小さな町には焼け出された避難民で溢れていた。その大半が幼い子供だった。
放っておけば、拐われるか路傍で息絶えるかない幼子を手当たり次第かき集め保護しようとしたのがその町に流れてきた修道士ポルクスだった。
子供達に名付けたのも彼だ。
打ち捨てられた教会を孤児院として多い時には五十人を超す子供が暮らした。けど世人の情に縋っての暮らしは直ぐ破綻して皆散り散りになっていったが。
ポルクスが信仰していたのがゼイラス教、だと思う。何せ子供に付けた名前は全てゼイラス教の十二聖人のものだ─もっともそうと知ったのは後宮に来てからだが。アンナはポルクスが事あるごとに何かに祈っていた姿を記憶してはいたが、その何かが
コツン、とアンナの靴を杖がつつく。
メリメを見ると彼女は小さくかぶりを振る。視線の先にはロベリア嬢の泣き出しそうな顔があった。
「ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまったみたい」
そう言われて自分が相当悲惨な表情をしていたのだとわかった。
パシュッ、と両頬が叩かれる。メリメの手を離れた松葉杖が重い音を立て床に転がった。
「アンナは王女殿下が恋しいんです。子離れできてなくて、こないだもやけ酒を。付き合った私はこんなハメに」
メリメの言葉にロベリアは微かな笑顔を浮かべた。
「主に気を遣わせるなんて侍女失格だろ」
耳元でメリメが囁く。相当怒っている。
「申し訳ございません」
「私の配慮が足りなかったの」
ロベリアは胸に手を当てた。
「信仰について軽軽に口に出すべきではありませんでした」
そういうものなのか。
「検問所は肩透かしだろうけど、あっちはイメージ通りかそれ以上よ」
湿っぽくなった雰囲気にフォローに入ったメリメが進行方向右手を指す。
牧歌的、と言えば聞こえがいいが、結局のところひなびた田舎の風景の彼方に遠目にも鋭く煌めく尖塔が望めた。
「あそこは大教会、側には大公殿下のお住まいであるお城もあるのですよ」
「城壁の内側は帝国時代の佇まいが残っていて美しい街並みが有名ですよね」
「メリメ、行ったことあるの?」
「─見習い中にお客様が話しているのを聞いた」
「なんだ」
「だってね」とメリメは口を尖らせる。
「
「なるほど」
納得しているアンナの耳に朗らかな声が届く。
「では行ってみましょうか、みんなで」
「え?」
「何処に?」
アンナとメリメが顔を見合わせる。
二人をしり目にロベリア嬢が馭者台と繋がる呼鈴を鳴らす。直ぐに小窓─アンナとメリメの間にある─が開いた。顔を覗かせたのがマストロだろうか、アンナには知るよしもない。
「
ロベリアは花のような笑顔を浮かべた。
旅程通りだと今日中にエークレットへ入国し、国境近くの
だがこの面子で男爵令嬢の気まぐれに意見のできる者はいない。
「嬉しいわ、ほんとに久しぶりなの」
ロベリアの無邪気な様子にアンナは開きかけた口を閉じる。メリメと目が合うとどちらともなく肩を竦めた。
「鑑札ないと宿泊できないって嘘なの?」
「庶民はね。王族貴族にお金持ちは別。いつものことよ」
声をひそめる。
メリメも急な旅程変更には好意的ではない。
ロベリアは自宅に戻るだけでなく、その後の予定もある。
そもそも自分達二人はその後の予定の為に招かれているのだ。
「せっかくだから楽しんだ方がいいでしょ」
「もしかして、コレを狙ってた?」
いつも前向きなメリメを少しだけ羨ましく思うアンナは、そういえば今晩が初めての外泊だと気がついた。
百彩帝国の末裔達 @koronakoko26may
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