ラムネの恋

川木

ラムネの恋

 ラムネを見るたびに、あの夏を思い出す。


 中学一年の夏、私は親の都合で引っ越すことになった。子供の私に逆らうすべはないけど、小学校から一緒だった友達も誰もいない知らない街に連れてこられ、夏休みの宿題が免除なのはいいけど、それ以外最悪しかない状況だった。

 夏休み中で、新しい家や近所の地理になれてもまだ学校は始まらず、どうしようもない手持無沙汰だった。親からは外に出て声をかけて先に友達をつくっておきなさい、などとちょっと人見知りな私にめちゃくちゃなことを言われた。

 行くあてのない私は徒歩圏内の図書館によく行っていた。早く学校が始まらないかな。そんな、人生で一度しか思わないことを考えていたある日。図書館のお知らせ掲示板で近くで夏祭りがあることを知った。

 夏祭り。知り合いは誰もいなくても、行けば楽しめるかもしれない。花火も見れると言うことで、私はお祭りに行くことに決めた。


 親に言うと友達ができたのかと聞かれたけど、それにはノーコメントを貫き、強制的に浴衣を着せられた私は少し薄暗くなった街に飛び出した。

 いつもなら帰っている時間帯、見慣れない街並みは少し不安な気持ちにはなったけど、しばらく歩けばすぐにあちこちから同じお祭りが目的そうな人がたくさんでてきて、ほっとしながらそれに紛れた。


 お祭りは坂を上った先の神社がメインなのだけど、そこに行くまでの道にもあちこちに屋台がでているし、そこに続く商店街もいつもと違う雰囲気だった。

 早く閉まった店の前に見るからに即席に設置されたテーブルでかき氷など、それらしいものが格安で売られている。そんなにぎやかな商店街は車は入ってこなけどそれなりに混んでいる。人にぶつからないよう、邪魔にならないよう隅の方を歩く。蒸し暑いからか喉が乾いてきた。何か飲み物を買おうか。お祭り用にお金は持ってきているけど、飲み物はコンビニか自販機の方が安いかな?


「わっ」

「ひゃっ」


 そう思いながらきょろきょろしていると、横手から出てきた誰かとぶつかってしまった。ぶつかった衝撃で一歩さがりながら相手を見る。自分より小さなその女の子はびっくりした顔で私の左側をみていた。その視線を追いかけると、浴衣の左袖に青い染みができていた。視線をおろすと、その子が持っているかき氷が地面に半分くらいこぼれていた。


「ご、ご、ごめんなさいっ」

「大丈夫だよ。むしろ、かき氷ごめんね」


 顔色を変えて慌てて謝罪してきた女の子に、私はようやく状況を理解して安心させるために微笑みかけた。小柄だし同じか年下くらいだろう。私もよそ見してたし、むしろ恐い人じゃなくて良かったとほっとした。


「かき氷なんか、し、染みちゃってるし」

「普通に洗濯できるやつだし、それに見て、ほら、金魚が青くなってて、染みが残ったとしても可愛いくらいだから、大丈夫だよ」


 なんだか泣きそうなくらいの女の子をはげまそうと、私は袖をひろげてなんとかそうフォローする。そもそも去年も着ていて少し小さくなっているくらいだ。本当に気にすることはない。


「……ほんとに?」

「うん。大丈夫」

「よ、よかったー」


 私の言葉に、女の子はじっと私の顔を見てからほっとしたように息をついた。


「あの、ほんとにごめんね。私、○○中学の渡瀬あかり」

「あ、うん。私も○○中学。夏休みあけから通うことになってて。えっと、山野辺ふみです」

「そうなんだ! 引っ越してきたばっかりってこと? だったら、ぶつかったお詫びに私がお祭り案内するよ!」

「え? そんなに気にしなくてもいいよ? 友達とかと遊ぶの約束だったりしない?」


 にこーっとさっきまでの半泣き顔から一転して、とっても楽しそうな明るい笑顔のお誘いにちょっと心が動いたけど、出会ったばかりだしと人見知りが発動してついそう断ってしまった。年下かと思ったけど同じ中学できっと同級生だし友達になれたら嬉しいけど、ぶつかったからと無理にそうさせるのも申し訳ない。


「全然! せっかく友達になれたし、案内させてよー。あ、も、もちろんなれなれしいなこいつ、とか思ってるとか、一人がいいとかなら全然、遠慮するけど」

「えー、あー、えっと、じゃあ、お願いしてもいいかな? あかりちゃん」


 そんな消極的な私にひるむことなくさらに明るい声で、友達と言ってくれた。すぐにはっとしたようにそう続けられて、本当にぶつかったお詫びとかじゃなくて純粋に好意で言ってくれているのだとわかった。それに何だか申し訳なさそうな彼女を見ているとその顔をすぐやめさせたくて、私はつられたように彼女を友達扱いした。


「! うん! ふみちゃん!」


 それにまた、ぱっと、それこそ花火がはじけるような笑顔になってあかりちゃんは頷いて、私の手を勢いよくとった。


「じゃあ行こっ」


 こうして私とあかりちゃんは友達になって、あかりちゃんに先導されてお祭りを楽しむことになった。


 喉が乾いた私に残ったかき氷をわけてくれた。それからおすすめだと言う大きなたこ焼きをかったり、スマートボールや射的をしたり、水あめのくじで当てて4本もらって困ったり、くじ引きをして光る腕輪をもらってつけたり、いい匂いのするイカ焼きと箸巻きを半分こしたりした。

 最初こそ遠慮もあったけど、かき氷を流し込むように食べきって手がべたべたになってからお互い遠慮はなくなって、前から友達だったみたいに楽しめた。


 あかりちゃんは本当に明るくて楽しくて、昨日まで友達がいなくて不安だった私の憂鬱を吹き飛ばしてくれた。地元ではない屋台も積極的に楽しめたし、ぶつかってよかったとすら思えた。


 そんな風に楽しんでいると、どこからか急に音がして、もうすぐ花火が始まるとアナウンスが流れた。それを聞いた途端、あかりちゃんはまた元気に私の手を取って走り出した。


「いい場所あるんだ、こっちこっち!」


 そう言って案内されたのは神社の真ん中から離れ、駐車場を超えた端の方、狭い道を超えて小さい社が三つ並んでいる横に柵と小さなベンチがあった。屋台は飲み物をだしている一つだけだ。

 アナウンスと同時に上の方に向かったたくさんの人に比べたらずっと人は少ないようで、穴場と言うほどじゃないけどちゃんと見れそうだ。


「ちょっと高さ足りないけど、普通に見えるでしょ? あっちの川でやってるから、川の近くだともっと大きく見れるけど、神社だとここが一番見やすいんだー、上は人多いから」

「そうなんだ。いいところ案内してくれてありがとう」

「えへへー。あ、ラムネ買わない? やっぱりお祭りと言えばラムネだよね」

「うん。買う。私ラムネ飲んだことないんだけど、そう言うイメージあるよね」

「そうなの? えー、びっくりー」


 あかりちゃんはテンション高めで話していて気楽で楽しい。屋台でラムネを買うと、上にあるキャップ部分は蓋をとってもまだ開いていない。凹んでいるけど、ビー玉が上にはまっている。ビー玉が入っているのは知っていたけど、栓がビー玉だったんだ。

 屋台の近くの明かりに透かすと、蓋にくっつくようにしたビー玉のお尻が見える。綺麗。


「あれ、開けないの?」


 邪魔にならないよう屋台の前からどいて横に移動しながらあかりちゃんはラムネを一口のんで、私を不思議そうに見上げた。その表情に同い年に見えなくて可愛いな、と思いながらそれについていく。もう花火の時間が近いから、屋台に並んでる人はもういない。柵の前はほぼ人でいっぱいなので、屋台のすぐ脇でそのまま見るのが一番見やすいだろうし。


「ごめん、見てなかった。どうやって開けるの?」

「あ、そっか。そのキャップを押し込んでビー玉を落とすんだよ」

「え、こう? あ、あっ!」


 柵に底をあてて押し込むと、思った以上にかぽっと簡単に奥へ収まった。嬉しくなってはずすと勢いよく中身が出てきて、慌てて持ち上げる。上3センチはこぼれてしまった。もったいない。でも、もうここまできたら多少ぬれても誤差だ。気にせず口をつける。


「あれ?」

「あはは、ビー玉が落ちてこないようにひっかけて飲むんだよ。ほら、このくぼみに」

「なるほど」


 思ったより色々とルールのある飲み物だった。奥が深い、と思いながら今度こそ慎重に口をつける。かこ、とビー玉が瓶とあたる音をたてながらもラムネが口に入ってくる。冷たくて甘くてしゅわしゅわしたラムネ。


 どーん!!!


 と音がした。ラムネ瓶の向こうに花火が浮かんだ。わぁ! と周囲から歓声があがる。その美しさに、私の声は出なかった。初めて飲んだラムネのおいしさと、重なるような綺麗な花火に、何だかとても感動した。炭酸がはじける快感と重なって、なんだかとてもドキドキした。


「きれーだね!」

「うん! あかりちゃん、今日はありがとう。あかりちゃんと会えてよかった」

「えっ、えへへへ。て、照れるなぁ」


 しばし見とれていると花火に負けない大きな声をかけてきたので、私はあかりちゃんの耳元に顔を寄せて聞こえるように応えた。朱里ちゃんは私の言葉にちょっときょとんとしてから、照れくさそうに笑ってラムネを飲み干した。

 勢いよく空に向かってあがり、すぐに下がった瓶の中でからんとビー玉が高い音をたてる。それを見てふと疑問に思う。


「ねぇ、そのビー玉ってどうやってとるの?」

「え? ああ、これはね。こう!」


 もう一度顔をよせてから尋ねると、あかりちゃんは何でもないように笑ってくるっと手癖で瓶をさかさまに持った。


 ガシャン!!


 花火より大きいわけじゃない。だけどすぐ傍で放たれたその音は、花火以上の衝撃を私に届けた。柵の下段にぶつけられて割れたラムネ瓶。想定外の行動に固まる私に気付かず、あかりちゃんはビー玉を拾って空にすかすように持って私にみせてくれた。


「ほら見て、とれた。綺麗でしょ」

「……うん、綺麗」


 ビー玉に花火の光が反射する。無邪気に笑うあかりちゃんの笑顔がそれと同期するようにきらきらと照らされていて、私はそれに全身が点滅しているかのように人生で味わったことがないほど心臓をドキドキさせて見とれていた。突然の破壊行為に対する緊張や興奮、恐怖に対するドキドキもあっただろう。

 だけど間違いなくこの瞬間、私はあかりちゃんの笑顔に私は心奪われていた。何度でも私はこの瞬間を思い出す。一生忘れられない。私はこの時、朱里ちゃんに恋に落ちたのだ。

 だけどこの時は、その自覚をすることなかった。


「なにしてんだこのクソガキ!」

「いだぁ!」


 自分の胸の異常な高鳴りに気が付くより先に、すぐ隣の屋台のおじさんにあかりちゃんはげんこつをくらったからだ。

 当たり前だけど、ラムネのビー玉の取り出し方は割るが正解ではない。おじさんはキャップを回せば簡単にとれるし、危ないから絶対するなと怒りながら私たちに箒と塵取りを渡して掃除させた。


 こうして私とあかりちゃんの最初の夏祭りは掃除で幕を閉じた。散々で、だけど二度と忘れられない最高の夏祭りだった。


 そんなことを、夏が近くなり、ラムネを見る度に思い出す。


 初恋にふさわしい、ラムネのように刺激的にしゅわしゅわはじけて甘くてふわふわドキドキして、ビー玉みたいにきらきらした恋だった。


「何? ラムネ買うの? 好きだねぇ」


 思い出しながらペットボトルのラムネを手に取ると、お菓子コーナーに寄っていたあかりが戻ってきて、にやにやしながらそう言った。


「うん。好き」

「んふふ。私も好き」


 端的に答えると、あかりも嬉しそうに頷いた。


 あの出会いから、色んなことがあった。中学に通いだして、あかりが実は先輩だったことがわかった。距離ができることもあった。だけど毎年、ずっと一緒に花火をみている。そしてこれからもずっと、一緒に花火を見ると約束をしている。


 大人になった。綺麗なことばかりじゃなくなって、嫉妬したり喧嘩したりすることもある。だけどラムネを見る度、思い出す。飛び切り可愛くて綺麗だったあの夏の恋を。

 きっと一生、忘れないだろう。できればずっと、一生、あかりの傍で思い出していられたら。そう願いながら、私は籠の中に二人分のラムネをいれた。








 ふみと初めて出会ったのは、中学二年の時だ。今もだけど私より背が高くて、年上だと思っていた。着物を着こなしていて似合っていたし、何よりかき氷をかけた私に、笑ってフォローをしてくれたから。

 その大人の包容力と優しさにあふれた笑顔に、私はいっぱつでいかれてしまった。恋、何てその時はわかってなかった。だけどもっともっと一緒にいたいと思って、必死になって自己紹介して友達になった。


 今思い出しても失敗ばかりだった私に、ふみはいつも笑って付き合ってくれた。こんなに優しくて素敵な女の子、私はいまだに他に知らない。


 大好きでずっと仲良くしたくて、できれば一番の仲良しは私がよくて、この気持ちが恋だとわかったのはふみが告白してくれてからだ。恋人になって、色んなことがあった。数えきれないくらい喧嘩もした。

 優しいふみだから、私が甘えすぎて調子に乗って怒らせてしまうのだ。なのにふみは今も私の隣にいてくれる。本当に優しい。

 文が私のどこを好きでいてくれて、一緒にいてくれるのか自分でもよくわからない。だけど私が思うのと同じだけ、一緒にいたいって思ってくれているのは信じてる。


 夏が来るたび、ラムネを買う。ふみとの出会いの日にした一番の大失敗のラムネだけど、ふみは気に入ってくれたらしい。本当はちょっと恥ずかしくなるから飲みたくない時期もあった。

 だけど今、一緒に暮らしているマンションのベランダで一緒に花火を見ながら飲むラムネは本当に美味しくて、花火に照らされている綺麗なふみを独り占めできるこの幸せは、ラムネのおかげではないかとすら思う。

 喧嘩している時でさえ、花火の日だけは一緒にいた。一緒に並んでラムネを飲んで花火を見てきた。そうして重ねた思い出はラムネも支えてきてくれたような気がする。


「……綺麗だね」

「うん。でも、ふみの方が綺麗だよ」

「はいはい」


 今年も花火の日がやってきた。何度も一緒に見ているけど、その度、花火に照らされたふみの横顔の美しさに見とれてしまう。だから本気の本気なのに、ふみはちょっと呆れたように笑って相槌をうつだけだ。


「ねぇ、ふみ」

「なに? あかり」

「私たち、おばあちゃんになってもこうして花火を見ようね」

「……それは、素敵だね」

「でしょ!」


 はにかむように振り向いて微笑んでくれたふみに、私は全力の笑顔で応えた。口約束にすぎないかもしれない。だけど本当に思うのだ。ずっとこうしていたいって。

 きっといつまでも、こうして夏が来るたびに私はふみに恋に落ちるだろうから。




 おしまい。

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