第3話 転

 どうすればよかったかと問われれば、わからないと答えることしかできない。



 あの一合をどうすれば、俺たちは打ち勝つことができたのか、何度頭の中で繰り返してもさっぱり正答がみつからない。



 強いて答えをあげることがあるとするならば、俺たちはあの女と闘うべきではなかったのだ。五人の歴戦の傭兵が、たった一人の女相手に、尻尾を巻いて逃げ帰るのが正解だった。そんなこと、誰が予想できるかは知らないが。




 次、あの女と戦場で出会うことがあったなら、俺はなすすべもなく負けるだろう。次も同じように生かして返してくれるとも限らない。




 任務から返って、傭兵団に顔を出したら、顔色が悪すぎるから返って寝てろと蹴り飛ばされた。まあ、俺のいた部隊はもう俺以外、誰も残ってはいないから、いったところで仕事があったかもわからないが。



 鍛え上げた業は無惨にも崩れ去った。



 信用も、自信も、努力も、経験も、何もかも水の泡のように、砂に描いた絵のようにあっさりと溶けて消えた。



 そうしていると、俺の人生は一体なんだったんだろうと、笑えてくる。



 業を忘れるとまずいから、一度、いつも通り中剣と小剣を握ったら、指の先がずっと細かく震えていた。あまりにばかばかしすぎて、その日はずっと酒に逃げていた。



 どうすれば、よかったのか。



 どうすれば、仲間は死なずに済んで、小隊が解散することもなくて、俺もこうやって酒に溺れずに済んだのか。


 何度考えても、何度思っても、答えは出ない。強いて言えば、俺がもう少し強ければ、どうにかなっていただろうか。ただそうはいっても、俺みたいな凡才じゃあ、百年修行してもあの化け物に勝てる気がしない。


 それから何度も、あの女の夢を見た。


 状況はまったく同じ。三つの剣が交差して、それを踏み台にあの女が上空に飛び上がって。


 現実と違うのは、降り際にあの女が狙ってきたのが、俺の腕だったということくらいだ。



 腕の先が吹き飛んで、血が飛び出て零れ落ちて、あの特有の風切り音を立てながら、あの女がこちらへとゆっくり歩いてくる。



 そうやって、夜中に何度も飛び起きた。



 起きるたびに、身体がじっとりと嫌な汗で包まれていて、不快感に叫び出しそうになる。



 そんな夜を、何度も何度も繰り返した。



 「お前もう、傭兵やめろ」


 

 心配して見まいに来たクソおやじにそんなことを言われても、いまいち答えを返すことすらできなくて。溜めた金を食いつぶしながら、寝ては飛び起きることだけを繰り返した。



 そうやって何か月かたったころ、見かねたクソおやじに小間使いを頼まれて、馴染の小剣の店を訪れた頃だった。



 傭兵の補給品だ。何本も合わせて頼むからそこそこの重さになる。それを受け取るお使いのようなものだった。なんでそんなこと、と思わなくもなかったが、いい加減身体を動かさないのも気持ちが悪いので、言われるがままに外に出た。


 髭を剃って、顔を洗って、いきつけの定食屋で飯を食って。なじみの少年の鍛冶屋に久しぶりに顔を出したころだった。



 「あ」



 そう言って、俺はおもわず店の前で立ち止まった。



 「………………?」



 対して相手は、俺の顔を見て怪訝そうに眉を歪めるだけだった。そうやってしばらく眺めた後、特に興味もなさげに、店先に並べられた小剣に視線を落としていた。



 まあ、向こうは覚えてなくて自然だろう。一度切り伏せた部隊の、木っ端に揉みたない雑兵だしな。ただ、こっちからは一生かかっても、忘れられそうにない顔だった。



 あの時、荒野にたった一人で立っていた女がそこにいた。



 そんな俺たちを見て、店の奥から注文した小剣の束を持ってきた鍛冶師の少年は、怪訝そうに首を傾げていた。





 ※




 「悪いがあまり覚えてないわ」


 「まあ、だろうなあ」


 俺が怪訝そうにしているのを、不思議がって見ていた少年に、とりあえずのいきさつを話した。そしたら何を想ったか、鍛冶屋の中に通してくれた。


 そこでなんでかしらんが、俺はくだんの女といっしょに少年が出してくれた茶を啜っていた。


 「恨み言でもいいたいの?」


 「……いんや、こういうのはよくある界隈だしな」


 傭兵稼業は死に稼業、昨日の友が明日戦場で敵になるのもよくある話だ。暗黙の了解としてこの街では、仕事のいざこざは街の中には持ち込まないことになっている。そうでなくとも、金にならない私闘なんて、やったところで腹の足しにもなりはしない。


 まあ、だからと言って、何も思っていないというのも、嘘なわけだが。


 「じゃあ、なに。生憎、弟子入りは受け付けていないんだけど」


 「……あんな技、どこの誰が真似できんだよ」


 そうやって愚痴っていると、件の少年は少しだけ遠巻きに何かを期待するかのようにこちらを眺めていた。何を期待されているっていうんだ、まったく。


 「じゃあ、なに? 生憎、当てもない茶飲み話に付き合うほど暇でもないんだけど」


 「あー…………」


 んなこと言われても、俺が設けた席でもなく、少年が何を想ったのか用意しただけの時間だこれは。どうのこうのと言われても、俺にはどうにも…………。


 そう思って言葉を止めかけた。胸の奥が妙に痛んで、女の顔を見るだけで、指先が微かに震える。


 自身が積み重ねてきたものを根っこから破壊した、そんな相手が、今、目の前に立っている。そこだけ見れば、ろくでもない話だが、なんでかこうして茶飲み話をすることになっている。妙なおかしさも同時にある。


 だから、ありていうに言うと、あれだ。少しだけ血迷ってみることにしたのだ。


 どうせ、次会えるかどうかもわからない間柄なのだから。行きずりの吟遊詩人に、みっともない恋の相談をするのとさして変わらないさ。


 そう思って、俺は自分の今の折れた心を、ぼんやりとそいつに向かって喋っていた。






 ※







 「私に、責任でもとれって話?」


 「いいや? これから、どうしたもんかねって話だよ。仮に責任とか想うのなら、助言の一つでも零してくれ」


 一通り、今の俺の現状を―――あの時のことを想いだすたび、手が震えてくることを話したら、女はえらく怪訝そうな顔をした。まあ、実際、それをやった当人にこんなこと聞いたら、当てつけって思われるのが自然だろう。こっちに、そんな意思はこれっぽっちもないっていうのはさすがに冗談だが、尋ねてみたい気持ちは意外と本音だ。


 「どうすればいいって……そんなの……」


 「………………」


 わかりゃしないか、と開き切らない女の口を見ながら、一人勝手に得心した。そりゃそうだ、他人様の悩み事なんて、いちいち背負うもんでもないし、わざわざ答えてやる義理もない。


 しゃあねえなと欠伸をかみ殺していたら、隣にいた女の顔がふっと息を吐いた瞬間に少しだけ意地悪く歪んでいた。それと同時に、声の調子が少しだけ高く、声色が乗ったものになる。


 「―――そんなの、今、できることをするしかないんじゃない?」


 「今、できることだあ? 俺、今、まともに戦えねえんだけど」


 「そう、じゃあ戦い以外のことをしなさい、他に取柄の一つでもあるでしょう?」


 「…………誰かの顔色窺うことくらいしか、やれることなんて俺にはねえよ」


 「じゃあ、精々顔色窺ってなさい。そうしてたら、そのうちやれることが舞い込んでくるものだから」


 「はあ……」


 女はそういうと、手に持っていた茶を一気に飲み下すと、脇にいた少年に礼を言って腰を上げた。ぎぃと木の椅子が渇いた音を立てて、揺らいでいる。


 「私は、今まで、自分に出来ないことなんてしたことない。あくまで出来て当然のことを積み重ねて、ここまで辿り着いただけ。それが他人から見て、どれだけ不可能かなんて知りもしないけどね」


 「あの動きが出来て当然…………?」


 脳裏によぎった人間離れした所業を、その苦い記憶を噛み潰しながら、俺は女の顔をまじまじと見つめた。きっと俺は今、到底、信じられないって顔してるんだろなあ。


 「できる、できないは人による。でしょう? ねえ、『横槍のエルザ』。お前も出来ることを積み重ねた末に、たまたまそう呼ばれただけなんだから」


 「………………なんだ知ってたのか」


 俺の問いに、女は初めて、いたずらっ子のような笑みをこぼした。その瞬間、今まで悪鬼羅刹にしか見えていなかったはずの女の顔が、少しだけ違って見えた。


 「戦う相手の有名どころくらい把握するものでしょう? それにこう言っては何だけど、私も結局、戦場においては駒の一つに過ぎなかった。私がいくら善戦しても、戦争そのものの勝敗はもっと別のところで決まってる。私が一人で部隊を五つ潰しても、その間に他の部隊が十負けてたら、戦争には当然、負けてしまう。よく知ってるでしょう? 所詮、どんな名の知れた英雄も凄腕の殺し屋も、大局で見れば駒の一つに過ぎないんだから」


 「………………」


 「だから、駒の一つに出来ることは、精々、駒としての役割をまっとうするくらいしかないでしょう? 出来ることを、ただ出来るだけなすものよ」


 「まあ、そうだけどなぁ……」


 女の言葉は正論だ。ただ正論がゆえに、そうそうすんなり飲み込めるものでもない。だから俺が少し言葉を濁していると、女は愉快そうに口を開いた。意地の悪い性格がよくわかる。


 「それにね、エルザ―――」


 最後に女は、酷く意地悪気な顔で俺を見てにたりと笑った。


 そうして、俺の人生の何もかもを、たった一合で、否定したその女は心底愉しそうに笑っていた。


 「人間、どれだけ悩んだところで、どうせ出来ることしか出来ないものよ」


 そう、いうだけ言うと女は意気揚々と、少年が営む鍛冶屋を後にした。


 後々聞いたことだが、どうにもあいつは、この鍛冶屋の常連らしい。これからも会う機会があるのかもしれないと考えると、いささか気が滅入る気もしたが。同時に、あんなの相手にびびってたのかもと想うと少しだけバカらしくもなっていた。








 ※

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