第2話 承
そんなクソおやじの言を受けてから、俺は戦場でひたすらに視界を回し続けた。
打ち合ってる敵の表情、俺以外の戦闘の様子、全体の人数、誰が何処を向いて何処を見ていないか。
微かな油断を、些細な思い込みを、ほんのわずかな針のような死角を、目の前の敵ではない、隣の奴のわずかな意識の切れ端を。
ただひたすらに、ただ懸命に、探し続けた。
荒野で小隊がぶつかるときは大体、四・五人で正面からぶつかりあう。
切り込み隊長のがたいのいい奴がまっさきに吠えながら突っ込んで、その脇を固めるように俺みたいな雑兵が一人ずつ打ち合っていく。
四方八方で砂と鉄がぶつかり合う音が、ひっきりなしに響いて、あちこちで雄たけびと、悲鳴、それと怒号があふれんばかりに飽和する。
いつもならそれで手一杯だ。自分がやられないよう、自分が追い込まれないよう、自分が敵を倒せるよう。それだけで目一杯だ。大体、敵も同じ布陣でくるから、俺の正面にくるのは、俺と同じ小柄の奴だ。勝率はよくて五分、相手の眼と勘がよければ、勝てる確率はもっとさがる。
でも、別にそれでいい。
正面のこいつに勝てなくて、まったくもって構わない。俺はずっとそいつ以外の奴を、視界の端で窺い続ける。
切り込み隊長の大男。切れ者っぽい面長の男。気弱そうで下がり気味になってる男。自信満々な無駄に装備が豪華な男。
どれでもいい、どれか一つ、たった一瞬、俺を見てない奴がいれば、それでいい。
打ち合いながら、いなしながら、引きながらじっと待つ。いずれ来るその一瞬を。
じっと。
じっと。
じっと。
待ち続けた一瞬に、俺は持っていた小剣を、大男の首元目掛けて投げ飛ばした。
この戦場の中で、俺が一番小柄だった。だから、俺が一番、敵の警戒から外れやすい。
事実、その大男はうちの切り込み隊長を押し込み始めて、優勢を取った瞬間に、俺のことが視界から僅かに外れた。
俺はただ、その一瞬だけを、待っていた。
小剣を投げるのは初めてだった。訓練をしたこともない、たまに傭兵たちのあいだで、的当てが遊びとして流行るくらいだ。
だから、それが大男首筋に綺麗に刺さり込んだのは、たまたまだ。
たまたま、その一撃が、綺麗に刺さった。
でも、その戦局はそれで充分だった。
大男が首筋に刺さった小剣に困惑してる間に、持ち直したうちの切り込み隊長が大男を切り倒した。
そのまま、動揺が走る相手の部隊を自由になった切り込み隊長が、横からばったばったと切り倒した。二人斬った時点で残りの奴らは散り散りになって逃げていった。
俺たちは別に正規兵でもないから、わざわざ敗走したやつの追撃なんてやりはしない。俺らの目的は、相手を滅ぼすことじゃなくて、戦争の終わりまでのらりくらりと生き残って報酬をもらうためだから。
戦闘がひと段落して、どうにか安堵の一息をついていたら、隊長がご機嫌に俺の頭を鷲掴むように撫でてきた。そのうち、他の奴らもにたにたとした顔で、血まみれの籠手で人の頭をわしわしと撫でてきやがった。
あんまりに乱暴だから、髪の毛が引き千切れるかと思ったが、まあ別に悪い気もしなかった。
そうして、何度かそうやって闘っているうちに、段々とコツを覚えてくる。
まず第一に、部隊の中の一番攻めっけのない奴を狙うこと。そいつと打ち合いながら、じっと機会を待っていること。
出来るならそれとなく、何気なく、横に、後ろに、回り込むように、誰かの死角を探すように動くこと。
時に岩の陰に隠れて、時に敵兵の身体を使って、時に熱風で砂が撒きあがった瞬間を狙って。じっと死角が出来る瞬間をまっていること。
狙うのは意外と、誰でもいい。
強い奴でも、弱い奴でも構わない。そいつを起点に数的不利が発生すれば、それでいい。
人数が勝れば、自然と相手が対応しなければならない奴が増えてくる。そうすればまた死角が生まれる。同じ要領で俺がそこをついてもいいし、逆に誰かがついてくれるのを待ってもいい。
知り合いの少年がやってる店で売られている小剣が、こういう時は便利だった。軽くて鋭くて、重心が少し手前にあるから咄嗟に持ち替えやすいし、投げたときに致命打になりやすい。仮に相手に刺さらなくても、その一瞬の隙を、目の前の味方が拾ってくれるならそれでいい。
隙ができた相手を崩すのに、特別な力は何も要らない。
圧倒的な膂力も、天賦の眼力も、神速の脚力も必要ない。凡夫なりのありふれた力で、歩兵としての凡庸な一撃で、充分だ。
そんな立ち回りを何年も続けるうちに『横槍のエルザ』なんて、不名誉なあだ名がつくくらいには生き残った。ま、そんな名前がつくころには、俺のことを真っ先に警戒してくる奴らばかりで、そんな隙を仲間についてもらうことの方が増えたんだけどな。
そうやって、凡夫なりに技を磨いて生きてきてた。
死んでなんぼの傭兵稼業を、経験という厚みで、どうにか耐えられるくらいには歩いてきた。
それなりに頑張ったと、そう想う。
それなりにやってきたと、そう想う。
たまに顔を見せるスラムのおやじの顔が、それなりに綻んでいるのを見るに、まあまあ頑張ってはいるのだろう。
でも、どこにでも圧倒的に、自分の力ではどうしようもないこと、というのはあるものだ。
一瞬だった。
ある戦場。
ある荒野の真ん中で。
俺をいれて五人の小隊が一人の女とぶつかった。
数的有利は言うまでもない。膂力も、速度も申し分ない。長年連れ添った仲間たちだ、経験も連携もこれ以上のものはない。圧倒的な戦果はあがらずとも、それなりにやってきた。常勝とはいかずとも、それなりに生き残り、負けた数より、勝った数の方が幾許か多くなってきた、そんな頃のことだった。
俺たちは、全く油断などしていなかった。
女、独り。数でも質でも圧倒的に有利だった。
そして細い霧みたいな、微かに湧いた油断さえも、剣を構えた瞬間に、全員の顔から消えていた。
獅子はその圧倒的な力を誇示するために、兎を狩るにも全力を出すのだろうが。生憎俺たちはハイエナだ。自分たちが本質的に強くないことを知っている。
だから決して油断しない。油断などしている暇がない。
ついでに言うなら、女の立ち振る舞いが、些細な所作から、その実力が尋常でないことを知らせていたというのもある。
だから、俺たちは女に斬りかかるときに、何一つ躊躇いはしなかった。
やり方はいつも通り、切り込み隊長が斬りかかる。仲間がその脇を固める。そしてその背後から死角を狙って、俺が小剣を投擲する。
正面、側面、背後から俺たちは同時に斬りかかり。
瞬間、女は消えていた。
比喩でも、魔術でもなんでもなく。
女は俺たちの視界から消えていて、空中で俺たちの剣が、虚しくかち合っていただけだった。
後から思考してようやくわかることではあったけど。
女は俺たちが剣を交差させる瞬間に、振り下ろされる剣を踏み台にして飛んだのだ。
俺たちの眼が追いつかない程の速度で、完全に全員の死角に到達する高さまで。
あと起こったことは単純で、着地際に困惑してる切り込み隊長と、脇を固めていた仲間の腕を、落下の勢いのままに女はばっさりと切り落とした。
誰もが唖然として、誰もが呆然とする中で、女は流麗な速度でゆらりと着地の体勢から立ち上がると風切り音を立てながら二本の小剣構えていた。
そして、うちの仲間を切り落としたはずの一対の小剣には、血の一滴すらついていなかった。それはもはや人間業と言える所業でなく、その時点で俺たちは、敗北と死を確信した。
十年近く、確かに戦場を歩いてきた俺たちの小隊は、そうしてあっけもなく壊滅した。
多少奇妙なことは、腕を切り落とされた仲間をかばう俺たちを、女は追撃しなかったこと。背を向けて、仲間を背負っていた俺たちを、どう考えても、あの女なら数秒と立たずに全滅させられたはずだった。だがそうはならなかったのは、あの女に始めから殺す気がなかったからかもしれない。むしろ撤退させるために、負傷させるという手を選んだのか。
命からがら帰還して、失血でうち一人が死んで、残り一人も、当然再起不能だった。
そして、五体無事だった残りの仲間たちも、誰ともいわず気付けば傭兵団を去っていた。
そうして、十年間、俺たちが積み上げてきた技も、経験も、自信も、腕も。
あっさりと、圧倒的な力の前に叩き伏せられていた。
たった一瞬、たった一合の斬り合いだけで。
俺たちの十年間は、無惨に根元から砕け散った。
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