雨上がりの恋

ツーチ

雨上がりの恋


 あたしは26歳の雨宮あめみやはる。コンビニでアルバイトをしているフリーターだ。以前は大学を卒業して会社に就職していたけど、上司や会社になじめずに退職してしまった。



 それから何となく何の目標もなく今まで暮らしてきて今はコンビニでアルバイトをしている。本当は絵描きになりたかったけど、それでは生活出来ないのでコンビニで働いて生計を立てている。



 コンビニというのは「便利な、好都合な」というコンビニエンスという語源が由来だ。そのコンビニには日々色々な人々が立ち寄る。



 新商品のスイーツを買いに来る人、お昼時に昼食を買いに来る人、公共料金の支払いや荷物の持ち込み、ハガキや切手の販売。なんでもありの便利屋なのだ。あたしはそんな社会の、人々に好都合な存在なのだ。



 なんて、そんなことを比較的客の少ない午後3時の店内で商品の陳列作業をしながら考えてしまっている。晴という名前に似つかわしくないひどくマイナス思考な考えだ。これから先の大きな夢や目標なんかもない。あたしの心の中は土砂降りの雨が降り続いていた。



 そんなある日、あたしは1人の男性が気になるようになった。その男性はいつも雨の日に来るのだ。ただ、何故か決まって雨が降り止んだ後に来る。雨宿りにコンビニに入って来るお客さんはいたりするけど、その男性はいつも来るのは決まって雨が降り止んだ後、それも降りやんですぐに来る。



 いつも同じ服。まっさらな白いシャツに空のような鮮やかの紺碧のズボンをはいていて、ズボンの後ろポケットからは紫色のストラップが顔を出しているのだ。



 そんな奇妙な彼のことをあたしはいつも気にするようになり、いつしか雨の日が楽しみになっていた。でも、一つ不満なことがあった。その人はいつも何も買うこともなく、雨上がりにふらっときて、またしばらくして出て行ってしまう。「何か買ってよ…………」レジに来ないと顔もよく見えないじゃないか。そんなことを思いながらあたしはいつもそんな彼をレジや陳列の途中に横目で眺めていた。



 そんな不思議な彼が来る楽しみが出来た雨の日。また、雨上がりの後すぐに彼がきた。いつのと同じ服装。でも、ズボンから出ているストラップの色が紫から青に変わっていた。服にはこだわりがなくてもストラップには気を使う人なのかもしれない。



 おしゃれのポイントは人それぞれだ。服には無頓着でも彼にとってはあのストラップがこだわりのおしゃれポイントなのだろう。

 そうして何もなくその彼の顔やストラップの紐をレジでちらっと見る日々が続いたけど、ある日あたしは勇気を出して声をかけた。



「あっ。あの!!」

「……はい?」

「い、いつも。……いつも雨上がりにいらっしゃるんですね?」

「はい。……あっ。ご迷惑でしたでしょうか?」



 あたしの声に反応して彼はこちらを向く。少し垂れ目の、それでいてどこが暖かみのある綺麗な目。初めてしっかりと見る彼の目は淡い茶色の綺麗な目だった。そんな綺麗な目に目を奪われてぼうっとしていると、彼は不思議そうに首を少しかしげていた。ふと我にかえり、慌てて言葉を続ける。



「い、いえ! た、ただ……不思議な方だなって……思いまして」

「ふふっ、そうかもしれませんね。僕は少し変なんですよ」



 確かに変だ。ここ最近、いつも来る。雨上がりに必ず。雨上がりだけに。



 しかもあたしのシフトがある雨の日だけに。他の人に彼の話題を出してみたことがあったが、そんな人は見たことがないらしい。どうやらあたしが店にいる時にしかやって来ないらしい。



 だから声をかけてみた。



 別にここから何か恋愛的なものに発展するなんてドラマみたいなことは期待なんてしていない。でも、何かあたしに用事があってここにやってきているのかもしれない。そう思って声をかけてみたのだけれど、どうやら違ったらしい。



 彼はあたしに優しく微笑みかけるとそのままコンビニから出て行ってしまった。勇気を出して声をかけてみたけど、変なこと言っちゃったかな……。もう来てくれないかも……。あたしは雨上がりの楽しみを無くしてしまったような気がしてとぼとぼとレジに戻った。



 でも、彼は再びコンビニに来てくれた。コンビニに入って来るとあたしに向かってにっこりと笑顔を見せてくる。そんな笑顔にあたしもレジから微笑み返した。彼は新商品のスイーツを何やら物珍しそうにじっと眺めている。どうせ何も買いやしないだろうに……。



 この人は、普段は何を食べているんだろう? ちゃんと食べてるのかな? スマートだし、もしかしたら偏食だったり? あれやこれやと彼の普段の様子を想像しながら彼をレジから眺めること3分程。彼はスイーツを眺めていた視線をすくっと上に持ち上げ、コンビニの店内をふらふらと歩いた後、いつものように何も買わずに店から出て行った。その日のズボンから出たストラップの色は水色だった。



 それからひと月ほどして待望の季節がやってきた。梅雨だ。



 普段なら梅雨なんて嫌いな季節だけど今年のあたしはこの季節が待ち遠しかった。普段よりもシフトをたくさん入れた。



「いらっしゃいませ~~!!」



 そんな梅雨の初旬、いつものように雨上がりに彼が来た。雨上がりのコンビニはお客さんもいない。あたしはレジから彼の元へ歩み寄り、声をかける。



「結構雨降ってましたね? 大丈夫でしたか?」

「ええ。大丈夫です。僕は雨に濡れたりしないんですよ」

「……え?」



 そう話す彼の服や髪を見るとまったく濡れた形跡がなかった。……結構な雨だったけど、何でだろう? そんな不思議な現象を見ていると彼がまた口を開いた。



「でも、雨は好きです。雨があるからその後にやってくる晴れ間がこんなにも綺麗に輝いて見えますからね」

「あっ。そ、そうですね!」



 そう言ってコンビニの雑誌コーナーの窓から見える陽の光を見つめる。あたしもその視線の先に輝く陽の光を見て自然と笑みがこぼれた。



「ふふっ、ではまた……」

「は、はい! ありがとうございました」



 あたしはペコリを頭を下げ、見送った。そんなあたしの目にはズボンのポケットのストラップの緑色が見えた。



 それから雨上がりのちょっとした間に来る彼との束の間の時間がまずます楽しく、待ち遠しくなっていった。



「へぇ、雨宮さんっていうんですか」



 あたしの名前を知ってくれた。



「絵描きを目指されてるんですね」



 あたしの夢を知ってくれた。



 一方の彼はあまり自分のことを話してくれなくて、あたしは彼が雨上がりが好きなんだと言うことしか知らなかった。なので、あたしは雨上がりについての話をした。



「どうしてそんなに雨上がりがお好きなんですか?」

「だって。素敵じゃないですか。雨上がりの景色は」

「景色……ですか? でも、晴れてるだけに見えますけど?」



 あたしはコンビニの窓から見える外の様子を見る。雨が上がって陽の光が見えているだけの晴にしか見えない。そんなあたしに彼は空を見上げたまま優しく言葉をかけてきた。



「ふふっ、そうでしょうか? 雨上がりの空はまだどこかひんやりとしているじゃないですか。地面も濡れててさっきまで雨が降っていたんだなって。でも、そんな世界が明るい陽の光でだんだんと暖まっていくのが好きなんです」

「…………な、なるほど」

「雨を知った後の景色は……キラキラとしてて綺麗ですよ」

「…………」



 本当に綺麗な目だ。彼の淡い茶色の目の中に青い空が映り込む。



「晴れの日は確かにきれいです。暖かくて気持ちがいい。逆に雨の日は嫌いだという人は多いでしょう。濡れちゃいますしね。でも、そんな雨の日を知っているから、余計に晴れた日もうれしくなるんじゃないでしょうか」

「雨の日を……知ってるから?」

「ええ、そうです。雨が上がって空の雲間から太陽が差し込んで。地表に蓄えられていた大量の水は少し、少しずつ温まった地面からなくなってまた空に戻っていく。そしてそんな空には……」

「…………空には?」

「ふふっ。では、また……」

「…………」


 

 彼はあたしに優しく微笑みかけるといつものようにふらりふらりとコンビニから去っていった。あたしはいつものように元気よく見送れず、ただ黙ってその後ろ姿を見続けた。ポケットからはみ出たストラップの色は黄色に変わっていた。



 それからも彼は雨上がりにコンビニに来てくれた。あたしは絵描きを目指していたころの絵を来るたびに見せるようになった。



「うわぁ~~、すっごく素敵な絵ですね」

「あ、ありがとうございます。えへへっ」



 褒められたのが嬉しかった。すごく。すごく。



 あたしはアルバイトを始めてからしばらく描いていなかった絵をまた描き始めた。でも、絵を描き始めた理由はそれだけじゃない。



 ……何となく彼が誰なのか分かったから。



 本当は描かない方が良いのかもしれない。けど、後悔しないように自分の気持ちを描いた。彼にあたしの気持ちを分かってもらえるように。喜んでもらえるように。



 休日やアルバイト終わりに少しづつ、毎日描いた。



 そして、6月の下旬。梅雨も終わり、暑い夏が来ようとしている雨上がり。彼がいつものように来てくれた。あたしはいつものように他にお客さんのいない店内に1人だけやって来た彼の元へ駆け寄る。



「…………いらっしゃいませ。あの……これ」

「……これは?」



 あたしは彼にいつものように自分の描いた絵を見せた。でも、それは新しくあたしが描いた絵。彼のために、彼の気持ちに応えるために頑張って新しく描いた絵だ。そんなあたしの絵を見て彼は優しい眼差しで微笑んでいる。



「本当に……素敵な絵ですね」

「差し上げます。今まで本当にありがとうございました……あたしはもう、大丈夫です」

「……そうですか。そうだ、お礼にこれを差し上げます」

「え?」



 彼はそう言っていつもストラップが見えているズボンのポケットから取り出したものをあたしにくれた。



「……いいんですか?」

「ええ。こんな素敵な絵をいただきましたから。そのお礼に」

「あ、ありがとうございます……」



 彼はコンビニのドアが開くと、ゆっくりと空を見上げる。



「まだちょっと空気がひんやりとしてる……。でも、それで良いんです。ゆっくりと、じっくりと暖まっていけば」

「ゆっくり……じっくり…………」



 空を見上げてそう呟く彼を見ていると、そのきれいな瞳をゆっくりとあたしに向け、とても優しい表情であたしに微笑みかけてくる。



「……では、また雨上がりにお会いしましょう……晴さん」

「…………はい。今まで、ありがとうございました!!」



 今までで一番きれいで、素敵な笑顔。太陽のようなサンサンとした笑顔ではない。不思議な不思議な笑顔だ。



 あたしはあたしの描いた絵を大事そうに持ってコンビニをあとにする彼の後ろ姿をしっかりと、最後まで見送り続けた。



「下の名前……教えてなかったのに……。ずっと見ててくれてたのかな」


 




 ♦ ♦ ♦






 それからしばらくして、長い夏がやって来た。長く、暑い、夏が。そんな暑い夏の間にもまたに雨が降ってくれることもあったけど。彼はもう来なかった。





 でも。良かった。彼に逢えて。





 あれからあたしはまた絵描きを始めた。ちょっとずつだけど。あたしはまた、自分の夢に向かって歩き出そうと決めたんだ。



「ふふっ、あたしの雨はもう上がったよ。ありがとう……虹さん」



 あたしは雨上がりの誰もいないコンビニで彼からもらった赤色のストラップに付いている虹を見つめてほほ笑む。



「……っあ」



 ふと窓の外を見るとさきほどまで降っていた雨が上がっていた。あたしは掃除道具を手に持ったままコンビニの外に出る。雨上がりの空にはとても大きくて綺麗な虹が空にかかっていた。



 あたしが描いた彼の姿と同じような。素敵な雨上がりの世界に、かれが……



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