9.神
自殺者が相次いだ事件から、数日が過ぎた。
ここはウィルユニバースのホスピタル、入院施設の一室。
「生態系の狂いなど、どうでもいいのだよ」
手首に巻かれた包帯を外しながら、イオンが言い放った。
イオンの横には、クロリクがまるでお人形のように、座っている。
「急激に増える動植物、急速に減る動植物。どちらも正常な反応だろう、数年後、氷大陸に10メートルクラスの隕石が落ちてくるのだから。ポールシフトも予想がつく。アーリスの終わりの刻が秒読みと言う訳だ」
イオンの話を黙って聞いているのはルシェラゴ・フレダー。
「フレダー君、私はね、キミのような思想家ではないのだよ。もうYHWHは終わったのだ。そうだろう? 結局、答えは何もでなかった。心があるとされる場所には何がある? 心臓だ。胸が苦しくなったり、痛くなったりするのは、血管が収縮してるからだろう。悲しいから泣く? 嬉しいから笑う? 違うな、泣くから悲しい、笑うから嬉しい。つまり感情など存在しないのだ。あるのは肉体だけ。体の変化が、感情というものがあると思わせ、それを引き出しているに過ぎない」
イオンの手首から、ハラリと床に落ちる包帯。
手首には傷跡さえ、残っていない。
「心という物体は存在しない。だが、体の変化によって、心と言うものが造り出されるならば、体をいじれば別人にもなれる。それは人間をコントロールできるチカラ」
イオンは黙って聞いているフレダーをチラッと見た。すると、フレダーはピクリとも動かずに座っているクロリクを見ながら、
「リスティア・フィン・クロリク、彼女をコントロールし、妙な絵を描かせたんですか? そんな人格一般論などを話されても無駄ですよ。彼女にアーリス語を喋らせる為に彼女の中に人口魂を入れたんでしょう?」
そう聞いた。そして、
「いきなり過ぎますよ。勝手な実験で、どれだけの被害が出ると思うんですか? あなたが手にかけるものは規模が大きすぎる。後始末する側の事も考えてもらわないと」
と、フレダーはイオンを見る。
「所詮、誰も知らない村の女だ。壊れてしまおうが、死のうが、責任は誰も問わない。あの村は今の時代には危険だ、宗教がある。近々、皆殺しの予定もあるのだからな。それに、彼女の背中をひとつ、押しただけだよ。面白いように運命は転がってくれたがね。私の家の書斎のデスクの鍵も簡単に見つけられただろう? 鍵など見つからなくてもピンで簡単に開く引き出しだがね。次から次へと用意された展開に、うまく転がってくれた。もともとプロジェクトチームYHWHの一員だったシーツが、あの絵を見て、素晴らしいと思わない筈はないし、絵を見てイエスに感情転移した奴等が正常にいられる訳はない。そしてこの異常事態を黙って見てるシンバではない。全て計画通りだっただろう? それに思わぬ結果も出た。神がいた時代よりも神がいなくなった時代、今の方が、神の影響は絶大だ。絵を見た者100パーセントと言っても言い程に、影響を受けた。神がいない時代をつくって正解だったと言う訳だ」
無表情で、無感情で聞いているフレダーに、イオンはクックックッと笑う。
「キミに任せたい妊婦がいる」
「妊婦ですか?」
「その妊婦が生む子供も、キミが診るんだ」
「・・・・・・シンバ君やシーツ君のように担当医になれと?」
「そうだ。妊婦の名はYHWH・ミリアム」
「・・・・・・YHWHですか?」
「そうだ。彼女は性行為なしに妊娠した。興味ないかね?」
「・・・・・・経緯によって興味が湧く可能性はあります」
「いいだろう、彼女の話をしよう。彼女の夫の名はYHWH・ジョセフ。大工をしている」
「それはコントロールなさったんですか?」
「どうかな」
任せたいと言いながら、全て手の内を見せない答えを言うイオン。
「シンバ君は最終的に、蝶の幻影に頭痛を訴えていました。恐らく、薬の副作用か、昔の事件、或いは、術後の後遺症かと思われます。シーツ君は後遺症はなかったものの、キリストに異様に反応し、瞳の色がアクアに変わっていました。これも術後の後遺症の可能性ありますよ、脳の手術は、何年も経ってから、目に来る場合があるんです」
「どちらにしろ、2人に表れた症状は、手術を行った可能性がある症状と言う訳か。だが、大した事はない。気の持ちようで治まる頭痛など、意味はないし、アクアに瞳が光る者も今までにいなかった訳ではない」
「ですが、シンバ君もシーツ君も双子でありながら、性格は全く似ていない。それは失敗だったのか、成功だったのか、どちらも確信がありません。所々の記憶障害もあったようですし、失敗の可能性が高いかと思われますが?」
「失敗だとしても、それは成功への通り道だ」
「あなたがそう言うのであれば、それでいいんですが。ですが、あなたの息子は2人共、まだ生きていますよ」
「・・・・・・そうか」
まるでサイボーグのような返事をするイオンに、とりあえず、息子の容態を話し出すフレダー。
「傷のない傷に手当てをし、昏睡状態です。私なりに彼等を追い詰めてはみたんですが、死を与える事はできませんでした。ですが本当に人間の精神は不思議ですね、スティグマが体に現れ、血が流れたり、見た映像で、傷つけられたり。我々が見ている世界も思い込みの世界だとしたら、本当の世界とは何か、我々はどんな世界で生きているのか、謎になりますね」
「キミも所詮、キリスト教に魅入られた魂だな」
そう言って笑うイオン。
「・・・・・・どうして今になってイエスの魂を出してきたんですか?」
そう聞いたフレダーに、イオンは今までにない表情を見せた。
「あなたは先程、YHWHはもう終わったんだと言いましたよね? でも終わらせていない。何故ですか?」
更に問うフレダー。
「息子が息子でなくなった時から、終わってる事だ、だから終焉を迎える為の準備をしている。もうすぐ世界が終わる。キミなら、その事実をどうするかね?」
息子がこの世にいなくなった時から、この世界を終わらそうと考えている、只の父親の願いのようだと、フレダーは思う。
「・・・・・・私は明日も変わらず今日と同じに、こうして、身を任せますが?」
「成る程。だが、キミのような人間は少ないだろう、殆どの人間がパニックになると予想される。例えば津波から逃げようとしたり、大地震を避けようとしたり、それは何故か? 生きたいと思うからだろう? だが、そう思うならば、逃げるのは間違いだ。終わりを迎えた世界で生き残っても、何がある? 飢えて死ぬか? 争いに巻き込まれ死ぬか? 地獄の世界を生きれるのか? パニックになるなど、そんな予想は有り得ない。実際は、世界が終わると知った時、人は安楽死を願う——」
安楽死。
イオンは全ての人間を殺して、彷徨う息子の魂と共にしたいのかと思う。
皆、同じなら、彷徨う事も寂しくはないだろう。
だが、フレダーは、人は安楽死を願うという事は、頷ける。
「・・・・・・まぁ、そうでしょうね、必ず死ぬ結果が出れば、誰でも楽に死にたいでしょうから、薬などで死ぬ者が増えますね」
「だが安楽死は許可が出ないだろう」
「そうでしょうね、万が一、生き残れれば、全滅は避けれますからね」
「そうまでして、人間を残したいかね、人間は——」
「それが人間ですからね。無意識の中で、復活や神の存在を信じる人間ですから、いずれ、誰かが残っていれば、自分も復活できると思うのかもしれませんよ」
見た事もない魂の世界で、息子を助けたいと願う父親の心理が、ここにもあるように——。
誰もが復活を信じる。
「納得はできんな。誰もいない場所で生きて彷徨うならば、皆共に死んで彷徨った方が救われる。それに復活できるならば、人間が一人もいなくても復活できる。それが奇跡だ。だからこそ、安楽死を願う者に、死を与えるべきではないかね? 苦しんで死ぬ事など、与えてはならない。未来が予知されているのだ、安らぎを約束してあげるべきだ。だからこそ、イエスがいれば、全ての人類が救われる。イエスが生まれるだけで、多くの人が死に至る。安楽の死に!」
その台詞は、人々への慈愛だろうか、それとも息子への執着だろうか?
どちらにしろ、また多くの人が死ぬだろう。
今度は世界を規模にして——。
「・・・・・・しかしスティグマを予想されてるんでしょうが、そううまくいきますかね?」
「行くさ。事実、妙な絵だけで自殺した者達が溢れた。その絵を見て、体に異変を起こしたんだ。自分自身を見るような感覚。残酷なまでのイエスの死が、明日は我が身であると言う念。今は神など存在しない時代だからこそ、イエスを身近に感じれる素晴らしい時代であり、それが、神復活である時なのだよ。嘗て、宗教が溢れた時代の中で、信者数が一番多く、全ての宗教の中で最も多くコントロールされた者達がいたんだ。イエスが笑うから笑う、イエスが泣くから泣く、それが感情と言うならば、感情が生まれる瞬間だ。そして、その血を我々人間は引き継いでいるんだよ」
数年後、10メートルクラスの隕石がアーリスに堕ちる事で、多くの犠牲者が出る。
その災害にも耐え抜いた所で、近々、イオンが手がけたYHWH・ミリアムという女性から、妙な赤子が生まれる。
成長した赤子が、何者なのか、今はわからないが、もしかしたら、追い詰められた人々が、縋る想いで、その子供に感情を奪われるだろう——。
赤い血が、アーリスに溢れる。
「・・・・・・そうですね」
フレダーは頷いて見せるが、まるで、どうでもよさそうにも感じる程の無感情さ。
「キミは私の指示にしたがってくれるね?」
「・・・・・・勿論です、私はアナタに雇われているに過ぎませんから」
無表情でそう答えるフレダーに、イオンは、
「その割りには考えて答えたな」
と、笑う。
「ひとつ、質問があります、イエスの魂はやはりアナタが持っていたんですか? 私が今回診る妊婦、いや、聖母と言った方がいいでしょうか、その聖母の中にいるのは、聖杯で、イエスの魂が入ってるんですか?」
「・・・・・・」
「だとしたら、私は完璧にやられましたよ、てっきりイエスは自ら我々の元を去ったのだと思っていましたから。だが、シーツ君に言われたんです、イエスの魂が命の巡りの列に並ぶのか、次に人間に生まれるかどうかもわからないのに、昆虫に生まれたら、昆虫の世界で革命を築くのかってね」
「・・・・・・」
「もし昆虫だとしたら、イエスは蝶でしょうね——」
「何故?」
「なんとなくです」
本当になんとなくそう思ったという柔らかい表情で笑うフレダーに、イオンは黙り込んだ。
イオンが手がけた妊婦の腹の子は聖杯で保存された魂ではないと、フレダーは確信する。なぜなら、イエスの魂がどこにあるのか、知っているのなら、無言はないだろうからだ。何も知らないから、何も言えないのだろう。だが、イオンが手がけた聖母については、プロジェクトチームYHWHの研究成果に続くものなのだろう。
なら、イエスの魂はどこに——?
謎は謎のまま——。
クロリクの中にどんな人口魂を入れたのかも、気にはなるが、今の壊れたクロリクを見ると、結果、こうなるのであれば、知る必要もない。
どうせ適当なキリスト教に関わる人物をプログラムされた使い捨て魂なのだろう。
だが、まだ使い捨てずに、ここに置いていると言う事は、まだ彼女は使えると言う事だろうか?
どの道、追々、わかる事だと、フレダーは、それ以上の質問はしない。
「生徒達の発表会は今年は中止にした方が良さそうですね。それとリンドミラーユニバーシティーから、アーリスに衝突する隕石について情報が来てます。今後、隕石の衝突を防ぐ為、ウィルアーナで詳しく調べてみてほしいと言われてますが、今回の事件で、有耶無耶にできそうですね。衝突は免れない、そうでしょう? 防ぐ事に手は貸すつもりないでしょうから。だが、今回の事はマスコミが、それこそある事ない事の激論になる記事を出しそうです。どうでしょう、ここらで、残った研究員達により、発見されたという恐竜の話を公表し、こちらから記者会見を開くと言うのは——」
「あぁ、そういうのはキミに任せるよ」
「そうですか、では、眠っているシンバ君とシーツ君はどうしましょうか?」
「好きにしてくれて構わない、所詮、息子を真似た人形だ」
イオンはそう言うと、黙って動かないクロリクを見た。
そんなイオンを見て、フレダーも、黙ったまま、軽く会釈をし、部屋を出ようとして、呼び止められた。
「フレダー君」
「はい?」
「私は・・・・・・私の考えは呆れる程、親馬鹿かね?」
「いいえ、イオン教授は、万能者です。未来、神の復活を恐れながら、神の復活に手を貸し、様々な学問で素晴らしいキッカケと言う足跡を残す、天才。人々に逃げろと忠告しながらも、態々、人間達を神の世界へと案内させるレオナルドのようです」
「なら、私は神にはなれず、思い通りになる事もなく、名とキッカケと謎を残したまま、この世を去るんだな」
と、笑うイオンに、フレダーはペコリと頭を下げ、その部屋を後にした。
そして、ふぅっと溜息を吐き、眉間に指をあて、少し疲れたのだろうか、そういう仕草をする。
「ルシェラゴ先生」
その声に、顔をあげると、花束を持ったザタルト・エノツ。
「あぁ、お見舞いですか?」
「シンとシーツ君の・・・・・・2人はどうなりましたか?」
「大丈夫ですよ、恐らく」
「恐らく? 絶対じゃないんですか?」
「医者は絶対なんて言えないんですよ」
そう言って笑うフレダーに、笑えるだけ大丈夫なんだとエノツはホッとする。
「まだ昏睡状態が続いています。でも会えますよ、案内しましょう」
にこやかに、歩き出すフレダーの後を追いながら、エノツは、
「ヴァイス君も、お見舞いに来たいと言っているんですけど」
そう言った。
「ヴァイス君? ウィルティス君の友達ですか?」
「はい、凄いんですよ、ヴァイス君は、シンとシーツ君、間違った事が一度もないんです」
「・・・・・・それは凄いですね。どちらかに物凄い執念でもあるんでしょうか?」
「そうかもしれません、常にシンに対しては、どこか挑戦的だったし。あの、ヴァイス君から聞いたんですけど、新しく研究員や研究生が入るらしいんですけど」
「あぁ、そうみたいですね、自殺者が多く、大学内も人が減ったでしょう? 只、減っても、何ら影響はない。ウィルアーナに来たい天才など、世界中に存在する。募集すれば、あっという間に集まるでしょう」
フレダーは、このウィルアーナに、只の天才を集めるのかと、もう大学がどうでもいい扱いになっていく事が、本当に世界を終わらす気のイオンに、何故か笑えてくる。
「あの・・・・・・もう日常に戻れるんでしょうか? もう二度と変な事は起きないんでしょうか? 今回起きた出来事って事件なんでしょうか? 事故なんでしょうか?」
「さぁ? 小児科医の私には、わかりませんね」
いつも知っているのに、知らないふりをして、首を傾げているような気がするとエノツは思う。だから、
「今回の事って、キリスト教が関係してるんですよね?」
と、思ったままを尋ねてみた。
「さぁ? 神などいない時代ですからねぇ。なんとも言えませんよ。只、私もアナタも妙な出来事に興味を持ち、皆に合わせ、妙な出来事に足を踏み入れた。ウィルティス君の異常にも気が付き、何が原因か知る為にも、2人を泳がせて見た。それだけの事ですからね」
「それだけの事って! でも!」
と、エノツが何か言おうとしたが、
「でもキリスト教が関係していたとして、誰がキリスト教を今更出してきたんでしょうね? 誰が何をしたって訳じゃないでしょうからね。結局、謎は謎のまま。事件にするには、誰も得しませんし、事故にするには、事件性があり過ぎる。まぁ、偶然が重なり悪夢を呼んだってとこでしょうか? どう思います?」
と、フレダーが先に言葉を吐き、聞き返された。
「・・・・・・あのビレッジの」
「ビレッジ?」
「はい、リスティア・フィン・クロリクと言う女の人——」
何の確信もない、だから言葉に詰まるエノツ。
「キリスト教なんてものは、神のいなくなった時代でも、幾らでも知る事ができる。リスティア・フィン・クロリク、彼女もまた誰かの手の中だったのかもしれませんからね」
「・・・・・・それってイオン博士もですか?」
そう尋ねたエノツに、フレダーは振り向いた。
「あ、いや、彼女、イオン博士の家に泊まってたなって思い出したから」
突然、振り向いたフレダーに言い訳するように言うエノツ。だが、フレダーはにこやかに、
「さぁ、どうなんでしょうね、もし、イオン博士が誰かの手の中にいるとしたら、彼が手がけたもの全てが、その誰かの為になる事ですね」
と、言う。
その誰かとは誰なのだろうとエノツは思う。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだったのかなと、エノツは考える。
誰かの為に、全ての学問にヒントを与え、足跡を残したレオナルド・ダ・ヴィンチ。
そして、人類を科学の世界へ導いた。
だが、フレダーには何も聞けず、違う質問が口を吐いた。
「・・・・・・ホントに、何故、キリスト教なんでしょうか?」
「それはレオナルドが描いた絵画が答えですよ」
そう言いながら、フレダーは白い扉を開けた。
その部屋には、2つのベッドとそのベッドの間の壁に大きな絵画。
「モナリザ?」
ベッドの膨らみで、誰かが寝ているのがわかるが、エノツは、それよりも絵画に目が行った。
「いえ、洗礼者ヨハネです」
「洗礼者ヨハネ? それって、12使徒のヨハネですか?」
「違いますよ、イエスが誕生するとマリアに告知をした大天使ガブリエルは、続いて、マリアの従姉であるエリザベトの元にも聖なる子の誕生を告げに行っているんですよ。そしてイエスより半年早く、その子は生まれます、それが洗礼者ヨハネ」
「・・・・・・イエスとどう関係する人なんですか? 血縁関係にあると言うだけですか?」
「ヨルダン川において、洗礼者ヨハネから洗礼を受けるというイエスの生涯のエピソードのひとつに出てくる登場人物ですよ。洗礼とは所謂ひとつの儀式ですね。洗礼者ヨハネは都市生活から離れ、神の審判が迫っている事を説き、人々に悔い改めの印として、洗礼を施していたんです」
「じゃあ、この人がイエスを神の子だと!?」
「どうでしょうね、聖なる子の誕生、受胎告知をしたのは、大天使ガブリエルですしねぇ」
「・・・・・・この絵は誰が描いたんですか?」
「あなたも間違えたじゃないですか、モナリザと。だとしたら、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵でしょうね」
絵画はモナリザに似ている者が、不適とも取れる笑みを浮かべ、人差し指で天を指している。
「・・・・・・洗礼者ヨハネ」
絵画を見て呟くエノツ。
この絵が何を意味するのか、わからない。
だが、万能の天才が描く芸術だ、それがキリスト教ならば、キリスト教なのだろう。また違う神だったのならば、違う神が、全ての人類に影響を与えたのかもしれない。
それ程、レオナルド・ダ・ヴィンチはイエス同様、人々に影響を与えれる人物なのだ。
そして、人類が興味を持つように、不可解な謎を残している。
洗礼者ヨハネ。この絵画もまた謎だ。聖なる者の筈なのに、笑顔が、不敵で怖く思えるのは何故だろう?
不思議でならない。
己が正しかったんだと、主張されているように思える。
それが正しければ、洗礼者ヨハネが言った通り、神の審判が必ず下ると言う事だろうか。
それはいつ——?
「洗礼者ヨハネが天を指していますが、天に見放されるのはどちらでしょうね」
そう言ったフレダーに、エノツはハッとして、ベッドに寝ている二人を見る。
どちらがシンバかシーツか、全くわからない。
頭に巻かれた白い包帯に滲む赤い血。
エノツは血縁関係が意味する謎がわからない。
皆、誰でも血を受け継いで、今、ここにいる。
それは誰の血を受け継いでいるのだろうか。
そして、その受け継いだ血を止めるのは誰か——。
この世界に、まだ見ぬ者が生まれようとしている——?
「あの? 手術したんですか? 頭に包帯が巻かれてるけど、髪の毛が包帯の中に全部おさまるとは思えないんですけど」
「あぁ、そうですよ、髪は邪魔だから全部、剃ったんですよ」
「手術する程の怪我だったんですか!? だって、怪我はしてませんでしたよね!? 血は出てたけど・・・・・・あれって結局どこから血が出てたんですか!?」
「さぁ?」
「え、だって、あ、あの! 誰が手術をしたんですか? 是非、手術をした先生に話を聞かせてもらいたいです!」
「私がしましたよ」
「・・・・・・だって、先生は小児科医ですよね?」
「ええ」
「脳外科医の先生じゃないのに手術を!?」
「シンバ君とシーツ君の体は私が管理するよう、イオン博士から言いつけられていますからね」
「だからって! それに怪我もなかった筈なのに、頭を開いたって事ですか!?」
「何も心配いりませんよ、全ての医学は私のテリトリーです」
「・・・・・・」
エノツは、唖然とする。だが、聞かなければと、
「どんな手術だったんですか? 2人は大丈夫なんですよね?」
と、フレダーに迫る勢いで聞いた。
「聞きたいんですか?」
「え?」
「どんな手術だったか、聞きたいですか?」
「い、いや・・・・・・」
迫る勢いが途絶える。
フレダーがどんな手術をしたのか、聞くのが怖いからだ。
「あ、あの、僕、花を入れる花瓶をナースステーションで借りてきます!」
「あの子はどうなりましたか?」
「え?」
「背中に翼の生えた——」
「・・・・・・ラテですか? ラテは記憶がないんです」
言いながら、エノツは俯いた。
「ラテはあの時の記憶がありません。背中の翼みたいなのも、ボクが彼女を助けた時には、もうなかった。いや、視界がおかしかったのかも。何かが翼に見えただけなのかもしれない。誰もが見間違いをする錯覚ってありますからね」
「それで彼女は今は?」
「仕事も休んで、家にいる筈です。あの後、高熱が出て、大変でしたから、多分、その熱のせいで軽い記憶障害が起きてるんじゃないかと思います」
「そうですか、彼女、弓を使うんですね」
「え? あぁ、幼い頃、習っていたんですよ、でも今はやってない筈です」
言いながら、エノツは、何故、フレダーが、ラテが弓道をやっていた事を知っているのかと言う事よりも、ラテが射る矢が、シンバとシーツの脳めがけて貫いた時の事を思い出す。いや、実際は貫いてなどいない。そう見えただけ。
やはり、目の錯覚だったのだろう、あの時、ラテが2人に見えた。
それに決定的に目の錯覚だと言える証拠は、シンバとシーツの頭はどこも怪我などしていないからだ。
なのに、どこからか血が溢れた。
あれはなんだったのだろうか——。
人は幻で、どこまで真実に触れるのだろう。
「アルテミスを思い出しました」
「え? アルテミス?」
「ええ、彼女はアルテミスのようですね。月の女神とも言われるキリストの神話ですよ。そう言えば、エスプテサプラにある大学に、月の女神がいると言われています、一度、見に行ってはどうですか?」
そう言って微笑むフレダーに、エノツは、とりあえず頷いて見せる。
「知っていますか? アルテミスも双子なんですよ」
「え?」
「ゼウスとレトの娘でアポロンの双子の妹になるんです」
そう言われても、エノツは頷くしかできない。
「月と太陽の神。光と影。双子なのに全く違う性質。普通は有り得ない。双子とはそっくり似るものだ。同じDNAを持って生まれたのだから」
あの時、ラテが2人に見えた事が何度も頭を過ぎるが、そんな事、今更、言う必要はないだろうと、エノツは黙る。そして、
「・・・・・・でもシンとシーツ君は似てませんよ? 顔は似てるけど性格は違います」
そう言って、フレダーを見た。
「そうだね、だからわからないんですよ、成功だったのか、失敗だったのか——」
「え?」
「もしも2人がひとつだったら、どうなるんでしょうね? ひとつの肉体に2つの魂が連動できるとしたら、それは双子の肉体だからできると思いませんか?」
「え、どういう意味ですか・・・・・・?」
「双子は全く同じなのに2人いる。それは魂も同じものが2つあると言う事。だから、同じ魂をひとつの肉体に2つ入れても問題ないと思いませんか? 壊れる事もなく、自分をずっと保てると思いませんか?」
「・・・・・・い、いやぁ、それはどうでしょう」
エノツは答えに困り、変な顔になってしまう。
「もしもそれが成功すれば神になれるんですがね」
そう言って笑うフレダー。
「神にですか?」
「イエスのように衝撃的な死を皆に見せながら、それをシンボルにする事で、人々をコントロールする力を得た上で、更にまだ生きている。そんな事ができれば、神だ」
「でもシンもシーツ君も2人いて、2人共、違う人間です! どちらかが死んでいいとか、どちらかが生きるとか、それは違います! 2人共、違う人間ですから!」
「そうですね」
と、フレダーはニッコリ微笑んで頷いた。
「・・・・・・ヴィルトシュバインさんが言ってました」
「誰ですか?」
「ヴィルトシュバイン・ハバーリさん。知りませんか?」
「あぁ、電子工学者の? 今は学者から離れていると伺ってますが?」
「はい、変な店を開いています」
そう言ったエノツに、フレダーはフッと鼻で笑った。
「ヴィルトシュバインさんが言ってました。神は存在しないって」
フレダーは、ふと、昔を思い出す。
YHWHプロジェクトチームが結成された時、ヴィルトシュバイン・ハバーリが、この大学を去った時の事を——。
「神は存在しない! 運命は自分で切り開くものだって!」
成る程と、フレダーはまた鼻でフッと笑う。
「・・・・・・あの、イオン博士は、2人がこうなってる事を知っているんですか?」
「あぁ、知っていますよ、嘆いておられました」
「そうでしょうね、大事な息子が2人も昏睡状態だなんて・・・・・・」
エノツは俯いて、そう言うと、トボトボと歩き出し、部屋を出て行った。
花瓶を借りてくるのだろう。フレダーは、
「昏睡状態だからではなく、死ななかった事に嘆いておられるんですよ」
そう呟いて、眠っているシンバかシーツか、どちらか、わからないが、見つめる。
そして、2人の間で、話し始める。
「覚えていますか? 幼い頃、あなた達は、憎み合っていましたね。何故ってそれこそ運命だったのかもしれませんよ。そして事件が起きた。あなたは一度、死んだんです。飾りの斧で頭を割られ。その後、私が手術したんですよ。双子の片方の脳を全く同じに培養したものを、脳の半分に繋いだんです。無謀な手術でしたが、完璧でした。そうして肉体は元に戻した。だが、肉体に損害がある為、人口魂では、肉体に人口魂が付着しない恐れがあった。その為、肉体に損害がない方の魂を取り出し、その魂を入れ、そして、魂を抜かれた肉体には人口魂を入れ、尚も2人、生きているのに、イオン博士は殺したがる。あなた達2人は、私の作品の中でも完璧なのに。傲慢な愛情の押し付け、いや、そうではなく、きっと、怖いんでしょうね、あなた達が。息子と思えなくなっているのでしょう、もうどっちがどっちなのかさえ、わからなくなっているのだから。それとも私の完璧な作品に恐れを感じているのか。なんにせよ、結局は、皆、デッドエンドを迎えるんでしょうね。だけど、あなた達を好きにしてもいいと言われているので、私は無闇に殺しませんよ、まだまだ生きててくださいね、私の大事な作品であり、サンプルでもあるのですから」
楽しそうに話すフレダー。
デッドエンドを迎える。
だが、もしかしたら、2人、どちらかが目を醒ましたら、デッドエンドの壁を突破するのではないかと、フレダーは、面白そうに笑う。
なぜなら、どちらかの内、一人が、人口魂で生きている。
様々な困難は伴うが、人形のようにならず、自らの感情で動き、五感で捉えた影響に刺激されると言う事は、人口魂なのに壊れる事もなく、今も尚、生きていると言う事だ。
人口魂なのに——。
デッドエンドを迎えるのは人間だけだとしたら・・・・・・
だとしたら、果たして、人口魂で生きている者は、どうなるのだろう?
万が一にも、人間だと、神に受け入れられるのだろうか?
もし受け入れられたとしたら、それはそれで、魂と同じものが創りあげられたと言う事だ。
完璧な魂を人間が創った——。
そんな事を考えると、これからの展開が楽しくてしょうがない。
「で、蝶はまだ夢の中で飛んでいますか?」
絵画、洗礼者ヨハネの不敵な笑みが、勝ち誇って見える。
さぁ、目覚めるのはどちらだ——?
神に逢えるのは、どちらだ——?
光が怖いか? 闇が怖いか?
誰の中にも存在するモノが覚醒する。
もうすぐ、生まれる——。
今、ラテがグロビュールを握り締め、瞳を閉じた。
それと同時に、シンバか、シーツか、左手がピクリと動く。
また同時刻、聖母が腹の中の胎児に微笑み、名をつける。
「この子の名前はヤソ。ヤソにするわ」
ヤソ。
別名、イエスとも読む——。
もうすぐ生まれる。
まるで誕生を祝うように、聖母のまわりで蝶が飛ぶ。
「あら、窓から入って来たのかしら?」
幻覚じゃない。
その模様の蝶は、存在し、今、聖母の手から、空へ向けて放たれる。
青い空に向けてヒラヒラと舞う蝶——。
この世は神のいない世界。
高度文明と約40億人の人口と——。
それ等を乗せる、闇の中、動き続ける船、アーリスと呼ばれる星。
その船を動かす船長は、この世界のどこかにいる筈——。
どこかに——。
DEAD ENDⅡ~IF~ ソメイヨシノ @my_story_collection
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