第3話 ラストダンスは要らない

 はく製になってしまった天才たちについて貴方は知っているかな。そう、27クラブと呼ばれるロックスターたちのことだ。27歳の若い歳に夭折した彼らは、時代の変わりや肉体の衰退と共にその天才性が色あせることなく、最大のカリスマを放つ姿のままはく製された。


 まだ景浦七鶴がダンサーを目指していた時、彼女もそのような未来を想像していた事がある。最高の舞台を演じた後に、若いまま死をむかえ、人々に永遠にその輝きを残すこと。それは幼い頃に誰もがよくする空想に過ぎなかったし、足を怪我することで永遠の輝きどころか残り火さえも消えていた。


 少なくとも、2018年11月30日まで、景浦七鶴はそう思っていた。


 ちなみに、多くの人々の考えとは異なり、天才のはく製という現象は独立した一つの行為ではない。一瞬の燃焼、それを無限に再演するテクノロジー、そのテクノロジーに宿る物語への熱狂。それらによって合成され支えられているのが、あの永遠の輝きなんだ。




 Act3 ラストダンスは要らない


 カフェの中にいた人々の視線が、大声のせいで五人のテーブルに集まった。なんでもないですよ、といった風に根田が彼らに向けて手を振った。板羽は質問になってない鷹阪の質問に何も答えることがなかったし、鷹阪はこれ以上続ける言葉をさがせなかった。


「気が早いのね?分かったわ、鷹阪さんへのスカウトはなしということでしておくね」

「勝手にして下さい」

 息を荒々しくしている鷹阪を置いていて、根田が今度は七鶴に向けて問う。

「景浦さんはどう?リリースネットワークで一緒に変化を起こすつもりはない?」

「先輩、いきましょう。こんな連中――」

「魔法少女の会は誰でも自由で平等でなかったっけ?だったら邪魔しないで、選択は景浦さんの自由に任したら?」

「……お二方は、私から肯定の返答をお望みですか?」

「いくらでも。」

「七鶴さん、お願いします。私は七鶴さんが …… 七鶴さんが一緒に協力して欲しいです」


 景浦が板羽の言葉に一瞬迷った。板羽は前と同じ要求をしていた。その震え声を忘れるもんか。表現は別のものだが、その中身は一緒で違いない。鷹阪がそうであるように、景浦も板羽と出会った日を忘れていない。その時、板羽は今と同じく、さみしいと言っていた。その時、景浦は板羽を抱きしめて守ってくれると約束した。


「ありがたい言葉ですが、遠慮します」


 板羽が下の唇を噛んだ。怒ったのかな。悲しいのかな。それとも何か覚悟を決めたのかな。その感情の正体は景浦には分からないが、彼女にまた一つ、傷が増えたということだけは理解した。ここで慰めようとしても、その数を増やすだけだということも。


「仕方ないわね。ただ、私たちにそのフィードバックを貰えるかしら。鷹阪さんは……わざわざ理由を聞く必要ないでしょうね。景浦さんの方は何故リリースネットワークへの参加を拒否したの?率直に言うね、あんたもう魔法少女の会では捨て札と同じでしょう?」


 景浦は根田の言葉を否定する気にはなれなかった。四年前の事件で集会では除名が言及され、所属はそのままであるものの、もうそれから支援も受けてなく指揮も取ったことがない。今になっては集会と景浦の間には最低限の連絡や報告を行われるだけであり、別に鷹阪と別れる必要もない訳で、集会から抜けても今の景浦に損はない。


「はい。私はもう集会から期待されていませんし、私からも集会への愛着はあまりありません。鷹阪小桃という若手の腫れ物でしかないでしょう」

「絶対そんなことありません!」

「小桃ちゃんも、実は分かってるじゃない」

「先輩!」


 鷹阪の方を振り向くことなく、景浦は根田と板羽が座っている向こう側を見ながら話を続けた。


「ですが、そうなった理由は、四年前の事件のせいではありません。私はもう魔法少女として活動することを望んでいない、それだけです。私の魔力はずいぶんと衰弱となり、代わりに経済的にはなんとか安定した所です。だから、今の私はこの生き方に満足しようと思っています。変化を起こすとか、時代が変わるとか、もう私とは関係ない話です」


 板羽も鷹阪も、その時、まだ覚えていた。魔法少女の会について改善点がまだまだ多いと言っていた彼女を。いつかダンサーになったら有名になるに決まっているからサインもらっておいて、と冗談を言っていた彼女を。あなた達を守ってあげると約束していた彼女を。


 そんな彼女はもうこの場にはいなかった。もしかしたら、四年前にすでにその姿を消したのかも知れない。


「じゃあ、私も帰ります。琉衣花、また連絡してね」

「さあ、それはどうかね」


 根田が「今よ」というと、板羽はそのままポケットから財布でも取り出すように、自然に何かを取り出した。それが何物かははっきりとしなかったが、鷹阪はそれがカフェに入った時に根田が渡したものであり、川口に向いていることだということは分かった。


「志衣、伏せろ!」


 自分の左腕で志衣の顔をかばいながら、鷹阪が床に転んだ。カフェの人々の視線が再びテーブルに集まった。鷹阪の杖から鉄の匂いがした。板羽の手には小さい香水の瓶があって、その瓶から降りかかった血が鷹阪の肩を赤く染めていた。


「な、なに、これ。血?るいるい、お前なにした」

「なんでかばったの?小桃さんは命が欲しくないの?」

「何を言ってるんだ、お前」

「あと、るいるい呼ばわりしないで。これから呼ぶこともないだろうけど」


 血。鉄のような匂い。琉衣花。命。琉衣花の血。魔法少女の血。その時、景浦の脳裏に「ミラーボール」という名前が稲妻のように走った。その記憶を承認してくれるように、板羽は軽く二度拍手をした。景浦がいきなり鷹阪の服を掴んだ。


「小桃ちゃん、それ脱いで!早く!」

「はい?今度は先輩までどうかしたんですか」

「上着、脱いで!!はやく!!」

「いったい何の…え?あ?」


 その呆れた声が悲鳴に変わるまでそんなに長い時間は必要なかった。カフェの人々が覗く反対側から、ガラスを破って『大波』が中へと浸透して来た。魔法少女の血が炎へと変わる時間と一緒に。


 流星の如く燃やし灰一つ残らない人生

 我これを望まず

 名の無き生だとしても小さい扉ひとつ、納屋ひとつ

 桃が熟する垣一つ残すべし


 苦しさに正気を失った鷹阪と、燃え上がる彼女の上着を脱がせる景浦の前に、巨大な二つの歯車が立ち塞ぐ。川口の魔法アクセサリーが『大波』で発動したのだった。景浦が鷹阪の上着を脱がしたことを確認し、川口が声を上げた。


「はやく、景浦さん、はやく!」


 川口も何度も『大波』を経験し、魔法少女の会の教えによって基本的な手順は分かっているつもりだった。自分の足から肩までの大きさを誇る二つの歯車を防壁みたいに構えたまま、景浦に魔法少女としてやるべきことを指示した。


「人々を避難させて、119を呼んで下さい!ここは私が!」


 発光魚類たちの突撃による衝撃に備えて歯をくいしばった川口は、腕に何の感覚がないことに疑問を浮かび、二つの歯車の合間で外を覗いた。


 発光魚類たちが、板羽の周りに集まって、優雅に踊っていた。


「言ったでしょ、時代は変わるって」


 誰に向かって言ってるのか、板羽はそう呟いた。


「私たちが怯える時代は終ったんです。彼らが魔女たちに怯える番ですよ」


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「小桃ちゃん、しっかりして!小桃ちゃん!」


 鷹阪は体が怠くて何も答えたくなかった。今まで何してたっけ。そうだ、カフェで板羽の奴に怒ってて、その場を離れようとして……そこから鷹阪の頭がちゃんと回らなかった。何故か分かんないけど、この揺れている状態のせいに違いない。だから頭の脳みそが均衡を保っていないんだ。なんで揺れているんだっけ。頭の中にまた霧が掛かったようで、鷹阪は唸り声を出す以外に何も出来なかった。そこで一つ、その深い霧を切り裂いて、問うべき質問が浮かんだ。


「大丈夫……ですか……志衣は……」

「わ、わたし、あっ、ここに、います」

「良かった……」

「小桃ちゃん!小桃ちゃん!」


 走る救急車の中で鷹阪は意識を失った。景浦が鷹阪の体を掴もうとすると、患者に危ないと救急隊員が止めた。景浦は今朝鷹阪と一緒に買ったアクセサリー箱を抱きしめたまま涙を流した。涙は昨日の分まであふれ出て、どうしても止まらなかった。


 川口の方はいまだに興奮が収まらず、荒々しく息をしていた。川口も川口なりに『大波』を経験したと思っていた。それが素人の錯覚や子供の傲慢に過ぎないことに、今日の事件を通して川口は分った。景浦と力を合わせても逃げることが精一杯だった。


 救命救急センターに到着し救急車から降ろされた鷹阪は、そのまま手術室へと運ばれた。後に景浦は保護者代わりとして手術同意書を渡された。手術中患者が死亡する可能性があるという医療関係者による説明を聞きながら、景浦は「全てを承知して同意します」という選択肢を選んだ。残された二人は保護者待機室で手術経過を待つ他に何の行動も取れなかった。何時間も過ぎて昼食どころか夕飯の時間が近づいてきたが、景浦も川口も何かを食べる気分ではなかった。


 それからいくら経っただろうか。景浦はまた他の人に呼び掛けられ、鷹阪の状況についての説明を聞いた。右の肋骨から腹の方に出来た15 ㎝の刺傷は幸いにも無事に手術を終えた。問題は左手の手の甲から肩にかけて出来た火傷だった。火傷の程度がひどく、切断以外の選択肢がないというのが彼の説明だった。


「ただ、不幸中の幸いと言いますかね。こういう場合には全身火傷になりやすいですが、綺麗なほどに肩までしか損傷がありません。切断して治療を受けたら、他の部位は問題なく機能するでしょう」


 そう説明する彼に、「ああ、それは魔法が原因だからです、あと、腹の傷は魔法の鎖鎌によるものです」、そう言えるわけがない。景浦はただ黙々ともう一つの同意書にサインするしかなかった。治療費用のことは、今は考えないことにした。景浦はまず近くのコンビニでおにぎりと牛乳を買ってきた。川口は何一つ手を出せなかった。景浦はそれを責めることが出来なかった。自分も同じだったから。


「志衣ちゃんは、その、親には連絡したの?」

「……」

「小桃ちゃんはまだ集中治療室だって。だから、今日はもう……困ったらうちで寝ても良いよ」

「景浦さん、は、鷹阪先輩のしん、親友なんですね?」

「うん、信じて良いよ」

「な、な、何で、何もしないんでしょうか?」

「私たちに出来ること、今はないから。後で小桃ちゃんを助けるためにも、今は戻ろうね」


 川口は震える両手を取り合って、大きく首を横に振った。震える小声で川口は自分に出来ることを言った。荒い呼吸がその言葉と言葉の間を切り、川口が喉から発した文章を終えることを邪魔していた。


「ころ、ころして、しまい、しまいましょう……」

「志衣ちゃん、なに言ってるの」

「おな、同じ方法で、ころして、たかわき先輩と、お、同じ方法で……」

「ダメ」


 景浦は川口を落ちつけようとその肩を両手で掴んだが、川口はその手から離れようと暴れた。「じゃあ、鷹阪先輩は、なんで私じゃなくて鷹阪先輩が!」と叫ぶ川口を抑えながら、景浦はもう感覚なんてないはずの右足から何度も何度も痛みを感じた。


 景浦が見て来た鷹阪の誠実さと実力であれば、公務員の採用試験はきっとパス出来るだろう。けれども、左腕のない彼女が警察になることはないだろう。また、その誠実さや実力を取り戻すまでどれだけの時間が必要だろうか。そもそも魔法少女の会が出してくれる支援金だけでは生活することすらぎりぎりで、治療費を全部支払うなんて無理だ。たとえ体が回復するとしても、精神が回復するにはどれだけ掛かるだろうか。それでも。だったら。


「ダメだよ、志衣ちゃん。それじゃ、琉衣花みたいになっちゃう」

「なります、なりますよ!私なんか、魔法少女より、魔女になれる方が」

「だから、私が代わりに復讐してあげる」


 もがいていた川口が、いったい何の話なのかと、景浦を見上げた。


「私の心はね、他人からえぐられた傷と、私が自分で作った傷で、もう一杯なの。私なんて、もう私が憎くて憎くてたまらない」


 景浦は傍に置いていたアクセサリー箱を川口に渡した。川口はそれがどういう意味なのかその時は分からなかった。その箱を受け取った川口の手の上に自分の手を重ねながら、景浦はまた話し続けた。


「だから、これは志衣ちゃんが小桃ちゃんに渡しておいて。傍にいて、小桃ちゃんが私みたいにならないように見守ってあげて。嫌だと言っても傍にいて、鷹阪小桃という人間が景浦七鶴みたいにならないようにして」

「訳が、わかりません」

「うん。実は私もわかんない。多分ね、琉衣花も同じなの。自分が憎くて憎くてたまらないんだ。子供だから。だから復讐出来るのは私しかいない」

「全然分かりません!」

「分かるよ。一人だけでは難しくても、小桃ちゃんと志衣ちゃん一緒なら探せるよ。きっと」


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 23歳の景浦七鶴は知っていた。自分より8歳も年下の板羽琉衣花が自分を「お姉さま」と呼び抱き着く時、それが友情以上の感情を込めた行為であることを。初めて出会ってから4年の間、板羽はもっともっと綺麗に成長した。彼女の一挙手一投足に自分の心拍数が上がることは無かったと言うと、それは真っ赤な嘘だ。


 景浦七鶴は成人する前、自分が愛する人は女の子であることを知った。そして、時々、他の子からそう見える好意だとしても、それは自分が持っている感情とは全く別のものだということをも知ることになった。


 だから、確かめることは怖かった。

 だけど、自分を受け入れてくれる板羽のことが嬉しかった。

 けっきょく、お互いに甘えていた。


 板羽琉衣花が「小桃さんには秘密にしてふたりで会いましょう、お姉さまに素敵なものを見せたいです」と耳元に囁いた時、拒むべきだった。そんな秘密を作ることは良くない、と。大人にそんないたずらをしてはいけない、と。でも、友情以上の感情の正体を確かめる機会があるかも知れないという期待感が理性を揺るがした。


 板羽が自分の部屋で景浦に見せようとした「素敵なもの」とは、景浦の期待を遥かに超えていた。


「これって……」

「ふふ、心配しないでください。良い子です」


 彼女がこっそりと飼いならしているそれは、猫や犬ではなかった。小さな、発光魚類だった。彼女が自分の指輪に口付けると、指輪が白く光り鎖鎌へと変わった。鎌を手に取った板羽がそのまま左手の手のひらを引くと、赤い血が重力を逆らうようにぼつりぼつりと天井へと向かった。発光魚類はそれをごくごくと飲んでは、優雅に空中を泳いでいた。


「るいるい、どうやって」

「群れから離れて可哀相でした。お腹も減ってるみたいで、何かあげることが思い浮かばなくて、血をあげたら、こうして……」


 板羽が今度は軽く二度拍手をして「おいで、ミラーボール」と言った。ミラーボールという名前で呼ばれた発光魚類は板羽の手首の周囲をくるっと回って、元の場所に戻った。発光魚類が普段見せるような攻撃性はまるで感じ取れなかった。


「……言う事もちゃんと聞くようになりました」

「でも、『大波』はどうなったの?発光魚類は『大波』の中でしか現れないじゃない」

「お姉さまったら。この部屋は『大波』の中です。そうじゃないと、変身出来ないでしょう?」


 血は重力を逆らって空中へと浮き上がった訳ではない。絵の具を水の中で溶くように、魔法少女の血が『大波』に広がっていたのだ。板羽が親指で手のひらを押すと、また血が泡のようにふわりと浮かびあがった。魔法少女の血には炎が流れると言われている。現代医学ではまだ感知出来ないが、同じ炎が流れるものにはすぐ分かる。その血の中で炎のような赤い影がゆらゆらと脈動していることを。


 その炎の玉を発光魚類は鯉のように口に入れて、また天井を泳ぐ。


「素敵でしょ?」


 大人らしく𠮟るべきだった。チームに属している誰かを疎外して秘密を作ることは良くない、と。そんな危険生物をもって火遊びはしちゃいけない、と。もし、その場に鷹阪が一緒にいたら、鷹阪の熱い尊敬の眼差しに景浦もそんな大人のフリをしたかも知れない。


「うん……」


 代わりに、景浦は板羽がさらりと自分の手を握ることを楽しんでいた。


 景浦が見に行くたびにミラーボールはどんどん大きくなり、もっと大量の血を望んでいるようだった。板羽を脅かすような真似はしていなかったが、明らかに神経質になっていた。いくら板羽でも自分の血だけでミラーボールの渇きを満たすことは出来なかった。


 その結果、驚くべきことが起きた。


 板羽が飼いならしたミラーボールは、『大波』によって現れた発光魚類らを自発的に食い始めたのだ。板羽によって刷り込みされたのか、一般人の血にはあまり関心を示せなかったそのミラーボールにとっては同族こそが最高の食べ物だったようだ。彼女がそれを褒めて何度もなでると、ミラーボールは喜んでどんどん積極的に狩りを始めた。


 もうミラーボールのことは板羽と景浦、二人だけの秘密ではなかった。ミラーボールが同族を食い物にしている以上、板羽が魔法少女の活動をしている時がそいつには食事時間だったのだ。当然、鷹阪もその存在を知るようになった。鷹阪は明らかに拒否反応を見せたが、ミラーボールは板羽から離れようとしなかった。


 以後、板羽の行動はどんどん大胆になっていった。板羽とミラーボールが一緒にいることを目撃した魔法少女たちも増えた。また、ミラーボールは板羽による命令や芸を覚えさせていた。


 魔法少女の会にミラーボールの存在を明かして一緒に飼育法の研究をしたら、もう魔法少女は『大波』に怖がらなくならないかも知れない、板羽はそう思い込んでいたのだ。


 どう考えても、止めるべきだった。

 勿論、景浦は魔法少女の会が行う学会で板羽のプレゼンを推薦した。

 その学会に連れて来た板羽と同じく、ミラーボールはすっごく幸せそうだった。


 だって、そうだろう。


 ミラーボールがが食っていたのは、発光魚類そのものではなく、発光魚類の中に蓄積されていた魔法少女の血だったからだ。そこは、板羽琉衣花が用意してくれた、最高の食卓だった。いつも通りミラーボールは獲物を狩り始めた。子どもは親に褒めてもらいたいものだ。


 魔法少女の数人が集まりミラーボール一匹を制圧するのはそこまで難しくなかったが、空気中に広まった魔法少女の血の匂いに一帯の発光魚類たちがその場に集合した。


 ミラーボールを殺さないでと叫んでいた板羽はその死体の前で泣き崩れていた。そこまでなってから、やっと、景浦が大人らしいことをした。景浦は自分の右足と板羽の命を交換したのだ。


 その結果、板羽琉衣花は永久除名され、魔法少女の会が保護する領域から追放された。どのような支援も再び受けることは不可能となった。また、景浦七鶴は魔法少女の会ですべての地位をはく奪された。


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 ミラーボールの事件から何カ月か経った。


 その日は雨が降っていた。いつものように病室のベッドの傍には、板羽が座って景浦の看病をしていた。景浦は自分の右足に二度と感覚が戻らないということ、そして以前のように歩くことさえ難しくなるという告知を受けてから、口数が減って笑うこともなくなった。


「お姉さま、サークルの方々が来ました」

「帰ってくださいと言っといて。私、今日は疲れた」

「でも、こんな雨が降ってるのに……」

「私、今日は疲れた」


 景浦はもう喋らないと決めたようだった。板羽はため息をついて、ダンスサークルの大学生たちに今日の見舞いは出来なさそうだと伝えた。中学生からそう言われた彼女たちが景浦の妹なのかと訊ねた。板羽は答えを誤魔化した。


「お姉さま、じゃあ、リハビリしましょう?」

「……疲れたって言ったでしょ?」

「でも、そうしないとまた歩くことさえ難しくなるって先生が」

「この足で行く所なんてもうないんだよ!」


 涙を抑える板羽の姿を見て、景浦は自分がどれだけ惨めな人間なのかちゃんと分かった。景浦が右足を失ったのは景浦が選んだことであって、板羽のせいではない。それは分っている。それなのに、板羽は親が許す限り自分の傍でなんでもしようと、頑張っていた。それも分かっていた。そんな中学生相手に自分は暴君のように振る舞っていた。


「ごめん。本当に疲れてて、今日は休みたい」

「お姉さま、では、明日はリハビリしましょうね?約束ですよ?」

「うん。分かった」


 何が分かったって言うんだ?そう景浦の中の自己嫌悪がささやく。


「るいるいはさ」

「はい」

「友達に会わなくて、ずっとここにいて良いの?」

「良いです」


 良いはずがない。


「小桃ちゃんとかは、もう、難しいかも知れないけど、これから高校生でしょう?」

「小桃さん、そんなに怒ってないですよ」


 いや、怒ってた。病室の外の声が聞こえるほど、あいつは琉衣花に怒っていた。そんな奴捨てろと何度も注意したと。お前は何で平気なんだと。全部お前のせいだと。尊敬していた先輩が弱気になってシニカルな言葉ばっかり口にしていては、そんな子どもの喧嘩を止める人はいなくなる。


「るいるい、私、もうダメなんだ」

「そんなことないですよ、お姉さま。リハビリをすれば、また歩くことも出来るって先生が」

「そうじゃない。歩くことはまた出来るかもしれない」

「はい」

「でも、こうやって、るいるいに甘えてたら、もう大人にはなれないよ」

「大人になれないことの何が悪いんですか?」

「るいるいが傷つく。だから、もう、ここには来ないで」


 景浦の唇に暖かい、そして緩やかなものが触れた。それは何かが怖いのかすごく震えていた。何が?板羽の鼻先が自分の頬っぺたにいた。その息吹がほっぺをくすぐる。何故そんなに近く?自己嫌悪はまた囁く。分かってんだろう?なぜ板羽琉衣花がお前の傍から離れないのか。罪悪感じゃないって。こうなるって、期待していたんだろう?


「お姉さま、私、傷ついても良いです。私、お姉さまの傍が良いです」


 景浦の患者服が生ぬるく濡れていた。そう、確かめたかった。この小さな女の子が自分に向いている友情以上の好意が、どんなものか、確かめたかった。でも、こんな形を望んでいる訳ではなかった。


「駄目だよ、るいるい」

「何故ですか、お姉さま?女の子同士だからですか?」

 だったら、もっと良いよね?嬉しくてたまらないよね?

「そうじゃない、大人と子どもだからだよ。私、こんな体ではるいるいのこと守れないよ」

「そんなことないです」

「自分を守れない人は、子供も守れない。るいるいも知ってるでしょう?」


 琉衣花のせいにするつもりなんだ。ミラーボールがああなったのは、自分が板羽琉衣花の世話をしなかったせいじゃなくて、るいるいに力がなかったからと言うつもりなんだ。白々しい。


「お姉さまが今まで守って下さったから、今度は私が守って見せます」

「じゃあ、今日からるいるいが私の治療費全部払ってくれるの?」

「出来ます、両親に相談して……」

「琉衣花が両親に相談すれば全部解決なんだ。治療費も出して、私の大学入学金も出して、私がこんな足でも就職出来る所探して、出勤時間に車も載せてくださるの?」

「……」

「そうしたら、私どうなるの?私赤ちゃんになっちゃうよ?るいるい、言ってみなよ」


 何が問題なんだ?昨日まで嫌だと言う食事をるいるいが食べさせたくせに。


「言ってみなさいって!!!」

「お姉さま……」


 景浦は今の今まで甘えていた。大人らしく、そんな秘密は作らないと言うべきだった。そんな火遊びはするな、と言うべきだった。ロマンチックな気持ちになって、重なる手の温かさを楽しんでいる場合じゃなかった。自己嫌悪の声に向って景浦はそう答えることが出来た。


「帰って。もう子どもとは話せない」


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 彼女はスカイツリーの頂上の上に腰を下ろしていた。彼女の周りにはその血に味を占めた、発光魚類十数匹がゆっくりと泳いでいた。彼女が左手を上げて拳を握ると、彼らは一斉に動きを止めた。その姿を見て彼女は呟いた。


「素敵でしょう?」

「全然。二番煎じでつまんない」


 ハンマーの上に立っている景浦はそう答えた。


「私を襲撃した発光魚類ってこの子たちだったの?」

「いいえ。そこまでの数を飼うのは私にも無理ですよ」

「ってことは関係はあるってことだね」

「ええ、七鶴さん、説明要りますか?」

「私、正解知ってる。発光魚類が『大波』の中に住んでいる訳じゃない。周囲に『大波』を呼び起こすのが発光魚類なんだ。だから、発光魚類を操ることが出来ると……」

「はい、自在に『大波』を呼び出せます」


 景浦のハンマーに火が付く。その血の匂いに、発光魚類たちが一斉に反応した。皆が板羽の指示だけを待っていた。だが、板羽はまだ上げた手を動いてなかった。


「七鶴さん、私、大人になりました」

「ううん。全然」

「私、自分を守れるようになりました」

「自分だけ、ね?」


 景浦の表現に板羽は不愉快そうだった。発光魚類たちは我慢の限界か、それとも板羽の感情に同調しているのか、うろこを震えて音を作り出した。「だから、その時も言ったんですよ」と、彼女は話を続けた。


「先輩が弱いから間違っている訳じゃありません。今の先輩は寧ろ素敵です。フリーランスとして働いて、誰の干渉も受けず、一人で生きている。なのに鷹阪と魔法少女の会がその邪魔をしているのです」

「小桃ちゃん、腕を切断しなくてはいけないんだって」

「自業自得ですね」

「志衣ちゃんをかばおうとしたことが、そんなに間違いなの?」


 景浦はその大きなスレッジハンマーをバトントワリングのように空中で回し始めた。発光魚類たちの視線が全部そのハンマーに付いた炎が作り出す園に集中された。


「かばわなかったら、十分避けたはずですから」

「そうなんだ。板羽琉衣花ってその程度の人間だったんだ」


 板羽が左手を下ろすと、発光魚類たちが景浦を向いて全速力で泳ぎ始めた。手綱から放たれた馬のように無秩序に見えたが、スレッジハンマーのリーチに近づくと、すぐ二つの編隊に分けて彼女を包囲した。それに構わず、景浦はハンマーをぐるっと回して半径3メートル以内の『大波』に血の痕跡を残した。


「確かに、前よりもっと賢くなったね。欲しいのは「血」だけなんだ」


 ハンマーに付いた血が作り出した円形の雲は、まるで景浦を保護するバリアみたいになっていた。その血を吸う事に夢中になっていた発光魚類たちは、敢えてその円の中にいる景浦にまで襲う余裕がなかった。普通の発光魚類であれば、そんな他の奴に獲物を取られないためでもやらない行動だった。


 根田が言っていたリリースネットワークの二つの目的、「発光魚類の恐怖からのリリース」そして「魔法少女の会というゆりかごからのリリース」は、実は一つの手段を示しているだけだった。発光魚類のキャッチ・アンド・リリース。根田は4年前、その飼育法のプレゼンの時に参席していた。彼女は発光魚類たちを飼いならした板羽の能力を高く買い、その再演を用意することにした。今度はもっと大きなスケールで、もっとスペクタクルに。


「なんで、志衣ちゃんに炎の血を塗ろうとしたの?」

「寄生虫ですから」

「魔女のパイを奪う?」

「はい」

「そんなことをしていたら、琉衣花は自分を守れるの?」


 板羽が今度は左手を上げて、ぱっと手を開いた。すると、発光魚類たちが血を吸い込むことを中断して、まるで土星の輪みたいに彼女の腰を中心として集まった。彼女はやっと自分の鎖鎌を手に取った。


「こうしたら、守れます」

「私には血を吸われるようにしか見えないけど」


 景浦はハンマーに塗った血がどんどん薄くなることを知っていた。発光魚類の関心はすぐに景浦へと変わるだろう。時間が過ぎれば過ぎるほど景浦には不利となる。景浦はそのまま高度を上昇させた。そして、ハンマーがドリルのように回転し始めた。板羽はまた左手を下ろして発光魚類たちに命令を下った。


「七鶴落とし、もう何番煎じですか?」


 発光魚類たちが作る肉壁を、景浦のハンマーは全部貫通することに失敗した。何かが弾ける音とともに、大量の血が吹き出した。彼女が発光魚類たちの餌になることは確定されているようだった。板羽は仕方ないと思った。自分を守れない人間はけっきょく誰かに手を伸ばしても、その手首を切られるだけなのに。それを4年前のお姉さまなら知っているはずだったのに。


「ばーか」


 板羽が自分の耳に流れる声と腹に伝わる衝撃に対応する前に、ハンマーは鎖鎌の鎖にぐるぐると絡みながら、上へ上へと向かった。


「私、私のためとか、るいるいのためにここに来た訳じゃない。るいるいのためだよ。志衣ちゃんの復讐のためだよ」

「くっ……」

「だから、病院でちょっとだけもらったんだ。魔法少女の血。るいるい、志衣ちゃんは紛れもない魔法少女だよ」


 景浦が空中でちぎったは輸血パックの中身は、景浦と川口の血を合わせてもっと濃いものになっていた。板羽がまた指示を出すまでには、発光魚類たちはその燃え上がる雲の中を離れようとしないだろう。


 景浦は左手にはハンマーを握ったまま、右手では板羽が命令を出せないようにその手首を握っていた。板羽が自分の左手を抜けようともがけばもがくほど、鎖鎌が派手に動いた。その力の緊に耐えず、黒いハンマーと白い鎖鎌はお互いを絡み合った状態のまま、彼女たちは別の軌道に飛んで行った。


 二人は地面に向かって――いや、その前に身を焦がすに違いない血の雲に向かって――自由落下を始めた。板羽は抵抗を諦め、そのまま景浦の胸に顔を押し当てた。


「お姉さまが言ったでしょ。帰りなさいって。子どもとは話せないって。だから私、早く大人になろうと頑張ったんですよ?根田さんの言う通りに能力も野望も手に入れましたよ?」


 君にはショートカットが似合うけど、君は何一つ変わってないよ。実は、私もそうなんだ。4年前から何一つ変えることが出来なかった。


「私、やっと私を守れる力が出来たのに、お姉さまはまだ全然だって。大人じゃないって。わたし、もうわかんない。お姉さま、わたし、どうしたら良いですか? わたし、ぐす、わたし――」


 私たちはもうブレーキが壊れてしまった車輪なのかも知れない。


「るいるい。私の左手、握れる?」


 けれども、中にそこそこのドライバーが載って、ある程度の長さを持つガードレールがあそこにあって、車体に頑丈なバンパーが付けているとしたら、そしたら無事にその車はゴールまで辿りつくかも知れない。


「戻って来てとは言わない。守ってあげるとか、守って欲しいとか、もう言えない。だけど、一緒に歩くことは出来るかも知れない。このまま足が合わなくて踊らなくなっても良いよ。だから、私の手を握って」


 私はそれに賭けたい。


「だって私、るいるいのこと、愛してるから」


 厚い血雲を切り裂いて、それぞれ中心軸に黒いハンマーと白い鎌が刺された、二つの歯車がひらめいた。


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 2023年現在、あの発光魚類の集団暴走事件から変わったことはどのぐらいあるだろう。根田詩恵里は魔法少女の会の追跡から逃れ、その姿を消した。リリースネットワークそのものは解散したが、魔法少女の会に不満を持っている者達による小さい規模の団体は寧ろ増えた。『大波』が一時的に抑えられたいたことは事実だが、最近またその頻度が増えている。全国的に報道されたおかげで多くの魔法少女たちが魔法少女の会に加入出来るようになったが、まだまだ魔法少女は社会的には発言力が弱い。それでも、貴方や私がそうであるように、魔法少女たちは命を懸けて発光魚類たちと戦っている。


 この物語は、数回にわたって行われた魔法少女の会の議事録、当時の報道記録および資料、関係者たちの証言を集めた上で――私自身、川口志衣の記憶に基づいて再構成されている。けれども、記憶と思い出を切り離すことは難しい。私自身の感情や私見は勿論、記憶の間違い、一方的な思い込み、意識・無意識的な自己検閲、そしてささやかな願いが書き込まれている可能性を私は否定しない。


 私は、私が信頼できない話者であり叙述トリックという特権を振り回し貴方を騙した、そう白状している訳ではない。もし、そうだったとしても、私は出来る限り真実を書こうと努めた。そのことを読者である貴方に伝えたかった。


 私が意図的に隠したことがあるとすれば、「本」という言葉には誇張があるということである。私は今ワードプロセッサーを使いキーボードでこの文字をタイピングしている。このデジタル情報が確たる質量を持つ本になって貴方に届くかどうか、今の私には分からない。


 それを知る術はただ一つだ。この物語に終止符を打ち、私も貴方のように一人の読者になること。つまり、一人の魔女に戻ることだけだ。貴方が許すのであれば、この物語は関係ない、ちょっとした雑談で終わらせたい。


 私には、読者である貴方には関係ない、急いで終止符を打つべきもう一つの理由がある。両手がキーボードに取りつかれていては、せっかく先輩たちが作ってくれた料理が台無しになってしまうのだ。こうして文章を書いている今でも、志衣さん、遅いですよ、ああもう、先に食べちゃうぞ、志衣ちゃん、早く来ないとなくなるよ、と私を呼ぶ声が部屋に響いている。


 だから、私、川口志衣は戻る。その呼び声が交わる方へ。

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君にはショートカットが似合うけど 蘆原.n.四七 @Nepu47

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