第2話 私たちは自分好みのパイを求めるだけ

 ところで、読者である貴方は映画が持つ最大の革新性が何か知っているだろうか。カメラという光学装置が介入することで客観的なリアリティを獲得したことは、まだ変革のスタートラインに過ぎない。その光学情報をフィルムに焼き付けることで、クリエーター達が時間を自在に操り新たなリアリティを生み出したことも、正解にかなり近接したがまだまだ不十分だ。


 レンズを通してそのまま物事を撮ること、そして撮られた時間を編集することで得られた一番大きい効果とは、今まで劇の中心にいた「役者」すなわち人間の相対化である。見世物や背景の一部でしななかった「舞台」が人間の認知と無関係に役者と平等に映る効果こそが、映画をさらなる進化へと導いたのだ。


 ページを間違えたのかと上のパラグラフを読み直す必要はない。確かに唐突だったが、この物語を円満に進めるための挿話だ。私は11月29日に起きた事について語ることで、物語の主役たちを集めることが出来た。だが、12月1日事件の真なる主人公はまだ登場していない。映画の革新性についての説明は、私が読者である貴方に送る、その主人公へと繋がる糸口と言っておこう。


 勿論、この糸口に拘る必要はない。貴方の都合が良い時に、貴方が好きな形で進み給え。フィルムと違って本は勝手にリールが回ったりしない。読者である貴方に、魔女や魔法少女であろう貴方に、私はその力を委ねる。




 Act2 私たちは自分好みのパイを求めるだけ


「先輩、おはようございます!」

「……小桃ちゃん、はずかしいよ」


 駅前で景浦七鶴を見つけた鷹阪小桃は、大きく手を振りながら、虎のような咆哮と共に駆けつけた。小桃という名前とは違って、鷹阪は景浦が出会った11歳の頃から既に160 ㎝に至る身長の持ち主だった。181 ㎝の成人女性が自分よりも20 ㎝も小さい女性と一緒にいると、前者の方が年長に見えてしまうだろうけど、鷹阪の振る舞いにはまだまだ子供らしさが残っていた。


 板羽琉衣花と会ってみたい、という鷹阪のメッセージが送られたのは、彼女たちが通話したすぐ翌日のことだった。鷹阪が付けた条件は景浦と一緒に行くこと。他の地域担当が報告する前に済ませる必要があること、ほぼ幽霊会員となった景浦よりは自分が確認した方が魔法少女の会から信頼を得られること、だが、鷹阪一人で行ってもまともな会話は期待出来ないというのが、その理由だった。まともな会話が出来ないとしたら、板羽に他の団体への加入を勧誘することは自分では難しい、というのが鷹阪の説明だった。


 -カウガール、こちらタンブルウィード、ポイント・Jジュリエットに付きました。


 確かに、板羽の連絡先を持っているのは景浦の方だった。また、昨日は計画が思い浮かばなかった訳で今朝になってから連絡した、という説明も筋は通っている。それでも、景浦はどこか話が上手すぎるという印象を払えなかった。昨日まであんなに態度が冷たかったのに、待ち合わせ場所となるカフェまで寝る前に探したとか。ありえない話ではないけど……という疑惑が景浦の脳裏から離れなかった。


 -コピー。こちら、カウガール。予定通りポイント・Iインディアでチェリーの収穫に成功した。今からそっちに向かう。ヤキイモは焼けたか?


 勿論、景浦にとっては鷹阪と板羽が仲直りしてくれるなら、それ以上に嬉しいことはない。三人がまた昔のような時間を過ごすなんて、夢みたいな話だ。それが出来ないからこそ夢だと知っていても。駅からカフェに向かいながら、そんなことを考えていた景浦は、あんなに騒いでいた鷹阪がいつからかずっと静かであることに気づいた。


 - 現在、ヤキイモの収穫はまだです。オーバー。

 -タンブルウィード、こういう時は敬語使わなくて良い。コピー?


「珍しいね、ずっと携帯弄ってて」

「あ、最近ちょっと忙しいっす。失礼でした?」

「へーきへーき。お仕事の方?それとも集会の方?」

「両方キツイんすよー 」

「地方公務員の勉強もやってるって言ってたよね」


 鷹阪は高校を卒業して、すぐ働くことにした。鷹阪の家から大学入学金を納付するような余裕なんて無かったし、あの親が登録金を出してくれるかさえ疑問だった。とにかく金が欲しかった。だが、高校を卒業してすぐの人間が働ける場所は限られている。彼女が魔法少女になったのは、そういう意味では幸いだったかも知れない。


 日本国内で魔法少女同士の交流そのものは、1960年代から始まっていたと言われる。だが、魔法少女の会が正式に設立したのは1986年だった。つまり、元年メンバーというべき人々はすでに大人になっており、彼女たちの活動範囲は『大波』に関する情報交換を超えていた。女性社会進出率の上昇につれて、魔法少女の会も1990年代後半から会員たちに対する資金面での支援を始めた。鷹阪は魔法少女の会からもらったその支援金と、学生時代から色んなバイトで稼いだお金で、その体力を活かせる地域警察になるつもりだった。


「先輩の翻訳ってどうですか、やっぱり難しいですかね」

「敢えていえば、毎回ジャンプしてる気持ち」

「ジャンプですか?」

「うん、体の足じゃなくて考えの足で、言葉の崖から崖へとジャンプするんだ。失敗する時もあるけど、成功したらすっごく嬉しい」


 楽しそうに話す景浦とは裏腹に、鷹阪は彼女の声から滲む絶望を聞き取った。まだ三人がチームを組んで活動していた時は、景浦はいつもプロのダンサーになりたいと言っていた。4年前の事件が無かったら、今の彼女は舞台の上に堂々と立ち、体の足で素敵なジャンプを披露していたかも知れない。鷹阪は何も言わず、携帯へと視線を戻した。


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 - コピーザット。タンブルウィード、オーバーアンドアウト。


 川口志衣、15歳。「魔法少女の会からの疑いを避けるため」という鷹阪小桃の話は言い訳に過ぎない、と分かる年頃。本当にそれが目的だったら、メッセンジャーの秘密通話機能で十分だろう。こんな空軍映画の真似をした通信用語を一杯使う必要は全くない。川口から見て鷹阪はしっかりした大人だけど、その割にはこういうノリに乗ったら止まることを知らなかった。


 ビルの二階にあるカフェで奥の席を見つけて座った川口は、きょろきょろと入口とビルの一階を覗いていた。今朝、鷹阪がした説明によると、コード名ヤキイモつまりは板羽琉衣花は眉毛が濃い「お嬢様」で、今はショートカットのヘアスタイルをしているらしい。約束時間は午前11時、もうすぐなはずだが、いまだにカフェにそれらしき人物は見つからなかった。川口は落ち着かなくて自分のイヤリングを何度も触った。


 -こちら、カウガール。ポイント・Jへの到着が遅れそうだ。タンブルウィードはそのまま待機すること。オーバー。

 -コピー。


「お嬢様」と言っていた時に、鷹阪の表情は歪んでいた。それが意味するのは、軽蔑だったのか、それとも羨望だったか。川口はすぐ周りの気持ちを、正確にいうと自分より強い者の顔を伺う癖があった。鷹阪はそんなことしなくて良いんだと何度も言ってたけど、川口は自分の保護者である鷹阪の機嫌に合わせようとしていた。だから、板羽に対してはどういう態度を取るのがベストか迷っていた。


 私から言わせると、それは鷹阪にとっても同じだったと言える。鷹阪も川口の気を使っていて、その表情を抑えていた。また、その時にまだ板羽に対する感情を整理出来てなく、軽蔑と羨望のどっちらかと決めなかった、そう思える。ちなみに言うと、その日、川口が板羽に対する態度を決める必要も全くなかった。川口に任された役割は板羽との接触ではなかったからだ。


 11月29日の夜、鷹阪が川口に対して共犯関係を新たに設定したのは、鷹阪が可能な限り魔法少女の会に面倒を増やしたくないからだ、そう説明した。ただ、幽霊会員扱いである景浦はともかく、鷹阪が報告する義務から目を背けたことがバレたら、不利益を受けるリスクが大きかった。除名まではならないとしても、今の支援が切れる可能性は高かった。だから、川口には共犯関係になって口止めをする必要がある、そういうことだった。


 勿論、川口にとっても、鷹阪の保護の元にいる方が都合が良かった。鷹阪に支援金が入らなくなると、川口と一緒に暮らすことは難しくなるだろう。そこで川口は秘密を守ることだけではなく、共犯関係として自分も何か手助けをしたいと提案した。鷹阪はちょっと悩む様子を見せたが、川口には見張りの役割を任せることにした。


 鷹阪は板羽が景浦と偶然出会ったという経緯が釈然とせず、他の意図があるかも知れないと思っていた。だから出会った時に何か問題が起こった場合に、見張りをしていた川口が魔法少女の会と警察に連絡を取る、そういう計画を立てた。魔法少女同士の戦い、それも『大波』が起こった時になると、一般人は災害による被害だとしか認識出来ない。かと言って、魔法少女の会だけで対応出来る範囲を超えることが起こらないとは断言出来なかった。だから、両方とも連絡を取ってくれる人が必要であるということだった。


 カフェの入り口から誰か入ったか知らせるため吊り下げている鐘が鳴った。川口が携帯を握ったままそっちを覗いてみると、言われた通りのショートカットで眉毛が濃い女性が入って来た。ヤキイモが焼いた、という内容のメッセージを送ろうとした川口の指が止まった。


 鷹阪の計画は前提から間違っていた。


 -カウガール。こちらタンブルウィード。ポイント・Jでヤキイモが焼けた。もう一つ。袋に他の果実がある。繰り返す、袋に他の果実がある。


 彼女は一人ではなかった。


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 振り返ってみると、鷹阪小桃と板羽琉衣花の間に共通点と言えるものは少なかった。鷹阪は背が高く、板羽は背が低かった。鷹阪は親から放置されて、板羽は親から過保護を受けていた。鷹阪は運動好きで、板羽は読書好きだった。鷹阪の家は貧乏で、板羽の家は金持ちだった。


 その二人を繋いでくれたのが、二人が魔法少女だという事実だった。二人は幼いころから一般的には事故だとしか認識されていない『大波』を感じることが出来て、また発光魚類に狙われやすかった。自分の中に対抗出来る炎の力が宿っていることも、彼女たちは小学生になる前からすでに知っていた。


 その一点を除くと、二人の出会いは偶然による出来事だとしか言いようがなかった。お互い近い地域で住んでいたとしても、小学生にとって学校が違うというのは、まるで違う大陸に住んでいるようなものだった。


 鷹阪は今でも9歳の時のことを覚えている。嫌がる板羽の手を引いて何処かに連れ出そうとしている男を見かけたその日を。鷹阪が大声で警察を呼びますよ、と言っていた時だった。男は怖がる様子もなく、むしろ板羽を引きずりながら鷹阪に近づいて来た。その瞬間、幸か不幸か、存在するはずのない水が流れる音に鷹阪と板羽が同時に反応した。鷹阪のブレスレットが、板羽の指輪が、お互い光った。


 その場で男と発光魚類から逃げ切った二人は、人生で初めて同じ力を持っている女の子がこの世にもう一人いることを知った。一人では微弱な炎でも、二人が力を合わせればもっと強力な魔法が使えると分かった。そして、同い年だということに二人とも驚いた。その場で逃げ切った二人は連絡先を交換し、もしまたああいう現象が起きた時には助け合おう、そう約束した。


 2年という時間、短いといえば短く、長いといえば長い時間だった。二人は『大波』への抵抗だけではなく、宿題やゲーム、食事など魔法とは関係ない活動も、一緒にするようになった。友達も、先生も、親も知らない、二人だけの秘密が増えた。多分これからもずっとそうであろうと、鷹阪は子供ながらにそう思った。


 一方、二人と景浦七鶴との出会いは、もっと必然の方に傾いた出来事だった。


 その時、彼女たちは始めて「発光魚類の集団移動」を経験した。無慈悲に人を食い尽くし、泳ぎの邪魔になれば同族も構わず噛みちぎる光景は、今まで一度に5匹以上は出会ったことのない二人にとっては地獄のそれと変わらなかった。


 蛇に睨まれた蛙のように、彼女たちは一歩も動くことが出来なかった。突然、空から叫び声とともに大きなハンマーが落ちて来た。


「刮目せよ!七鶴落としいぃ!」


 凄まじい速度で回転するハンマーは、大勢の発光魚類をミキサーのようにこなごなにした。『大波』に内臓が露出された発光魚類たちはすぐ燃え始めた。ハンマーを振り回しながら、その女性は大声で鷹阪らの方に向けて指示した。


「そこの二人、危ないからじっとしといて!」


 彼女のハンマーに次から次へと仲間が倒される光景を見て、発光魚類たちは一気にその場から去った。遠ざかる発光魚類に向かって「二度と来るな、ベー」と意気揚々と勝利を宣言する彼女は、もうこんな大騒ぎにも慣れているようだった。


「あなたは……誰ですか?」

「私?君たちと同じ地域の魔法少女だよ」

「魔法少女?僕たちが、ですか?」


 鷹阪もアニメで見たことがあった。だけど、テレビの中の彼女たちはもっとキラキラで、もっと勇敢で、いつも死を怯えず、何度も立ち上がった。自分たちとは全然違う世界に生きているようだった。


「うん。前任者から教えてもらえなかったの?この地域の連絡担当がまたさぼった?」

「連絡担当?」

「あ―― そっか。何も知らないんだ」


 どうすれば良いのか、彼女は顎に手を当ててちょっと悩む様子だった。


「魔法少女はね、この世界に一杯いるよ」

「大人の魔法少女も……いますか?」

「そうそう。でも私は大人になったばっかりだし、まだ十代の魔女ってことで」

「魔女……」

「魔女は嫌?」

「僕もちょっと……」

「嫌だったら魔法少女のままで良いよ。これは秘密だけど、魔女のおばさんたち、ちょっと怖いんだ。でも、魔法少女の会って言ってね、そのおばさん達が昔から運営している団体があるの。おばさんたちは参加する皆平等で自由にあるべきだって。良い人たちでしょ。あ、これは小学生には難しい話かな?とにかく、私もそれなんだ。今日からこの地域の連絡担当になったんだ」


 二人が全然知らなかった世界が、ずっとすぐ近くにいた。板羽はそれが信じられないようで、いきなりしゃっくりをして、やがては泣き始めた。その唐突な行動に女性は、膝をまげて板羽を抱きしめてくれた。


「怖かったんだ。もう大丈夫」

「そうじゃ、ないです。私、いいえ、私たち、一生お互いしかいないと思ってました。大人たちに相談しても、友達に言っても、誰も信じてくれなくて。だから、私、小桃さんがいなくなったら、小桃さんと離れ離れになったら、ひとりぼっちになるかと思って、それが、いつも、いつも」


 鷹阪は板羽がそこまで考えているとは思わなかった。でも、鷹阪にも色んな秘密を話せる友だちは板羽しかいかったから、だからその関係を大事にしたい気持ちは同じだった。板羽の告白に女性は何度もうなずき、板羽の長い髪を何度も撫でてくれた。


「皆、そうなの。皆、寂しい。だから作ったんだよね、こういうの。今からは私が君たちの傍で、君たちのこと守ってあげるから、だからもう泣かないで」

「は、はい、すみません」

「そういえば、まだ名前知らないよね?私、景浦七鶴。景浦さんでも七鶴お姉ちゃんでも良いよ」

「景浦先輩、僕は鷹阪小桃です。僕たちを助けて下さってありがとうございます」

「先輩って、ちょっと恥ずかしいな。君は?」

「景浦……お姉さま。私は、板羽琉衣花と申します。小桃さんは私の事、るいるいって呼んでます。よろしくお願いします」

「あはは……」


 その日から、二人は魔法少女の会に加入し、三人一緒のチームになった。景浦は経験が豊富で、『大波』にどうやって対処すれば良いのか、二人に教えてくれた。だが、鷹阪にとって一番大きな教えは言葉と、その言葉に流れている歴史だった。『大波』、発光魚類、魔法少女…… この世に鷹阪と板羽だけが魔法少女だったら要らない言葉だった。あれ、あいつら、私たち、それで十分だったから。でも、自分たちが生まれる前から無数の魔法少女と魔女たちがいて、あれ、あいつ、私たちを呼ぶために名前を付けた。その事実が鷹阪にとって一番大切な宝物だった。


 鷹阪はこのままチームを続けたら、あの数えきれない魔法少女と魔女たちがそうであったように、また三人の言葉を伝えることが出来るだろうと思った。景浦と板羽との間の距離が自分と板羽や景浦との距離よりもっと近いものだとうすうす気付いていても、三人で織りな言葉を後に伝えるだろうと信じていたから、あまり気にならなかった。  


 だから、その関係を壊した板羽を鷹阪はあの時まだ許せなかった。

 だから、その日、11月30日に起こった事件は偶然より必然に近かった。


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 鷹阪がそのメッセージを受けたのは、ちょうど二人がビルの階段を上がっている頃だった。道にあるアクセサリー屋で、景浦が何か三人お揃いが出来るお土産を買っていこうと鷹阪を説得して寄り道もしたが、まだ約束時間である11時をすぎない時間だった。


「他の果実……?」


 鷹阪は約束したことのない合言葉を見て思わず口に出してしまった。景浦が「どうしたの」と聞いたので、鷹阪は慌てて「こっちの話です」と答えた。


 鷹阪がカフェの扉を開けると、小さく鐘がなった。カフェの中を見回ると馴染のある顔が二つ、知らない顔が一つ。川口は関係ないようなフリとして延々とコーヒーを飲んだり、イヤリングを触ったりしていた。板羽は鷹阪らの方を見て一瞬困惑している様子だったが、すぐに無表情に変わった。知らない顔をしている女性が彼女の耳元で何かを囁いて、何かを渡した。景浦が彼女たちが座っているテーブルに向かい、先に挨拶をした。


「琉衣花、こんにちは。えと、一緒に来てくださった方は……」

「初めまして、景浦七鶴さん。と、鷹阪小桃さんだね?」

「はぁ、そうですが」

「そっちに座りなさい。あ、私、こういう者ね」


 彼女がテーブルの上に名刺を取り出した。小さい長方形の髪には「根田ねだ恵里しえり」という名前と共に、「リリースネットワーク・ハブマネージャー」という謎の肩書が書いていた。


「あと、ため口で良いよね。わたし、こう見えても40代だから。二人ともまだ20代でしょう?」


 二人とも不愉快さを感じたが、一応彼女の注文通りにテーブルの向こう側に座ることにした。彼女は何か気に入らないのか首を傾いて、後ろを指差した。


「そこの出来損ないさんも、よ」


 もう底を付いているカップでコーヒーを飲むフリをしていた川口の動きが止まった。根田は指差していた差し指で、こっちに来い、という意味のジェスチャーを取った。


「監視役でしょう?バレバレなんだから」

「……僕の同行です」

「監視役?小桃ちゃん、琉衣花に監視役を付けたの?」

「先輩、これは」

「いつものやり口よ。それにしても、あんなガキまで使うとは、魔法少女の会の名も地に落ちたものね」


 グイグイとした言葉遣いだったが、彼女はその場を制圧するようなカリスマを確かに持っていた。川口がもじもじと椅子を持って来て、鷹阪の傍に座った。


「先輩、板羽さ……ん、そして根田さん。こちらは僕が保護している魔法少女の川口志衣です。志衣は僕が呼びましたが、まだ見習いですが僕と同じく、あくまで魔法少女の一人としてこの場に来ました」

「魔法少女の会とは関係がないとでも言いたい?図々しくなったな、小桃さんって」

 今まで何も言わないままにいた板羽が、非難するように言葉を放った。そういう反応にもう慣れているのか、鷹阪は何も起きななかったように、口を開いた。

「久しぶりです、板羽さん」

「へえ。さん付けしてくれるんだ。ふーん。最後に会った時は手前てめえだったよね?」

「もう3年前のことです。覚えてません」

「わぁ、国会議員っぽい。もう魔法少女の会で偉い人にでもなったのかな?」


 責め続ける板羽に呆れたのか、鷹阪はもう何も言わずに黙ってしまった。ここでまた鷹阪から何か反応しても3年前と同じ結果になることはもう決まっていた。


「あの、るいる……琉衣花。小桃ちゃんは私の頼みでここに来たの。琉衣花が他の団体に所属していると、魔法少女の会に報告しなくても良いって。それで……」

「それなら心配ないわ。板羽さんは私と一緒にリリースネットワーク所属だから」

「そうですか。じゃあ、僕はもう話すことがありません。板羽さん、根田さん。気を悪くしたら、申し訳ございません。志衣、行こう」

「あ、あ、あの、す、すみませんでした」


 川口がまた頭を下げて、ポニーテールが何度も揺れた。その姿を見て鷹阪は胸の痛みを感じた。それこそ団欒な会話の場になるとは思わなかったが、川口を巻き込むつもりなんて全くなかったのに。川口が何か手助けしたいと言った時に、ちゃんとダメだと言うべきだったと、鷹阪は後悔した。


「ちょっと待って」


 椅子から起きようとする鷹阪を止めたのは、景浦ではなかった。根田は妙な微笑みを浮かびながら、顎で椅子を差した。


「わたし、景浦さんと鷹阪さんをスカウトするためここに来たんだから」


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「発光魚類からの恐怖と魔法少女の会というゆりかごから魔女たちをリリースする。だから、リリースネットワークなのよ」

「リリースって、てっきりアダムの最初の妻を仰ってると思いましたが」

「あら、博識じゃない。本を表紙で判断してはいけないってこういうことかしら。そう、鷹阪さんの言う通り最初の魔女であるリリースも掛けているわ」


 根田の説明を聞く板羽のまっすぐな瞳に、景浦は何故か不安を覚えた。偶然に過ぎないとしても「リリース」という言葉から、母親が遺書に残した「解放」という言葉へと景浦の思考は流されていた。この社会のあらゆる束縛からも、天が定めた運命からも解放されて、一人の自由な人間になるためこの手を選びました、と。板羽もそれを望んでいるだろうか。


「集会に不満をもつことは、何も不思議なことではないと僕も考えます。ですが、ゆりかごは言い過ぎではありませんか」

「小桃さんって相変わらず魔法少女の会らしい言い方するよね」

「では、板羽さんからのご指導を伺います。大学生らしい知性を期待しております」


 鷹阪は自覚していないだろうが、彼女は怒りを感じれば感じるほど、言葉使いは丁寧となっていた。彼女との縁が長い人々であれば幾度は接した場面だが、川口は彼女がここまで他人に冷たくするのは初めて聞いた。昨日、鷹阪が自分に怒った訳ではないと、川口ははっきりと分った。


「魔法少女の会は魔女たちを助けるように見えて、実はお互い甘やかしている。協力団体と名乗っているけど、協力というのは、一人の自立した魔女同士の行為であるべきだよ」

「集会はその自立を支援するため、資金面でも教育面でも色んな活動を行っているのではないでしょうか」

「それは素晴らしい活動だとわたし達リリースネットワーク思っているわ。魔女たちは、社会の一員として認められて、その能力を発揮し、生き残る必要がある。他の皆がそうであるように、ね」

「では、板羽さん、いや、リリースネットワーク側は何が不満なんですか」

「問題はいまだに集会が魔法少女というきれいごとに囚われていること」


 景浦は板羽の語り口がどんどん4年前のそれに戻っていることに気がついた。板羽は本気でそう思っていて、リリースネットワークに身を置くことにしたのだろう。


「私たちの食卓に上がるパイはね、無限な訳ではない。限られているの。その限られたパイを得るために、生存するために、皆が毎日頑張っている。誰も認知してくれない『大波』に襲われている私たち魔女は、その中でも極めて不利な立場だよ」


 魔法少女として生きるという事が、どれだけ辛いことなのか、それを否定する者はその場に誰もいなかった。発光魚類によって大けがをしたり命を失う魔法少女が毎年、いや、毎月に――全地球的に見れば毎日――必ずいると言っても過言ではないだろう。『大波』そのものは偶然に属する現象だが、発光魚類は魔法少女をよく獲物にするため、その命が尽きるまで卒業も引退も不可能である。それに逆らう力があるとしても、仕事中に、トイレの中で、眠っている間に、恋人に愛を囁く時に、いつでもどこでも襲われる可能性の上で生きる感覚は魔法少女たち共通のものだ。


 読者である貴方がそうであるように。


「だから、人々のために力を使うとか、魔法少女のキラキラした生活とか、そういうのは自分で自分を守れるようになってから。自分のパイなしでは飢え死にするだけだよ」


 その瞬間、びくっと景浦の肩が震えた。そうか、母親が自分にそうしたように、自分は板羽の中に埋められない穴を開けてしまったのか。景浦はそう考えずにはいられなかった。その反応に気づいたのか、いないのか、板羽は気にせず話を続けた。


「なのに、魔法少女の会はいつも多様性がどうだの言いながら、魔女たちを甘やかしている。それに要らないことにまで力を注いで、魔女のための団体としてきちんと機能していない。それを我々リリースネットワークが変えるって言ってるの」

「多くの魔法少女は、僕たちがそうであったように」

「ボ・ク・た・ち?誰の事?」


 板羽が言葉を切ってそう聞いた。「るいるい、お前……」という、唸り声が鷹阪の腹から喉まで這い上がって来た。今は遠くなったとしても、二人は6年近くチームを組んだ仲だった事実は消えない。それをまるで忘れたような言い方が、鷹阪には耐えられなかった。だが、鷹阪は自分の左にいる景浦と、自分の右にいる川口を見て、その言葉を飲み込んだ。これ以上二人を困らせたくはなかった。


「板羽さんと僕がそうであったように、孤立したケースが多く、それぞれの対応方法を備えて来ました。それを尊重することの何処が問題ですか?」

「それは生き残った昔の人々がいう話でしょう。自分たちはそうして成功したから。あの人々の時代とはもうずいぶんと変わったの。日本の経済状況も集会設立の時より下がる一方だし、『大波』の頻度も増えている。なのに、幼い子供にまでそんな昔の価値観を注入して甘やかすから問題なのよ」


 その言葉に押されるように、今度は根田が話を繋いで、魔法少女の会への批判を述べた。


「まずその名称から甘やかしているのは明白じゃないかな。いまだに魔法少女を口にしている人がいるから魔法少女と魔女両方使いますって?自分たちはもう70代か80代のお婆さんなのに恥ずかしくないのかしら」

「魔女がもっと広い範囲を含める用語であることは確かですが、魔法少女という言葉に込められた歴史性はそんな簡単に無視できるものではありません」

「魔法少女の歴史性?結局あんたたちのパイを奪ってこいつに渡しているだけじゃない」


 その「こいつ」とは、明らかに川口を示す代名詞だった。


「志衣は、その血に炎が流れている、立派な魔法少女です。今まで『大波』を何度も耐えて来たし、人々を救ってきました。魔法少女の会としては見習いとして……」

「あの少年が?立派な魔法少女?笑えるわね。そんなんだから駄目だって言ってるの。若いあなたたちから気を取り戻すべきよ。あなた達こそ、自立した魔女の鑑なはずなのに残念ね」


 いままで怯えていた川口は瞼を閉じてしまった。だが、川口は今度は頭を下げなかった。ちゃんと相手を凝視するほどの勇気はなかったけど、川口は珍しく他人の言葉をきちんと否定した。


「ち、ちが、ちがいます」

「何が違う?」

「わ、わたし、みんなを、たす、助ける」

「シャキシャキと喋らないのかしら。あんたのそういう態度、気持ち悪いわよ」

「私は、魔法少女です。少年かどうか、そんなの関係、ありません」


 根田は、鼻で笑うだけだった。


「髪を伸ばして、イヤリング付けたら、誰でも魔法少女になれると思ってるワケ?あんたたち、そんな真似までして魔女の分を奪いたいの?女の子たちが惨めなままなのはあんたみたいなやつせいだよ」


 川口は何も言い返せず、目を閉じたまま何もしなかった。川口はもうとっくに前からそういう言葉に慣れていた。鷹阪が川口の肩を抱いて、根田を睨みつけた。根田は肩をすくめるだけ。景浦はそれを見て小さく呟いた。


「ひどい……」

「ひどい?あんたね、他の魔女たちが泣く時にはそんな事言ってた?板羽さんが泣いてた時はそう言ってた?」

「……それは、私は、その時は、」

「いいえ。結構です」

「るいるい……」

「だって、その時の七鶴さんが正しくて、今の七鶴さんが間違っていますから」

「いい加減にしろ!」


 鷹阪が爆発した。先輩に抱き着いてピーピーと泣いてた奴が、川口から何も感じないような姿が腹立たしかった。


「先輩が弱くなったから間違えたとでも言いたいのか?あ?!」

「そんなこと、誰も言ってないけど」


 もう鷹阪は板羽の声を聞いてなかった。


「じゃあ、手前はどんだけ強いんだ!先輩の尻尾だけつかんで来た奴が、今度はリリースかレリースか何かの女の後ろに付いてペラペラと、甘えているのは手前だろう、板羽琉衣花!」

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