クチナシのオルゴール

真鶴 黎

クチナシのオルゴール

 セピア色の箱に咲き誇るのは純白の一重咲きのクチナシの花。そのクチナシの花の下、カエルが雨宿りをしているかのようにちょこんと座っている。

 クチナシとカエルが描かれた蓋を開くと、金色のシリンダーと櫛歯が輝きを見せる。



「クチナシのオルゴール」



 そう呼ばれる一点のオルゴール。

 名前の由来は蓋の象嵌細工で表現されたクチナシである。青緑の葉は雨で濡れたように艶やかで雨粒が見えるかのような煌めきを持っている。見ているだけでもクチナシの甘い香りが漂うかのような洗練された優美な細工と評される。

 また、蓋の象嵌細工のクチナシに目が行きがちだが、オルゴールの四隅につく脚にも注目したい。こちらはクチナシの実を象ったものとされ、将棋盤や碁盤の脚と似た意匠である。将棋盤や碁盤の物とは異なり、やや華奢な作りをしている。


 クチナシの優美な意匠の評価も高いが、カエルの姿がこのオルゴールの印象を変える。クチナシが写実的に表現されているのに対し、こちらのカエルはデフォルメされた姿となっている。幼い子どもが好みそうな丸く大きな目に、にっこりと微笑んでいる姿である。今にもけろけろと鳴き声が聞こえてきそうな愛嬌がある。


 このオルゴールが奏でる曲は「カエルの合唱」。箱の横についているクチナシをモチーフにしたぜんまいを回してやればカエルたちの合唱が始まる。オルゴールの愛らしい音色で奏でられるカエルの合唱は無邪気な輪唱となっている。カエルたちが集まって仲良く歌っている姿が目に浮かぶ。


 カエルの意匠、奏でる曲が「カエルの合唱」。そこから、「カエルのオルゴール」と呼ばれることもある。




 このオルゴールが奏でるのは「カエルの合唱」だけではない。オルゴールの引き出しを引くと、中にはもう一本、シリンダーが収められている。こちらはオリジナルの楽曲となっている。ぴょんぴょんと跳ねるような曲調で、可愛らしくもある一方、幼稚な楽曲と評される。


 作曲者はピアノを習い始めたばかりの一人の幼い少女。彼女はよく、自分で作詞作曲をして家族やピアノの教師に披露していたそうだ。作曲の知識のない少女は拙いながらも、誇らしげに曲を披露して周りの人々を笑顔にしていた。実際に五線譜に音符を並べ、歌詞を書いたノートも残っている。どれも筆圧が高く、まだ文字を書き慣れていない感じのするカエルのノートである。


「けろけろぴょんぴょん」

「にじのたからもの」

「きらきらおひさま」

「あめのおはな」

「ながぐつぴちゃぴちゃ」

「あめのうた」


など、彼女はいくつも曲を作った。このオルゴールの曲もそのノートに書かれたものである。


 少女が作曲を始めた頃、ある一冊の絵本に出会った。


『カエルくんのおでかけ』


 可愛らしいタッチの絵本の内容はタイトルそのまま、一匹のカエルの外出を描いたほのぼのとした物語である。カエルという小さな身体の生き物の視点から見た世界は雨が降った日のことで、各所に虹が描かれている。ぴょんぴょんと跳ねながらカエルが向かったのは友達のカエルの元であり、最後は皆で歌を歌って終わりを迎える。


 少女はこの絵本が好きだった。この絵本の影響か、彼女は雨の日や雨上がりに出掛けることが好きになった。絵本のカエルのようにぴょんぴょんと跳ねながら道を行き、雨上がりのキラキラとした世界で満面の笑みを浮かべていた。


 跳ねるようなオルゴールの曲調は恐らく、この絵本の影響によるものだろうと推測されている。少女はよく「こんどはいつあめがふるの?」と雨が降る日を心待ちにしていたそうだ。雨が降れば雨音に合わせて歌ったり、ピアノを弾く。外に出るときはカエルの顔を模したカッパを身にまとい、花柄の長靴を履く。虹色の傘を差してくるくると踊る姿が微笑ましいと近所では評判だった。


 雨の日とカエルと音楽を愛した少女。これらに関連する題名が付された曲が多くあるのは当然とも言えるだろう。


 しかし、このオルゴールの曲以降、少女による作詞作曲は行われていない。また、全てに歌詞がついていたのだが、唯一、オルゴールの曲だけ詞がない。


 詞がないのは、ノートのページが足りなかったから。楽譜が記されてこのノートのページが尽きてしまった。


 それだけだったのなら、よかっただろうに。そう思わずにはいられない事情が少女の身に起きてしまった。


 彼女は幼くして亡くなってしまった。死因は事故死だった。


 雨の降る日、少女は母親と一緒に散歩に出ていた。お気に入りのカエルのカッパを身にまとい、虹色の傘を差し、花柄の長靴を履いていた。機嫌よく歌いながら母親と手を繋いで歩いているところを見た者は多い。

 強く降り出した雨の中、二人は急いで帰路についていたと言う。


 そんな二人の元にスリップした車が突っ込み、虹色の傘が大きく宙を舞ったそうだ。


 少女は即死、母親と運転手は大怪我を負った。病院に駆け付けた少女の父親の慟哭は雷にも負けないほど大きかったそうだ。


 さらに悲劇は続く。少女の母よりも早く退院した車の運転手が間もなく自ら命を絶ってしまった。


「これでは娘の死を、妻の傷を立証することができない。何の言葉も聞いていないのに」


 少女の父は嘆き悲しみながら憤りを見せていた。

 その後、少女の母は退院したものの、脚と心に負った治らぬ傷に苦しみ続けた。


「あのとき、帰り道を別の道にしていれば……。私が庇っていたら、あの子は……」


 とくに、少女が愛した雨の日になると母親の傷口はひどく痛んだ。

 苦しむ妻の姿をずっと見ながら、父親は少女の遺品の整理をしていた。少女の成長や愛を感じる一方で、娘の時が止まり、これからを見ることができないことに哀しんだ。遺品を手に取る度に、娘の生前の姿がよぎり、手が止まってしまった。

 作詞作曲したカエルのノートも父親の手を止めた。父親は楽譜を読めないが、拙い文字を拾い上げては娘が歌っていた旋律を思い出した。雨の音が跳ねるような娘の歌声が愛おしかった。



 娘が遺した曲を残したい。



 そう思った父親はふと少女の言葉を思い出す。

 あるピアノのレッスンがあった日、彼女はどこで覚えてきたのか可愛らしく上目遣いをしてきた。


『パパ、あのね、■■■ね、オルゴールがほしい!』


 どうやらピアノ教師の家にあったオルゴールに興味を持ったらしく、欲しいと思ったそうだ。


『せんせいがね、■■■がつくったきょくもね、オルゴールにできるっていってたから、■■■のきょくのオルゴールがほしいの!』


『へえ、そうなんだ』


 うきうきと話す娘に対し、父親は生返事をしてしまった。パパ、と手を引きながらおねだりする娘を適当にあしらってしまった後悔が押し寄せる。




 そして作られたオルゴールが「クチナシのオルゴール」、「カエルのオルゴール」と呼ばれるこちらのオルゴール。両親の思いに胸を打たれた熟練のオルゴール職人が丹精込めて作ったこの世にひとつしかないオルゴール。


 本日、少女の両親とオルゴール職人、編曲者と共に十八時より「クチナシのオルゴール」の音色を聞く会を開催する。


◇◇◇◇◇


 可愛らしい音がカエルたちの歌を奏で終える。


「カエルの合唱」


 娘の■■が愛した曲の内のひとつだ。パパとママもいっしょにうたおう、と■■に誘われ、妻と一緒に歌った曲でもある。今でも■■の声をありありと思い出せる。親馬鹿かもしれないが、■■は誰よりも上手に歌う子だった。愛娘の歌声が世界で一番好きだ。

 次は■■が作った曲。オルゴール職人と編曲者と相談しながら、オルゴール用にアレンジされた曲だ。この曲を■■はどんな風に歌ったのだろうか、と思いながら、私はシリンダーを交換しようと引き出しを開ける。ピカピカに輝くシリンダーは眩しい。


「……ん?」


 シリンダーを取り出そうとした手を止める。隣にいる妻が不思議そうに私の手元を覗き込む。

 シリンダーの底に敷かれるように紙が挟まっている。私はオルゴール職人を振り返る。彼も異変を察したのか、ゆっくりとした歩みでこちらに近寄ってくる。


「あの、オルゴールに何かしましたか?」


 私はオルゴール職人に小声で尋ねる。演奏の前に彼と打ち合わせをした。その際に、職人はオルゴールの調子を確認していた。私の目には彼が何かしている様子はなかった。案の定、老齢の職人は静かに首を横に振り、オルゴールを手に取る。観客たちが私たちの様子にざわめき始める。


「すみません、少々お待ちを」


 私は観客に断りを入れた後、職人の手元を見守る。職人は編曲者を呼び、彼女にも心当たりはないか訊ねるも、彼女も不思議そうに首を傾げている。

 職人はそっと紙を引き抜くと照明の光に掲げる。


「……何か書いてあるな」


「みたいですね。中を見ても?」


 職人は無言で私に紙を渡すと、オルゴールの確認をするように様々な角度で見ている。

 私は紙を恐る恐る開く。折りたたまれていた紙は二枚。その内の上にある紙に私は息を呑む。雷に打たれたような衝撃だ。


「……あなた?」


 隣にいる妻の案じる声が遠く聞こえる。反応のない私に対し、妻は手元の紙を覗き込むと私と同じように驚愕の表情を浮かべる。

 そして、口元を覆う。


「そんな……」


 雨粒がぽたりと零れ落ちるように妻は言葉を漏らす。

 紙に綴られていたのは拙く、幼い文字。ぐにゃぐにゃとした線で書かれた文字は私たちにとって見覚えのあるもの。


「嘘、だろ」


 ■■の字だ。見間違えるはずのない、愛娘の文字だ。書けるようになったばかりの文字はお世辞にも綺麗とは言い難いのだが、一生懸命書いたであろう強い筆圧が愛おしい。

 妻が顔を覆い、膝から崩れ落ちる。その様子を見かねた会場のスタッフと編曲者が妻に駆け寄る。大丈夫ですか、と問うスタッフの声に重なるようにさめざめと泣く妻の声が雨の音のように聞こえる。

 私は震える手で下の紙を見る。そちらは文章ではなく絵だ。その絵の雰囲気も見知ったものである。

 雨が降る中、手を繋ぐ三人の人物。一人は男性、一人は女性、その間にいるのは少女だ。少女はカエルのカッパを身にまとい、花柄の長靴を履いている。三人の頭上には雨を凌ぐように大きな虹色の傘が広がっている。

 にっこりと笑っている三人の足元には一枚目の紙と同じく、拙い文字が綴られていた。



 ぱぱ ■■■ まま



 そして、三人と同じようににっこりと笑うカエルの姿もある。そんな一枚の絵だ。


「……」


 ぽたり、ぽたり、と絵に雨が降る。その雫は虹色の傘に降り注ぐ。


「……『しのないうた』じゃなかったんだな」


 私は顔をくしゃくしゃにしながら笑う。オルゴールの蓋に描かれたカエルのように、この絵の「ぱぱ」と描かれた男性のように。



 会場は一時騒然としたが、娘が作曲した曲が奏でられた。カエルがぴょんぴょんと跳ねるように愛らしい曲が流れる中、会場は静寂に包まれていた。誰も口出しできないような雰囲気の会場の外では雨が静かに降り、どこからかカエルたちの歌声が聞こえ、クチナシの花の香が匂いたっていた。


◇◇◇◇◇


 二度と帰ることのない娘を喪った両親が娘の遺したものを形にしたいと願った代物。「クチナシのオルゴール」とも、「カエルのオルゴール」とも呼ばれるオルゴールだ。

 こちらのオルゴールにはもうひとつ、異名がある。その由縁はこのオルゴールが奏でる曲にある。一曲は「カエルの合唱」、もう一曲は娘の遺作となった曲の二曲。

 この二曲にはある共通点がある。



 「シ」の音がない。



 オルゴールの構造上、櫛歯にシの音は存在するのだが、シリンダーにはシの音を弾くピンは存在していない。


 また、娘が作曲した最後の曲には「詞」がなかった。いつも、詞とセットで作っている娘を知っている両親は題名もついていないこの曲を「しのないうた」と呼んでいた。

 だから、このオルゴールはこうとも呼ばれる。



「しのないオルゴール」



 帰らぬ若き音楽家の遺作には誰も口出しできない。



発見された詞→かえるのうた(旧題:しのないうた)https://kakuyomu.jp/works/16817330659391969669

 

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クチナシのオルゴール 真鶴 黎 @manazuru_rei

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