第41話 希望

 例のロッカールームを飛び出して、俺は再び階段へ向かった。


 まだ足腰の疲労は抜けきっていなかったが、生存本能をフル稼働させてなんとか前に進む。階段を駆け上がり、時折後ろを振り返えると、二体の鮫魚人は思惑通り俺の後ろについてきていた。

 さらに喜ばしいことに、鮫魚人たちは頭の大きさの割に手足が短いというアンバランスな体型をしているせいか、階段を上るスピードが想像よりも遅い。


 この調子なら部長が逃げる時間を稼ぐだけでなく、上手くいけばあいつらの体力が尽きて、俺も逃げ切ることができるかもしれない。


 ……という希望的観測は、当然のごとく打ち砕かれてしまう。



 竜宮城は最高20階建ての建物なのだが、とうとう最上階にたどり着いてしまったのだ。

 隙あらば鮫たちの様子を確認しているのだが一向に体力が尽きそうにない。一方の俺はというと、かつてないほどのヘトヘト具合だ。全身の細胞が呼吸困難に陥り、生存本能はそろそろ死を受け入れようとしていた。


「はあっ……はあっ……、くそっ……!」


 20階の廊下に出たため、ここからは直線での勝負になるわけだが、そうすると尚のこと不利である。

 鮫魚人たちは「グロロロ!」と吼えて、さらにギアを上げてきた。階段で広げていた差が、みるみる縮まっていく。


 ……ああ、俺はここまでみたいだ。

 正確にはここからまた別の階段に向かって、そこから下に降りることはできるのだが、もはや焼け石に水だ。体力的にもすぐに追いつかれてしまうだろう。


 部長は上手く脱出することができたのだろうか……。

 部長のことだから、なんだかんだ上手く立ち回って逃げられるだろうという妙な信頼感はあるのだが。


 俺が死んだら彼女はどう思うんだろう。

 悲しんでくれるかどうかは分からないが、多分責任を感じてしばらく落ち込んだりはしそうだ。


 そう考えると、少し申し訳ない。

 傍から見ると俺は部長に嫌々付いていっているように見えるかもしれないが、全部が全部そうというわけではない。

 部長のせいでヘンテコな事件に巻き込まれることを、楽しんでいる自分も心の隅っこの方にはいたのだ。


 しまったな……。水着の話よりも、そのことを伝えるべきだったか。

 しかし……、まあいい。部長を逃がせただけでも、俺にしてはよくやった方だ。

 父さんや母さんも、きっと褒めてくれるだろう。


 荒々しい息遣いが、すぐそこまで迫っている。


 鮫に食べられるってどんな感じなのだろうか。

 あんまり痛かったら嫌だな……。


 ……そんな風に、俺が完全に人生諦めモードに入り、走馬灯の視聴準備を始めた時だった。


「ライト!!」


「……え!?」


 廊下の曲がり角から、見知った人物が現れた。

 汗で髪が乱れてはいるものの、それはまごうことなく部長だった。

 先程今生の別れを済ませたはずの、部長だった。


「ぶ、ぶ、部長!?なんでここに!!」


「いいから!こっちだ!!」


 そう言って今度は部長が俺の手を引いて走り出した。

 鎮火しかけていた俺の生存本能が、再び燻り始める。


「一体どういうつもりですか!逃げてって言ったのに、心中するつもりですか!?」


「誰がお前とそんなことをするか!作戦を思いついたんだよ!あれを見ろ!」


 部長が前方を指さした。

 廊下にはなんの障害物もないが……、しかし、さらに視線を遠くへ移すと彼女の意図が分かった。


「あれは……、ウォータースライダー!」


 そう。廊下の果てにあったのは、ウォータースライダーの入り口だ。

 最上階から一階のプールに繋がる、超長距離のスライダー。

 初日に部長やアユリス様と滑ってみたのだが、無駄に長いだけであまり面白くなかったのですっかり忘れていた。


 しかし、これでこの無謀と思われた逃走劇にも希望が見えてきた。

 あの中に入ってしまえば20階から1階まで大幅なショートカットができるし、なにより入り口の穴の大きさ的に鮫たちはウォータースライダーを使えない。


「すごいですね部長!よく覚えてましたね!」


「ふん、ボクを差し置いて、ライトだけカッコつけるなんて許されるワケがないだろう!」


 俺たちは走った。

 筋細胞は完全に無呼吸状態だが、そんなことは知ったこっちゃない。

 火事場の馬鹿走力を、これでもかと発揮して走りまくった。


 不思議と全身が軽い。


「飛び込め!!」


 スライダーの入り口まで数歩といったところで部長が叫ぶ。


 反射的に身体が弾む。


「グオオオオオオオオオオオオオ!!」


 鮫魚人の雄たけびが聞こえたが、振り返る必要はない。


 俺と部長は、二人一緒にウォータースライダーの暗い穴の中に頭から飛び込んだ。



「おわああああああああああああああああああああああ!!!」


 助走の勢いに加え、頭を下にした姿勢でのウォータースライダーはとんでもないスピードで、初日に滑った時とは比べ物にならないくらいの絶叫アトラクションと化していた。


 俺と部長はお互いの身体を抱き合いながら絶叫し、薄暗いくせに目がチカチカするほどカラフルな穴の中を、ただ無抵抗に滑り落ちていった。

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