第37話 浦島太郎

「私と彼、つまり浦島太郎さんとの関係と言いましても、実はあらたまって話すようなことはほとんどないのです。皆さんが幼い頃絵本で読んだ通り、ある時浦島太郎という青年が砂浜で虐められている亀を助け、そのお礼に竜宮城に連れていかれ、そこで楽しいひと時を過ごし、帰り際に玉手箱を渡され、そして陸に帰って玉手箱を開けると煙が出てきて、それを浴びた浦島太郎は老人の姿になっていた。……ただそれだけの話なのです」


「老人じゃなくて鶴になったって話もあるけど、それは違うのかい?」


「ええ、それは単に話に尾ひれがついただけでしょう。第一、私は鶴という鳥がいることは知っていますが、実物は見たことがありませんから。わざわざそのようなものに変える必要もないでしょう」


「それはそうだ」


 部長は納得したように大きく頷いた。


「じゃ、じゃあ、浦島太郎をおじいさんに変えたのは、やっぱり竜宮城と陸の時間の進み方が違っていて、その辻褄を合わせるためだった……ということですか?」


 今度は、恐れ多いが俺の方から尋ねてみた。

 乙姫様は首を縦に振って答えた。


「はい。……そしてそれが私の罪と後悔というわけです」


 神妙な顔で乙姫様は言った。

 やばい、とんでもない地雷を踏んでしまったのかもしれない。


「ライト様のおっしゃる通り、ここと地上の時間の流れは異なります。そしてそのズレは竜宮城での滞在時間が長いほど大きくなっていきます。もちろん、私はそれを知っていました。でも太郎さんには教えなかった。……なぜなら、当時の私は彼に好意を抱いてましたから」


「おお」


 部長が短く唸った。なんだよ、その絶妙な反応。

 というか浦島太郎のこと太郎さんって呼ぶんだ……。


「なるべく長い時間一緒にいたいがために、なかば強引に彼を引き留めてしまった……。その間に地上では数十年の歳月が流れ、彼の帰る場所はなくなってしまいました。罪悪感に耐えかねた私は年を取る秘薬を封じた玉手箱を手渡し、なんの説明もないまま太郎さんを陸へ帰した……これがお話の実態です」


「…………」


 沈黙が辺りを支配した。

 俺と部長は食事を完全に止めて、乙姫様の話に聞き入っていた。

 部長はちょっとした恋バナぐらいの感じで尋ねたのだろうが、存外シリアスな話になってしまったな。


 確かに浦島太郎ってよく考えるとなかなかひどい話だ。

 亀を助けた浦島太郎がそのお礼として竜宮城に招かれたはずなのに、最終的には老人にされ、自分の家も家族も失ってしまうんだから。完全に赤字だ。


 それが乙姫様の純粋な恋心によるものだったとは……、切ないけれど、失礼ながらとても興味深い話でもあった。


「すみません、なんだか空気を重くしてしまって。ですが皆さんが気に病む必要はありません。おとぎ話にされるほどむかしむかしの話ですし」


 乙姫様はニコリと笑顔を作って見せた。けれどそれは、明らかな作り笑いだった。


「ただ皆さんに言いたいのは、これから好きな人ができて……いえ、もうできているかもしませんが、そうなった際に本当にその人のことを思うなら、……あえて別れを告げるという選択肢を取った方がいい時もあるということです。まあそんな機会、滅多にありませんけどね」


 ……好きだからこそ、あえて別れなきゃならない、か。

 一見矛盾しているようだけれど、彼女が、浦島太郎と別れを告げることができなかった彼女が言うのならば説得力がある。


 流石に空気を呼んだのか、部長もその言葉真剣に受け止めているようだった。


「……ちなみに浦島太郎ってイケメンだった?」


「は?」


 部長の代わりに、空気をぶち壊すような発言をしたのはアユリス様だ。

 おい何言ってんだこの金髪野郎は。


「はい、とてもカッコよかったですよ。タイとナポレオンフィッシュを足して二で割ったみたいな」


「いや魚で例えられてもわかんないわよ」


「なるほど、それはライトとは比べ物にならないほどイケメンだね」


「なんで俺を引き合いに出すんですか!ていうか部長、今の例えでよく想像できましたね!?」


 全く、気を抜くとすぐにふざけだすんだから、この二人は。

 しかし、重かった空気が少し和んだのも事実だ。


 もしかすると先ほどの発言はアユリス様なりの気遣いだったのかもしれないが、……ムカつくので俺は評価しない。


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