第22話 下手くそ
今彼女はなんて言った?
「……実はボク、好きな人がいるんだ」と言ったのなら「そうなんですね」としか返しようがないが……。
「……え?いるんですか、好きな人?」
「うん。好きな人が、いる」
「それって、恋愛対象ってことですか……?」
「うん」
「そ、そうなんですね……」
想像をはるかに超える展開に、俺は無言を禁じえなかった。
いや、確かに人が抱えている秘密が一つとは限らない。だから部長が俺の思惑通りに両親の死について語らなくてもなんの問題もないわけだけれども。
しかし、それにしても、だ。あまりにも唐突が過ぎると思う。
恋愛と最も縁遠い存在と言っても過言ではない部長が、世間一般から限りなく逸脱した座標に位置する部長が、突然そんなことを言い出すなんて誰が予想できただろうか?恐らくノストラダムスでも不可能だろう。
それに部長が恋愛感情を抱く相手とは一体誰なのだろうか?
俺が把握している部長と関係のある人物と言えば、俺とアビルくんとアユリス様ぐらいなものだけれど、この中で一番可能性があるのはアビルくんか?
突然オカ研に入部したり、部長と妙に波長が合っていたり、状況証拠的には十分考えられると思うけれど、当の本人は俺と部長をくっつけたがっていたし……、それとも俺が知らない誰かだろうか?
ああダメだ。頭がこんがらがってきた。
こんなことを考えているうちにも沈黙が積もっていく。このままでは気まづいどころか、もう部長と言葉を交わせないのではないかという漠然とした焦燥に駆られる。
そんな俺に助け舟を出すつもりではないだろうけど、部長は「でもね」と言葉を続けた。
「でも、もしかするとボクは、近いうちにその人のことを深く、傷つけてしまうかもしれないんだ」
「それが、少し怖いんだよ……」
依然として正面を向いたままの彼女の声はほんの少しだけ震えていた。
俺にはその言葉の意味が全く分からなかった。
彼女がどういう気持ちで自らの恋心を明かしたのか、誰が好きで、誰を傷つけてしまうのか、正直さっぱり理解できない、というか理解が追い付かない。
でもその時、普段呆れるほど強烈だった部長の存在が、目を離した隙に見失ってしまうのではないかというほど儚く見えたのは間違いなかった。
部長の言ったことはきっと、嘘でも冗談でもないんだろう。
だったら俺は、どういう言葉をかければいいのだろうか。
俺は彼女のことを何も知らない。
両親のことも、密かな恋心も。
だから俺には、部長を慰めることなんて到底できるわけがない。
それなら俺は、俺自身は一体どうしたいんだろう?
「……じゃあ、次は俺の番ですよね」
「……アユリス様から聞いたんですけど、部長のご両親、亡くなっていたんですね」
俺は、今抱えている中で最も重大な秘密を、彼女に明かさなければならない秘密を、部長に明かしてしまいたい秘密を口にした。
「……え、どうしてそれを?ボク、アユリスにそんな話してないぞ」
流石に驚いたのか、動揺した様子で部長はこちらを向いた。
「情報源は俺にも分からないんですけど……。でも俺、謝りたかったんですよ。なんか、部長の触れられたくない所に土足で踏み込んじゃったような気がして……」
それを聞いて、少し硬直していた部長だが、やがて呆れたようにわざとらしいため息をついた。
「全くアユリスめ。帰ったらとことん追求してやる」
意外にもその声は俺が想定していたものよりも明るい調子だった。いつもの部長が戻ってきたようでホッとする。
「嫌だったら答えなくていいんですけど……、その……、ご両親が亡くなったことを隠してたのって、なんか、理由とかあったりします……?」
俺は言葉を詰まらせながら尋ねた。
かなり強引だが、アユリス様からの無理難題を達成するにはこのままの勢いで話してもらうしかないと思ったからだ。
もちろん、部長がわずかでも拒絶するならこれ以上追及するつもりはないけれど。
部長は少し間を開けた後に、「はは」と乾いた笑いを漏らして答えた。
「いやあ、多分ライトが想像しているほど大した事情があるわけじゃないよ」
「そうなんですか?」
「ああ」
部長の口調は存外軽いままだった。
「なんていうか、両親が亡くなったなんて言うと大抵の人はボクに同情して、よそよそしくなるからね。そうやって人と距離ができるのが嫌だったんだよ。……実際、小中学生の時はそれでほとんど友達なんてできなかったしさ、はは」
「……………………」
聞いてみれば当然というか、至極納得できる理由だった。
幼少期に両親を同時に亡くした、なんてことを知れば、周囲の人間はまるで割れやすいガラス細工でも扱うように部長と接するようになるだろう。
そこに悪意など微塵もないのだろうけど、部長からしてみると、まるで腫れもの扱いされているようであまり気分が良くないのは想像に難くない。
ストンと腑に落ちる回答ではあるけれど、でも意外だった。
周囲の気持ちなど気にもしていないと思っていた部長が、こんな人間的な悩みを長年抱いていたとは。
彼女も人並みに、人との繋がりを求めていたのだ。
それを大した事情じゃないと言えるのは、彼女の心が強いからだろうか、それともただの虚勢だろうか。
「……確かに同情は、しますよ。俺なんかが軽はずみに言っていいのか分からないですけど、やっぱり家族が亡くなるのなんて、すごく悲しいことだと思いますから」
「……だよね」
部長は俺から視線を逸らし、俯いた。
それでも俺は彼女を見据えて話を続ける。
「……でも、だからって、部長と距離を取ろうとは思いませんよ」
「……だって俺は……、その…………、部長の……、下僕みたいなものなんですから!」
……あー、失敗した。何かそれらしいことを言って励まそうと思ったが、完全に失敗に終わった。
こういう肝心な時に限って俺の語彙辞典は、そのページのほとんどが白く染まってしまうのだから。
どうしよう、このセリフがきっかけで絶縁されても文句は言えない。
当の部長を見やると、彼女はうずくまった姿勢のまま、小刻みに震えていた。
「……部長?」
恐る恐る呼びかけると、暗闇で震える黒い塊は突然大きく形を崩した。
「ああーーーーーーーはっはっはっはっ!!」
部長は勢いよく顔を上げ、素顔を晒して大きな笑い声を上げた。
「なっ、どうしたんですか!?」
「いやあ、どうしたもこうしたもないよ!なんだい今のセリフ!『俺は部長の下僕みたいなものです』って、普通にキモすぎるだろう!!」
「はあっ!?」
いや、確かに自覚はあったけれど、面と向かって言われると、やはり精神的にダメージが……。
「なんとかボクを慰めようと頑張ってくれたようだけど、下手くそ過ぎだよ。ボクじゃなければ即座に縁を切られていただろうねえ。ははは」
「ぐっ……。部長、それ以上は勘弁してください」
なんだろう。先程まで抱いていた部長への同情が指数関数的に薄れていく。
ああ、穴があったら入りたい。
一通り笑い終えた部長は、呼吸を整えながら目尻に浮かんだ涙を拭う。
そして、いつものように無邪気に微笑んで言った。
「でも」
「ありがとうね」
その時俺は、ポリキュアのお面を挟んだ向こうに見える、祭りから届く微かな明かりに照らされる部長から、なぜだか、どういうわけだか…………、目を離すことが出来なかった。
「おい、貴様ら。なんちゅう所に座り込んでおるんじゃ」
突然背後から聞こえたその声は、全く聞き馴染みのない声だった。
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